艦娘になって2日目の朝。スピーカーから放たれる起床ラッパの、ひどく耳障りな音で俺は起された。
それと同時に、布団から抜け出し立ち上がる。目覚ましが鳴った瞬間に布団から抜け出すのは俺の習慣だった。というのも、布団にこもったままだと確実に二度寝をしてしまうタチなのである。
布団から抜け出すと、早朝の涼しさが身を包む。少し肌寒いな、と思って体を見ると、寝間着として着用していた浴衣がはだけていた。ちらりと何かが見えた気もしたが、昨日さんざん見たこともあって、あまり気にならない。薄いし。
襟を引っ張って適当に直す。既に日は出ていて、窓から差し込む光はだいぶ明るい。
今日も良い天気だ、と思いながら、とりあえず顔を洗おうと、俺は洗面所へ向かった。
寝起きながら、すっきりと頭が冴えているのは、よく眠れたからだろう。昨日は風呂から上がって部屋に戻ると、すぐに布団に潜り込んだ覚えがある。
おかげさまで、目覚めも爽やかだ。
冷たい水で顔を洗い、歯を磨いた後。俺はヤマトの衣装たる赤と白のセーラー服のようなものに着替える。ちなみにこれは替えの服らしく、風呂から上がった俺のところに、ヤマトの妖精さんが持ってきてくれた。
服を着替え、艦首を模した首輪をつけ――寝るとき痛いので解いた髪をポニーテイルにしようとして、その意外な難易度の高さに気付いた。
まず、長い髪を全てを小さい髪留めに通すのが難しい。その上、必ず左右のどちらかにずれてしまって、綺麗なポニーテイルにならない。
試行錯誤を重ね、何とかそれっぽくなったところで妥協。
そして、俺が向かったのは食堂。何はともあれ朝ご飯である。
最近は朝食を抜くという人も増えていると聞くが、少なくとも朝起きている限り、俺は朝食をきちんと食べる派だ。それに艦娘になってからというもの、どうもお腹が空く。
今日の朝ご飯のお供は味噌汁らしく、良い香りが食堂の方から漂ってきて、俺の腹を刺激する。
ふんふんふーん、と鼻歌交じりに階段を下りたところで、玄関の方から歩いてくる女の子に気が付いた。
「あら……おはようございます!」
相手の方も気づいたらしく、大きな声で挨拶された。
「おはようございます」と俺も言いながら、この子は誰だろうかと考える。
ここは艦娘寮なので、多分この女の子も艦娘のはずなのだが、ぱっと見て思い当たる艦娘がいない。
見た感じ、大和撫子という感じ。落ち着いた雰囲気の子だ。俺と同じように長い髪を先の方でゆるくまとめていて、左の髪の一部を顔の横で結んでいる。
弓道着のような上着に、ミニスカートを合わせていて――そこでふと、思い当たる艦娘に気が付いた。
「提督からお伺いしています。大和さん、ですよね? 私、祥鳳艦航空母艦1番艦の祥鳳です」
祥鳳――MVPを取ったときのあの声が俺を魅了してやまなかった祥鳳だ。
いかにも大和撫子然として落ち着いている女の子が、力いっぱい喜んでいるギャップに俺はやられた。大好きな艦娘だったのに、すぐに気付けないとは……不覚だ。
もっとも、理由は分かっている――服だ。
肌脱ぎのイメージが強烈過ぎて、普通に服を着ているなんて思いもしなかった。ごめんよ祥鳳――と心の中で謝る。
「初めまして、ヤマトです。よろしくお願いします」
和子提督から話は伝わっているようだが、俺も一応自己紹介。
にこにこしながら「よろしくね!」と祥鳳は返してくれた。
「大和さんもこれから朝食ですよね。良かったら一緒に食べませんか?」
と、可愛い女の子に誘われたら断れるわけがない。「是非!」と頷いて、一緒に食堂へ向かう。
「ところで、祥鳳さんはどちらか行かれていたんですか?」
玄関の方からあるいてきたということは、祥鳳は外に出ていたのだろう。
時間は未だ7時にもなっていないが、何か用事でもあったのだろうか。
「ええ。駆逐艦の子たちが演習に出るので、その見送りに行っていたんです」
「ああ、そういえば」
不知火がそんなことを言っていた。もう出た、ということは、駆逐艦たちも相当早く起きたのだろう。昨日の第六駆逐隊の娘たちが脳裏に思い浮かぶ。
……起きれたのだろうか、彼女たち。意外と全員寝過ごしそうだ。
そんなことを考えながら、食堂の中へ。そこには先客がいた。
「神通さん。おはようございます」
「おはようございます、祥鳳さん。それに、大和さん……でしょうか?」
「はい、ヤマトです。おはようございます」
何だ、ここは天国だったのか――俺は悟る。
神通――俺の愛しの軽巡だ。艦これでは、俺の艦隊の中で唯一改二になった艦娘でもある。
控えめに笑って、静かに「よろしくお願いします」とこちらに頭を下げる姿はとても可愛らしい。
せっかくなのでと、神通とも席を共にすることになった。
今日の献立は、味噌汁に白米、焼き魚に卵焼き、そして和え物。シンプルな和の朝食、という感じである。
皆で「いただきます」と食べ始めた――のだが、神通も祥鳳も食べ方がとても綺麗だ。
翻って自分はというもの、元が男ということもあり、比べるべくもない。正直、高級ホテルに庶民が間違って入ったような、そんな恥ずかしさがある。
しかし、お腹も空いたし、今更だ。お代わり自由な米と味噌汁を平らげて、食堂のお姉さんにお代わりを申し立てる。
そして、席に戻ろうとしたところで食堂の扉が開いた。
「おや。大和さん、おはよごうございます!」
「青葉さん。おはようございます」
入ってきたのは青葉だった。
相変わらずの元気印。けれどもまだ眠いらしく、あくびをかみ殺している。
「神通さんと祥鳳さんもいるんですね。私もご一緒しても?」
「ええ、もちろんです」
頷き、自分の分の朝食を受け取った青葉とともに席に戻る。
「おはよーございます!」と元気にあいさつする青葉に苦笑しながら、神通たちも挨拶を返す。やはり、同じ艦隊に所属する者同士、仲は良いらしい。
「そういえば今日は、駆逐艦の子は演習でしたね。食堂が静かでびっくりしましたよ」
いただきます、と食べ始めた青葉は、ふと思い出したようにそう言った。
その言葉に、祥鳳も大きく頷く。
「駆逐艦の子たちが来てから一週間ぐらいしか経ってないのに、賑やかな食卓に慣れてしまいましたよね」
「あ、あの子たちってそんな最近来たばかりだったんですね」
俺は思わずそう言う。もう少し長いものだと勝手に思っていた。
「ええ。……だから、今日も初めての演習なんです」
「ケガなんかしないと良いんですけどねー」
神通の言葉に、青葉がそう心配する。まあ、演習とはいえ事故は起こる。怪我の心配が全くないわけではないだろう。
「ところで今日、提督と妙高さんはいらっしゃらないので?」
「提督は、急ぎの報告書があるそうです。妙高さんも、そのお手伝いかと……」
あ、それたぶん俺のヤツだわ……。神通も言ってて気が付いたのか、こちらにちらりと視線を向けた。
少し申し訳ない。あとで和子提督には後でお礼を言っとこう。
「そういえば、皆さんはこの後どうされるんですか?」
話をそらすべく、そんなことを聞いてみた。
というのも、俺にはやることがない。だからといって、保護されている身分で食っちゃ寝というのも気が引ける。
参考になればと思って聞いてみると、一番最初に答えてくれたのは神通だった。
「私は、海に出て戦闘訓練をしようと思っていました」
物静かな見た目に反して、意外に体育会系だった。やはり艦であった神通と同じく、相当な武闘派らしい。
そんな神通の発言に、「自主練なんて真面目ですねー」と青葉が茶化す。
「青葉は写真の整理とか、ネタ探しとか。あとは――秘密です」
「私は艤装の点検をして……少し訓練をしたら本でも読もうかなと」
意外とみんな暇らしい。
聞いてみると、基本土日は休みのようだ。毎日深海棲艦が攻めてくるわけでもないし、哨戒活動はもっぱら通常の艦船で行われるので、艦娘が出撃するのは深海棲艦が確認されてからなのだとか。
とはいえそんな余裕が出来たのも、横須賀の艦娘が伊豆諸島に展開していた深海棲艦の基地を撃破し、日本近海の深海棲艦の数が減ったつい最近らしいのだが。
ちなみに、佐世保はブラック鎮守府状態らしい。南西諸島から攻めてくる深海棲艦が多い上に、大陸との貿易を行う船団の護衛任務が毎日のようにあるのだとか。
「それは……嫌ですね」
「艦娘学校でも配属されたくない鎮守府ナンバー1ですよ。衣笠そこ配属になっちゃいましたけど」
憐れ衣笠。でも連絡を取ってみると、本人は結構充実しているらしく、元気にしていたらしい。
そう言うと青葉は「ご馳走様です」と立ち上がった。いつの間にか食べ終えている
「……早いんですね」
一番遅く来たのに、一番最初に食べ終わるとは。
ちなみに俺も食べるのは早いが、その分量を食べているので、結果的に食べ終わる時間は普通だ。
「早食いは記者の特技ですから!」
そう言って食器を返すと、青葉は去って行く。
その後も俺たちは話しながら食事を続けていたが、神通が「そろそろ訓練に出ますね」と言うのをきっかけに解散となった。
朝ご飯を終えた俺がやってきたのは、戦艦用ドックである。
わらわらと妖精たちが出迎えてくれるが、一部の妖精さんは頭にたんこぶを作っていた。どうしたのかと驚いて聞いてみると、「ヌイヌイニ、オコラレタ……」と妖精さん。どうもギンバイについて叱られたらしい。宴会に参加した者としては大変申し訳ない。
まあ、「デモマタヤローナ!」とか言っている妖精さんもいるので、あまり懲りてはいないようだ。
「トコロデ、ドーシタノ?」とウチの妖精から聞かれる。
「ちょっと艤装の点検をしようと思って」
これから戦うことを決めた以上、装備はきちんと確認しておかなければならないだろう。
俺がそう言うと妖精さんたちが艤装に駆け寄り消えて行った。……乗り込んだということなのだろうか。
1人だけ艤装の上で待っている妖精さんが「ササ、ツケテクダサイ」と艤装をぺしぺし叩く。
俺は指示に従って、艤装の目に腰を下ろす。すると、がちゃん、と艤装が接続される音がした。
「ホジョエンジンシドー!」という妖精さんの掛け声とともに、艤装が起きたのを感じる。
軽く確認もかねて、砲塔を動かす。きちんと自分の思った方向に向いてくれた。問題ないだろう。
点検だけのつもりだったが、いざ艤装を付けてみると、もっと動きたくなってきた。
しかし保護されている身分で、あまり艤装を付けて動き回るのもどうなのか。少なくとも許可を取ってくるべきかもしれない。
じぃ、っとドックの出口に広がる海を見つめながら考えて、ふと思いついた。
見つからなければいいのだ。
「よっしゃ。本艦はこれより潜水艦行動に移行!」
ドックのコンクリートから、海の上に歩き出る。妖精さんの「リョウカイ! クウカンジャイロハンテン」という声がかかると、俺を挟んでいた艤装が大きく開いて反転し、元々艦底だった部分が上になる。
――良かった。俺が逆立ちしなければいけないのかとと思っていたところだ。
水面を踏みしめていた足は海に沈み、底のコンクリートに届く。
そして気が付いたが、これ服濡れるわ。どうにかならないかと妖精さんに尋ねてみるも、どうにもならないらしい。後で洗濯はしてくれるらしいし、ドックにも簡易シャワーがあるらしいので、あとで着替えれば大丈夫だろう。
ざぶざぶとみずをかき分けて進み、俺は海に浮かぶ。そしてタンク注水、下げ舵10。
俺の身体は海中に沈んでいくのであった。
潜ってみて思ったことは、意外と綺麗じゃないな、ということだった。まあ、瀬戸内海だから仕方がないだろうか。一度はダイビングスポットあたりで潜ってみたいものだ。
深度は現在10メートル。差し込んでくる光が結構暗いのは、透明度が低いせいなのだろう。
こうやって見てみると、瀬戸内海は結構汚い海なのだろか。他で潜ったことがないから良く解らないが。
まあ魚とはさっきからそこそこにすれ違っているので、少なくとも生き物が生きるには問題ないレベルらしい。ちなみに手で魚を捕まえられないかと思って試してみたが、無理だった。
しかし、意外とつまらない。もっと綺麗な景色ならよかったのだが。
10分も航行してないが、正直飽きた。なんとなく息苦しくて、気分的にもよろしくない。というか、ちょっと怖くなってきた。
これでもまだ光が差す深さなのだから、もし外洋に出てもっと深いところに潜ったら……あ、ダメだ。想像しただけで背筋が震える。
よし帰ろう――そう決意したところで、ふと海の上の航跡が見えた。
神通だ。先ほどからレーダー上でジグザグ走行を繰り返したり、砲撃音が微かに聞こえたりと、戦闘訓練を行っているのは気付いていた。
やはり海の上の方が性に合っている。やっぱり和子提督にきちんとお願いして、後で混ぜてもらおう。
俺が海の底を這うように航行しながらそんなことを考えていた時――ぴぃん、という高い音が海に響き渡った。
とても綺麗な音だった――のだが、一体どこから聞こえたのだろうか?
まさかクジラの鳴き声というわけでもないだろう。こんなところにはいないだろうし。
首をひねっていると、ヘルメットを被って命綱をつけた妖精さんが俺の顔の前にやってきた。そして、また音。
その音を聞いた妖精さんはすごく慌てた様子でバタバタしている。何かを伝えたい様子なのだが、いまいち声が聞こえない。
すると、もう一人現れた妖精さんが、俺の耳にイヤホンのようなものを突っ込んだ。
『――我敵潜水艦ヲ発見セリ! 繰り返します! 我敵潜水艦ヲ発見セリ! 現在追跡中!』
聞こえてきたのは切羽詰まった神通の声。そして再び音。
そして俺はようやく音の正体に気が付く。
――――ピンガーだこれ。