大国ラルマニオヌは代々、皇が武人の国である。
そのために、政(まつりごと)が得意な皇はいつの時代もいなかった。
しかし戦上手というのも皇の条件かもしれないが、国として存在していく上で政をこなすことのできる者がいなければいけない。
皇が血筋で決まるように、国内の政を一手に引き受ける宰相も、皇のように代々血筋で受け継がれる役職でもあった。
これはそんなラルマニオヌの宰相、ゴウケンの過去の話である。
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「……それにしても、お前はギリヤギナ族の癖に体が弱すぎるぞゴウケン。
奴隷であるシャクコポル族の方がまだ体力がある」
泥に塗れて汚れた少年と、少年を呆れたように見つめる今代の宰相である少年の父。
少年は名をゴウケンと言い、代々ここラルマニオヌ国で宰相を務めてきた一族の子だ。
一族はラルマニオヌの宰相を務める一族なだけあって、ギリヤギナ族ではあるものの、飛びぬけて優秀な頭脳を持つ者を出すことでこの国を支えてきた。
尤(もっと)も、そのためか身体的には虚弱な者が多いのだが。
ゴウケンの父も武の才こそ持たぬ、戦士としては凡庸な男だが、その頭の良さは他国にも知られるほどの男だ。
それでも少年ゴウケンよりは『強い』。それなりに剣も振れる。
それなのにゴウケンは一族の中でも輪をかけて生まれつき身体が弱く、剣を振れば重みでふらついてしまうほどに『弱い』存在だった。
宰相の一族は、政のみに専念するために武人として戦場に出ることこそ禁じられているものの、「ギリヤギナ族は最強の種族である」という『常識』があるため、嗜み程度には代々の宰相も行ってきていた。
それすらも出来ないゴウケンを呆れた目で見る父親も、それを止める者がいないこの状況も、この国では当たり前の光景なのだ。
「お前は次代の宰相となるべき男なのだ。
ギリヤギナ族として最低限の『強さ』も持たないお前が宰相になっては他の者に示しがつかんのだぞ!」
奴隷であるシャクコポル族は『弱い』ことがこの国では常識であり、そのシャクコポル族よりも弱いゴウケンは人として見られない。
身に纏う服も、元は上等な品だったのだろうが、長い間着替えていないので汚れが染みついて、みすぼらしくなっている。
ゴウケンの父は駄目な息子をそのままに、その場を去る。
きっと次代の宰相は一族の外戚から選ばなくてはならないかもしれない、などと考えているのだろう。
「……くそっ」
父親が去ったことを確認して、小さく吐き捨てるようにつぶやくゴウケン。
彼は努力をしていないわけではない。
むしろ人一倍努力をしているのだ。
誰よりも早くに起きて剣を振り、将来宰相にになるために学問も真面目にする。
弱い身体に自ら鞭打って、眠気も疲れも感じさせずに努力をする。
だが努力している姿を決して見せようとはしない。
ゴウケンの努力は、自分を愛してくれない父親を「自分が努力する姿を見せる」程度で感心させようと考えているわけではないのだから。
「いつかは僕が宰相になってこの国を変えてやる!
ギリヤギナ族だから『強い』とか、シャクコポル族だから『弱い』とか、そんなんじゃない。
本当の『強さ』ってのを僕が証明してやるんだ!!」
結果を出すことで認めさせたかった。
そんなゴウケン少年の幼き日の夢は無垢なものだったのだろう。
ゴウケンの求める結果は、『強さ』や『弱さ』を、差別する理由から無くしたいという子ども心に抱いた小さいながらも立派な夢だったのだろう。
そしてその小さな夢をただ一人応援してくれる人物もいた。
「ゴウケン様、その夢はご立派ですが、あまり大きな声え言わない方がいいですよ。
私のようなシャクコポル族はともかく、ギリヤギナ族の方に聞かれでもしたら大変なことになります」
ゴウケンよりも簡素な衣服を纏った若いシャクコポル族の女性。
手に持った水筒をゴウケンに手渡し、体に付いた泥を払う。
「そうだったねアイ。
いつか君を奴隷身分から解放してあげるためにも、僕はまだ目をつけられるわけにはいかないんだ」
ゴウケンがアイと呼ぶ女性は、ゴウケンが生まれた時に、父親が連れてきたシャクコポル族の奴隷だ。
ゴウケンが生まれた時から心の支えとなってくれていた女性。
そんな彼女を、奴隷と主人という関係ながらも、ゴウケンは心から信頼していた。
すべては彼女のような奴隷身分にいるシャクコポル族を助けるため。
ゴウケンが己を鍛えることに妥協をしないのには、そういった理由もあったのだ。
アイのために強くなる。この国を変えてみせる。
そんな青臭い理想を掲げながらも、照れることなく語っていた当時のゴウケン少年の言葉は本心であり、彼の理想であった。
そうして目標を持つゴウケンは誰よりも勉学に励み、剣の努力も続け、才能はないながらも少しずつその実力を評価されるようになっていった。
それから数年が経ち、ゴウケンが宰相の役職を父から受け継ぐ日も近づいてきていた。
ラルマニオヌに住む全ての民を幸せにしたい。
ギリヤギナ族とシャクコポル族、どちらも関係なく幸せに生きてほしい。
そんな期待を持っていたゴウケンの夢は叶うことなく、その理想を大きく抉るような事件が起きたのだ。
「……なんで?」
その日、ゴウケンは父に呼ばれて部屋に向かっていた。
ゴウケンの父は少し前から病のために、そう長く無いと医者に言われており、自分で立ち上がる体力がある内にゴウケンに家督を正式に譲り渡すためだろうと思っていた。
それゆえに、すでに青年となっていたゴウケンはまだ先だと思い、考えもしていなかったのだ。
あまりにも突然すぎる父の死を。
「ゴウケン様、もう来られたのですか。
できれば貴方のお父上の死体をもっと無残に切り分けてから見せつけようと思っていたのですがね」
剣を手に持ち、その身を血で染めるのはゴウケンの側仕えであったアイであった。
「何でアイが父上を?
もしかして父が君に何かしたのかい?」
その血で濡れた恐ろしげな姿とは裏腹に、仮面のように整った笑顔を見せるアイ。
「その質問には『はい』と答えるべきでしょうね。
私は貴方を騙していました。
全ては貴方のお父上を殺すため、私の両親の復讐をするため」
彼女は語る。
自分の生い立ちを。
シャクコポル族の彼女の両親はゴウケンの父によって殺され、そのまま奴隷としてゴウケンの家に連れられてからはずっと復讐の機会を窺っていた。
一番の復讐は自分の恨みを絶やさないこと。
そのために宰相の息子であるゴウケンを自分と同じ目に合わせようと計画していた。
「……アイの恨みは、僕が宰相になってシャクコポル族とギリヤギナ族の共存の未来を作るという約束、それを一緒に作っていくことよりも大きかったのかい?」
「ええ、所詮は奴隷と主人。
シャクコポルとギリヤギナの両種族が共存だなんて、出来るはずがないじゃないですか。
私の目的は恨みを残すこと。
自分の意思で、貴方のお父上を殺したのですから何の後悔もありませんし、これ以上生きるつもりもありません」
そう言ってアイは自らの喉に剣を突き立てた。
止める間もなくあっけなく死んだ。
最後に何かを言っていたようだがゴウケンは聞き取れなかった。
それでも彼女が何を言ったのかは分かった。
「さようなら」と。
「ギリヤギナとシャクコポル……この二種族の共存は出来ないのだろうか……」
その後やってきた別の使用人に、アイによって父が殺されたことを説明したゴウケンはその日の内に次の宰相となることが決まった。
奴隷であるシャクコポル族に殺されたというのがギリヤギナ族にとって恥ということもあり、ゴウケンの父は病の悪化によって死んだと表向けは説明されたのだ。
ゴウケンも実際に父の死と信用する友の言葉がなければそれを信じていれたのだろうが、ゴウケンは一番間近で見しまった。
復讐のみを糧に生きてきた自分の友のあっけない最後を。
「はは……、結局は僕の夢なんて誰からも信じられない夢物語でしかないんだな」
自室にて両種族の在り方について考えていたゴウケンはその日から大きく変わった。
父が死んで宰相の仕事を引き継ぐこととなってからは、これまで以上に学問に打ち込み、才はなくとも剣の稽古にも熱を入れた。
そしてカルラの父であるラルマニオヌ皇を支えることで宰相としての実績を確立していた。
考え方を大きく変えながらも。
すべては争いをなくすために。
シャクコポル族が滅びてしまえばこんな辛い思いはしなくても済むという考えに変わっていた。
友であったアイの恨みは確実にゴウケンの中にゴウケン自身の恨みとして根付いていた。
しかしそれから何年も時が流れ、一人のシャクコポル族の少年と、その少年に手を差し伸べたギリヤギナ族の皇女によって考えが揺らいだ。
「共に手を取り合う未来のために」
二人の姿にかつての自分を思い出す。
誰もが幸せで誰もが笑い合い、誰もが愛し合う者と共にいられる理想の国。
そんな理想を思い出す。
だからだろうか……、シャクコポル族を根絶やしにするという究極的な方法で国を平定させようとしていたゴウケンだが、共存というかつての自分が諦めた未来を真剣に追い求める二人の若者に期待していた。
身分も種族も超えた二人の関係が、かつて自分が目指していた理想と同じだったから。
そうして最後まで二人と志を同じくしながらも、それを認めず敵として死を選んだ男、ゴウケン。
彼はラルマニオヌ国にとって、一番最初に共存の未来を選び、その夢に破れながらも誰よりも夢を捨てきれない男だったのだ。
心の変化が上手く書けていればよいのですが、その辺はいつか別の作品にでも活かせればと思います。
とりあえず次話が最終話ですね。
いろいろありましたがあと一話、お付き合いください。