9月29日、午前7時。青海提督は基地にいる艦娘全員を食堂に集めた。朝の食事を手早くすませながら、自分の演説を簡潔に終わらせるためだ。
昨夜に拳三郎に足つぼマッサージを受けた瑞鳳は、心身ともに軽い気持ちを覚えながらサンドイッチを口にする。
薄いパンに挟まれたレタスとハムとマスタード。とてもシンプルなはずなのだが、なぜか元気が湧いてくる。セルフサービスの飲み物は、瑞鳳は牛乳。隣で同じものをたべる祥鳳は砂糖が少なめのコーヒーである。
ふたりの近くには鈴谷と熊野がいて、やはり同じものを食べている。食堂を取り仕切るのは拳三郎ただ一人で、彼には艦娘一人ひとりに違う食事を与えるだけの余裕はない。献立を考え、実際に行動し、食事を提供する。
朝早くに出撃していた艦娘にはおにぎりや、手作りのペースト状の携行食を与えていたはずだ。
そんな心配を胸に、瑞鳳は青海提督がなにかを話そうと咳払いするのを見る。まわりの扶桑型戦艦娘の
「皆に集まってもらったのは他でもない。この基地を陥落せんと襲い来る敵についてのことだ。これについて大本営からの情報があった。未明・早朝に出撃してもらった潜水艦娘、伊19と伊168には既に知らせている。……この基地は、敵に包囲されつつある」
提督の言葉にざわつかない艦娘はいなかった。瑞鳳はその言葉に衝撃を受け、姉の祥鳳も動揺を隠せないでいるのを認める。
そんな瑞鳳は、しかし、ひとりだけあまり動じていない鈴谷の背中を見た。昨日は楽観するように言っていたが、心のなかではとてつもなく重い覚悟をしていたのかもしれない。見た目や想像、印象以上に強い艦娘。それが鈴谷なのかもしれない。……瑞鳳は心が勇気づけられるのを覚えた。
「この基地を完全に守り通すのは難しい。よって、大本営はこの基地の破棄を前提にことを考えている。だがそれは我々の即時撤退を意味しない。我々はできるだけ多くの深海棲艦を倒しつつ、誰一人欠けることなく大本営への帰還を達成する」
「……具体的な作戦は、どのようなものなのでしょう?」
おそるおそる、といった様子で祥鳳が手を挙げる。青海提督は一枚の大きな紙を黒いバッグから取り出し、艦娘たちに示す。
それは敵の猛攻が始まってから、現状の戦力で基地の防衛をこなすための作戦が描かれた地図だった。いくつかの差異は認められたが、基本的な方針は同じだ。
地図には基地がある島と、その周囲の海域が示されている。西から北はなにに阻まれることのない大海が広がっているが、南から東にはいくつかの小島が点在している。基地のある島から東北の海には障害物になるものはないが、しかし、南の群島のおかげでルートを絞り込むことは可能であるように見える。
地図にある作戦はこうだ。西から北の大海には多くの敵が押し寄せる。これらを効率よく排除するためにブラックホールボンバーを用いる。そのためには祥鳳とこれの護衛の艦娘が必要である。
次に、群島が位置する南の海には睦月型駆逐艦娘のふたりを投入する。同時に潜水艦娘ふたりも出撃し、遮蔽物として島を活用しながら雷撃主体による迎撃を行う。
最後に、見通しの良い東の海には長距離攻撃が可能な扶桑型戦艦娘のふたりと瑞鳳が対応する。臨機応変に瑞鳳は航空戦力を東に南にと飛ばすことが求められている。
これまで以上に厳しい戦いになるのは誰もが想像できた。瑞鳳は押し黙り、しかし心のなかは戦意に燃えていた。
絶望こそあったが――大本営がこの基地を手放すということは、青海提督の将来の安定が約束されていないことを意味する――瑞鳳は苦々しい思いをしながら、それでも来る戦いに真っ向からぶつかる意志を固めている。その助けになったのは青海提督の姿だ。
これからの青海提督は、よくぞ最善を尽くしたと上の人間から讃えられることも、守られていた人々から謳われることもない。あるのは無知なバッシングと冷たい命令くらいだろう。そのことは青海提督だって分かっているはずだった。ヤケを起こして突飛で理知的ではない行動をしたっておかしくはない。
だが。青海提督は自分の将来が明るくないと分かっても腐らず、怒らず、冷静に艦娘らに言葉を向けている。不安に押しつぶされそうな瑞鳳にとって、そんな青海提督の姿勢はとてつもない支えになっている。
「――作戦は以上だ。南の海と東の海は、それぞれ伊19と伊168に偵察を任せている。北西の海も
淡々と要点だけを説明する青海提督。その言葉を真剣に聞く艦娘たち。
瑞鳳は提督の言葉を聞いているのが自分たちだけではないと分かった。料理人、拳三郎もまた、青海提督の言葉にしっかりと耳を傾けている。厨房で昼食の仕込みをしていたであろう拳三郎は、青海提督を見て涙していたのだ。
「即時対応が出来るよう、朝食を終え次第、装備を整え出撃。持ち場についたあとは警戒を怠らないこと。空母艦娘は索敵を第一に考えるよう行動すること。他、全ての艦娘に言えるが、絶対に無理をしないで欲しい。我々の最優先の目標はこの基地からの離脱だ。そうすることにおいてひとりも死なせたくはない。微風で吹き飛ぶ理想だが、一丸となってこれを目指していく」
「じゃあさ提督。どうやってこの基地から離脱しようってわけ?」
いつもの態度で鈴谷が声を上げる。否、鈴谷の声色はどこか不機嫌そうな調子があると瑞鳳は直感した。不機嫌というか、不安というか。快く思っていないらしいのは間違いないが、うまく言葉に出来ないことに瑞鳳はもどかしさを覚える。
「実は秘密にしていたが、シルバーホークの解析を進める中で亜空間跳躍装置を開発することができた。これに関しては我らが親しくし、頼りにしている妖精の助けが大きい」
「亜空間跳躍装置? それで大本営の近くまでワープできるってこと?」
「そういうことだ。入口と出口に1機ずつシルバーホークがいればいい」
「ってことは、たぶんフォーミュラが先に戦線離脱するってこと?」
「そうだ。……祥鳳、確かブラックホールボンバーのストックは残り3つだったね?」
話を振られた祥鳳はやや焦りを見せながらも、しっかりした態度で「はい」と返した。
その言葉に瑞鳳は、北西の海での継戦能力はかなり弱いと直感する。敵に大群で攻めるための残存兵力がどれだけあるかは分からないが、3回までしか大群に対応できないのはかなり苦しいはずだ。
「では、ブラックホールボンバーを使いきった時に撤退としよう。異存はあるかね?」
「文句じゃないけどいい? ケンちゃんはどうやって撤退させんの?」
「我々と一緒に高速艇で逃げる。この基地に着任する際に使っていた3隻の船だ、覚えているかね?」
「アレね。分かったよ。で、もうひとつ聞きたいんだけど。……上の人たちは増援を送るって言ってた?」
「ああ。時間はかかるが、明日にこの基地に着任予定の小森提督の部隊が増援に来る手筈だ。それまではこの防衛戦と撤退は我々だけで遂行しなくてはならない。いままで以上の協力と団結が必要だ。いいね?」
鈴谷は納得したように返事をし、他の艦娘も覚悟を固めたように提督を見つめている。
南西諸島基地を守る最後の戦い。その始まりが音を立てずに忍び寄っていた。
同日未明。執務室で眠りについていた小森提督は、机の上の電話が鳴り響いたのに目を覚ました。乱暴なベルの着信音。目をこすりながら受話器を取ると、少し懐かしい声が聞こえた。
深海棲艦側からの亡命者、紅玉。彼女はどこか真剣味を帯びた様子で小さく語りかける。彼女からの連絡は
「ゴメンね、こんな時間に。でも大事な話があるんだ。いまじゃないといけない」
「……紅玉さん?」
「今日は29日でしょう? 明日の30日に南西諸島の基地に着任するって予定だったけど、あれ、たぶんダメになる」
「え?」
「素直に信じてくれないかもしれないけど、それを伝えたくて」
「ごめんなさい、ちょっと待って。話がまったく見えてこないのですが」
「南西諸島基地にこれまでないほどの敵の大群が押し寄せるんだ。しかもベルサーの厄介な戦艦もついてくるはずだよ。あそこの基地には10人しか艦娘がいないもの、シルバーホークがいるからっていつまでも持ちこたえられるものではないよ」
小森提督は状況を少しずつ理解する。
明日の9月30日に着任する予定の南西諸島基地が窮地に追い込まれている。となればそれは、現地提督の青海提督と、部下の艦娘たちの命が危険に晒されていることを意味している。はっとした小森提督は、考えるよりも先に口を動かしていた。
「助けに行きます!」
「え?」
「南西諸島の提督と艦娘たちを助けに行くんです! 紅玉さん、あなたの教えてくれた情報は、いや、こうして教えてくれているのは、公式な活動なのですか? それとも、オールドやオリジンの回復のように非公式な?」
「公式な活動だよ。まず、私の独自の情報ルートで敵の大群が来ていることを知った。それを青海提督にサイレントラインで伝えたし、大本営の偉い人にだって知らせてる……まあ、信用ないのは分かるんだけどさ。この一件が終わったらその辺りについてのことも話すよ、約束する」
初対面の時はどちらかといえば友好的ではない、のらりくらりとした態度であったはずだ。それがいま、こうして一歩譲るような姿勢を見せている――小森提督はこの事態が真実であることを直感し、紅玉がウソの一欠片もついていないことを確信した。
「わかりました。それで、いまから大本営に向かえばいいのですね?」
「しなくていい。島崎雪美って覚えてる? 前に会ったと思うんだけど。あの子にヘリを飛ばしてもらってるから。あと一時間もすれば着くはずだよ」
紅玉は自分が増援を出すことを確信していたに違いない。小森提督はまるで自分のなにもかもが見透かされているような気分になったが、遠い基地の仲間を助ける意志を緩めてはいない。
「でも、小森提督。……これは大本営の人達に言わないから、ちゃんと答えてほしいことがあるんだ」
「はい?」
「なにか隠していることがあるのは分かってる。なにを隠しているかは知らない。でも、誰にも教えていないなにかがあるのは分かってる。……教えてもらえるかな」
「とぼけても無駄のようですね」
「グレートシングを倒して敵の本拠地を落としたあの島。あそこに君が隠しているものの正体までは分からない。でも、その気になればもっと調べることが出来る。……深海棲艦との戦いが終わった時、君は人類に死を突きつけるつもりかい?」
いいえ――小森提督は力強く答え、そして紅玉がなにに気付いてしまったのかを理解した。
出来れば隠し通したかったものだが、発覚しかかっているのなら素直に話すべきだろう。紅玉を完全に信用するのは難しいが、大本営の上層部に伝えないというのであれば、ここは話すしかないだろうと小森提督は思った。
「紅玉さんのいうように、隠し事はいくつかしています。ひとつは惑星ダライアスとの交信。これを通じての新装備開発と、最新鋭シルバーホークの派遣要請です」
「……そんなことしてたのかい」
「シルバーホークの解析を通じての新装備開発は、南西諸島基地の青海提督が行っていました。そのことは軍部の情報サイトで閲覧しましたが、それより前に秘密にしながら行っていたのです。ですが、それに着手するタイミングは、ダライアスとの交信が始まってからです」
「それで?」
少し長くなりますが、と小森提督は返す。構わないから話せということを紅玉は言い、小森提督は話すべき内容を軽くまとめた。なにから話せばよいか、すぐには分からなかった。
小森提督が敵本拠地の島で見つけたもの。それは、時空震で飛ばされる前のオリジンが持っていた「調査キット」だった。ちょっとしたコンテナを思わせるような大きさの、白色の正方形の機械は、その機能を失ってはいなかった。
ベルサーの改造を受けてはいたが、調査キットが内蔵していたボール型のロボットや、基本的な通信機能はまだ生きていた。小森提督は妖精――主に工廠で働いている――の協力を得て、通信機能を使ってダライアス宇宙軍技術班との連絡が取れるようになった。
そうして小森提督は、この調査キットが流れ着いた先が地球という惑星であることを伝え。同時にダライアスの年表において「太陽系にある地球という惑星はベルサーによって滅ぼされていること」を知った。
こうして、なにやら時間のズレが生じているらしいことを小森提督とダライアス軍は知り、小森提督のいる地球は便宜上「地球α」と命名された。
ベルサーが調査キットに残した過去ログを確認すると、時空震がベルサーの開発していた特殊な輸送システムであることが判明した。
亜空間関連技術を用いない輸送システム。時間をも超越する、恐るべき発明品――そんなものをベルサーが持てば、過去にあったダライアス軍や他の対立勢力との負け戦を「未来の最新鋭兵器」を持ち込んで結末を捻じ曲げるに違いない
惑星ダライアスの人類の英知をもってしても、過去改変による影響はどんなものになるか想像もつかない。いまある世界が改変されるのか、それともなにも影響がないのか。これを聞いた小森提督は、しかしベルサーがそうしているらしい痕跡がないことを聞き、不審に思った。
惑星ダライアスの陥落一歩手前までこぎつけたベルサーが、たった2機のシルバーホークバーストによって撤退させられたという話を、小森提督はしっかり覚えている。手始めにこの負け戦を「やりなおす」のかと思ったが、そうではないなら、ベルサーの目的とは一体なんだというのだろう?
小森提督と通信していたダライアス宇宙軍の人間はこんな仮説を立てていた。ダライアスをはじめとする敵対勢力との「やりなおし」を図るよりも優先すべき対象として、遥かに過去か未来にある地球αにななにかがある――
「地球αにはベルサーにとって重要ななにかがあり、それは深海棲艦と組んで人類を滅ぼすことで手に入れやすいらしい代物だ」という仮説を小森提督は信じることにした。普通の戦争とは次元の違う宇宙戦争の話だが、様々なコストや動機の問題をかえりみれば、そう言われたほうがまだ納得ができる。
この仮説通りにベルサーが動いているとすれば、早期に地球αにいるベルサーを掃討しなければならない。そのためには地球αで戦う人類と艦娘の努力をしなければならないが、これだけではどうしても足りない。
これらの事情を話した小森提督は、紅玉が長い沈黙をもってかみしめているのを認める。
「……つまり?」
「ダライアス宇宙軍の協力を受けながら新装備開発を秘密裏に行っていました。鹵獲したレジェンド、ネクスト、オリジンは、時空震の影響で内部データ、機体構成を完全解析することが出来なかったため、あの島で『調査キット』を発見するまでは新装備開発が出来なかったのです」
「……具体的には、なにを作ってたの?」
「艦娘用アーム発生装置、簡易亜空間ワープ装置、あとは――」
「他は? 他はなにを秘密にしてたの?」
「――ダライアス宇宙軍との交渉で、地球人類が深海棲艦とベルサーの巨大戦艦との戦いを繰り広げていることを伝えました。ダライアス宇宙軍は、地球にいるベルサー殲滅のために、最新鋭のシルバーホークを時空震を介して送り込むと伝えてくれました」
紅玉が息をのむのを小森提督は聞き逃さない。
小森提督も、最新鋭のシルバーホークがどんな性能を有しているものなのかは教えられていない。
部下の艦娘で、未だにシルバーホークを有していない鳳翔への密かな贈り物として用意しようとしていた。そのあたりの事情は伏せていたほうがいいだろうと小森提督は判断する。
「ちょっと待って。時空震ってのは自然現象じゃなかったんだっけ? なにがどこに飛ぶのか、よく分からないみたいな」
「ベルサーが『調査キット』に残した過去ログによれば、あれは特殊な輸送システムなのです。ものを送る先の時間・空間座標を設定し、時空震入口の座標も指定すれば、多少のズレはあっても輸送は理論上出来るとか……まだ不安な要素はあるので、ダライアスの宇宙戦艦を時空震で運ぶ、というのはまだ出来ないそうです。それに、侵食されたオリジンの例を聞いて、宇宙戦艦をも侵食されるわけにはいかない、と」
「……分かった。で、その新しいシルバーホークはいつ届くの?」
「来月の上旬です。今回の作戦には投入できません」
「そっか。それで小森さん。なんでこのことは大本営の人らに報告しなかったの? ヘタしたら重罪だよ、これ」
「……ダライアスの、地球外の文明がもたらす装備は、地球人類の叡智を遥かに超えています。先日に青海提督がアップロードした、ブラックホールボンバーなる超重力爆弾の映像を見ましたか? 私は軍部の情報サイトで観て……やはり、シルバーホークを地球に長居させてはいけない、と思ったのです」
「どうして?」
「現状、ベルサーと手を組む深海棲艦を倒すにはダライアス宇宙軍の力が必要です。直接的に敵を殲滅させるだけでなく、シルバーホークの解析から新装備を開発し、艦娘を強力にすることも出来る。きっと、世界の海から深海棲艦とベルサーは滅びるはずです。……その後の平和な世界に、地球人類に過ぎた力は、要らないと思います」
「なるほどね。ゴメンよ小森さん、あなたを相当低く評価していたみたいだ。ほら、コソコソ隠れてなんかやってるってのが分かっててさ、あんまり良い感じするわけないじゃん。でも、思い上がりとかがない態度で良かったよ。人類ってのは楽しい物があればすぐにそれで遊んじゃうからね。その結果、世界がどうなるかなんてロクに考えない奴もいるからさ」
過去に起きた数々の戦争。歴史の教科書に記された文章。語られ、記述され、伝えられた時代の風。時代の変遷は常に争いと流血を伴ってきた。
ある人間はロマンを感じるかもしれない。別の人間は汚点と感じるかもしれない。
小森提督はいま、世界を変えるのに十分すぎる力を持っている。多くの艦娘と、万能宇宙戦闘機が3機。これがあれば平和を取り戻した世界を支配することは、おそらくは夢ではない。
その誘惑を小森提督は歯牙にもかけていない――紅玉は秘密回線の向こうにいる人間を心から信頼することにした。そのためには自分が隠していることも伝えなければならないが、時期はいまではない。
「そんじゃ、いつでも出発できるように準備しておいて。んじゃね」
「紅玉さん!」
「え?」
「……私も、あなたを誤解していたようです。思っていた以上に、あなたは、信頼に値する方です」
「お褒めに預かり光栄、ってやつだね。それじゃ、またあとで」
ちーん。
古めかしい電話の音が響いて一拍。小森提督も受話器を置くと深呼吸。
「……さて、赤城ちゃんたちを起こしにいこうかな。あ、その前に着替えなきゃ……」
気合いをいれるために頬をピシャリと叩いて。寝癖を手ぐしでぐしゃぐしゃと直しながら、小森提督はいつも以上に早すぎる支度に急いでとりかかった。