数十分後
場所 文月総合病院手術室前
手術室前の廊下のソファに、謙信は一人で座っていた。
途中までは高橋女史も居たが、仕事も残っているために学校に戻った。
謙信は明久が手術室に入ってから、一瞬たりとも動かず、ソファに座っていた。
謙信の制服には明久の血が残っていて、悲惨な事になっていた。
どれくらい座っていただろうか、明久の無事を祈りながら座っていたら、廊下の向こうから、数人の走る音が謙信の耳に入った。
視線を向けると、そこには信玄達が走っていた。
信玄達は謙信の前に止まると、心配そうな様子で
「明久は?」
「大丈夫なのか?」
と、謙信に問い掛けた。
問い掛けられた謙信は、〈手術中〉と灯っているランプを見上げながら
「まだなんとも……」
と呟いた。
謙信の視線を追って、全員が手術室のランプを見上げたその時、手術室のランプが暗くなった。
全員がそれに気づくと同時に扉が開き、中から数人の看護士と医者。そして、ストレッチャーに乗った明久が出てきた。
すると謙信は素早く立ち上がって、医者に駆け寄り
「先生、明久の容体は?」
と、心配そうに問い掛けた。
問い掛けられた医者は、笑みを浮かべて
「安心してください。命に別状はありません。ただし、出血が多かったので、数日は絶対安静が必要ですが」
と断言した。
医者の言葉を聞いて、全員安堵した。
すると、医者は周囲を見回してから
「ご家族の方は?」
と、謙信に問い掛けた。
「こちらに向かってる途中のはずです」
病院に来る際に謙信は、吉井家に連絡を入れていた。
明久の実家は、少し離れた所にあるために、急いでも一時間以上は掛かるのだ。
「そうですか……では、入院手続きはご家族が来た時にするとして、彼は先に個室に移送しましょう」
「個室ですか?」
集団部屋だと予想していた謙信は、個室と聞いて首を傾げた。
「はい。文月学園学園長から指定されました。既に個室代金も頂いております」
どうやら、学園長の手引きだったらしい。
まさか、個室の手配までしてくれるとは思わなかった謙信は、内心で学園長に感謝した。
移動し始めた明久の後を、謙信達は一緒に移動した。
明久が移送された個室はかなり広く、全員が入っても余裕があった。
途中で木下姉弟も来て、明久のベッドの周囲を全員で囲む形になっていた。
明久はまだ眠り続けており、手術の際に眼帯は外されて、左目の傷痕が痛々しい。
謙信はベッドの隣に置かれてるイスに腰掛けて、明久の顔を優しく撫でている。
謙信が撫でていると、なにか決心した様子で雄二が口を開いた。
「上杉、今回の試合で明久が使ったあの技はなんだ? 上杉は知ってるみたいだったが……」
問い掛けられた謙信は、苦い表情を浮かべて
「ええ……知っています……」
ポツリと呟いた。
その表情は悲しみに満ちており、雄二は一瞬躊躇ったが
「知ってるなら教えてくれ……あの技はなんなんだ?」
と、促した。
促された謙信は一回大きく深呼吸すると、体を雄二達に向けた。
「……あの技は……吉井流剣術裏奥義……
「絶牙……?」
雄二がオウム返しに言うと、謙信は無言で頷いた。
「吉井流剣術は守ることを重きに置いた流派で、その技のほとんども守る剣です……聞いた話では、火縄銃の弾すら弾いたとか……」
謙信の説明を雄二達は、黙って聞いていた。
それは、これから核心に触れると分かったからだ。
「その吉井流剣術の中で、禁忌とされた技が……絶牙なんです」
「絶牙が……禁忌の技……?」
優子が問い掛けると、謙信は天井を見上げて
「絶牙は吉井流剣術の中で唯一の殺しの技なんです……そして明久は、三年前にある男を……絶牙で殺しました……」
その事実を聞いた優子と秀吉は目を見開くが、信玄達や颯馬。そして、雄二と翔子の二人は驚いていなかった。
「雄二達は知っておったのか……?」
秀吉が問い掛けると、雄二は頷き
「ああ……二年前に話は聞いたからな……」
「……吉井のおかげで、今の私達になった……」
雄二に続いて翔子が言うと、謙信は頷いて
「はい。そのことは明久から聞いてます……」
と、呟いた。
その後謙信は目を瞑り、数秒間沈黙すると
「三年前になにがあったのか……それを話します……」
と告げた。
「いいのか? 楽な話じゃないだろ?」
雄二が聞くと、謙信は頷いて
「そうですね……この話を聞いて、明久をどう思うかは、私にはわかりません。ですが、知ってほしいんです……明久が友と言ったあなた達には……」
と言った。
そして謙信は語り出した、三年前の事件を……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今日も暑いね……」
「そうですね……」
明久の呟きに謙信は頷いた。
明久と謙信が居るのは、吉井家の庭にある道場の縁側である。
そんな二人を、真夏の太陽がギラギラと照りつけている。
明久は胴着の胸元を開けて、パタパタと手で仰いでいて、謙信は足を水の入った金ダライに浸している。
「何時からだっけ、他流試合……」
「確か、午後二時からの予定です……」
明久からの問い掛けに謙信が答えると、明久は視線を動かして時計を見た。
「後三十分くらいだね……」
「では、片付けましょうか……」
明久の言葉を聞くと、謙信は足を金ダライから出して、水を撒いた。
そして、足の水を布で拭いてから立ち上がり
「明久もそろそろ、気持ちを引き締めてください」
と促した。
謙信の言葉に明久は頷いて
「そうだね……先方に失礼しないようにしなきゃ」
と言ってから、胴着を着直して立ち上がった。
そして二人はトイレを済ませて、道場で正座して精神統一していた。
すると
「明久ー! 北郷一刀流の方々が来たわよー!」
と、母親の声が聞こえた。
その声に二人が目を開くと同時に、道場の扉が開き、母親を先頭に七人の男性が入ってきた。
すると、男性陣の中でも一番年上と思われる白髪の男性が明久と謙信に近づき
「はじめまして、君が剣聖だね? 儂は北郷一刀流師範の
好々爺然とした様子で、手を差し出した。
明久も手を出して握手しながら
「いえいえ、こちらこそ。あなたの事は聞き及んでおります。お会いできて光栄です」
と言いながら、ペコペコと頭を下げた。
「君ほどではないよ。その年齢で吉井流剣術を免許皆伝して、剣聖の名を得た君にはな」
そんな明久の様子に、宗暁は目元を弛ませながらそう言った。
そして明久との握手が終わると、宗暁は謙信にも手を差し出して
「そして君が、軍神の名を持つ上杉謙信だね? はじめまして」
と挨拶した。
それに対して謙信は、宗暁の手に自身の手を合わせて
「こちらこそ、はじめまして。今日はあなた達と試合出来ることを光栄に思います」
と挨拶した。
吉井家で行われているこの他流試合は、相手の六人と明久と謙信。そして、吉井流剣術の弟子四人を混ぜた六人で行われる予定だった。
いわゆる、剣道で言う集団戦形式であり、先に大将が倒された方の負けというものだ。
もちろん、明久達の方は明久が大将である。
三人が挨拶し終わり、試合の事を話そうとした。
その時だった。
突如、宗暁の横に二十代後半と思われる男が現れて、謙信の顎に手を当てて顔を上に向かせて顔を覗き込んだ。
「へえ……かなりのモンじゃねぇか」
謙信の顔を覗き込んだ男は、口笛を吹きながらそう言った。
すると、宗暁が目くじらを立てて
「高岡! お前はなにをやっとるか!!」
と、高岡を怒鳴りつけた。
「うるせぇなぁ……少しくらい、いいじゃねえかよ」
高岡は文句を言うと、謙信の顎から手を離した。
高岡が離れると、明久は眉根を寄せて
「なんなんですか、あの男は?」
と、宗暁に問い掛けた。
問い掛けられた宗暁は渋面を浮かべて
「あいつは道場では師範代を勤めてる奴で、名前は
と、うなだれた様子で言った。
それを聞いた明久が高岡を見ると、竹刀袋から木刀を取り出していた。
高岡は取り出した木刀を明久に向けて
「おい! そこのガキ!」
と、大声を張り上げた。
明久は片眉を上げて
「僕のことですか?」
と、高岡に問い掛けた。
「そうだ、テメェだ! テメェ、俺を差し置いて剣聖の称号を得るなんざ許さねーよ!」
その言葉を聞いて、明久はため息を吐いた。
明久が剣聖の称号を得てから、度々そういった言葉と同時に挑戦者が来たからだ。
だから明久としては、ああ……またか。程度だった。
だが、宗暁としては問題だったらしく
「高岡! 貴様はいい加減にせんか!」
「うるせぇ! そしてガキ! テメェを倒したら、その女は俺のモンにするぜ!」
宗暁の注意を突っぱねて、高岡はそう宣言した。
その宣言を聞いた明久は、高岡を睨んだ。
「なに……?」
「テメェに、その女はもったいねぇ! 俺みたいな男にこそ、いい女は許される!」
その言葉を聞いた瞬間、明久は怒った。
謙信を物扱いした高岡を、明久は許せなかった。
「高岡! 貴様は、言っていいことと悪いことの区別すらつかないのか!?」
「うるせぇっ! 俺に指図すんじゃねぇ!!」
宗暁が高岡の胸元を掴みながら怒鳴ると、高岡は宗暁を突き飛ばした。
突き飛ばされた宗暁は倒れそうになったが、それを明久が支えた。
「大丈夫ですか? 宗暁さん?」
「ありがとうな、明久くん」
宗暁が無事なのを確認した明久は、高岡を睨んで
「高岡さん。あなたの望み通り、戦ってあげましょう」
と告げた。
それを聞いた高岡は、嬉しそうに
「はっ! そうこなきゃなぁ……!」
と言った。
すると、謙信が明久の隣に寄って
「ただし、戦うのは私と明久の二人対あなた達六人です」
と宣言した。
それを聞いた高岡は、片眉を上げて二人を睨んだ。
「あんだと? どういうつもりだ……」
「どうもこうも、あなた達の相手は僕達二人で充分だと言ってるんです」
高岡の問い掛けに明久が答えると、高岡達の顔は怒りで赤くなった。
「このガキが……ナメてんじゃねぇぞ!?」
「ナメてるかどうかは、あなた達で考えてください」
高岡が怒鳴るが、謙信が何食わぬ顔で返すと
「このアマぁ……」
と、謙信を睨んだ。
まさしく、一触即発。
その状況を道場の壁に背中を預けて見ていた明久の母、明恵は額に手を当てた。
「あーぁ……あいつ、明久と謙信ちゃんを怒らせちゃった……」
と呆れた様子で、呟いた。
すると、明恵に宗暁が近づき
「此度は本当にすまぬ……」
と、頭を下げた。
「いえいえ、宗暁さんに罪はないですよ。悪いのは、あの男」
と明恵は、やんわりと微笑んだ。
その間に、明久達の準備が終わった。
その時、ドアが再び開き四人の少年少女が入ってきた。
「どうも……」
「こんにちは……」
「何事だ、ありゃ」
「確か、集団戦形式だったはず……」
上から順に、信玄、幸村、信繁、颯馬だった。
「あら、いらっしゃい。まあ、相手のリーダー格が明久と謙信ちゃんを挑発したのよ」
四人に気づいた明恵が説明すると、四人は納得したように頷いた。
「相手もバカだな」
「ですね。明久達の実力に気づかないとは」
信繁の言葉に信玄が頷くと、戦いは始まった。
明久達の戦いは一分と掛からなかった。
明久は五人の弟子に対して、ほぼ同時に突きを放って一撃で倒し、謙信は高岡を二撃で倒した。
それはまさしく、圧倒的の一言だった。
そして、倒れてる高岡に対して謙信が
「大したことなかったですね……」
と言って、振り返った後だった。
高岡が立ち上がり
「このアマがあああぁぁ! ナメんじゃねぇぇぇ!」
と、木刀に偽装していた刀を抜いた。
高岡の持っていた木刀は、柄の部分が白い布のような物が巻かれていた。
この行為自体は、大して珍しくない。
木刀というのは、意外と滑りやすい。
そのために、振った時にスッポ抜けないように布を巻くのは多い。
明久と謙信も、最初はそれだと思っていた。
だが高岡の場合は、鞘のつなぎ目を隠すためだったのだ。
まさか真剣とは思わず、謙信は固まった。
そんな謙信の前に明久が滑りこみ、反射的に木刀を構えて、刀を受け止めようとした。
だが、木刀で真剣を受け止められるわけがなく、木刀は斬られ、切っ先で明久の左目が斬られた。
その痛みに明久の動きが止まると、明久の胸ぐらを高岡が掴み
「テメェのせいで、そのアマを斬れなかったじゃねえかぁ!」
と、明久を投げ飛ばした。
投げられた明久は壁にぶつかり、床に落ちてむせ込んだ。
あまりの出来事に、ほぼ全員が固まっていた。
その間に、高岡は倒れてる明久に向かいズシズシと歩いた。
その高岡と明久の間に、宗暁が立ちふさがって
「高岡! 貴様は何をやってるのか、わかっておるのか!!」
と怒鳴った。
すると高岡は、刀を肩に担いで
「いちいち、邪魔すんじゃねぇ!!」
と、柄尻で宗暁の側頭部を強打した。
その一撃で宗暁は倒れ、高岡は明久に向けて刀を振り下ろした。
「ぐっ!」
明久は側転するように避けたが、高岡は刀を横に振った。
その一撃は避けきれず、明久の右肩を浅く斬った。
「ほれほれ、もっと頑張らないと、斬り殺しちまうぞ!!」
高岡の瞳には狂気が宿っており、完全に暴力に酔っていた。
そして明久が肩の傷を押さえていると、高岡は明久を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた明久は、道場正面の御守り刀の近くに倒れた。
するとその衝撃で、御守り刀の台座が倒れて、明久の前に御守り刀が転がった。
明久の視界に御守り刀が入った瞬間、高岡は駆け出して
「これで死ねやぁぁぁ!!」
と明久に向けて、刀を全力で振り下ろした。
明久はその一撃を、鞘に入ったままの御守り刀で受け止めた。
その直後、甲高い金属音が響き、高岡の一撃は御守り刀によって止められていた。
「テメェ……」
と高岡が呟いていると、御守り刀の鞘にヒビが入り、鞘が砕けた。
その中から現れたのは、一目で名刀とわかる一本の真剣だった。
「お……オオオォォォ!」
明久は雄叫びを上げると同時に全身の力を使い、高岡を押し飛ばした。
「チッ……まあいい。どうせ、殺すタイミングが変わっただけだ……」
高岡は舌打ちすると、舌なめずりして、刀を構えた。
その間に明久は立ち上がり、構えた。
その構えを見た明恵は、驚愕で目を見開いた。
「そんな! なんで明久があの技を知ってるの!?」
「どういう……ことですか?」
明恵に支えられていた謙信は、明恵に問い掛けた。
すると明恵は、苦虫を噛み潰したような顔をして
「あの技は……吉井流剣術の禁忌……絶牙……」
「絶牙……?」
明恵が言った技名を謙信が復唱すると、明恵は頷いた。
「まだ明久には教えてない技なのに……なんで……」
明恵は明久を見ながら、そう呟いた。
吉井流剣術裏奥義、絶牙
この技は本来、免許皆伝して尚且つ、頭目に就任しないと教えられないのだ。
それなのに、明久はその構えを取った。
それは、明久に流れる吉井流剣術という血が可能にしているのかもしれない。
確かに、明久は知らなかった。
それなのに、
その時
「これで……終わりだぁぁぁぁ!!」
と高岡は雄叫びを上げながら、明久に向けて突撃しながら刀を振り上げた。
そして、お互いの間合いに入った瞬間。
「ぜりゃああぁぁぁ!!」
「吉井流剣術裏奥義……絶牙!」
お互いの技が炸裂した。
高岡の刀は弾かれて空中をクルクルと回り、少し離れた床に刺さった。
そして、明久の放った技は……
「が……ガヒュ……」
高岡の喉を切り裂いていた……
切り裂かれた喉から、血が噴水のように吹き出して、あっという間に高岡と明久を血に染めた。
数秒後、高岡は背中から床に音を立てながら倒れた。
それを見た明久は、自分の視界が真っ赤に染まった中、自分の手にある刀を見て気づいた。
「僕が……僕が……殺した……?」
そう呟いた直後、明久の手から刀が床に落ちた。
そして、明久は膝を突き顔を手で覆って
「あ、ああ……アアアアァァァァ!!」
と、叫び声を上げた……