東方文伝録【完結】   作:秋月月日

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 前回の続きです。

 お楽しみください。




第五話 紅魔館から出られない

「………………今日の分の配達、間に合う気がしねー」

 

 そう呟きを漏らした良夜は用意された紅茶でのどを潤し、再びぐでーっとソファの上でだらけモードに入る。

 美鈴が主人を始めとした紅魔館メンバーを呼びに行ってから三分ほどが経っているが、一向に帰ってくる様子はない。レミリア様にお仕置きでもされてんのかねー。紅魔館の主人にお仕置きをされる美鈴の姿を思い浮かべ、良夜は「くくくっ」と小さく笑う。

 今の時刻は午前十一時半。文には六時までに戻ると告げているが、良夜はもっと早めに帰宅するつもりでいる。あまり遅い時間に帰ると、文の機嫌が悪くなってしまうことを身を持って知っているからだ。とりあえず、三日は寝させてもらえない。

 

「今日中に博麗神社と香霖堂と永遠亭に行かなきゃなんねーんだけど、無理そうだなー」

 

 いやそれ普通でも間に合わねーよ、と誰かツッコミを入れて欲しい。特に永遠亭は迷いの竹林と呼ばれる最強の迷路の奥にひっそりと建っているので、一日二十四時間をフルに使ったとしても辿りつけないこともある。しかも香霖堂は魔法の森の奥、博麗神社は長い階段の上だ。空が飛べれば何の問題も無いのだが、良夜の移動経路は地上のみ。普通の人間が空を飛べるわけないのだから。

 ま、いっか。どーせ新情報なんか載ってねーしなー。簡単に予定を諦める辺り、良夜の面倒くさがり屋が顕著に表れている。それでいいのか配達屋。

 と。

 

「良夜お兄ちゃーん!」

 

「ごぎゅぶるがぁあ!」

 

 聞き覚えのある声が耳に届いた直後、良夜の腹に言葉では言い表せないほどの激痛が走った。

 普通ならば床でのた打ち回っても回復しないような痛みなのだが、その激痛を与えた張本人が抱き着く形で良夜を拘束しているため、身動き一つできないのだ。それなりに鍛えている良夜が簡単に引きはがせないほどの力を持つ存在が、良夜の体の自由を奪っている。

 良夜の銀髪とは対極に位置するような神々しい金髪をサイドテールにまとめていて、無邪気な笑顔で良夜を真っ直ぐと見つめる幼――少女。背中には宝石がちりばめられた翼が生えていて、この少女が人間でないことを顕著に表している。

 彼女の名はフランドール=スカーレット。この紅魔館の主であるレミリア=スカーレットの実妹で、姉と同様に吸血鬼でもある少女だ。

 いつも被ってる帽子はどーしたんだろう? と良夜は不思議に思うが、ああ室内だからか、と納得する。

 目じりに涙を浮かべて顔を真っ青に染める良夜に気づかないフランは頭をグリグリと良夜の腹に押し付ける。

 

「が、ァ……ッ!」

 

「三日ぶりだね良夜お兄ちゃん! またフランの為に遊びに来てくれたの?」

 

「ご、ふっ……」

 

 油汗をびっしりと顔に張り付けながらもこくこくこくっ! と激しく首を縦に振る良夜。純粋な少女の笑顔を守るためには、どんな激しい痛みでも耐えなければならないのだ。例え朝食どころか内臓を吐きだしそうになるぐらい強烈な痛みでも、だ。

 良夜の答えにフランは「わぁーっい! 今日は何して遊ぼうかなー」と嬉しそうに言うと、そのまま良夜の足の上に腰を下ろす。紅魔館に良夜が来ると毎度の様にフランが良夜の足の上に座る、というのが良夜in紅魔館の光景なのだ。……ロリコンだとか言ってはいけない。

 真っ青な顔の良夜と嬉しそうなフラン、というホラー映画のようなワンシーンが完成したところで、再び扉が開いて三人の少女が入室してきた。

 一人目は、中国風な服と長い炎髪が特徴の門番――紅美鈴(ホンメイリン)。美鈴は真っ青な良夜を見るなり「お、お薬を持ってきます!」と再び部屋から出て行ってしまった。その前に助けろよ、と良夜は心の中で呟く。

 

「妹様。良夜が動きにくそうですので、こちらの椅子に座ったらどうですか?」

 

「いーやー! 良夜の膝は私の特等席なの!」

 

「そうでございますか。……良夜、ファイト」

 

「お、おう……」

 

 二人目は、かつて人里で良夜から新聞を買ったり良夜を刺し殺そうとした銀髪メイドの十六夜咲夜。咲夜は苦しそうな良夜を見かねてフランを移動させようとするが呆気なく失敗し、良夜だけに聞こえるぐらいの音量の呟きでエールを送る。咲夜と良夜は似た境遇や似た容姿のせいか、かなり仲がいいのだ。アイコンタクト会話ぐらいなら、余裕でこなすぐらいに。

 そして三人目は、ふわっとした帽子の下から見える青と紫の中間ぐらいの色の髪が特徴の少女だ。背中からは悪魔のような翼が生えていて、彼女も人間ではないことを表している。

 そう。彼女こそがフランドール=スカーレットの実姉で紅魔館の主であるレミリア=スカーレットだ。顔に幼さがあるが、これでも八百年以上生きている吸血鬼なのだ。成長速度が年に追い付いてねーなー、と良夜はレミリアを見るたびに思っているというのはココだけの話。

 レミリアは良夜を見るなりフフン、と鼻を鳴らし、

 

「よく来たわね良夜。記憶探しは順調なの?」

 

「いやいや、全然ダメなんスよねー。レミリア様、記憶ってどうしたら戻るんですか? パチュリーとか知ってそうだけど、全然図書館から出てこねーみたいですし……」

 

「パチェは体が弱いから。図書館が家みたいなもんだからねぇ。貴方が図書館に行けば会えるんじゃないかしら?」

 

「そんな時間があったら配達に行くッスよ」

 

 「ま、気長に探しますけどねー」と良夜はさほど気にしていないように笑う。

 良夜にとって、失った記憶というものはさほど重要ではない。記憶を無くした状態でこの幻想郷にいたのだから、それより前の記憶など思い出しても意味がない。それが彼なりの考えで、それが彼が記憶喪失をあまり気にしていない大きな理由でもある。古い記憶を呼び覚ますことで今後の人生が変わってしまうのなら、思い出さない方がましだ。と言うのも彼の考えの一つだ。

 「あら、そう」レミリアは良夜の向かいのソファに腰を下ろす。

 

「咲夜」

 

「紅茶はもう用意しておりますわ」

 

「咲夜が淹れた紅茶は嫌いだっていつも言ってるのに……ワインが良いわ。ワインは素晴らしいもの。紅いし紅いし紅いしね」

 

「好き嫌いは許しません。高貴な吸血鬼である以上、紅茶ぐらいで音を上げてもらっては困ります。それに、ワインは良夜が飲めませんので却下です」

 

「うぅー……」

 

 頬をぷくーっと膨らませて咲夜を睨むレミリアだったが、咲夜は涼しい顔で良夜とレミリアとフランのカップに紅茶を注ぐ。香ばしい香りが部屋に漂い、良夜の鼻孔を刺激する。

 カップを手に取り、紅茶を口に含んでみる。

 

「相変わらず美味いな、咲夜の淹れる紅茶って」

 

「褒めても何も差し上げませんわよ?」

 

「別に何もいらねーよ」

 

 乱暴な良夜の物言いにも一切動じずに、咲夜は空になった良夜のカップに再び紅茶を注ぐ。この冷静さがあるからこそ、咲夜は紅魔館のメイド長を務められるのだ。紅魔館のメイド長が誰にでもできるような仕事じゃないということを、幻想郷の住民たちは知っている。

 と、良夜がレミリアとばかり話していたのが気に入らないのか、フランは「うぅー」と唸ったかと思うと、

 

「私もお兄ちゃんとお話ししたーい!」

 

「わぁーったわぁ-った。だから俺の上で暴れないでくれ頼むから。お前の能力が発動しちまったら、俺が死んじまうんだぜ?」

 

「うんっ、分かった!」

 

「がっふ!」

 

 体全体で頷いてしまったフランの頭が顎に直撃し、良夜の目に再び涙が浮かぶ。

 だが、フランのこの行動は全て悪気が無いので、良夜は怒ろうにも怒れない。俺って子供が生まれたら絶対に甘やかしそーだなー、と良夜はさほど遠く浅そうな未来をどうしても心配してしまう。親バカだけには、絶対にならないよーにしよー。良夜は改めてそう心に誓うのだった。

 機嫌が直ったフランは「ねぇ、お兄ちゃん」と邪気のない瞳で良夜を見上げ、

 

「お兄ちゃんの好きな女のタイプって、どういうのー?」

 

『なぁっ!?』

 

 質問された良夜、レミリアの空のカップにおかわりの紅茶を注いでいた咲夜、そして救急箱を抱えて戻ってきた美鈴の声が重なる。

 純粋な子供ほど怖いものはない、とはよく言ったもので、可愛らしく首をかしげるフランを前に良夜は「あ、え、ちょ」と冷や汗を流しながら狼狽するしかなくなっていた。

 と。

 

「い、妹様! 配達屋さんが困ってますので、違うお話をしませんか!? たっ、たとえばそうっ、最近楽しかったこととか!」

 

 空気が読める子である美鈴が良夜を救い出すべく、話題のシフトチェンジを試みる。決して自分の為ではない、と美鈴は心の中で言い訳を忘れない。

 が、相手は無邪気を地でいく生粋の箱入り娘フラン=スカーレット。そう簡単に手綱を握れるはずもなく、

 

「いやよ。私はお兄ちゃん好みの女性になるの。だから質問は変えてあげなーい」

 

『(この幼女がァ……ッ!)』

 

『(美鈴と咲夜から禍々しいオーラを感じるっ!』

 

 額にビキリと青筋を浮かべる咲夜と美鈴を見て、良夜とレミリアの二人はさっと顔を青ざめさせる。武闘派門番と黒幕系メイド長の笑っていない目がなんとも恐ろしい。どうやったらそんな笑顔が作れるんだ、と良夜とレミリアの二人は脅えながらもただただ紅茶をすする。手が震えているせいで、カップがかちゃかちゃと鳴る。

 と、ここで良夜は残りの配達のことを思いだし、頬をヒクつかせながらも何とか突破口を開こうと頑張ることにした。

 

「じゃ、じゃあ俺は残りの配達があるんでここら辺でお暇させてもら」

 

「お兄ちゃん、まだ話は終わってないよー?」

 

「そうですよ、配達屋さん。本番はココからじゃないですかぁ」

 

「そうよ良夜。遠慮しないで良いから、座りなさい」

 

「(美鈴と咲夜の目が怖いィィーッ!)」

 

 笑顔の圧力という新時代の恐怖を目の当たりにした良夜はだらだらと冷や汗を大量に流しながらも、「あ……はい。それじゃあ遠慮なく……」と静かにソファへと座りなおす。そしてフランが良夜の足の上にぽすんと腰を下ろした。途端に冷たくなる部屋の空気。

 なんだここは。南極か。良夜とレミリアは二人脅えた様子で顔を見合わせ、引き攣った笑顔を浮かべる。

 良夜は恐怖で押し潰されそうになりながらも左手に着けている腕時計を眺める。長い針と短い針が『一時二十三分』を示していて、今のこの状況が体内時計を狂わせていることを良夜にはっきりと伝えていた。

 (スマン文。今日は帰れそーにねー)良夜は小さく溜め息を吐き、心の中で自分の家主へ謝罪する。

 

 紅魔館から出られない。

 

 それは、良夜が言いたくても言えない、悲鳴のようなものだった。

 

 


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