ふわふわと浮かぶ。此処が何処かも分からず、今が何時かも分からない。
上下の感覚も無く左右の認識も出来ず、
そもそも一切の知覚が麻痺してしまったかのように混濁している。
やがて自分が眠っているのだと気付いた時、微睡んでいた意識は徐々に覚醒を始めた。
「あー、うー?」
我ながら間抜けとも思える声を上げながら、覚醒する。
うっすらと目を開けると、明るい光が目に差し込んできた。
眩しさの余りゆっくりとしか目を開けることが出来ない。どうやら相当長い間眠っていたようだ。
やがて目が光に慣れてくると、様々な情報が視覚から飛び込んでくる。
始めに見た見知らぬ天井には明るい白色の蛍光灯が灯り、
視線を横にやれば一定のリズムを刻む計器が自分の体へと繋がれている。
恐らく心電図を取る機械だろう。
目線を反対に向けると、だだっ広い部屋の端に外へと繋がる扉だけがある。
真っ白い部屋、繋がれた機械、消毒臭のするベッド。ここは病室のようだ。
「なん、で……」
湧き上がるのは、疑問。
なぜ自分はこの様な所に居るのだろうという純然たる疑問によって思考を開始する。
まず思い出されるのは自分の名前。御堂(みどう)悠(ゆう)。違和感はない。これが自分の名前。
次に年齢を思い出す。しかし混乱しているのか自分の年齢が判然としない。
1歳だっただろうか?10歳だっただろうか?20歳だっただろうか?あるいは100歳?
「僕は御堂悠、年齢は――10歳」
口にすると、以外なほどすんなりと言葉が出てきた。
どうやら判然としない事は口に出せばいいようだ。
恐らく思考だけで纏めきれない程混乱しているのだろうと考え、落ち着くためにも思考を続ける。
親はどんな人物だっただろうか?これもまた、思い出せない。いや、思い出し過ぎる。
財閥の御曹司だった?武家の息子?母子家庭の一人息子?あるいは、親なんて居なかった?
「僕の両親は……お武家サマ。帝国の"白"」
大した名家に生まれたわけじゃない。それでもそこそこ有力な武家と繋がりはあったようだが。
自分の生まれも思い出せないというのは中々に重症ではないだろうか?
そんな事が思いが浮かぶものの、痛みや苦しみといったものは今のところ感じない。判断は保留。
次に思い浮かべるのは知人友人の顔。しかし思い浮かべようとした刹那軽い頭痛を感じた。
「っ、なに、これ……」
次々と浮かび上がってくる幾つもの顔。知っている。
100や200じゃ済まないそれらを全て知っている。
ああ、リック君。無二の親友だ。あれは大山君?よく虐められたな。
こっちはライル君。頼りになる兄貴分。これはアレックスおじさん。僕の後見人。
そこに居るのは美香ちゃん。ついこの前告白したばかりの僕の彼女だ。
あっちに居るのはステラさん。僕の自慢の姉さん女房。
あれは朱音おばあちゃん。長年連れ添った伴侶だ。
ああ、ツカサ君、そっちに行っちゃいけない。ハイネ君?お願いだ応答してくれ。
そんな唯衣さん、僕を庇って?ホーエン隊長、お願いです死なないで。
――なんだこれは。違う。これも違う。あれも違う。違う違う違う。
"これ"は僕の記憶じゃない。僕だけど僕じゃない。僕は10歳だ。こんな経験なんて無い。
次々と浮かび上がってくる。学校で友達と遊んだ記憶。戦地をひたすら駆け抜けた記憶。
大切な人を失った。守りたかった人を守れた。幸せな人生だった。暗雲立ち込める人生だ。
違う。これは僕じゃない。
「僕はッ!――そうだ。僕は御堂悠。他の誰でもない、たった"一人"の御堂悠」
ぼーっとする。眼の焦点が合わない。
傍から見ればハイライトが消えたようにでも見えるんだろうか。
頭が真っ白になる。いや真っ黒だ。違う虹色の極彩色だ。真っ赤だ。真っ青だ。真っ黄色だ。
自分の口が勝手に動く。数字を垂れ流す。アルファベットを垂れ流す。平仮名を垂れ流す。
どこか遠くに行ったような感覚がナニカを捉える。誰かが病室に入ってきたようだ。
体を揺すられる感覚がする。けれどそんな事はどうでもいい。今は思考を止めちゃ行けない。
――気がつけば、"僕達"は眠っていた。鎮静剤でも打たれたのだろう。
病院で使用される鎮静剤の大まかな成分は――いや、今は必要ない知識だ。
首を動かす。心電図が目に入った。見る限り身体的には非常に安定しているようだ。
体に目をやる。拘束されている。もしかしたらかなり暴れたのかもしれない。
白い部屋、拘束具があるベッド。ここはどうやら精神病棟らしい。
「最後は……ああ、BETAに襲われたんだっけ」
横浜へのBETA進行。両親は出撃して、僕は避難した。
けど途中でBETAに遭遇して、輸送車は壊滅。
必死になって逃げまわって、でも逃げきれなくて。
目の前に浮かび上がった兵士級への恐怖で気を失った。
助かっているという事は恐らく偶然誰かが助けてくれたのだろう。
護衛に付いていた歩兵辺りだろうか。お礼をしたいけど流石に見つからないだろうな。
それにしても恐怖で気を失うなんてなんとだらしない。
いや、しょうがないじゃないか。僕はまだ10歳だよ?
「まあ、それはそれとして」
今では特に恐怖も感じない。当たり前だ。"一体何体のBETAを屠ってきた"と思っているんだ。
それよりもこの部屋には時計すら無いのだろうか。これでは余計に精神を病んでしまいそうだ。
とりあえず拘束具を何とかしたい。縄抜けの応用で十分抜けられるだろう。
あちこち分散していく思考を放置してまず体を動かすことにした。
「よっと。うん、ちょっと肩痛い」
最もシンプルな方法として関節を外す縄抜けを選んだのだが、入れなおした肩が少し痛い。
幾ら"やり慣れている"とはいえ、この体でやるのは"初めて"だ。
多用すると子供の体にとってはあまりよくないことになるし、気をつけよう。
拘束自体は簡単なもの。完全に巻きつけてあったらどうともならなかったが、
ベルトで押さえつけてあるだけだったので簡単に抜ける事が出来た。重畳重畳。
「これからどうしようかな?」
時計は無いが時間は分かる。西暦2000年の1月1日?また随分とキリが良い。
とはいえ時刻は19時22分。鎮静剤で眠っていたせいでもう日は落ちてしまっているようだ。
これから辿る歴史を考えると人類の時間的な猶予はまだあるのだろうか?
流石にちょっと判断は付かないがまだ間に合う筈だ。
当面の目標としては、まず死にたくはない。なら生きよう。生きるには何が居る?衣食住だ。
避難民じゃろくな衣食住は得られない。いや、武家だし健康体だから斯衛に入るのだろうか。
しかし考えてみると余りいい選択肢ではない。
なにせまだ僕は10歳。斯衛に入るならあと6年は待たないと。
だが人類に残された時間を考えればそれでは遅すぎる。
BETAの腹に入るなんてゴメンなので、動く必要がある。
「知識は……大丈夫、ある」
きっと僕の力は役に立つ。馬鹿らしい程無数の"僕達"の叡智だ。
検索しよう、知識を。集めよう、叡智を。人類を救えるのは人類だけだ。
ああ、駄目だ。衛士生活が長いせいで随分と思考がそっちに傾いている。
平和ボケしてたいんだけどなあ。そうもいかないらしい。
いや、考え方はいくらでもある。5年で日本を復活させてみせよう。
そうすれば晴れてバラ色の青春時代だ。
うんまあ色々な意味で無理だろうなというのは予想は付くのだけれど、
そうでも思わないとやってられない。
戦いが一段落したら娯楽を色々作ってみようかな。ゲームなんて"この世界"には無いのだし。
「よし」
色々考えたけど大凡の指標は決まった。今僕に必要なのは資材と権限。そして仲間。
なら一番手っ取り早い方法がある。幸いにも"この世界"の"彼女"相手であれば大丈夫だろう。
情報の海へと潜る。直ぐに着いた。流石に規模が小さいと早く済む。
後は適当に思い浮かべたデータを書き込んで帰る。これだけでいい。
さあ、今は眠ろう。流石に疲れた。
「おやすみなさい」
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∞
音が響く。タイル貼りの床を軍靴が弾く音だ。カツカツと小気味いいそれは綺麗に揃っている。
足音からしておおよそ10人程度。少なくとも軍人としての歩き方が染み付いた足音が10人。
どうやら、やっと来たようである。やっとと言っても3日なら早いほうか。
戸籍の処理は既に済ませてある。内容は消息不明。原因は不明。
下手な設定を作るよりも分かりやすくていい。
今の御時世行方不明の原因なんて事欠かないのだから。
――コンコン
「どうぞ」
静かな病室に音が響いた。体を起こして待っていた僕の視界に沢山の大人が見える。
数は10人。男女比3:7。子供相手の配慮か女性が多い。全員国連軍の制服を着ている。
無言で佇む軍人達。一人の女性が前に出て敬礼をする。それに伴って全員が敬礼。
僕も慣れた手つきで答礼を返す。その仕草に数人が眉を跳ねさせたが、言葉を発する事は無い。
「お迎えに上がりました、"ユウ・ミドウ准佐"」
「ありがとう」
妖艶な雰囲気を纏った女性が声を発する。口調と声質も枕元で囁くかのように実に甘ったるい。
まさか10歳相手にハニートラップというわけでも無いだろうに。
"僕"の何人かがイイ女だと評価の声を上げるのを脇に置き、礼を言う。
しかし准佐、か。最低位の左官待遇。随分と買ってくれたようだ。
余程あのデータが衝撃的だったらしい。当然といえば当然かな。
子供一人ねじ込むぐらい"彼女"の立場なら問題無いだろうし、
信用のおける子飼いなら10人ぐらいは直ぐ動かせるのだろう。
素早い割に随分丁寧かつ大袈裟な対応だ。
「お召し物はこちらに」
「うん。少し出ててくれるかな?」
脇に居た女性が前に出て、紙袋を渡してくる。中を除くと国連軍のものらしい制服が入っていた。
サイズを考えると確実にオーダーメイドだろう。
コスプレ用のチープなものと違い、実に"重み"がある。
以前に着たのは何時だったか……いやいや、"僕"はまだ着たことはないのだった。
昔語りを始めようとする脳を黙らせつつ、彼女らに声をかける。
10歳の着替えを覗く趣味も無いだろう。左官という事もあって、素直に退出してくれた。
服に付いていた発信機の類は今は放置。流石にノーマークとは行かないらしい。
それは仕方ないと自分を納得させ、さっさと着替えて追いかける。
「お待たせ」
「では、こちらへ」
再び甘ったるい声が耳に入る。いい声だ、是非枕元で囁いて……僕は10歳だって。
駄目だな、うるさすぎる。少しボリュームを絞っておこう。
そんな事を思考しながら女性の後ろを付いて歩く。周囲は10人の軍人に囲まれている。
これ、傍から見ると日本人の10歳児を連行している国連軍人?印象悪いな。
効果があるかは分からないけど彼女達への心象もあるし、出来るだけニコニコしておこう。
――よくよく考えればこちらの方が余計に痛々しいと気づいたのは、随分後になってからだった。
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∞
ここで情報を整理してみよう。まず、この世界の僕は一度死にかけた。
BETAに襲われ、間一髪で救出。
しかし恐怖で錯乱していたのだろう、精神病棟へと収容される。
そのまま昏睡状態に陥り、数ヶ月の間眠り続けていた。
そこで僕は"僕"を知る。何が切欠かは分からない。
BETAに襲われた事か、精神を一度失した事か、昏睡状態になった事か、
2000年の1月1日になった事か、あるいはそれら以外の何らかの要因か。
しかし結果として、僕は無数の"僕"を知った。
平和ボケした日本でごくごく普通の人生を過ごし、ありきたりな幸せを目一杯味わった。
BETAに侵食された日本で、しかし信頼出来る仲間と共に命燃え尽きるまで戦い抜いた。
圧倒的な文明を誇る宇宙で、革新的な発明を幾つも行いながら若くしてその生命を失した。
ファンタジーが蔓延する魔法世界で、勇者と共に魔王を打ち倒し世界を救った。
バケモノとして生まれ、怪物として過ごし、ヒトとして死んだ。
数多の世界に存在する、あるいは存在した"僕達"。
妄想と斬って捨てるには余りにも重すぎるそれらは、全て一人の"僕"だった。
これは、僕の歴史だ。あらゆる世界で僕が辿り、あるいは辿る筈の歴史。
中には女性として生まれた記憶もあったし、そもそも人ですら無い事もあった。
無限に近い記憶の中であって塵の如く少数だが、今の僕と同じ状態になった記憶もあった。
どれだけ少数派であろうと、それは全て僕らの記憶。僕らが辿ってきた歴史。僕らが生きた証。
きっと真理とかアカシックレコードとかに通ずる部分もあるのだろう。
実際にそういうのを研究していた記憶もある。
そういった無数の僕の塊、情報の集積体へと"接続(アクセス)"する権限を得たのだ。
詳しい理屈は僕らにも分からない。
科学的にもファンタジー的にも、ある程度の仮説が立てられる程度だ。
それでも、はっきりと分かる。これは僕だ。僕のものだ。
他の誰も知ることが出来ず、僕だけが知りうる僕らの全て。
今後失うことは無いだろう。きっと役にたってくれる。だってこれは僕らのものなのだから。
誰にも侵される事の無い、僕にだけ許された僕らが自信を持って誇れる"生きた証"。
ダウンロードしたデータは僕に最良を教えてくれる。
最良の戦術機の操縦法が分かる。最良の体の動かし方が分かる。
最良の未来を掴むための方法が分かる。最良の手段で最良の結果を得られる。
全力でアクセスすると洒落にならない負荷がかかるため普段は絞っているが、
それでも脳裏に描かれる無数の情報群はきっと僕を導いてくれる。
だって、それを教えてくれるのは他の誰ならぬ僕らなのだから。
ちなみに。情報体へアクセス出来るようになったお陰なのか、
僕以外の情報体へもある程度干渉出来るようである。
例えばごくごく簡易的なテレパシーモドキが使えることもそうだし、
コンピュータに遠隔接続してハッキングを行ったりも出来る。
意思を持つ人間には殆ど干渉できないためテレパス能力者としては三流だろう。
しかしコンピュータへのハッキングは違う。超文明で科学者をやっていた記憶もあるのだから、
この世界の未発達なネットワークなど赤子の手をひねるが如く掌握することができる。
まあこれも負荷を考えればある程度の制限はあるのだが、
幸い国連事務総長のパソコンに各種予測データや技術データをわんさか送るぐらいは出来た。
「――成る程、事情は分かりました」
僕の目の前で神妙に頷く女性はロゼ・アプロヴァール国連事務総長。
先日僕がデータを送った相手である。
老齢ではあるものの陰謀渦巻く国際社会において事務総長を務めるその辣腕は流石の一言。
今でこそ米国の傀儡と呼ばれるまでに力を抑えつけられているが、
その胸のうちに秘めた炎は未だ燃え尽きては居ないようである。
「いいでしょう。貴方の持つ技術はいずれ我々の希望となる。それを認めましょう」
ゆっくりと頷いた事務総長が僕の目を見据える。
そこにある眼光は最初に挨拶を交わした時とは比べ物にならない。
後ろで息を呑む音が聞こえた。ここまで着いて来た国連軍の女性のものだ。あの妖艶な人である。
きっと彼女もここまでの眼光を発する事務総長は見たことが無いのだろう。
その瞳には希望と期待と自信がありありと湛えられている。
その眼光に対し僕も無言のまま見返す。湛えるのは絶対の自信ただ一つ。
変えてみせる。超えてみせる。救ってみせる。僕なら、出来る。
その意思を持って見つめ返す。
一度目を伏せた彼女は引き出しを開け、大きなハンコを取り出した。
大きく口を開けてそのハンコに息を吐き付ける。
そして僕と彼女の名が書かれた書類にそれを落とした。
「今此処に、国連軍事務総長直轄独立遊撃実験部隊の設立を承認します」
ポン、と。小気味いい音を立て、僕の処遇が決定した。