小森は金剛をつれ、艦娘らが寝泊まりする寮を訪れていた。手にさげるバッグには金剛の戦績をまとめたデータが収められている。
「ここがあなたの部屋ね?」
二回のとある扉の前で止まる小森。方には「KONGO'S ROOM」と小さな看板がぶら下がっていて確認するまでもなかったが、金剛はゆっくり頷き返した。
スーツのポケットから鍵を取り出し、扉を開ける小森。金剛の部屋は「兵器」が住むところにしては印象にそぐわないもので、見るものが信じられないでいた。
薄いピンクの壁紙。質素なレースのついたカーテン。一人用の小さな白いテーブルには、こじんまりとしたティーセットすらある。
まるで年頃の少女のような部屋だ――金剛は驚きから動けずにいたが、金剛に背中を触れられたのをきっかけにハッとして前に進んだ。
「どうぞ座ってくださいネ……」
本当に死んでしまった人間が声を出すとしたらこんな声だろう。小森がそう思うほどに金剛の声は沈んでいる。
赤いクッションに腰掛け、小森はテーブルを挟んで金剛をじっと見る。稼働初期、つまり金剛がこの鎮守府にやって来た時は、こんなに暗く近寄りがたい雰囲気ではなかったように小森は覚えていた。
英国で生まれた帰国子女とは彼女の自己紹介だったろうか。一ヶ月半ほど前にこの鎮守府に着任した金剛は、巌提督と小森がいた執務室で、カタコトながらもちゃんとした言葉を元気よく発していたはずだ。
「それじゃ始めるよ。これがあなたのデータなんだけど――」
バッグから紙の資料を取り出す小森。まったく生気を感じさせない表情で金剛はテーブルに置かれた資料に目を向ける。
「――ここ。これがあなたの稼働初日に行った演習データよ。この日は第五演習をやったみたいね。覚えてる?」
「Yes……」
「指定されたルートを航行して、海中に埋めてたブイから出てくる標的を撃っていくっていう演習よ。いくつか撃ち漏らしはあったけど、活動をはじめたばかりの艦娘としてはかなりの好成績を残している」
高速戦艦の名に恥じない航行スピード、目視が十分に可能な位置にある標的に確実に命中させられていたことなどを伝えるが、金剛の表情はまったく変化はない。
「この初めての演習があったのは一ヶ月半も前のことよ。仮にこの演習での成績から算出できるあなたの戦闘力を1とするわね」
「……」
「あなたは演習を重ねるごとに戦闘力をどんどん伸ばしていってるの。このグラフを見て。1から1.2とか、1.4とか、伸びていってるでしょう」
「……そういうふうに見えるデス」
「でもここ、ここを見て。あなたの戦闘力はいまから一ヶ月前を境に急に落ち込んでいる。1.7まで伸びていた戦闘力はいきなり右肩下がりになっているの」
小森が提示するデータは折れ線グラフの形をしていた。
X軸は時間を、Y軸は戦闘力を示している。金剛の戦闘力を示す赤い折れ線グラフは「へ」の字のように刻まれている。
「四日前の演習から算出した戦闘力は0.2にまで落ち込んでいる。でも注目すべきはここよ。この一ヶ月前ってところ。ここから0.9まで下がっているの」
「……」
「ただの不調ならよくあることかもしれない。落ち込みの差はどうあれね。でもあなたの不調はとどまるところを知らなかった。どんどん戦闘力が下がってるの、わかる?」
「……Yes」
「きっかけは一ヶ月前よ。この時になにかあったはずなの。でないとあなたの戦闘力が急に落ち込んだ理由がわからないわ」
なるべく沈黙を守り俯いていた金剛は不意をつくように顔を上げる。どれだけ落ち込んでいて印象が悪いように見えても、元が美少女なのでそれなり以上に映えているように小森は直感した。
「いまから、一ヶ月前?」
「そう。一ヶ月前になにがあったの? 秘密にしたいことだったら誰にも言わない。……先に私の事情を話したほうが良いのかしら?」
「え? 事情?」
「私はあなたに、艦娘に、深海棲艦と戦って倒して欲しいと思っている。私は漁村の生まれで、両親がよく漁に出ていたの。わかるでしょ、奴らに殺されているのよ」
「……」
「だからね、私は奴らを憎んでいるの。できることならこの手でぶち殺してやりたいって思ってる。でも奴らはマトモじゃない。普通の武器がほとんど効いていない。まるで幽霊かなにかを相手にしているように。でも唯一の対抗手段がある。それがあなたなの、艦娘なの」
先程までとは違い、金剛は驚きをもって小森を見つめていた。それもそのはず、柔和そうな小森の顔つきが次第に険しくなっていったのである。小森というデータアナリストは本気で自分にぶつかろうとしている――そう金剛が悟るのには十分すぎた。
「だから私は艦娘が、あなたが、解体されて戦力にならなくなってしまうっていうのが嫌なの。でもそれを回避するにはあなたの協力が必要なのよ。……金剛。あなたは一ヶ月前になにをしたの? されたの? 教えてちょうだい」
「提督をお茶会に誘ったネ……」
「お茶会?」
「艦娘のみんなと仲良くしたくて、お互いに暇な時間があったら紅茶やお菓子で楽しくやろうって、そう思ってたノ。……みんなは喜んでくれていたけど、でも提督は怒鳴り散らして怒ったデス」
なんとなく想像はできた。あのカタブツに遊びに行こうだとか言えばきつく一蹴されるだろう。
金剛は巌提督と親睦を深めようとして誘ったに違いない。小森は内心で頷くと、そのまま金剛の話に耳を傾けた。
「提督は、そんな暇があるなら訓練でも艤装整備でもやったらどうだって。それからことあるごとに提督は私を怒鳴ってきたデス」
「正論といえば正論だけど……それで?」
「恥ずかしい話だけどネ、私、巌提督のことがとても怖くなったデス」
艦娘が提督を恐れる? なにをばかなことをと小森提督は訝しむ。お前たち艦娘の中身は人間じゃなくて、船魂とかいうある種の神様なのだろうが――
一年前に世界中の海に出没し、全人類を攻撃した謎の生命体。人型のもの、非人型のものが連携して世界中の海を蹂躙していった。
古典的な艦体行動のようなものをとり、いかなる兵器も効力を大幅に薄める特性から「深海棲艦」と呼ばれるようになった勢力を撃破できる唯一の兵器。それが艦娘だ。
「艦娘」を伝えたのは深海棲艦側から亡命してきた人物だった。強力な霊能力者である亡命者は「深海棲艦が霊的な存在である」と告げ、対抗するにはこちらも霊的な武器を用意しなければならないということを伝えた。
亡命者の技術を用いて、在りし日の軍艦の魂――すなわち船魂――を集め、船魂に適合できる女性に埋め込み、特別な措置を施した「艦娘用艤装」を備えさせ。そうして誕生したのが艦娘であった。
艦娘は人間ではない。中身は船の魂。神道の見地からすればある種の神様ですらあるはずなのに、たかが人間を恐れるものなのだろうか?
小森はそこに引っかかりを覚えながら、思い出して泣けてきたのか顔を赤くしている金剛から視線を外さない。
「なにかあると提督は『お前は戦艦の艦娘なのだからもっとしっかりしろ』とか、そう言って――」
「ちょっと待って。巌提督はあなたの、参加初期の明るいノリを嫌っていたってことかしら?」
「――たぶんそうだと思うデース。それに、提督に怒られはじめるようになってから、仲良くしていた艦娘たちとも距離があいたネ……」
金剛が言っていることが本当なら、それはある種の特別扱いである。炎が燃え上がっているところにわざわざ突っ込みにいくのは馬鹿か虫くらいのものだろう。
本来持っていた明るさを否定され、萎縮してしまい、本来の力が出せなくなってしまった。そう考えるのが自然な流れだが、小森はまだ半信半疑でいた。
艦娘は人間ではない。なのにまるで人間のような不調の起こし方をする。艦娘の中身は神様だ。神様っていうのはそんなに出来が悪いものなのか?
しかし執務室で見た金剛の背中はネガティブな雰囲気の人間と同じ雰囲気を持っていた。しかし、人間と神様がこんなところで同等のはずがない――
「でも、小森サン」
「え?」
「私が落ち込んでいたのは自分でも分かっていたヨ……そんな時に、なにも声をかけてくれなかったのは、どうしてナノ?」
「それは……」
データアナリストだからだ、とは答えられなかった。
自分は艦娘を指揮する立場になく、艦娘と接するのは演習や戦闘の記録をつける時くらいしかないからだ、とは答えられなかった。
まるで人間のように泣き言をいう神様を見た小森は悟った。人間と神様がこんなところで同等のはずがない? それはまったくの見当違いの考えじゃないか!
「っ、小森サン?」
「ごめん……ごめんね!」
心の叫びに体が追従していた。小森は金剛を真正面から柔らかく抱きしめていた。
突然のことに金剛は言葉を失い。しかし悪い気はしないのかはねのけることはなかった。
「私、あなたを……艦娘を、人間だと思っていなかったの!」
「え?」
「あなたたちの中身は神様のようなものだと思っていた。ううん、きっと神様なの。人間とは違う、だからどんな無茶でも耐えられるって勝手に思ってた! でもそうじゃないってようやくわかったの。艦娘も人間と変わらない。神様は人間と変わらない。同じように弱いところを持っているって」
「たぶんきっと、他の艦娘もそうだと思うネー」
金剛は小森を抱きしめ返す。
人の温かみを感じた小森は自分が泣きそうなのをこらえ、金剛の方に手をやってから顔を上げた。
「たぶんだけど、金剛ちゃんの不調を改善する方法がわかったかもしれない」
「Really?」
「一か月前に巌提督に怒鳴られて、それから落ち込んじゃっていたなら、元の明るさを取り戻せばいいんだよ」
「そうかもしれないけど……どうするつもりネー?」
「ん……すぐには思いつかないな、ごめんね。私も頑張って考えるけど、金剛ちゃんはいまの自分がしたいことを教えてくれる?」
そんなことを言われても、と言わんばかりに金剛はすこし首を傾げた。
彼女が艦娘として活動できるのは今日を入れて三日しかない。なのに自分のしたいことがどうのこうのと考える余裕はないだろう。そう踏んだ小森は金剛の目をじっと見た。
「いまはそんなことをしている場合じゃないって思ってる?」
「Yes……もっと、訓練とかしたほうが良いと思うデース」
「本気でそう思ってる? たぶん、調子を崩した金剛ちゃんは……船魂の部分で、そういうレベルで調子を崩していると思うの。一ヶ月も不調が続いているなら、そのあたりを疑ってみたほうが良いかもしれない」
「でも小森サンは霊能力者じゃないワ」
「そうなんだよね。でも、一ヶ月も金剛ちゃんはニートしてたわけじゃないし、それに任務にだって従事していた。訓練だってやっていたでしょ?」
「Yes。デモ、気持ちを切り替えて訓練すれば――」
「あまり意味が無いと思うな。それよりも、率直に言えば、遊んで暮らしたほうが良いと思う」
なにを言っているんだこいつ。金剛の驚きに開かれた両目は小森に叫びかけていた。だが小森の表情は真剣そのもの。ギャグや冗談をかますような人間のそれではない。
「私を信じてとは言わないし、こうした方がいいんじゃないかなっていう提案なんだ。だから金剛ちゃんが絶対に嫌だっていうなら他のやりかたも考えるよ」
ふざけたことを言っているように見えて小森は自分に真正面からぶつかってきている。そのことに
「……ううん、今日は一日遊んで見るネ。それで、明日はtrainingデース!」
「うんうん。それじゃ金剛ちゃんはなにしたい?」
「小森サンが良かったらここでお茶会したいネー。アッサムもダージリンも、他にもいろいろあるデス」
「それなら私、ダージリン! あの香りが好きなの」
「Okay! ならダージリンのアールグレイを淹れるネー!」
金剛は立ち上がって小さなキッチンへと歩いていく。その足取りが軽くなっていたことも、金剛の表情が和らいでいたのも、小森が見逃すことはなかった。