義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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関羽

「張并州牧、拝謁叶い光栄です」

 

「そないに格式張っとらんでええって。五年ぶりの兄妹の再会なんやろ?」

 

「お心遣いいただき、有り難く思います。しかしながら私も漢に仕える者。まずは己よりも上の位に居るお方に礼儀を尽くしてから私情に入るべきだと存じます」

 

すぐさま馬から降り、拝手しながら凛々しい佇まいで述べるその姿は、右斜め後ろにいる関籍に似ていた。

 

チラリと張遼が視線をやれば、何やら頷く関籍の姿。

どうやら彼は、妹の態度にご満悦らしかった。

 

「いや、ウチは気にせんて。積もる話もあるやろうし、二人で―――」

 

「恐れながら申し上げます」

 

「……何や、籍やん」

 

三歩ほど駒を進め、下馬して拝手。

礼儀にうるさい諫言役の諫言を言う時の姿勢に、張遼は思わず背筋が伸びる。

 

「そもそも礼と申すものは人が守るべき―――」

 

長くなる。そう判断した張遼は、一瞬で意識を宙に飛ばした。

 

最初の頃はコツが掴めずに全てを聞いていたが、十回を越えたあたりからうまく飛ばせるようになったのである。

 

「即ち」

 

経った時間はわからないが、総括に入った。

ここさえ聞いていれば意識を飛ばしていることが気づかれない、と長年(三年)の経験で悟っていた張遼は、意識を素早く覚醒させた。

 

「上が礼は要らぬと言おうとも礼を崩さぬのが下の真の礼なのでございます」

 

「よーくわかった。よーくわかった。ほな、さっさと済まして水入らずに話しーや」

 

「はっ」

 

それから張遼の目の前で関兄妹の礼合戦が始まったのは、言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文遠殿」

 

「…………何や、籍やん」

 

礼の応酬に晒されて疲労の極にあった身体を起こし、答える。

 

張遼は一気に涼州の董卓に合流した疲れと慣れない礼合戦の所為で、いつになく疲れていた。

 

「どうですか、我が妹は」

 

「……イジりたい真面目さやな。かわええし、凛々しいし、かわええし。

武人としても一流みたいやし、戦力として頼れるなーて、思うわ」

 

「そうでしょう」

 

少し笑い、誇らしげに答えるその顔を見た張遼の心に、ドロドロとした感情が生まれた。

所謂、嫉妬という奴である。

 

(何や、デレデレデレデレしくさって、あまつさえはウチに見したことないくらい明確に笑うとか、妹大好きなんか、こいつ)

 

未だ知らない未知の感情を持て余している張遼がカリカリと机の裏を掻き、そんな感情に気づかないままに関籍はひたすらベラベラと妹の成長を喜ぶ感情を喋りだした。

 

いつになく、にこやかな顔をしながら。

 

(無性に今のこいつの顔見とるとムカつくわ……)

 

元々、修羅の州・并州に生きている時点で女は捨てていた。儒教的には子孫を残さなければ不味いが、今生きることに精一杯だった彼女の頭には儒教すらなかったのである。

 

壇石塊の死後は多少なりとも服装に気を配るようになったが、別に誰を意識したわけでもない、はずだった。

 

「おい関籍」

 

「はっ」

 

イライラが頂点に達し、関籍の顔目掛けて竹簡を投げつける。

張并州牧は速やかに涼州反乱軍駆逐の先鋒となるように書かれた、朝廷からの勅令であった。

 

「……なるほど、わかり申した」

 

何の苦もなく手で掴み、畏まって一読した後にこちらに丁重に返し、幕舎を去っていく関籍の背中を無言で見送り、こぼす。

 

「……好きなんやろか」

 

好きなのかと聞かれれば、好きだろう。清廉で、不器用で口煩いが誠実。

 

今時あんなに頼れる男も珍しかった。

 

「戦友として好きなんと、女として好きなんは何が違うんやろか……」

 

端から見ればただの恋する乙女だが、人は自分の置かれた状況は客観視できるが、自身の客観視はできないものである。

 

それに気づくことなく、悶々とした夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我らはこれより涼州反乱鎮圧軍の先鋒として敵陣に夜襲をかける」

 

風の冷たい夜に、月光を反射した暗い煌めきが闇に輝く。

十数里先には、敵である西涼の反乱軍が布陣していた。

 

「張并州牧の密命だ。一気に蹴散らし、本隊到着までの三日で何としてもあの陣の先の城を獲る」

 

「兄上」

 

闇でも月光を受ければつややかに光る黒髪を揺らし、白馬に乗った一騎の武者が関籍の前へと出る。

 

「羽か」

 

「此度の戦、誰を狙うべきでしょうか?」

 

夜襲の狙いを見事に推察した関羽の慧眼に、思わず笑みがこぼれた。

 

(寝台で震えていた妹が、何とも頼もしくなったものよ)

 

幼い頃から厳しく躾け、武芸と礼を仕込んできた関籍にとって、この関羽の成長は無上の喜びだったのである。

 

「……兄上?」

 

「いや、あの怯えていた羽が今やすっかり頼もしくなったものよと、な」

 

恥ずかしげにサッと頬を血を昇らせる関羽を優しげに見た後、関籍は軍人のそれへと瞳を変え、言った。

 

「韓遂だ」

 

韓遂。反乱の首謀者であり、才知に長けた謀将である。

この者を討たなければ涼州に平穏はないし、これからの戦運びも難しい物になると関籍は半ば本能的に悟っていた。

 

「はっ」

 

拝手。頼もしきその姿を見、関籍は己も張遼の居る方へと拝手する。

 

(文遠殿、下された密命は命に代えても果たす所存でござる)

 

馬に乗り、一気に駆け出した。

ともすれば単騎となる駆け方に関羽が役割を弁えた猟犬の如く隣に追従し、黒騎兵が無声で続く。

 

無声音突撃。大声による威嚇ではなく、確実に殺すという覚悟を以って、関籍率いる黒騎兵は速やかに。

されど凄まじい衝撃で陣を圧しながら突撃した。

 

触れ、砕け、壊乱する。

 

頼みの火は騎射で落とされた挙句、土埃で消された敵味方わからぬ闇夜。

恐怖に怯えた西涼の兵は至るところで同士討ちを始めていた。

 

韓遂。

 

韓の牙門旗は、視認できる。

しかし、謀将である韓遂が見え見えのところで未だうろうろしているとは思えなかった。

 

目を凝らし、見つめる。

 

韓遂の似顔絵は西涼についてすぐに付近の住民から募って描き終えた。

 

あとは、見つけるのみ。

 

数瞬にも、数刻にも感じる視界による捜索の後、見つけた。

 

―――捉えた。

 

関籍の第六感が、囁く。

奴は間違いなく韓遂であると。

 

「羽!」

 

偃月刀で指された人物へ獲物を見つけた猟犬の如く、関羽は満月の如く引き絞られた弓から放たれた一本の矢の如く、敵を切り裂き突き進む。

 

あっという間に肉迫し、偃月刀が月夜に振りかぶられた。

 

「――――ッ!」

 

無言無音の一撃が韓遂の肩から下腹までをななめに斬り落とす。

 

ズシャッ、という何かが崩れ落ちるような不快な音ともに、韓遂はあっさりと絶命した。

 

「敵将韓遂、関雲長が討ち取った!」

 

その凛々しき叫びに、涼州兵は更に混乱の極地に達する。

 

夜が白む頃には、陣の中に居る涼州兵は一人もいなかった。

 

こうして彼らがせっせと築いた堅固な陣は、関籍率いる黒騎兵二千のものとなったのである。

 

「羽」

 

「はっ」

 

その翌日の夕刻。関羽は兄から呼び出され、占領した陣屋へと赴いていた。

 

その日の昼頃にはおいていった歩兵三千も来着し、関籍軍は本来の編成へと戻っていた。

その一部の兵権を、彼女は預けられていたのである。

 

入った先には、兄と黒づくめの鎧を着た男の武官が居た。

 

「どうだ、慣れたかな?」

 

「はい。流石は兄上の鍛えた兵だけあって、指揮をするのが楽しく感じます」

 

楽しい、と言うのは『思い通りに動かせる』ということである。

別に関羽は人殺しが好きなわけでもなければ、戦が好物なわけでもなかった。

彼女は単純に、義勇兵よりも動かしやすいことを喜んだに過ぎない。

 

「羽。今夜夜襲がある」

 

「根拠は……」

 

「敵は我々に騎兵しかいないことに気づいたはずだ。朝方に偵察に来ていた斥候に、しっかりと編成を見せてやったからな」

 

歩兵が到着したのは、昼。

故に、西涼軍には見られていないことになる。

 

「騎兵はな、奇襲に弱い。と言うよりも、守勢に弱いのだ」

 

「なるほど」

 

夜襲をかければ、その全ての弱点を突くことになる。

西涼は騎兵の本場とも言える土地。長所も弱点も、知り尽くしているはずだった。

 

「故に、羽。そなたには敵城の東方三十里にある林に伏せよ。この陣に火の手が上がり次第、城へ攻めかかれ。前回奴らが城へ退却したときに間者を何人が紛れさせておいたから、兵さえ少なければ奪取は容易なはずだ」

 

「はっ」

 

「張繍」

 

「はっ」

 

関羽が拝手し、退出していった数瞬後、彼女が来る前に侍っていた黒づくめの鎧を着た男―――張繍が前へ出て、拝手する。

 

「そなたは黒騎兵千五百騎を率いて城外百里の隘路にて待て。落ちてきた敵が敗走してくるはずだ。逃がすなよ」

 

「承知」

 

ニヤリと、人を喰ったような笑みを浮かべながら拝手して退出する張繍を見送り、偃月刀を持つ。

 

後は、時を待つのみだった。


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