これは、私の友人から聞いた話です。
ここからは、その友人の視点で語らせて頂きます。
いつもと何も変わらない日。一人暮らしの家で、いつものように惰眠を貪っていた日。
俺の恋人が居なくなった。
昨日まで、毎日連絡を取り合っていたのに、その日は一度も電話をかけて来なかった。
彼女も一人暮らしだったので、彼女の実家に電話をしたが、知らないと言う。
そんな事もあるだろう、と、その日は特に気にしなかったんだ。
けれど、何日経っても連絡が来ない。
送ったメールも返信が無い。
たまに電話をかけても、電源が入っていないか、というお馴染みのアナウンスが返ってきた。
流石に心配になったので、彼女の家に行ってみたが、当然鍵がかかっていて入れない。
何度も扉の外から呼びかけたが、返事は無い。
結局その日は、諦めて家に帰ったんだ。
飽きられたかな…と思っていた。
まさか、あんな事になるなんて思わなかったから。
彼女と音信不通になって数日。ある日、家の戸を叩く音がした。
俺は一人暮らし。当然客は俺が目的だし、俺が出なければ誰も出ない。
パソコンのキーを叩く手を止め、俺は玄関に向かった。
どんどんどん、どんどんどん、と何度も扉を叩く音が聞こえる。
「はいはい、今行きますよ」と呟きながら、玄関の覗き穴から外を見る。
しかし、覗き窓からは誰も見えなかった。
扉から顔を離して、おかしいな?と首を傾げていると、またどんどんどんという音が聞こえる。
すぐにもう一度覗いてみるが、やっぱり誰も見えない。
しかし、その直後またどんどんどんと音が聞こえて来た。
おかしい。
俺は今覗き窓を覗き込んでいる。
そこから見えるのは、いつもの玄関前の風景。
誰も居る様子は無い。
なのに、どんどんどん、という音だけが響いてくる。
しかも、時間を追うごとにその音が大きくなっていく。
最初は軽くどんどん、という音だったのに、
今はどんどんを通り越してがんがんという音が響いている。
怖くなった俺はドアから離れた。
それでも、がんがんという音は響いてくる。
さきほどは断続的だったが、今はもうずっと鳴り続けている。
近所迷惑だろ、などと場違いな事を思い浮かべるほど、俺は混乱していた。
しかし、5分ほど経った頃だろうか。
急にドアから聞こえてくる音がピタリ、と止んだのだ。
その時の俺は、混乱していた。
訳の分からない状況に陥り、正常な思考能力が欠けていたのかも知れない。
だから、音が止んだだけで安心し、玄関のドアを開ける、という愚行を犯してしまった。
「…誰も、居ない?」
戸を開けて外を見るも、外には誰も居なかった。
周囲を見回しても、しんと静まり返っている。
どうせ、どこかのキチガイが暴れてたんだろう、
などと無理やり自分を納得させ、俺は玄関の戸を閉めた。
鍵をかけ、さあ部屋に戻ろうと後ろを振り返ると…
長い髪で顔を隠し、白いワンピースを着た女が立っていた。
「なっ!?」
ドン、と何かが叩きつけられる音がした。
俺の体だ。
女は俯いたまま俺の首に手を伸ばし、ぎりぎりと締め付けてきた。
「ぐ…が…やめ…ろっ!」
俺はもがき、無理やり女の手を振りほどいた。
所詮、女性の腕力だ。
俺も最低限の運動ぐらいはしていたし、振りほどくぐらいは出来る。
そのまま俺はその女の脇をすりぬけて、一目散に部屋に走る。
バンッ!という強い音を立ててドアを閉め、そのまま部屋に篭る。
ドアの前に机を寄せたりして、簡易のバリケードも作った。
あとは警察を呼んで、さっさと捕まえてもらおう、と思い、枕元の携帯を取った。
そのまま番号を押そうとした時、俺の背中が焼けるように熱くなった。
それと同時に激痛を感じ、まさか、という思いで後ろを振り返る。
そこには、顔を俯けたままの、先ほどの女が居た。
「ぐ…あ…」
痛みで思考が麻痺する中、
顔を俯けた女の視線を追うように女の手を見ると、
おそらく台所から取って来たのだろう、包丁が強く握られていた。
そして、その刃は確かに、俺の背中を貫いていた。
痛みで何も考えられず、視界がぼやける。
途切れ行く意識の中、女がゆっくりと顔を上げた。
その顔は、確かに、見知った、俺の恋人の顔だった。
「っああ!?はあ、はあ、はあ…」
荒い息と共に飛び起きる。
体には愛用の掛け布団がかかっており、今座っているのはいつものベッド。
部屋を見渡してみるが、特に変わった様子は無い。
「…ゆめ…か?」
たちの悪い夢だ。恋人に刺される夢なんて。
体が汗まみれでひどく気持ち悪い。
とりあえず、シャワーでも浴びようと、ベッドから足を下ろした時、
枕元の携帯が鳴った。
「おどかすなよ…」
一瞬ビクっとしてしまった事を恥じながら、携帯を取り電話に出る。
恋人の母親からの電話だった。
暗い口調で語られた内容は、とても簡単なものだった。
恋人が、死んだ。
事故、だったらしい。
よくある話だ。
夜、横断歩道を渡ろうとしたら、車に撥ねられた。
運転手は、酒に酔っていたらしい。
不幸な、事故。
しかし、俺には何がなんだか分からなかった。分かりたくなかった。
俺は、確かに彼女を愛していた。自惚れで無ければ、彼女も俺を愛してくれていた筈だ。
ずっと一緒に居ようね、と約束もした。
なのに、その恋人が死んだ。
何も考える余裕は無く、ただただ泣き続けた。
ベッドに寝転び、ただただ泣いた。
どうせ誰も見ていないと、声を上げて泣いた。
落ち着いた頃には、とっくに夜になっていた。
それでも、起きる気にはなれなかった俺は、暫くベッドに横になっていた。
暫くそうしていると、泣き疲れたのだろうか、ひどい睡魔に襲われた。
しなければいけない事は沢山ある。
恋人の遺体を見に行かなければいけないし、葬儀の準備もある。
俺の家にも彼女の持ち物はあるから、その整理もしなくちゃいけない。
彼女の両親とちゃんと話もしないといけないだろう。
しなければいけない事は沢山あるのに、体が言う事を聞いてくれない。
どんなに起きようとしても、どんどん眠たくなってくる。
抗いきれず、瞼を閉じた。
どんどん眠くなり、意思が押し流されていく。
今までこんな異常な睡魔に襲われた事は無い。
恋人を失ったショックだろうか、などと考えたが、答えをくれる人は居ない。
余りにも強すぎる睡魔に、何の根拠も無いが、
このまま寝てはいけないのではないか、という気がした。
しかし、やはり答えをくれる人が居るはずも無い。
結局襲い来る睡魔に耐え切れず、俺は意識を手放した。
意識が完全に闇に沈む直前、俺の耳に聞き慣れた声が聞こえた気がした。
「ずっと、一緒に居ようね…」
以上、お粗末様でした。