私立弓月学園の一年生には『エロの二大巨塔』と呼ばれる伝説のエロ男子が二人存在する。
一人は通称『ロリコン変態貧乳派メガネ』こと高橋大輝(たかはし だいき)。
こいつは自己紹介の時に
「俺は女子小学生が大好きです。女子小学生と付き合うのが俺の夢です。けれど、日本では法律が壁になって年の差恋愛は難しいので、政治家になって法律を改正して自由恋愛を広めていきたいです」
というロリコン魂をぶっちゃけすぎた自己紹介をして、入学初日から一部の男子からは神と讃えられ、女子からは危険人物として蔑まれるようになった伝説の男である。
貧乳の魅力について72時間は語れるという貧乳に対する愛と、恋愛対象が常に女子小学生(実際に手出しはせず遠くから見守る主義らしい)という、あまりにも個性が強烈過ぎる、もとい危険すぎる男だった。
そしてもう一人の『エロの巨塔』は、このおれこと神埼悠真(かんざき ゆうま)である。
小学生の時に巨乳専門のエロ本を拾ったことがきっかけで巨乳に目覚め、それからというもの、巨乳の女の子と付き合うことが人生最大の目標になっている男である。
巨乳をこよなく愛し、服の上からでも胸のカップサイズが瞬時に判断できる能力は当然として、おっぱいの形状や肌の具合から食生活や生活習慣まで推測出来てしまうことから『巨乳の伝道師(プロフェッショナル)』と呼ばれている。
男子からは畏怖と尊敬を向けられ、女子からは軽蔑と嫌悪を全力で浴びせられている弓月学園の有名人だ。
高校一年生の最初のクラス会で女子のカップサイズを制服の上から当てるゲームを発案し、全問正解して女子全員ドン引きさせたのが、間違いのはじまりだった。
前日にメンズ雑誌で『モテる男の自己紹介特集! 今の時代はちょいエロ男がモテる理由』というコラムを読んで、それを鵜呑みにしてしまったのだ。
今になって冷静に考えてみれば、エロ男がモテるのにはイケメンであり女慣れしているという前提があって初めて成り立つものであって、中学時代からパッとしない平凡で女友達もいない、モテない男の代表格みたいなおれが実践したらどんな悲劇的な結末になるか、分かったはずなのだ。
しかし「高校デビューをして巨乳で可愛い彼女を作ってやるぜ!」と意気込んでいたおれは、これから始まる新生活への興奮から、客観的に物事を考えられる状態ではなかったのだ。
結果、爆死。クラスの女子を全員ドン引きさせるという結果に終わった。
なんて愚かなんだ、おれ。タイムマシンがあるなら今すぐ始業式前日にタイムリープしてその雑誌を窓から投げ捨てたい。
そんな訳で女子全員から『性欲まみれの気持ち悪いエロ男』という評価を無事頂き、そのわずか1週間後に女子更衣室を覗こうとしていた不審者を発見し捕まえようと格闘している内に、逆におれが女子更衣室を覗く形になってしまった『女子更衣室覗き魔誤解事件』により、女子一同のおれに対する扱いは決定的なものになってしまった。
その後に真犯人が逮捕され誤解は解けたのだが、なぜか女子からの評判は一向に変わらず、入学からわずか一週間で学年全員の女子から嫌われるという偉業を成し遂げてしまった。
それから、何かと男子からエロ方面で頼られるようになり、おれは開き直って三千本はあるであろうおれの巨乳動画コレクションを無料で配布したり、おっぱいに関する豆知識を披露して男子からの支持を集めた。
その結果、女子からは嫌われ男子からは慕われるという嬉しくないポジションに固定化されてしまった。
つまるところ、おれは『あのロリコン高橋に並ぶ伝説の存在』と化してしまい、高橋と仲が良かったことから女子からは『神埼と高橋は付き合いたくないキモ男ランキングin弓月学園トップⅡ』とペアで捉えられるようになり、もはや高校生活で彼女を作る事はほぼ不可能に近い状態になってしまったのである。
――と、まぁざっと説明したが、おれはそんなどこにでもいる悲しい彼女いない歴=年齢の平凡な高校一年生男子だ。涙無しには語れない。
もうさ、あれだよね。地球爆発すればいいのに。グループラインとかツイッターとかでおれの噂(デマ)を拡散するやつは死ねばいいのに。
そんな生い立ちはさておき、その日もおれは高橋と貧乳と巨乳どちらが素晴らしいか閉門の夕方六時まで談義をしたのち、学ランのままコンビニで新作の巨乳系エロ本を物色し近所の女子高生に「キモ……!」と呟かれながら、スーパーに立ち寄って夕飯の買い出しをして帰路についた次第だった。
それは、いつもと変わらぬ日常だった。
巨乳の彼女欲しいなー。高校入ったら彼女出来るって聞いたんだけどなー、でもそれって女子から嫌われていないことが前提のルールであっておれじゃもう無理だよなー、
と心のなかで今さらどうにもならない過去を嘆きつつ、夜道を歩いていたそのときだった。
おれは、前述した通りの不思議な夢を見て、あの世界に降り立ち、そして――。
(んぐぅっ!?)
おれは、不意に猛烈な息苦しさを感じた。
呼吸が出来ない。何かで口をふさがれているようだ。
ちょっと待て、ダメだ、窒息死する――!
「ぷはっ!」
「きゃっ!」
目を覚ますと、目の前に女の子の顔があった。
女の子はぱっと慌てた様子で顔を離した。おれは起き上がって、頭を横に振る。昔の夢を見ていたようだ。おれは一体どうしたんだっけ?
「ここは……?」
「安心して。私の部屋よ」
言われて、おれは周囲を見回す。キャンプ場のログハウスのような、簡素な部屋だ。木を素材に作られた家のようで、木枠の窓からは外の街並みが見える。窓の隣には大型の本棚が置かれており、そこには溢れんばかりの本がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
思い出した。おれは、確かヒグマのような怪物から巨乳の女の子を守って、その後、気を失ったんだ。
「君が介抱してくれたの?」
「命の恩人を捨てておくほど薄情じゃないわ」
彼女は腕を組んで、少し恥ずかしそうにそっぽを向いた。腕の間でおっぱいが窮屈そうに寄り合っている。いかん、眼福すぎて鼻血が出そうだ。冷静になれ、おれ。
紳士的な表情を繕い、おれは興奮を抑えながらお礼を言った。
「世話をしてくれて、ありがとう。……って、何だか落ち着かない様子だけど、どうしたの?」
そう聞くと、彼女はこほん、と咳払いをして、顔を赤くしてこちらに顔を向けた。
「わかってると思うけど、一応言っておくわ」
一旦言葉を切って、大きく深呼吸。
「さっきの、その……アレは、変な意味じゃないから勘違いしないでね。マインドボトルも試したけど、やっぱり文献通り、チェンジャーはアレ以外での魔力供給が出来なくて、だから……仕方なく、口移しで魔力を分けてあげただけなんだからね」
「口移しって……えっ!?」
「そ、そんなに大声出さないでよ! 他意はないって言ってるでしょ!」
おれは目が覚める直前に感じた息苦しさと、唇にかすかに残る暖かさを確認する。この子、おれにキスをしてたのか? 一体どうして?
「お、おれ、ファーストキス……」
「~~~~ッ! わ、私だって初めてだけど……じゃなくて! あれはキスじゃなくて、魔力を分ける口移しっ! キスじゃないからっ!」
彼女は顔を真っ赤にしておれを睨みつけた。
なんでおれ、名前も知らない女の子にファーストキスを奪われてるんだ? 彼女は確かに綺麗だ。おまけに俺好みの巨乳だ。
別にキスをされたことに文句なんてつける気はない。むしろ、ありがとうございますとお礼を言いたいくらいだ。
けど、おれみたいな平凡な男を相手にしなくとも、恋人候補には不自由しなさそうな美少女なのに、どうしておれにキスを?
「もしかして、一目惚れ? それにしても、いきなりキスなんて、ちょっと早すぎじゃ……意外とおれって順序を大切にするタイプなんで」
「だ、だから、違うっ! バカッ! バカバカ、けだもの!」
「いてっ! ちょ、待って!」
枕で殴られる。やばい、意外と枕って痛い!
彼女は少し涙目になっていて、必死に恥ずかしさを堪えているようだった。
しかし、彼女はふと我に返って、おれを叩くのをやめた。
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「い、いや、こっちこそごめん。自惚れてましたスミマセン」
どうやら、彼女はおれに一目惚れをして寝ている間にキスをしたという訳ではなさそうだ。
うちのクラスで女子からの人気ナンバーワンであるイケメンリア充の日野上ならともかく、女子からの人気ワースト一位(ロリコン高橋と同票)であるおれがこんな美少女に一目惚れされるなんて、地球がひっくり返ってもありえないだろう。
「そうだよな、おれみたいなナスビをひしゃげたような面の男にキスするなんて、よほどの事情がなきゃおかしいもんな」
「そ、そこまでは言ってないし、そんなに顔立ちが悪いとは思わないけど……とにかく、あれはあなたの魔力を補充するために行った治療行為であって、恋愛のキスとは別物だからね」
魔力を補充するため?
意味が分からないが、これ以上、話を混ぜ返しても場が混乱するだけなので深く考えないでおこう。
ふぅ、とお互いに一息つく。会話が途切れて、何となく沈黙が広がる。
とりあえず、だ。
「……自己紹介をしようか。おれは神埼悠真。高校一年生の十六歳、日本人だ。よろしく」
「ユーマ? 変わった名前ね」
女の子は首をかしげる。それからすぐに、にこっと笑って自分の名を名乗った。
「私はリリィ=ドラゴニカ。『炎のドラゴニカ家』十代目って聞いたことあるでしょう?」
「あー、うん、あれね、あの有名な――ごめん、聞いたことがない」
――シン。
リリィはよほど意外だったのか、大きな目をぱちくりさせている。
あれー、なんだろう。この知ってて当然でしょう? 知らないの? マジで? みたいな空気は。
彼女は有名人なのか?
なんだか申し訳なくなって、おれは頭を下げて謝った。
「し、知らなくてごめんなさい」
「……そっか、私のこと知らないんだ。うん、そうよね。あなた、チェンジャーですものね。有名といっても、王都の中の話だもの。私のことを知らなくても無理ないわ」
気を悪くさせたのかと思ったが、存外、リリィの表情はむしろほっと胸を撫で下ろすような感じだった。
なんだろう? もしかして有名な犯罪者とか――いやそれはないな。巨乳の美少女に悪人はいない。巨乳の女の子は天使だからだ。異論は認めない。
おれはふと、思いついた疑問をぶつけてみた。
「さっきから気になってたんだけど、チェンジャーって何なんだ?」
おれがそう聞くと、リリィはきょとんとした。
ううっ、その「知ってて当然のことをなぜ聞くの?」みたいな視線はやめてくれ。なんだかおれ、物凄くバカみたいじゃないか。
「あなた、自分の属性も分からないの?」
「わからん。属性って? ゲームで言うところの火とか水とか、そういうやつ?」
「ゲームという物は分からないけど、あなたの言っている通り属性は火や水といった元素属性を代表とする魔導師の大事な構成要素(アイデンティティ)よ」
「すまん。そこんとこ、もうちょい詳しく教えてくれ」
リリィは怪訝そうに眉をひそめる。ジトっとおれを見つめてくる顔も、普通の容姿なら苛立つだろうけれど、リリィの恐ろしく整った美しい顔立ちでやられると、ちょっとドキッとしてしまう。
あと腕を寄せるのは目のやり場に困るのでやめて欲しい。豊かに育ったおっぱいが形を変えておれの煩悩を刺激するんだよなぁ。
……などと、不埒なことを考えていたら、リリィは小さくため息をついて口火を切った。
「私たち、魔導師の身体には生まれつき火や水といった属性のクリスタルが神から与えられるでしょう? けど、その中には元素属性みたいな一般的なものじゃない特殊なものがあって、あなたはその中でも珍しい特殊属性の一つ『変化』のクリスタルを持っているわ。そして、変身のクリスタルを持つ人を一般的にチェンジャーと呼んでいるの」
「なるほどね。変身するからチェンジャーか」
おれは腕を組んで、うんうんと頷いた。実際、たいして理解出来ていないけど、とりあえず憶測で話をまとめてみる。
どうやら、この世界では皆さん体内に属性のクリスタルというものを持っているらしい。推測するに、その体内のクリスタルの属性によって使える魔法が違うとか、そういうカテゴリー分けをされているのだろう。
もしここが一般的なロールプレイングゲームのような世界なら、の話だが。
で。
おれは変身のクリスタルを神から与えられて、狼男になれる能力を手に入れたということだ。森でのおれの無双っぷりを考慮すると、そこそこ強い属性らしい。
しかし……まるでゲームの登場人物になった気分だ。悪い夢だと思いたい。
「『属性の原則』を知らないなんて、あなた、今までどんな生活をしてきたの?」
「どんな生活って、普通に生きてきたとしか言いようがないけどさ」
おれは頭をかいて、目を伏せた。
いよいよ認めざるをえない。
どうやら、おれは本当に異世界に来てしまったらしい。彼女の目を見れば分かる。
この世界では誰もが知っている常識を知らないなんて、怪しすぎる――そんな意味合いが訝しげな視線から読み取れた。本気でおれを疑っているようだ。
「あー、だめだ。頭痛ぇ……話が通じなさすぎる……」
おれは思わず頭を抱えた。これからどうするべきなのか、目の前の異世界人に対してどう立ちまわっておくべきなのか、対応策がさっぱり浮かばない。
異世界に来たら、まず何をするべきか? なんて作家志望か厨二病の奴くらいしか考えたことは無いだろう。
うんうん唸っていると、リリィは熱を測るようにおれの額に手をおいて言った。
「ユーマ、あなた、もしかして記憶が少し飛んじゃったんじゃない? 基礎魔術Ⅱの講義で『オーバーロード』が原因で記憶喪失になった例を聞いたことがあるわ」
「いや、記憶喪失って訳じゃないんだ。……わかった、オーケー。信じてもらえるかどうかは分からないけど、おれの話を聞いてくれ」
リリィの手をおれの額から離し、おれは自分の世界のこと、異世界に召喚されてしまったことを話した。
※
リリィは最初こそ真剣に聞いていたものの、おれの世界の話が中盤に差し掛かったところで眉をつりあげ、ジャックと名乗る神の使いのかぼちゃについて話し終えたところで、頭を抱えてしまった。
「ユーマ、ごめんなさい。あなたが何を言っているのか全然理解出来ないわ」
「まぁ、そうだよな……」
期待はしていなかったけれど、ここまで手がかり無しだとは思っていなかった。
「あなたのいた世界、ニホンだっけ? そこでは魔法が無くて、かわりにパソコンだのケータイだの、便利なキカイとやらが代わりを果たしていて、魔法はおとぎ話の中でしか存在しない――こんなの、信じられると思う?」
信じるも信じないも、おれにとっては事実だ。しかし、どうやらリリィの側からすれば、それこそおれの世界の話はおとぎ話のようなものらしい。
「そして何より、神々の賭けで魔王討伐? あり得ないわ。あなたの話の中で、一番趣味の悪い設定よ。神はいつだって私達を守ってくれる神聖な存在なの。信仰深い人にそんな話をしたらぶっ飛ばされるわよ」
「けど、本当なんだ。そのかぼちゃが言うには、おれは賭けの対象者の一人だって――」
「とにかく、よく出来た設定だと思うわ。即席で考えたのだとしたら、あなたには小説を書く才能があるのかもね」
リリィはもう十分、といわんばかりに勢いよく椅子から立ち上がり、おれに背を向けた。
「最低限、動けるだけの魔力は分けてあげたから、身体はもう大丈夫でしょ? 私も忙しい身だから、小説のお話はまた今度にして。もう帰って寝なさい」
子供をあやすような態度で、リリィは部屋のドアを開けた。
「そこの大通りから飛行船が出てる空港までの馬車が出てるから、それを使うといいわ」
「ま、待ってくれ。おれは本当に日本から突然この世界に飛ばされて、何も分からないんだ」
「……最近、変な話を相手に聞かせてツボを押し売りする悪徳商人が増えていたのを思い出したわ。ユーマ、危ないところを助けてくれて、ありがとう。でも、お話にはもう少しリアリティを入れたほうがいいわ。それと神を侮辱するよりも讃える方向で設定を作ったほうが、信仰深い人にツボを買ってもらえるかもね。それじゃ」
「だから、おれはツボ売りじゃ――」
その時、おれは慌てて立ち上がった成果、自分の足に躓いてしまった。
「うわっ!」
「きゃあ!」
ドシンッ……!
彼女に覆いかぶさるように、おれは倒れこんでしまう。最悪だ、おれ何やってんだ。
「ごめん、大丈夫――あぁっ!」
おれの右手の五本指が、リリィのおっぱいに思い切り食い込んでいた。ぎゅうう、と握ってしまっている指に返ってくるふにふにとした柔らかさは、まさにおれが求めていた最高級のおっぱいの感触だった。
「~~~~ッ!」
リリィは瞳を驚きと恥じらいの色でいっぱいにして、声にならない悲鳴をあげる。やばい、これは完全におれが悪い。
けど、おっぱいの感触気持ちよすぎる……! この瞬間を味わえただけで、生きててよかったと心底思える……! ありがとう神様!
「い、いやぁぁぁ――ッ!」
リリィは悲鳴をあげ「ムーブ!」と叫び、指を横に勢い良く振った。すると、おれの身体がふわりと浮いて、そのまま見えない力で家の外まで放り投げられた。
「うわっ!」
「この変態! けだもの! エロオオカミ! とっとと帰りなさい、バカァ!」
バタン。無常にも家の扉は閉められてしまった。追い出されたおれはぽかんと家の前に座り込む。
「やっちまった……最悪だ、おれ」
お金もないし、知り合いもいないし、手がかりもない。そんなナイナイ尽くしの状況なのに、唯一の情報源であるリリィのおっぱいを揉んで怒らせてしまった。
「あの様子じゃ、もう絶対口も聞いてくれないだろうなぁ」
仕方ない。儚い一瞬だった。おれは右手に残る感触を胸に、考えを切り替えることにした。
とりあえず所持品の確認だ。おれが持っているのは、どうやら学ランのみのようだ。携帯電話や財布はすべて無くなっている。この世界で使えるのかどうかも怪しいが、とにかく何も持たぬまま、放り出されてしまったようだ。ますます絶望的な状況じゃないか、くそったれ。
「金が無いっていうのが一番痛いなぁ。探索しようにも、動きようがねえじゃん」
じ――……。
何だかすごく視線を感じる。顔を上げると、リリィの家のドアが少しだけ開いていて、そこからリリィがおれの事をじとっと見つめている。
「ど、どうかした?」
「これ」
「え?」
リリィはドアの隙間からそーっと手を伸ばし、小さな袋を手渡してきた。
「なにこれ?」
「交通費と食事代。私は学生だからお金はあまり持ってないの。高価なツボは買ってあげられないけど、せっかく王都にきたんだから、何か暖かいものでも食べてから帰りなさい。じゃあ、気をつけてね」
「え、ちょ、ええ?」
バタン。そして再び閉められる扉。
もらった小さな袋をあけてみると、銀貨が何枚か入っていた。これ、もらっていいのか? タダで? おっぱい揉んでお金も貰えるなんて、彼女は天使なのだろうか。天使に違いない。
やはり巨乳を持った女の子は天使だったのだ。
「どうだ貧乳派の高橋ぃ! 巨乳は神ということが証明されたぞ!」
ぐぎゅるるるる。
アホなことを叫んでいたら、盛大に腹の虫が鳴った。
「そういえば、何も食べてないな。くそっ、腹が減った……けど何も食うもの持ってねえ」
このまま異世界で餓死なんて嫌すぎる。
――その時、不意に扉が開いて、リリィが顔を半分覗かせた。
「……お腹すいてるの?」
「あ、いや、そんなことは」
ぐぎゅるるるる。
言い切る前に、またもや盛大に腹が鳴る。
リリィははぁー、と溜息をついて
「これを食べるといいわ。保存食、余ってたからあげる」
そう言って、フレークのような食べ物の入ったボックスを渡される。
「言っておくけど、余り物を捨てるのがもったいないから、あなたにあげるんだからね。あと、家の前で餓死されても迷惑だし。つまり、えっと、別にあなたのために用意した食材じゃないから、勘違いしないで」
「あ、ありが――」
バタン。間髪入れずにドアが閉まる。
なんだろう、彼女、ものすごく冷たい風に装っていたけど、優しさが溢れ出ていて隠しきれていないんですが、これは突っ込まないほうがいいのだろうか。
とりあえず施しは甘んじて受け入れよう。
おれはフレークを一気に腹にかきこむ。うん、上手い。
あっという間に無くなってしまった。
……ドアの向こうから、こちらの様子を伺っているような気配を感じる。
もしかして、ずっとドアの前でおれの言葉に聞き耳を立てているのか?
「リリィ」
「なに?」
即座にドアが開き、警戒した様子でリリィが顔を半分だけ出した。
「いや、ご飯ありがとう」
「どういたしまして。じゃあね」
バタン。
おれはおもむろにドアを開けてみた。
「きゃあ!」
やっぱりドアに耳を押し当てていたのか、支えを失ったリリィはバランスを崩して転がった。
「なにするのよ、もうっ」
「いや、まさかそんな耳を押し当てるほど、おれを気にしてくれてるとは思わなくて……」
「別にあなたの様子を案じているわけじゃないわ。ただ、あんな神を咎めるような作り話をする人だから、何か悪さをしないか心配なだけよ」
ふん、と唇を尖らせてリリィは言った。意地を張っているのが見え見えだ。根が素直な子なのだろう、とおれは思った。
「大丈夫、悪さなんてしないよ」
「そうよね。身を挺してまで、私を助けてくれたんだから、悪い人じゃないことは分かってるけど……って、えっと、そうじゃないから。あなたのことが心配で気になってるわけじゃないから」
ぐぎゅるるるる。
空気を読まずに、またおれの腹がなった。
リリィは大きなため息を一つついて、
「入って」
ドアを開けて、おれを家に招き入れた。
※
「う、美味い! こんなに美味い卵焼きトーストは初めてだ!」
「昨日の残り物よ。そんなに賛美するほどの物ではないわ」
再びリリィの家に入ったおれは、リリィが出してくれたトーストをご馳走になっていた。
こんがり焼いたトーストに卵焼きを乗せただけの料理だが、調味料が上手いこと配分されていて、信じられないくらい美味い。
あまりの美味さに、おれは卵焼きトーストを一気に食べる。
空腹だった胃は満たされ、おれは改めてリリィに礼を言った。
「ご飯までご馳走してもらって、本当にすまない。でも、ありがとう」
「あなたは私の命の恩人だから、食事をご馳走するくらいやぶさかではないわ」
リリィはそっけなく答える。しかし、不意に頬を緩ませて可愛らしい笑顔を浮かべて
「そんなにがっつくほど美味しいんだ……ふふっ、嬉しい」
そんな素直な感情を小さく漏らした。
やばい、可愛い。なんていうか、意地を張ったあとに無意識に本音が漏れるのは天然なのか、計算なのか、とにかく死ぬほど可愛いぞ。
「今、なんか言った?」
「な、なんでもない。早く食べて。私、勉強をしなきゃいけないから」
とぼけたふりをして聞くと、リリィは「早く早く」とフライパンに乗っていたもう一つのトーストをお皿に乗せて、おれを急かした。なんだか、この子の性格がわかってきた気がする。意地っ張りだけど、優しい子なんだ。
おれは最後の卵焼きトーストを食べ終えると、一息ついた。
「さて」
「……」
おれとリリィは無言で見つめ合う。
「どうしようか?」
さりげなくぼやいたつもりだったのだが、リリィはとっさに立ち上がり杖を構えた。
「へ、変なことは考えないでよ。私、魔導師だからね。おおお、男の子なんて全然怖くないんだから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何の話だ?」
「……無理やり押し倒すつもりなんでしょ」
おれは思わず咳き込んだ。
「そんなつもりはないよ! 深読みしすぎだって!」
「嘘! 家で二人きりでいる時に、ニヤニヤしながら『どうしようか?』って男が聞いてきた時は、押し倒す合図だってメリッサが言ってたわ」
「それ嘘だから! なにその限定的すぎる合図は!」
「さっきは、む、胸を揉んだくせに……」
「あれは本当にすまん! 事故だったんだ。謝る。申し訳なかった。もう転んで押し倒したりしないし、君に危害を加える気もない。誓って無い」
おれは手をあげて、押し倒す気がないことをアピールする。
リリィはハッと我に返り、おれにその気がないことを察したのか、杖を置いて椅子に座った。
「ごめんなさい。私、男の人を家に入れたのは初めてだったから……あと、ちょっと男の人が苦手で」
「いや、こっちこそ、いろいろ心配させてごめん。迷惑かけまくってるな、おれ」
頭をかきながら、愛想笑いを浮かべるおれ。
「それに……む、胸を触られたのも、初めてだから」
「ごめんなさい、今すぐこの場で死んで詫びます」
「し、死ぬのはダメ! いいから、もう気にしてないから、ね?」
リリィは慌てた様子でおれを止めた。うん、やはり天使だ。間違いない。
そして気まずい沈黙が流れた。
これ以上、リリィに甘える訳にはいかないよな、やっぱり。よくよく見ると、リリィはおれと同い年くらいの女の子だ。そして、察するに彼女は一人暮らしのようだ。
年頃の女の子が一人で住んでいる家に男を招き入れるのがどれだけのプレッシャーなのか、いくら女の子に鈍感なおれでも想像できる。
これ以上、迷惑をかけるのはダメだ。やっぱり出て行こう。
「今日……泊まってく?」
「ごほっ!」
おれは再びむせた。不意打ちもいいところだ。
「そっちの方がむしろあれな感じだと思うんだけど」
「あ、ち、違っ! そういう意味じゃなくて、ああ、もう……!」
リリィは顔を真っ赤にして、机に突っ伏してしまった。本当に男性とのやり取りに慣れていないようだった。なんかもう、混乱させて本当に申し訳ない。
おれは潮時だな、と思い、そろそろおいとますることにした。
お金も少しだけだが貰えたし、衣食住くらい自分で何とか出来るだろう。
「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう、リリィ」
そう言って、おれは立ち上がり、リリィの家から外に出た。
「待って! 帰り道は分かってるの?」
「ああ。何となく。本当に、いろいろとありがとう」
「ううん、私の方こそ、助けてくれてありがとう」
リリィはそう言って天使のような微笑みをおれに向けた。
おれはその笑顔だけで今日一日の疲れが吹っ飛んだような気がした。
「あ、一つだけ。あなたの身体のことだから言うまでもない思うけど、あなたにキ――く、口移しで分けた魔力は最低限の量だから、無理して寄り道したりしないでね。また『オーバーロード』を起こして倒れちゃうからね」
「わかった。もう『オーバーロード』なんてしないよ。それじゃ! また機会があれば、アディオス!」
『オーバーロード』とか魔力云々の詳細が気になってけれど、これ以上、質問の嵐をぶつけて彼女に負担をかけるわけにもいかないので、おれはあえて知ったかぶりをした。
手をあげて、おれは振り返ることなくリリィに背を向けて走りだす。
これ以上だらだらしていたら、またリリィが何かお節介を焼いてしまう。そして、あの巨乳は巨乳大好きのおれにとってあまりにも刺激が強すぎだ。彼女の家に泊まったら、それこそ息子が大変なことになって眠れなくなるだろう……というのは建前で、要するにこれ以上彼女に甘えるわけにはいかないとカッコをつけたのだ。
いろいろ情報が聞けるチャンスだったけれど、仕方ない。質問ばっかりする教えて君はモテないって雑誌にも書いてあったし、リリィは男の子が苦手みたいだから、無理に付き合わせるのは悪いからな。
「……ってかっこつけたのはいいけど、これからどうすりゃいいんだ」
おれはリリィの家が見えなくなるくらいまで走ってから、ちょっとだけ後悔した。どこまでもダサい男です、おれってやつは。