「はぁ……」
京都のとある神社仏閣を思わせる校舎の中で、巫女装束に身を包んだ黒髪の女性から溜息の声が漏れる。
彼女は高専の職員として、新年度と共に京都呪術高専に入学する新入生を出迎えていた。
此方に向かってくる新入生は三人。女子生徒が二人で、男子生徒一人。
一般的な高等専門学校としては異例の少なさだが、術師のマイノリティ具合から決して少ない数ではない。
寧ろ二年連続三人もの新入生を迎えられたのは僥倖である。
姉妹校の東京校では、突然変異自立呪骸というパンダを除けば、新入生が二年連続二人と思えば多い方である。
尤も、呪骸を話題に上げれば新入生の一人は傀儡越しなのだが。
そんな嬉しい筈の行事でありながら、彼女の表情の中には決して拭えない気不味さが存在していた。
本来存在するはずだった、女性としては決して無視できない傷跡の代わりに。
「久し振りだな、庵
「えぇ、
「構わない。だが、『学長』ではなく?」
「うっさい。学長なんて私には荷が重すぎんのよ、ったく」
庵 歌姫。
本来の歴史では
そんな彼女は、ここ数年での栄転の原因をジト目で睨み付ける。
とはいえ、そこに怒りは無く眼力も睨むというには弱かった。
実際、彼女の主な
全ては三年前、中学に上がりたての
総監部と御三家を中心とした呪術政変は、人員を大いに掻き乱しその多くを摘発するに至った。
歌姫にとって身近な変化は、総監部の多くの人員が処分されたが故に当時の京都校の学長であった楽巌寺嘉伸が、欠員が大量に出た総監部に栄転した事だった。
逆に言えば京都校の学長が欠員となり、誰かが座る必要があったとも言える。
しかし、そもそも術師の教員自体が極少数。
その学長ともなれば、相応の実力と功績を求められる。
事実、楽巌寺や東京校の夜蛾学長も一級術師。
そんな中で総監部から歌姫に学長指名がされた時は、彼女は準一級である自分では力不足である─────そんな理論武装で以て、力不足を理由に歌姫もその地位を辞退した。
実際問題、歌姫の学長指名に疑問を持つ者も居ない訳ではなかった為、彼女の意思はある程度尊重されたのだ。
呪術界では、旧態依然とした男性社会や歴史ある家柄を重視する風潮が存在している。
それは政変にて、多くの腐敗した保守派が摘発され幾分か風通しが良くなったとしても、京都は「呪術の聖地」と呼ばれる伝統ある古都。
多くの呪術師が高専卒業後もここを拠点に活動しており、必然そういった比率が多い。
何より御三家の「まぁ規定違反に当たらない」として見逃されつつも、正式に高専指揮下に入れられた元『特別等級』の術師が大量に高専入り。
風通しは確実に良くなった反面、そういった風潮が当然だった者達によって割合的にはトントン。
そして高専の学長は、総監部からの判断を各術師に伝達、場合によっては彼らの指揮を行う立場。
女性で一級ではない歌姫に対する疑問に、その風潮が無縁とは残念ながら未だ言えなかった。
当人にしてみれば、自分より上の等級の術師を顎で使わなければならない立場など御免被る。
とはいえ、歌姫の言葉には何だかんだ言って五条悟や夏油傑も耳を傾ける辺り彼女の人望が窺え、ソレを狙った指名だったのだが。
なのでその本来煩わしい風潮が、今回ばかりは好都合だったのだが。
とはいえ、教員資格と経験がある適任が他に居なかった。
それに対し、あくまで学長代理として歌姫に代行させ、学長には未だ楽巌寺を兼任させる事で辛うじてその場を凌いでいた。
『非効率じゃないですか』
『他に適任居る? 正直誰か変わって欲しいわー』
そんな苦労を、貴重な同性で気安い友人である家入硝子に愚痴った事で。
彼女の業務を一部担っていたが故に、その場に居合わせ話を聞いた幸が口を出したのが、彼女の栄転の始まりと成る。
『つまり、貴方が一級に昇級すれば良い訳だな?』
『はい?』
違う違う、そうじゃなぁい。
問題解決の為の献策があまりに力づく過ぎて、その場に居合わせた楽巌寺と共に目を点にしたのは未だに歌姫の記憶に鮮明に残っている。
特に、意味もなく幸への好奇心オンリーで
『でも歌姫弱いよ?』
『流石に無茶振りじゃないか?』
『んじゃお前等コレィ!?』
一級呪術師。
それは例外枠の特級を除けば最高位の等級であり、呪術界を牽引していくトップエリートである。
事実一級の権限や給与、何より任務の危険度は準一級とは比較にならない。
仮に呪霊に通用した場合を前提としても、戦車でさえ一級呪霊を相手にするのは心もとない。
そんな一級呪霊を問題なく個人で祓える実力を、簡単に要求されても困るというもの。
成れるなら誰だって成りたいわ。
勿論そんな話は無理難題と否定する歌姫に、しかし淀み無い口調で幸は問いを重ねる。
『庵準一級術師。貴女の術式はストック、あるいは重ね掛けは可能か?』
『は?』
──────歌姫の術式『
術式範囲内の、歌姫本人を含む任意の術師の呪力総量・出力を一時的に増幅させる生得術式。
一見ソレだけなら、単純な呪力強化を超える強力かつシンプルな術式といえる。
しかし、話はそう簡単にはいかない。
この術式を満足に発動させるには、戦闘時に行うには洒落にならない前準備が必要となる。
呪詞、掌印は勿論、舞や楽さえ加える事で術式を儀式に昇華させる事で、漸く強化倍率を120%まで引き上げる事が可能となる。
なので単独任務の際、任務地へ突入前に儀式を終え、術式の効力が切れるまでに任務を終わらせなければならない。
無論、万全を期すならば戦闘直前に行うのがベスト。
戦闘中に行う場合、呪術戦を行いながら此等の条件を満たす必要がある。
控え目に言っても、とてもではないが使い勝手が良い術式ではない。
呪術を極めるとは、引き算を極める事。
だが術式の都合上、根本的に足し算である歌姫にはそもそも前線で戦うこと自体が向いていない。
そんな彼女が準一級に上り詰めている事自体が、彼女の努力を察せるというもの。
勿論、集団戦では発動さえできれば無類の効力を発揮するのだが。
そんな歌姫は、残念ながら一級術師になるには幾つも足りない要素が存在していた。
『他の術式、例えば狗巻家の呪言が音声レコーダーに録音、遠隔で術式を発動できる事は検証済みだ。なら同様に予め儀式を終えた後、敢えて効力をストック出来るのではと考えた』
『マ!?』
『例えばその録画データを、媒体ごと呪力で焼き切るなど時間差で発動できる様にする事は?』
『へ』
『例えばその方法で術式を発揮できた場合、特定の攻撃に限定することで効果倍率を瞬間的に底上げする事は?』
『ま、待って』
『データを複製すれば、儀式を行うまでもなく量産。複数のデータを消費することで、術式効果を重複させる事は?』
『はッ、話聞けェ!?』
待ってくれ給え。言葉の洪水を、ワッと一気に浴びせかけるのは。
その後、サラッと渡された『
先程の幸のアイデアを試し、幾つか成功してしまったこと。
これにより呪力への解像度が向上し、術式を拡張させた事で実力が向上。
幾つかの一級案件を経て、幸と邂逅後一年経たずに歌姫は一級術師に昇級した。
となれば、当然総監部からの学長指名も逃れることが出来なくなり。
女性であっても一級術師であれば、と歌姫へのやっかみも自然に鎮静。
見事、庵歌姫は京都校の学長になってしまった。
「要らぬ世話だったか?」
「生意気……って、言えれば楽だったんだけど。十分可愛い後輩よ、アンタは」
歌姫は、別に幸の事が嫌いではない。
どこぞのボンクラ共と違って、先達としての礼儀はキチンと払ってくれる、可愛い後輩とさえ言える。
更には、顔に残ってしまった傷を綺麗に治療してくれた恩人でもある。
しかし、そんな自分を一級に押し上げた師とさえ言える後輩が、剰え生徒として自身に教えを乞う形となるのは勘弁願いたい。
加えて言うならば、前学年にて歌姫も白目を剥く程の問題児が入学したのも相俟って、これ以上心身を削られたくなかった。
せめて、平穏で穏やかな教師生活を。
そんな、彼女にとって切実な願いも含まれていたのだ。
「─────黒閃」
二年生と新入生の会合の場で、最早当たり前のように黒い火花が瞬く。
凡そ誰一人、一度たりとて見たこともない傀儡使いの怒りの呪力。それによって吹き飛ぶ
静かに、歌姫は涙した。
Q:最も呪術師らしい呪術師とは誰か?
Q:最もイカれている呪術師とは誰か?
この2つの問いに、恐らくその人物を知る多くの者が同一の名前を答えるだろう。
東堂葵。
呪術高専京都校所属の、幸が入学時点で二年生の男子生徒。
二メートル近い体躯を筋肉で固めた、片目の傷とドレッドヘアが特徴のこの生徒が他と逸脱する点は三点。
一つ目、彼が幸同様に特級術師・九十九由基に見出された弟子である点。
二つ目、学生の時点で既に一級術師に登り詰めている点。
三つ目、高い実力を持ちながらその傲慢かつ粗暴、独断的で極めてクセ強い性格故に敵はおろか味方から「素で嫌われている」という点。
優れた運動神経と呪術センス、そしてそれらを裏付ける深い知識と頭脳。
シン・陰流がその縛りを緩和させる以前に、既に見取っていた九十九から簡易領域を伝授され、結界術の基礎は勿論領域対策も持ち合わせている。
結果として東堂葵は「一級術師として心身共に極めて理想的なモデル」という術師評価を得ながら、高専では「強いだけが取り柄な嫌われ者」という残念な立場を確立してしまっていた。
少なくとも、初対面の術師に対するイメージは非常に劣悪と言えるだろう。
何故なら彼は、師の九十九同様にある質問を投げかける悪癖があった。
『どんな女が
普通に考えて、初対面の人間に聞いて良い類の質問ではない。
TPOとかデリカシーって言葉知ってる?
挙げ句それは「どういった人柄が好みか」というモノではなく、性癖開示要求である。
モデル体型の長身美女の九十九と、筋肉隆々の大男がやるのでは大いに話が異なる。*1
更に輪をかけて最悪なのが、答えなかった場合も勿論、性癖ではなく人柄を答えた場合も「退屈」と扱き下ろし、果にそれだけが理由ではないが結果として暴力を振るう場合さえある。
具体的に言えば、彼の同級生の加茂憲紀は舌打ちされながら膝を蹴られたそうな。
それ故に学長の歌姫をして、矯正不可能な問題児という評価を恣にしているのが、東堂葵という生徒だった。
それでは、今回の問題に話を移そう。
自身にとっての下級生、後輩である新一年生が入学してきた際、勿論上記の質問をカマした。
此処数年で、実家のストレスと天与呪縛から解放されたが故か美しく育ち、幸の助手の地位を確立した禪院真依。
ギリギリ政変以前からシン・陰流の門徒であり、幸のあるプロジェクトの被験者となっている三輪霞。
二人は顔に出す程度の差は有れど、しっかりドン引きしつつ─────しかし、青褪めながらもう一人の新入生を盗み見た。
そしてそれは、東堂以外の二年生二人も同様であった。
天与呪縛によりマトモな肉体を持てず、剰え現在脳以外の全ての身体機能を縛りで差し出した与幸吉である。
この場で最も詳しい事情を知るのは、姉と揃って「売却済み」を自称する身内の真依だけ。
だが、それ以外の三人もソレが地雷だと察する事が出来る程度には、幸の纏う呪力の質が変貌した。
それを知ってか知らずか、というか確実に理解しながら東堂のイカれた講釈は続く。
曰く「性癖にはその者の全てが表れる」とし、新入生を見定めるために聞いたのだと。
無論答える必要は三人には無い。
普通に良い娘な三輪だけは、正直に「普通にカッコイイ人はぁ……、好きですけど。一緒に居て楽しいというか、私にはこの人しかいない! と思えるかどうかが、大事ですよね!」とぶっちゃけていたが、東堂以外フツーにスルーしていた。
歌姫、真依や二年女子の西宮桃としては呆れ半分、その純真さは可愛い可愛いなので大変よろしいと評価できるが、それはこの場が修羅場でなかったらの話。
逆に幸は一言、東堂に聞き返した。
己の事情を知った上での問いか? と。
残念ながら、東堂はYESと答えた。
九十九から自分の兄弟子の情報を、聞いていない訳もなく。
性的嗜好処か、性的興奮さえマトモに覚えることも出来ず。
そんな当たり前を取り戻す為に、人生と肉体のほぼ全てを捧げ藻掻いている幸にとって。
例え東堂にどの様な思惑が有ろうとも、その問いはその人生総てへの嘲笑も同然だった。
「─────」
会話はそれで終了した、
最早、我慢が効く訳もなく。
──────以上が、東堂葵が京都校の中央グラウンドへ、校舎の一部と共に吹き飛ばされた経緯である。
◆
東堂が共に吹き飛ばされた校舎の破片を掴み、呪力を付与して着弾点であろうグラウンドに投げる。
パァン! と、すかさず行われた拍手一つで本来豪速球な勢いでグラウンドに叩き付けられていた筈の破片と、吹き飛ばされつつも体重差で滞空していた東堂が入れ替わる。
慣性ごと入れ替えられた東堂は、余裕を以て受け身を取りつつ着地。
狙って打たれた黒閃の感触を、身を以て確かめた。
「威力だけなら
降り注ぐ校舎片をあしらいながら、自身の状態を把握する。
開幕の号砲の一撃、咄嗟に両腕で防いだが見事折れていた。
特に着弾面となった方の腕は千切れかけている。
だが、それは吹き飛ばされていた間の話。
「反転術式……生意気な」
「YES!」
呪術の超高等技術、『反転術式』。
本来なら東堂とて会得するのは至難、否。不可能だった。
だが、東堂はとある呪具を借り受けていた期間がある。
「まぁ、想定していた運用用途だが……オマエにされると不愉快窮まるな」
『反転符』。
幸が開発した、呪力を流す事で自動的に掛け合わせ『正のエネルギー』を出力する呪具。
だが、それにはもう一つの使用用途が存在していた。
即ち、教本として術者に反転術式を会得させる、というもの。
家入硝子と感覚同期することで漸く会得した幸自身が、それがどれだけ感覚的なセンスを要求されるか知っている。
だが、逆に言えば感覚さえ掴めれば程度はあれど会得可能な技術なのだ。
そして東堂は師の九十九に研究用のサンプルとして一つ反転符を預けられていた。
ソレを用い、ただひたすらに反転術式会得の為に使用させ続けていたのだ。
東堂が優れた術師であればある程、幸の怒りのボルテージが上昇していく。
「さぁ! 何度でも聞かせて貰うぞ
「論外」
何処に格納していたのか。あるいは結界にでも隠していたのか。
幸の背後から球体状の呪具らしき飛行物が、計六つ飛び出す。
更に球体が呪力を帯び、東堂の周囲を囲みながらビーム状の呪力放出で東堂に襲い掛かって来た。
「フン!」
パァン! と、拍手と共に東堂と幸の位置が入れ替わる。
必然、
彼に命中した呪力攻撃は幸に一切の傷も与えず、剰え反射し地面や空を切り裂きながら、再び他のビットと共に東堂を襲い続けた。
「躊躇いは一切無し! 俺の術式は承知の上か!!」
拍手をする事で二者を対象に入れ替える、東堂葵の術式『
シンプルイズベストを地で行く、ただソレだけの術式である。
勿論、一定以上の呪力が無ければ入れ替え対象に出来ない条件が存在するが、こと幸の傀儡兵装はその悉くに呪力が込められている。
つまり多対一、あるいは多対多の呪術戦に於いて無類の効果を発揮できる、東堂葵の『
それがまさに十全に機能する状況である。
しかし自身の入れ替えに一切動揺しなかった幸は、当然東堂の術式を把握していた。
「フン。高専の
ここ数年、幸によって高専のデジタル化は劇的に行われた。
補助監督官の事務仕事から、最早何らかの呪物化しているのではないかと思うほどの古書まで徹底的に行われたのだ。
無論、反対の声は存在していた。
元々保守派が事実上牛耳っていた呪術界に、デジタルなどという新旋風は理屈無く拒絶反応が出るもの。
徹底的な洗浄が行われた総監部にも、残存しつつ保守的な思想を持つメンバーは確実に存在していた。
政変後に総監部入りした楽巌寺元学長も、そんな保守派の一人である。
しかし、そんな「非合理的な風潮」程度で止められる程、高専の業務は容易ではない。
現在、伊地知潔高という補助監督官で最も優秀と判断された者を中心に、補助監督の再編成が成されたが当時は常に過密業務が続いていた。
幾ら特級三人組が任務の消化率を激増させ、帳内外の連絡が可能となった事で危険も無くなったとは云え、任務数自体には変化は無い。
寧ろ任務の消化率が増えれば、代わりに補助監督の業務は激増する事を意味する。
流石に問題と思った幸が、デジタル化に伴う業務効率の上昇を試みたのだ。
そして業務改善は必然、補助監督官達への要望聴取から開始される。
結果として、総監部を含めた保守派の面々の反対は意味を為さなかった。
極めて具体的に算出された数字と正論の暴力で、彼らの風潮は磨り潰されたのだ。
何せ違反者や呪詛師に対してなら兎も角、業務改善に文句を付ける程の越権ができる権力は現在の総監部には無い。
というか幾ら彼らでも、補助監督がストライキしたら高専が機能不全に陥る事は理解していた。
科学的は勿論、呪術的なセキュリティによって作成された
東堂の術式情報も、必然そこに入力済み。
一級術師以前に個人情報なので簡単にソレを見ることは出来ないが、情報の入力を行った当人ならば話は別。
閑話休題─────重要なのは、幸には東堂の術式情報が既に割れているという点。
「ならば分かっている筈だ! ブラザーと俺の相性は───」
「───相性?」
東堂の言葉を塗り潰す程の呪力線が、あるいは金属球そのものを弾丸として殺到する。
それをそのガタイにあるまじき軽快さで避け、しかしオールレンジ攻撃に身一つで凌ぎ切るには、数と精度が桁違い過ぎた。
恐らく各一撃一撃ならば、東堂の全力での呪力防御ならば凌ぐのは不可能ではない。
しかし一度足を止めてしまえば、全てのビットによる集中攻撃は勿論、幸自身の黒閃が飛んで来る。
必然、東堂は術式を使い幸やビットと入れ替わる事で包囲網から脱出を選択した。
「ぬぅッ!?」
「相性だと? 俺とオマエに、そんなモノが介在出来る程に実力が近いとでも思っていたのか?」
しかし、入れ替え先を予測していた様に幸が転移先に拳を振るっていた。
即座に再度拍手を行い、緊急回避に成功する。
幸の攻撃は、その全てが黒閃。
当り所が悪ければ、東堂とて一撃で沈む。
故に防御ではなく回避が求められ、ギリギリのタイミングで拍手する事でその一撃から逃れるしかない。
東堂の代わりに幸の拳が黒い火花と共に粉砕したのは、最初に東堂が着地の際に入れ替える為に呪力を込めた、破壊された校舎の破片だった。
他の特級術師と比較し、各人の長所は何か。
五条悟は無下限呪術と六眼による、最強の足切り性能と最高のパフォーマンス。
夏油傑は呪霊操術による、上限の無い呪霊群による無数の術式の同時運用。
九十九由基は
では、与幸吉は?
「入れ替え先の算出! 俺の思考パターンを算出したとでも云うのか!!」
「無論、最適解に限るがな」
それは、科学文明を取り込んだが故の応用力と、圧倒的な演算能力と機械補助。
呪力のストックとブースター。電気を筆頭とした既存エネルギーとの、呪力特性への着眼から成功した相互変換。
事実上の呪力無制限。装備次第では呪力出力も個人レベルを凌駕し得るだろう。
寧ろ機械で下駄を履いている幸を、身一つで凌駕する五条悟がおかしいのだが。
幸の攻撃を凌ぎ切るには、東堂は最適解を選び続けなければならない。
しかし、術式発動の為の拍手で入れ替えられる回数は一度に一つ。
予測演算の精度が、拍手の速度を上回った瞬間が、東堂の敗北である。
「逆に此方は回数を重ねる毎に、予測演算の為のデータは蓄積し続けるぞ。あぁ、予測演算の算出速度も黒閃が決まる度に、無論向上するな」
それを為し続けるにも、東堂の体力や呪力も有限。
機械でもない東堂には、当然のように限界があった。
反面、幸に呪力消費こそあれど、肉体的疲労などありはしない。
精々が精神疲労程度だが、数多くの機械的補助と五条悟同様の常時反転術式運用によって無きに等しい。
「果たして二本しか無い腕でどこまで凌げるか、観物だな」
「……ッ」
辛うじて戦況を仕切り直すことに成功したが、東堂の表情に一切の余裕は無い。
東堂は経験者として身を以て理解していた。
黒閃は、単純クリティカル威力だけで終わらない。
黒閃によるゾーンの突入。幸の調子は鰻登りとなれば、防戦は悪手。
「ならばッ!」
二度の拍手が再び叩かれ、瞬時に位置が入れ替わる。
『
両手こそ拍手の姿勢だが、引き絞られた蹴撃が無防備な背後に叩き込まれた。
入れ替えに時間差がほぼ無いが故の早業。
しかし本来無防備な背中への攻撃時、あり得ざる黒い火花が瞬く。
「何─────!?」
東堂が黒閃を決めた訳ではない。
彼の攻撃に際し、幸が防御で黒閃を決めたのだ。
そも、黒閃とは呪力と物体が誤差0.000001秒以内に衝突した際に発生する
技ではなく、タイミングさえ合わせられるなら防御で使えない道理は無い。
謂わば、呪力による
無論、全身からピンポイントで呪力の出力と黒閃条件を整える前提という、人間には絶対に不可能な技であるという点を除けば───極めて優れた防御術である。
「ヌウッ!」
「体勢が崩れたぞ」
蹴り込んだ東堂が逆に弾き飛ばされ、そこをビットの呪力爆撃が叩き込まれる。
再び拍手が鳴り響くも、入れ替わった東堂は無傷とは言えなかった。
ソレに反し、幸は無傷。
背中に加えられた攻撃は、彼に一切の痛苦を与えられていない。
たかが傀儡と聴いて侮るなかれ。
幸の汎用躯体『甲種呪骸』は、言ってしまえばターミネーターが呪力強化して黒閃を十割決めてくる様なものなのだ。
流動する液体金属に呪力を込め、幾つかの人工器官と組み合わせる事で製造された特製品。
それは
真依と同じ、呪力を物質に変換する術式『構築術式』を持った術者。
劣悪な呪力効率が致命的なこの術式が辿り着いた、流動する液体金属を元に再構築した『蟲の鎧』。
この記録を元に、幸の呪骸工学は更なるステージに行き着いた。
ゼロから呪力で構成された液体金属を作ることは、まだ幸も不可能である。
だが予め幸の呪力で浸し、呪物化させた液体金属『呪相流体』を『傀儡操術』の術式下に置くことで、核や出力増幅器といった精密部品以外の箇所をこの方式で成立させる事に成功した。
重量は勿論、バネや硬度も人のソレを遥かに凌駕する。
何せ人の形をした液体を操作しているようなものなのだ、操作の自由度は格段に向上した。
それを、敢えて「躯体として運用する場合、人型から大きく形を崩してはいけない」という縛りで、更に生産性と品質を底上げ。
この縛りを逆手に取る事で、素材となる流体さえあれば精密部品以外はどんな破損も即時修復可能に。
加えてこの流体を素材に、即席の武装を自由に作成できる。
それが今、東堂を襲っている『傀儡武装』だ。
何らかの方法で隠していた訳では無い。躯体に備えてある補充用の流体で武装を、その場で作成したに過ぎない。
呪具ではない。幸の術式下の人型以外の『傀儡』である。
術式が直接的な攻撃力を一切持たないが、東堂の攻撃力は決して低くない。
非殺傷的な術式で一級術師になっている時点で、その攻撃力は鍛え上げられた肉体と共に証明されている。
純粋に、呪力出力に差があり過ぎるだけ。
術式抜きの呪力強化だけなら、五条悟との白兵戦が成立すると言った場合。果たして、どれだけの術師が信じるか。
如何に術式抜きで一級呪霊を祓除可能な東堂でも、白兵戦は現実的ではない。
だが、それは当然なのだ。
幸の操る傀儡自体が、端末であると同時に呪力のブースターとしての役割を担っている。
天与呪縛の重ね掛けにより、媒体によってはその呪力放出で地形を変えるほど。
一級術師の東堂が何も出来ていない。それが、幸と東堂の力の差であった。
「(高いな! 特級!!)」
だが、挑む甲斐がある壁であった。
東堂はまるで居合を構える様に重心を落とし、昨今解禁されたとある一級術師の術を使う。
「……『簡易領域』? あぁ、日下部篤也の
途端、東堂はビットの攻撃を最適最小最短の動きで捌き始める。
術式の発動タイミングも、そも発動条件の拍手の速度も見違えた様だ。
それこそ、その動きは機械的ですら有った。
『簡易領域』
自身の生得領域を展開する『領域展開』と異なり、結界術で文字通り簡易な領域を構成。擬似的な領域とすることで、領域内で行われる必中効果を阻害する「弱者の領域」。
幸が領域を展開した訳でもない為、その本来のコンセプトは意味を成さないが、しかしこれを更に磨き上げた術師が居た。
日下部篤也。
呪術政変によって新たなシン・陰流当主となった、呪術高専東京校の二年担当教師である。
そして、五条悟を含めた多くの実力者が、御三家を除き「一級術師最強」に名を挙げる人物でもあった。
この人物の人格評価は兎も角、この人物がその評価を得る最大要因。それこそ彼オリジナルの、簡易領域展開中に行える自動迎撃プログラムである。
縛りの範囲を門徒から高専所属術師まで緩和されたシン・陰流。
東堂も迷いなく、既に先達の術を学んでいた。
脊髄で反射的に迎撃するこの術は、常に最適解を求められ続けるこの状況に於いて、まさしく現状の最適解の一つである。
加えて簡易であっても領域としての能力は備わっており、展開中は術者の呪力出力が上がり、相手の術式の威力を多少弱める事が出来る。
「だが、日下部ほど無法ではないだろう」
幸の言葉は当たっていた。
日下部が一級最強なのは、簡易領域を一切の縛り無く展開でき、かつその結界を瞬時に拡張出来る点。
本来簡易領域に入り込んだ者への自動迎撃を、受けではなく攻めに使える事こそこの術の真髄。
挙げ句シン・陰の抜刀術であり、斬撃の加速術でもある『夕月』と『抜刀』で更に攻撃力を向上させている。
だが、東堂は術式の関係上無手がベスト。
少なくとも現時点で幸の黒閃反応装甲を突破できる火力はない。
ジリ貧である事に代わりはない。
故に疑問なのは、ソレを今使用した理由。
「(時間稼ぎか? 防戦が悪手だと理解しただろうが。……なら、もう見るべき物は無いな)」
殺意にまで達していた怒りも、時を経るに連れ萎んでいく。
故に、幸は今まで使っていなかった『
東堂が終始劣勢とはいえ戦闘が成立していたのは、この術を含めた多くの武装や術の使用を控えていたからに他ならない。
つまり、嬲るための手抜きである。
「(何をやっているんだ俺は)」
幾ら幸にとって最大級の侮辱だったとしても、言ってしまえば「煽られてキレ散らかす」という醜態に違いはなく。
頭が冷えれば自省と羞恥が吹き出すのが、幸という少年の人間性であった。
となれば、即座にこの茶番を終わらせる為に数多の発明を解禁するのに躊躇は無い。
簡易領域で攻撃を凌いでいる東堂へ割く思考のリソースが、この茶番の後始末に注がれ始めた。
「潮時だな」
このタイミングで生得術式を封じられた場合、東堂に勝ち目は完全に無くなる。
少なくとも、幸の黒閃を回避する手段がなくなってしまうからだ。
そしてその状態で一撃でも喰らえば、続く黒閃のラッシュで反転も間に合わず敗北確定。
そもラッシュなどせずとも、脳を揺らして失神させれば済む話。
この馬鹿騒ぎも、早々に終わらせなければ。
「───────『領域展開』」
だからこそ、ソレを招いたのは幸の慢心以外何者でも無かった。
「は?」
術師の成長曲線は、時に大きな動きを見せる。
特級という格上との戦闘経験。簡易領域による自己強化。
そして何より、
幸が東堂の問いを答えられない事も、それが兄弟子の人生の否定である事も知っている。
それを承知で、その上で知りたいのだ。
そして、教えたいのだ。
己の全てを。
「『華胥之星』」
その掌印が合掌印だからか、術式発動に紛れ察知が遅れた。
加えて幸自身を含めた、多くの「必中必殺」の領域を遥かに超える展開速度。
それは奇しくも、東京校の現二年生の術式に付与された必中領域を思わせる、あり得ざる早業。
自身の領域も、簡易領域であっても展開するには早すぎる不意打ちは。
幸の脳内に、「
◆
「──────な、に?」
異様な程の展開速度に対し、しかし幸が何らかの対策を講じる前に。
展開された領域は解かれた。
東堂の、拍手と喝采に満ちた刹那の領域『華胥之星』。
幸の脳内に疾走る、とある人物に関する東堂の持ち得る情報全て。
圧倒的演算能力を誇る幸の思考を、全く別の意味で停止させる情報群。
そんな状態で尚、領域が解除され術式が焼き切れた筈の東堂を見る。
その面貌は、顔面の穴という穴から液体を垂れ流す忘我のソレだった。
恐らく、その情報こそ必中効果。
一瞬のみ把握した拍手と喝采に満ちた領域から察するに、術式効果は「高身長アイドル『高田ちゃん』に関する、東堂葵が持ちうる全ての記憶と情報を入れ替え続ける」。
幸の思考とは別に冷徹に機能していた演算が、そう算出した。
だが、何よりも重要なのは其処ではない。
東堂の涙やら汁やらで濡れた顔を、優しく何処からか出したタオルで拭う一人の女性の出現。
ツインテールとセーラー服、そして180cmの高身長。
一瞬とは言え異様なまでの情報の、既に幸からは喪われた残滓から即座に理解する。
そして領域が解かれてから鳴り響く、音楽。
東堂の術式は、対象を入れ替える『
そして領域内で幸の脳内に流された情報は、その瞬間は必然的に東堂から喪われていた。
それは、東堂にとってあらゆる尊厳と命さえ凌駕し得る、最も重要な情報を一時的にも自ら手放す事を意味する。
即ち自死を超える縛りであり、東堂葵の限界を遥かに超越させた。
「いや、何を……ソレは、アリなのか? こう……存命中の芸能人相手だぞ」
最早完全に怒りが消沈した幸が、別の問題を危惧する。
具体的には、肖像権や著作権的なアレを。
東京校二年・秤金次の領域効果を思わせる何もかもに、幸はその領域が解除後にこそ真価を発揮するタイプなのだと理解した。
「さぁ
投げキッスと共に構えた東堂に、同様に出現した
解除された呪力制限。鳴り響く音楽『最高潮☆JUMPING!』。
同時に、ネットから瞬時にその楽曲情報を収集した幸。
彼は領域によって齎された東堂の超強化と式神の具象化が、最低三分四十五秒間継続する事を覚悟する。
「─────ちなみに俺は、ケツとタッパのデカい女がタイプです!」
本来思考の淵にのみ存在する者を具象化し、共に東堂葵は華胥の夢を舞う。
涙目の歌姫の怒号が轟くまで、後数分。
「東堂の領域を想像する場合どんなんになると思う? 元から術式必中やけど」
「そら脳内高田ちゃんのスタンド化やろ」
設定思い付いた後の自分「?????」
ちなみに歌姫学長昇進設定は、渋谷事変で京都校が三年まで全員登場したにも拘らず、教師が歌姫だけだったことから「京都校の教師は歌姫だけでは?」という考察から来てます。
なので後から設定開示が行われない限り、京都校教師は歌姫だけです。
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『傀儡具足』
幸が術式で運用される、『浴』によって呪具化した液体金属『呪相流体』を術式で操作して構築したヒト型の傀儡の総称。
平安時代の強者・万の記録から人型『蟲の鎧』版といえるモノにバージョンアップ。
結果幸が集中して運用するのが前提とは云え、一級術師を圧倒出来る性能に。
これまで各種武装を内蔵する場合、多くの構造負担や外付けアタッチメントが必要だったが、これらが解消される。
勿論ある式神にとっては原作同様、単一の適応で済む為相性最悪だが、『極の番』完成後は関係が無くなる。
『傀儡武装』
幸が『呪相流体』を術式で傀儡化、形状を操作して構築したヒト型以外の傀儡の総称。
万の術式理論を応用してから、これまで各種部品の呪具かのコストは決して馬鹿に出来なかったが、素材を統一出来るようになった為コスト面が廉価。
イメージは水銀(正確には水銀ではない)を操作する、【Fateシリーズ】のエルメロイ家の至上礼装『
領域:『
東堂葵がシン・陰流の縛り緩和と兄弟子との戦いで辿り着いた、呪術の極地。
領域の展開と同時に術式が発動する、必殺が排された必中のみの領域。
相手に害を与えない処か、術者に著しい損害を与えるが故に、領域の押し合いでは『伏魔御厨子』を正面から凌駕し得る。(結界の外殻が破壊される前に、塗り潰す事が可能)
領域内の術式効果は「高田ちゃんに関する全ての情報を入れ替え続ける」だけ。
秤金次の領域『坐札博徒』と初動こそ同一だが、高田ちゃんに興味が無かった場合ゴミの様な情報を流され続ける事に。
挙げ句情報の入れ替えは最終的に東堂に戻るが、入れ替える度に情報は喪われ、常に初見な情報として流し込まれる嵌めになる。
ある意味究極の布教だが、逆に言えば情報の入れ替えの度に東堂は命より大事な記憶を失い続ける為、何故か縛りとして機能。
結果として体感長時間、実時間極めて短い領域展開後に流れて出す『最高潮☆JUMPING!』の楽曲時間三分四十五後秒間、東堂への異常強化が行われる。謂わば運要素が無い『坐札博徒』。
秤の様に反転のフルオートこそ行われないが、同様に呪力制限の解除。
そして何より、脳内存在である高田ちゃんが
領域展開に伴い東堂の術式は焼き切れるが、代わりに具象化した高田ちゃんが『不義遊戯』を使用可能に。
またこの式神はあらゆる攻撃によるダメージの一切を受けない。が、その分のダメージが東堂自身に
領域名の元ネタは東堂が無双した、【グランブルーファンタジー】の呪術廻戦コラボイベント『華胥之空』から。