小森提督が巌提督の艦隊に加勢した翌日。彼女は艦娘たちを引き連れ、大本営へと向かっていた。小森提督の予想に反して天候は極めて良好。空の青色を遮るものはなにもない。眼下には対空砲やら分厚い防壁やらで囲われた大本営のヘリポート。
混乱していた金剛の精神状態も回復している。彼女たちはヘリコプターの座席に揺られ、首都・東京へ近づくのを眺めている。
唯一問題があるとすれば、オリジンとオールドの状態がかなり悪化していることだ。今朝になってから「侵食」の進行が進んでしまったのだ。
オリジンは元の黄色を3/4も失い、オールドは全身にあった赤黒い紋様が複雑なパターンになっている。あまりの激痛に気を失い、いまは龍驤の両手の上でうなされながら横になっている。
「ねえ龍驤ちゃん、オールドは大丈夫そう?」
「こんなん見て大丈夫やで、なんて言い返すやつがおったらアホや。真性のアホや。提督、うちはそんなアホやないで」
自分の仲間が苦しんでいるのを目の当たりにしている龍驤は、自分が助けになれないことに苛立っているに違いない――ふたりのためにも早くなんとかしてあげたいと、小森提督はためいきをつく。自分の不甲斐なさに嫌気が差すばかりだった。
「きっと大丈夫です。オールドさんも、オリジンも、きっと良くなりますよ」
「吹雪ちゃん……せやな、うちらが回復を信じてやらんでどうするって話やな。……アホはうちやったわ」
「大丈夫です。きっと亡命者さんが私たちを呼び出したのは、オリジンやオールドさんをなおしてあげようとしてくれたからですよ。きっと」
そうだといいな、と龍驤。こんなやり取りを聞いて、小森提督は先程に全てを打ち明けたのはまずかっただろうか、と悩んでいた。
大本営へのヘリコプターに乗る前に小森提督が艦娘たちに話したことは全て機密情報であった。なんのために大本営に向かっているのか、きちんと知らせることで不安を取り除こうとした自分の行いは間違っていただろうか。いや、たぶん、間違ってはいない。少なくとも自分の中では。
元々、小森提督はサイレントラインと呼ばれる秘密回線を用いて、大本部に保護されている「亡命者」へ連絡をとっていた。亡命者とは、深海棲艦側の陣営から逃げ出した人物である。この亡命者こそが艦娘の誕生に大きく関わった人物であるのは、提督並びに軍の関係者なら誰もが知っている。
連絡内容は「特殊な深海棲艦から侵食を受けたシルバーホークと、搭乗していた妖精の回復を求む」というものだった。深海棲艦と深く関わっていたであろう亡命者であればなにか頼れるかもしれない――いちるの望みをかけて、小森提督はサイレントラインを
そうして亡命者との連絡をとった小森提督は、綿密な打ち合わせをしたあとで、大本営へ出向することを艦娘たちに伝えた。主な目的はオリジンとオールドの回復だが、これは誰が相手でも伏せていた。
なにか運命的なものがうごめいている。
亡命者から指名された艦娘を連れて行くにあたって、小森提督は艦娘たちにそう思わせる努力をしていた。それが無駄になったのは、ヘリコプターに乗り込む前の告白の時であった。
ヘリコプターが無事に着地し、小森提督が先に降りていく。
屋上のヘリポート。かなり高い場所にあるようで、風がごうごうと彼女の体を叩く。肌寒いというよりは冷たさで肌が切れそうだった。分厚い白の軍服だけでは寒さから満足に体を暖められない。
後ろで艦娘たちが素早く降りるのを認めながら、小森提督はヘリポートで自分たちを待っていたらしい黒のスーツの人物を見た。背筋を伸ばして敬礼している。小森提督も敬礼を返し、お互いに歩み寄っていく。ヘリコプターの爆音は徐々に小さくなっている。先に挨拶の口火をきったのは小森提督だった。
「日本海防衛部第二鎮守府提督、小森あきこです」
「
しまざきゆきみ、と名乗った女性はとても冷静な印象のある人物だった。イメージとしては加賀に近いな、と小森提督は直感するが、島崎の髪は白く短い。
そういう色に染めているのだろうか、と小森提督は思いながらヘリコプターに振り返った。あれの貨物部には大きく分厚い木箱があったはずだ。なにかを輸送しているのかと思ったが、そうではなかったのだ。
「あの木箱の中にですか?」
「アレは亡命者の生活に必要な物資なのです。亡命者は存在の価値、重要性などから、大本営の地下施設にて保護しているのです」
軟禁の間違いじゃないのかと言いたくなったが、そんな口を閉ざすのは簡単だった。亡命者という最高に重要な人物の世話役というのなら、階級はとても高いに違いない。下手な口を効いて罰せられるのは、少なくともこのタイミングではない。
「私たちは生活必需品の物資輸送に偽装する、ということですか」
「ご理解が早く助かります。さあ急ぎましょう。窮屈な思いをさせて申し訳ありませんが、5分ほど辛抱ください。あと、箱のなかにいる時は絶対に喋らないでください。いいですね」
了解しました。小森提督の声は後ろの5人の艦娘と揃っていた。ヘリコプターの操縦士が重たそうに木箱を降ろすのを、小森提督たちが手伝って大きな台車の上にのせる。モーター駆動の台車なら重さが数百キログラムのものでも容易に運べるだろう、と小森提督はあたりをつけた。
簡単な脚立がヘリコプターから用意され、艦娘たちが先に木箱の中へと入っていく。最後に小森提督が入ると、厳重にふたが閉められ、ほどなくしてガラコロと台車が動く音がくぐもって聞こえるようになった。
5分が経った――裾を引っ張って合図する金剛にハッとした小森提督は目を細めた。木箱のふたが外され、まぶしい光がはいってきたのだ。
てきぱきと艦娘たちが箱から出て行くが、小森提督だけは運動神経の貧弱さからもたついていた。
「なーにやってんのや提督」
「うまく抜け出られないっ、うんっ、ふんっ」
成人女性の胸の高さほどある木箱から抜け出ることの出来ない小森提督に、加賀と金剛が手を差し伸べた。助けを得て抜け出た提督は小さく感謝を述べると、台車の整理を終えていた島崎が「お疲れさまでした」と近づいてくるのを見る。
「ここが地下施設、亡命者生活区域の倉庫です。広間へお連れします、亡命者が待っております」
ひとりの人間が使うには、この倉庫はあまりにも大きすぎる。テニスコートを横に2つ並べたくらいの床面積に、バスケットゴールを余裕をもって置けるだけの高さがある。「衣類」「食料」「新聞等メディア」「ブルーレイ」などの札が貼られた木箱がいくつか置いてあった。
艦娘らは興味深そうにあちこち眺めていたが、島崎が「ついてきてください」と先を行くと素直にあとに続いていく。
地下空間、それも深海棲艦陣営からの亡命者が住む区域というには、どこか明るい印象がある――小森提督はそんな印象を受けた。
廊下は病院のように白く清潔に保たれているが、天井に等間隔に埋め込まれている暖色系の照明が妙な穏やかさを演出している。普通の家のような雰囲気ではなく、豪邸や別荘を思わせる広々とした開放感さえある。地下空間という閉鎖的な場所なのに。
「すごいですね提督! ここなら美味しそうなご飯が食べられそうです。きっと亡命者さんはいいもの食べているに違いないですよ」
「そうだねえ。どっかのお金持ちが住んでいるとこみたいだね」
いろいろと興味深そうに視線を巡らせる赤城が自信満々の顔をしている。小森提督もそれに乗っかりながら、島崎が「こちらです」と案内するのを聞いた。
やや大きめの両開きの戸を押し開ける島崎。失礼します、と口にしながら艦娘たちが先に入っていく。
小森提督が見た広間は、やたらと落ち着くような雰囲気に満ちた空間だった。
60インチをゆうに越えるテレビ――お昼のバラエティ番組を映している――を中心に意識するように、ソファーやテーブルが配置されている。テーブルの上には小森提督らの分だけのコップが置かれていて、例外なくオレンジジュースが注がれている。小さなチョコレートが詰められた袋もある。
そんな広間のソファーに女性がひとり座っている。ルビーの色をした露出の少ない巫女服――かなり変わったファッションセンスだと小森提督は直感した。背は低めのようで、吹雪や龍驤よりもやや背が高いくらい。
ルビー色の女性は小森提督たちに気がつくと立ち上がり、元気よくお辞儀をしてから小森提督と目を合わせる。
「はじめまして! あなたが小森あきこさんね?」
「え? ええ、まあ」
「私が亡命者って呼ばれている人です。
「Oh、それなら私はDiamondですネー」
「でも君は金剛でしょう? ダイヤモンドちゃんってのは流石にねえ」
だったらルビーちゃんもどうかと思うデース、と金剛。紅玉は心底愉快そうに笑い返すと、小森提督らにソファーに座るように促した。
ソファーにくつろぐ提督と艦娘らは揃って紅玉を見る。島崎はもうどこかへ消えてしまったようで、来客たちの視線は亡命者に釘付けであった。
「そんな見つめられると照れちゃうな……」
「深海棲艦陣営の亡命者っていうから、てっきり奴らみたいな姿をしていると思っとったんやけどなあ。ホンマに人間なんか?」
「えーっと、龍驤ちゃんだっけ、そんな失礼なこと言われたら泣いちゃうよ。私はちゃんとした人間だよ、正真正銘の」
「ふーん……いや、悪いこといってしもうた、かんにんしてや」
「全然気にしてないから大丈夫だよ。もう慣れてるし」
あっけらかんと紅玉はそう返し、テーブルの上のオレンジジュースに手をつける。「みんなも飲んでいいよ」と促すと、遠慮がちに吹雪が最初に口をつけた。
「そういえば小森さん、この子たちに今回の目的って伝えてるの?」
「はい」
「えーっ。まあ極秘事項ではあったけど、この子たちに知られるくらいなら大丈夫かな」
「すみません。自分の勝手な判断でした」
「だから大丈夫だよ。私が思ってるだけだけど」
「……ルビーさん。あなたにお願いしたのは、特殊な深海棲艦から侵食を受けたシルバーホークとパイロットの妖精の回復です。条件として提示された、他のシルバーホークとパイロット、発艦担当の艦娘もつれてきています」
「赤い弓道着の赤城と、青い弓道着の加賀だよね」
「そうです。……シルバーホークの回復にはどのくらいかかりますか」
一週間。手短に紅玉は告げる。となると、オリジンとオールドの回復は9月の下旬も下旬か――小森提督は長くあけている自分の鎮守府のことが心配になった。
いまの鎮守府の提督代理は金剛の姉妹艦たちに任せている。彼女たちがなにかやらかすとは思えないし、定期的な連絡もよこしてくれているが、それでも心配なものは心配だ。
「シルバーホークと妖精を預けて帰るってのは大丈夫だよ。でも、ちょっとお願いがあるんだ」
「お願い?」
「小森さんて、鎮守府の皆にはなんと言ってここに来てるの?」
「大本営で重要な会議があると」
「ふむふむ……お願いっていうのはね、赤城と加賀にもここに残って欲しいってことなんだ。大事な戦力ってのはわかるけど、でも鎮守府近海の敵基地を陥落させたんでしょ? デカいクジラの巨大戦艦も倒して?」
だったら深海棲艦の脅威度は格段に少なくなっているはずだ――言外にそう伝えたいのを汲みとった小森提督は頷き返した。嘘は言っていない。
「おふたりさんはどう? 嫌なら嫌って言ってくれていいんだけど」
「理由もわからずに軟禁に付き合わされるのは御免だわ。納得の行く理由を提示してくれるのならいいけれど」
冷たい調子で加賀が紅玉を見つめる。睨みつけるようにも見える彼女の視線に、しかし紅玉は怯む素振りさえ見せない。
「わかった。でもその前に、オリジンとオールドって妖精を預けてくれる?」
「それならこれやで。オールドのおっさんや。で、こっちの式神がオリジンやな」
龍驤から妖精と式神を受け取った紅玉は、その瞬間に凍りついたように動かなくなった。驚愕しているかのように目を開き、そのまま死んでしまったかのように吐息が小さくなっている。
怪訝そうに龍驤がルビーの様子を見る。他の艦娘も、小森提督も、様子がおかしくなった紅玉の動向に目を見張った。
「……どないしたん?」
「これ、思っていたよりマズいかもしれない」
「マズい?」
「妖精は死にかけだし、機体も限界に近い。あと一時間遅れていれば妖精は復活不可能な状態になってるし、機体は勝手に動いて暴れまわって死体の山を築くだろうね」
「んなアホなことがあるかいな!」
「私だって考えたくなかったよ、あいつら、呪いの侵食にまで手を出してたのは知ってたけど、ここまで深く侵食できるようになっていたのか……でも大丈夫。私が責任をもって妖精も機体も回復させる」
「できるんやな?」
「できるよ。私に任せて、でも誰も入らないでね。フリじゃないよ」
紅玉はすっと立ち上がると別の部屋へつながるドアを開けて消えてしまった。
「特殊霊的技術者以外の立入禁止」と大きな札が貼ってあるので、だれも様子を見に行こうとしない。下手を打って取り返しのつかないことになれば誰も喜ばないからだ。
オールドが瀕死の状態であったことと、オリジンが深海棲艦の侵食を受けきりそうであったことに、小森提督も艦娘たちも衝撃を受けていた。
吹雪は小さく泣き出していて、隣に座る金剛が頭をぽんぽんと撫でるようにたたいている。赤城と加賀は信じられないといった様子で小森提督を見つめ、ため息混じりに頭を振って返される。
「……たのむでオールド。おじさんは強いのやろ、そんなわけのわからんもんに屈するなら、容赦なくしばいたるからな」