「ふふ……ふふふ……」
幻想郷で最も危険だと言われている妖怪の山。
そしてさらにその山の中腹より少し上に建てられている一軒家。
さらにさらにその一軒家の二階にある部屋にて、一人の黒髪の少女が小さなテレビの前で静かに静かに笑っていた。
少女の名は射命丸文。一年ほど前から記憶喪失の銀髪少年と同居を始めた、清く正しい鴉天狗である。
今現在、文は黄色や赤色の紅葉の模様が特徴的な寝間着姿でテレビの前に腰を下ろしている。周りに和菓子やお茶といった食料が置いてあるあたり、結構ガチな引きこもりスタイルと化している。
いつもは新聞製作の為に幻想郷中を飛び回って取材に勤しんでいる文だが、今日はちょっと違うのだ。
「にとりから貰った小型隠しカメラを良夜の服の襟部分に装着しました。ええ、装着したんですよ! だから今から監視――み、見守るんですよ! 別にやましい気持ちなんてないんだからーッ!」
一体誰に言い訳しているのだ、と見た人全員からツッコミを入れられそうな発言をしつつ、麦茶をグイッと飲む。ちょうどいい冷たさの麦茶がのどを潤し、高ぶっていた心が少し落ち着きを取り戻す。
いつもは外出ばかりしている文が家にいる理由。
それは先ほど彼女が言った通り、自分の同居人である沙羅良夜の監視……もとい見守るためだ。
古き良き日本を再現したような幻想郷に小型隠しカメラなどという発明品は普通なら売っていないはずなのだが、文の友人である河童が発明した試作品らしいので、その常識は通用しない。
いろいろと引っかかる点はあるが、とにかく今から良夜の一日密着映像が放送されるのだ。誰がどう言おうと、放送されるのだ。
文はテレビから少し離れ、傍に置いていたリモコンを手に取る。
「えーっと、確かこのリモコンでテレビを操作するって話だったけど……あやや、操作方法が分からない……」
まさか始まる前に詰むなんて、と文はさっと顔を青ざめさせる。最新技術は生活の質を向上させるが、使用者がそのレベルに追い付けていなかったら意味がない。
だが、文は諦めの悪い鴉天狗。ネガティブな気持ちを頭から押しのけ、再びリモコンを弄りだす。
「これが再生ボタンで、これが電源ボタン……えーっと、入力切替のボタンは……」
「文さま、その青いボタンが入力切替です」
「あ、ありがとう椛。――ん? 椛?」
「やっぱり文さまだけじゃダメだったみたいだね。来て正解だったみたいだよ、椛」
「そうね、にとり。文さまは意外と抜けてるお方だから……」
「…………」
口をポカンと開けて絶句する文に構わず、二人は続ける。
「あ。文さま、沙羅が人里を出ましたよ。新聞配達に出てから既に二時間は経過しているというのに、まだ人里とは……相変わらずのスロースターターですねぇ」
「いやいや椛。人間にしては速い方なんじゃない? 二時間で人里での配達を終えたんだよ? もっと褒めてあげるべき――」
「――ってオイ! なんであなた達が私の部屋にいるのよ! えっ? えっ? 私、あなたたちを家に上がらせた覚えないんですけど!?」
『鍵が開いてたので』
「椛! にとり! あなた達に社会の常識とかモラルとかいう常識はないの!?」
『鍵が開いてたので』
「理由になってない!」
うがー! と身振り手振りで喚き散らす文に、白い髪と犬耳が特徴の少女――
今の状況が全く掴めなくて頭に大量の疑問符を浮かべる文を見かねたのか、椛は「いいですか、文さま」と人差し指を文の鼻先に突き付ける。上司に指を突きつけるのはどうかと思うが、文が気にしてないので問題ないのだ。
「文さまと沙羅が同居を始めて早七か月。いろいろなことがありましたね?」
「いろいろなことって……そんなに大したことは起こってない気がするのだけど……」
「ふざけるな!」
「タメ口!?」
あれ? 椛ってこんなキャラだったっけ? と文は冷や汗を流すが、椛は構わず続ける。
「一緒に新聞配達したり一緒に人里でお買い物したり一緒に紅魔館に潜入したり一緒に雪合戦したり一緒に花見したり一緒に日の出を見に行ったり一緒に寝たり一緒に自転車に乗ったり一緒にお風呂入ったり一緒の布団で寝たり……」
「もぉ……みぃ、じぃ……ッ!」
「椛ストップ! 文さまの顔が凄いことになっちゃってるから! 椛の今後の生活に支障が出るぐらいの顔になっちゃってるから! 文さまも落ち着いて!」
お前なんでそんなことまで知ってるんじゃゴルァ! と椛に掴みかかろうとする文を羽交い絞めにしつつ、にとりは必死に消火作業へと当たる。何でこの二人と私は知り合いなんだろう? と自分の過去を軽く後悔することも忘れない。
にとりの活躍により怒りが収まった文は「ふぅ」と息を整え、乱れた寝間着からいつもの白いシャツと黒いスカートへと着替え、椛の頭にゲンコツを落とし、再び元の位置へと腰を下ろした。
「あ、文さま痛いです……」
「あァ!?」
「きゃうん! に、二発目はやばいです……そして睨まないでごめんなさい!」
ドスの効いた目で睨みつけてくる文に全力で土下座をする椛。白い犬耳と尻尾が力なくへにゃっとなっているのを見て、にとりは「完全に飼い主と飼い犬の光景だよコレ……」と自分の親友を同情の視線で見下ろしていた。今この瞬間に三人の関係が少し変わってしまったのは、言うまでもない。
このままだと日が暮れてしまう。そう悟ったにとりはテレビの音量を上げ、二人に改めてテレビの存在に気付かせる。
「み、密着映像鑑賞を再開しましょう! というか始めさせてください!」
涙目で土下座する河童の姿に、鴉天狗と白狼天狗は狼狽しつつも謝罪した。
☆☆☆
『次の配達先は紅魔館か……美鈴の奴、どうせまた寝てるんだろーなぁ』
「なんだあの愛人に会いに行くような緩みまくった笑顔は……ッ!」
「文さま疑い深すぎだよ!? いつものダウナーな表情じゃん!」
「くくく……いけっ、沙羅! 致命的なぐらい寝取られてしまえ! そして文さまに嫌われなさい!」
「椛は椛でキャラ崩壊するぐらい悪党キャラになってるし! 今日のこの鑑賞会、心臓に悪すぎるよ!?」
良夜の密着映像鑑賞会が始まってから一時間後。にとりはキャラ崩壊が著しい天狗たちのせいで、日ごろの百倍ぐらいのツッコミを強要されていた。
原因は良夜の『美少女エンカウント率の異様な高さ』と文の『勘違いスキルの異様な高さ』、そして椛の『良夜への嫉妬感情の異様な濃さ』の三つだと、すでに涙目の河城にとりは確信している。好奇心に負けて参加するんじゃなかった。
画面に映し出されているのは、良夜の前方に広がる光景だ。隠しカメラが良夜の学ランの襟に装着されているから当たり前なのだが、「後ろは!? 後ろから接近してくる奴はいないの!?」とか「気が抜け過ぎよ沙羅! 文さまは何でこんな奴にホの字なのか……ッ!」とか言う天狗たちは果たしてそのことをまだ覚えているのか、甚だ疑問である。
そしてさらに三十分ほど天狗たちのオーバーなリアクションが続いた後、画面に古びた洋館が映し出された。そう、紅魔館である。
「やっと紅魔館だ……ホント、頼むよ沙羅っち……」
これ以上私にツッコミをさせないでくれ、と付け加え、にとりはぐいっと麦茶を飲む。
画面を食い入るように見つめる二人の天狗とやや顔がやつれてきている河童が見守る(?)中、良夜は紅魔館へと近づいて行く。
『あ、配達屋さんじゃないですか。こんにちはー』
『よーっす
『それを言わないでください~……本当、そのことで咲夜さんに何回何度何時間説教されたか……』
『まぁ、基本的に幻想郷は天気が安定してるからなー。眠気に負けちまっても、仕方ねーだろ。美鈴は頑張ってると俺は思うから、落ち込まなくていーと思うぜ?』
『配達屋さん……って、なに頭撫でてるんですかぁ! ちょっ、ひゃわっ!』
『あ、スマン。なんか髪質良さそうだったから、触ってみたくてさ。後悔はしてませんし反省もしてません』
『も、もう………………別に、触りたいなら言ってもらえれば……』
『え? もうちょっと大きな声で言ってくれよ』
『にゃ、にゃんでもないです!』
「はいフラグ立ちましたぁーっ! 沙羅が美鈴さんにフラグ建築しちゃいましたやったぁ―ッ!」
「あ、あんな笑顔で頭を撫でてる……良夜ぶっ飛ばす!」
「ダメだコイツら。早く何とかしないと……」
私の身が持たないんですけど、とにとりは自分の左右で一喜一憂している友人と上司の様子を横目で眺め、溜め息を零す。
そして画面が紅魔館の敷地内へと移り変わる。どうやら美鈴が良夜を中へと招き入れたようだ。瞬間的ににとりの左右が騒がしくなったのは、もう報告するまでもないだろう。
そしてさらに五分後。良夜は美鈴に大広間へと案内される。
『お嬢様と咲夜さんと妹様を呼んできますので、ここでしばしお待ちください』
『別に新聞もってきただけだから出迎えなくていいのに……』
『遠慮しないでくださいよ~。お願いだから、勝手に出てったりしないでくださいね? 私が殺されちゃいますから』
『ンな馬鹿な』
『冗談で済めば私もここまで心配性にはなりませんよぅ』
そう言い残し、美鈴が大広間から出ていった。一人残された良夜は出された紅茶を黙って飲みながら美鈴が戻ってくるのを待つ。
良い調子だ、とにとりは思った。このまま普通にお茶して普通に配達に戻れば、ツッコミの量も減るだろう。にとりは二人にばれないように、小さくガッツポーズをする。
――が、異常事態は突然訪れた。
『屋敷の中だからかな。学ラン着てると暑ぃーな……』
「ええぇっ!?」「うそでしょう!?」「ちょっと沙羅っち!」
椛、文、にとりの順で悲鳴のような声が上がる。
理由は簡単。暑さに負けた良夜が上着を脱いだのだ。なにもおかしいところはない、普通の行動だ。
だが、問題は小型隠しカメラが上着の襟に装着されているということ。上着を脱ぐことそれすなわち、カメラは永遠に暗闇を撮り続けてしまうということだ。
画面が闇に包まれる。良夜が紅茶を飲む音だけが画面から聞こえ、三人の少女はただただ沈黙してしまっていた。
と、なにを思ったのか、文と椛が突然その場に立ち上がった。嫌な予感がにとりの頭をよぎる。
そして、
「……ちょっと取材に行ってきます」
「……今から訓練があるから」
「いいかげんにしろぉぉおおおおおおおおおおおおおーッ! もうココまで来たら監視するの諦めればいいじゃないかぁ! というかもうやめようよ二人とも! これ以上はプライバシーの侵害だよ!」
『ぅぐ……』
ブチ切れたにとりにガミガミと一時間ほど説教され、文と椛は渋々監視の中止を受け入れた。
次回は撮影中止後の良夜の続きです。