義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
開戦一ヶ月後。
「あれは、何だ?」
「さあ……拙者はどうも、昨今の兵器には疎いもので」
ガラガラと車輪で音を立てながら城壁付近まで進撃してくる梯子を乗っけた木製の車をしげしげと眺め、関籍は言った。
「ですがまあ燃えるでしょうから……火矢で燃やし尽くしましょうか」
更に、一ヶ月後。
「凄まじい矢の雨だな」
弓を持った兵を乗せた高台をまたもや車輪で進撃させながら、矢を射てくる城兵殺傷兵器を見、矢を弾きながら華雄は言った。
「魚油を陶器に詰め、詰めた陶器に紐を括りつけてあれに向かって投げましょう。火矢の火で台を一気に燃やし尽くすのは難しいですが、魚油を使えば何とかなります」
「そうしようか」
更に、一ヶ月後。
「うるさいな」
「衝車でしょう。由緒正しき攻城兵器です」
耳が割れるほどの騒音に顔を顰めながら、華雄は大声で号令を下した。
「火矢で燃やしつくしてやれ!」
「お待ちを」
顔を顰める素振りも見せない関籍から、暫時が入る。
指さされたのは、衝車の上部。
「土、か?」
「はい。あれでは火矢は効きますまい」
「ならどうする。城壁が破壊されるまで指を咥えて待つというのか!」
「石を落とします。民家から買ってきた石臼に穴を開け、紐を括りつけて振り回し、勢いそのままに衝車を破壊しましょう」
華雄は、押し黙った。
また暇な時間になるのかと思ったのである。
「破壊し終えたならば、華雄殿は騎兵三千を率いて敵陣に突撃して下さい。しかし、城壁で旗が振られたら―――」
「わかったわかった。どんな状況でも帰ってくる」
衝車を軒並み破壊された後の華雄軍の突撃により、兵器部隊たる袁紹軍は大被害を受けた。
その更に更に、一ヶ月後。
「敵。おとなしいな」
金剛爆斧を城壁に立て掛けながら、華雄はつまらなさげに呟いた。
梯子車らしきもの―――雲梯というらしい―――と、台車らしきもの―――井蘭というらしい―――を燃やし尽くし、衝車を破壊してからというもの、全く連合軍側に動きがなかったからである。
「華雄殿、敵は汜水関内に向けて穴を掘っているのです」
「なぁっ!?」
慌てて金剛爆斧を手に取ったものの、地下からくる敵は防ぎようがないことに気づき、手放す。
「……どうすればいいんだ?」
「物量で攻めるのをやめ、攻城兵器を使い果たした時点でこのようになる予想はついてましたから御安心を。対策はしてあります」
不安げな華雄を励まし、諭すように関籍は声をかけた。
「我らも城壁に沿って穴を掘り、そこに水を流し込みました。
奴らが地上を拝めるまで坑道を掘ったら―――」
「その瞬間、水が流れ込むのか」
「はい」
ガタリ、と。
椅子を引く音が重苦しい空気に満たされた連合軍首脳の幕舎に響いた。
「全軍が萎縮しています」
臥せる龍が、眼を開く。
今まで鳴かず飛ばずを貫き、裏工作に徹してきた当代一流の軍師が、遂に立った。
「ですが、もう奇襲はありませんわ!各陣営ともに警戒しておりますもの!」
奇襲とは、警戒されていない箇所に突如現れて痛撃を与える戦術である。
つまり、警戒さえしていれば成功することはないのだ。
「それは違います」
汜水関攻めから、奇襲を防衛することに頭を使い始めた袁紹にため息をつきつつ、孔明は言った。
至極当たり前のことを言った袁紹を否定し、幼さを残したもみじで机を叩く。
「袁渤海太守は奇襲という物の意味を履き違えています」
「……なんですって?」
明らかに自分より幼い孔明に頭ごなしに否定されたからか、袁紹の目が釣り上がる。
「ただの小娘に戦の何がわかると言いますの!?」
「はわ……」
凄まじい剣幕に、もともとあまり気の強い方ではない孔明の意志が、揺らいだ。
怖い。
今まで女学院と言う温室でその才を磨いてきた孔明にとって、人間から剥き出しの生の感情を叩きつけられるというのは恐怖でしかなかった。
だが。
「朱里ちゃん」
優しい主から、真名を呼ばれる。
―――私には、今何もできないけど。助けになることはできないけど。
頑張って、と。
「朱里」
軍中一頼りにしている将に、真名を呼ばれる。
―――お前は正しいと。お前の意志に、作戦に。この武を捧げてやると。
頑張れ、と。
「わかり、ます」
「なんですって?」
「奇襲とは、敵の意識の間隙を突くもの。まだこの軍の警戒は甘いです。
たとえそれが厳重であったとしても、敵将関籍は隙ができた瞬間奇襲を仕掛けてきますが、甘ければ尚更です」
今日、襲われる箇所は。
袁紹に耳打ちし、黙る。
その後の如何なる質問にも答えず、孔明は最後に一言だけ呟いた。
「対策しないでみていてください。現実を」
そして、その夕刻。
「か、か、か、関籍だぁぁぁあ!」
袁術軍の横腹に、関を崩した一字がはためく黒の旗。
恒例となった無言の突撃で、あっという間に蹴散らされ、将の首が偃月刀で地へと落ちる。
「退け」
曹操、孫堅が動こうとした時点で機敏に退却を始め、関籍率いる黒騎兵はさっさと汜水関へ退いた。
被害は袁術軍の将・陳紀と、千の兵。
奇襲部隊は、百騎だった。
「……諸葛孔明」
「はい」
「次の奇襲候補地に伏兵を仕掛け、関籍を討ち取りなさい」
予想ができれば、対処できる。
袁紹は、当然ながらそう思った。
彼女は愚かではない。決断力にかけ、猜疑心が強いが、頭の出来はどうしようもなくはなかったのである。
「無駄です」
再び、場がどよめいた。
「敵将関籍は機を測ることに関しては天才です。理屈には合いませんが、結果的には今までの奇襲は全て成功に終わっています。こういう類の将に罠を仕掛けても別な弱点へ標敵を変えるだけで終わり、罠は不発に終わります」
「ならばどうしろと言うのか?」
赤い頭巾を巻いた妙齢の武将、孫堅が口を開く。
現在最も董卓軍による被害を被っているのが彼女の軍であり、関籍打倒の闘争心を最も燃やしているのもこの女性であった。
「敵将華雄は短気であり、粗忽です。彼女を汜水関から引っ張り出すのは、そう難しいことではないでしょう。彼女をまず誘い込み、半包囲します。
そうすれば関籍は、必ず出てきます」
陣立て、手順、方針。
全てを言い終わり、孔明は静かに言い切った。
「汜水関を落とせば、我らの勝ちはゆるぎません。しかし、汜水関は関籍が居る限りは落とせません。正攻法で失敗し、退いたところで毎日毎日奇襲を受けるのみ。早めに禍根は絶たなければなりません。
最低でも、虎牢関で本気を出させないように手傷を負わせます」
雲梯で攻めれば火矢で燃やされ、井蘭で攻めたらまた燃やされ、衝車で攻めれば石臼を放り投げられて破壊され、土竜作戦をとったら内堀を掘られ、そこに水を流しこまれて失敗。
「関籍は攻勢防御の名手です。防ぐ一手が攻めの一手につながり、結果的に私たちは汜水関を攻めるどころか奇襲を恐れなければならなくなりました。
ここはその連勝の油断を、突くしか他にありません」
約半年に渡る戦いで、全く勝機が見いだせていなかったのである。
「……いいでしょう。諸葛亮さん、やってみなさい」
屈辱をこらえながらも理性を失わなかった袁紹の許可が出て、作戦は承認された。
そして、これから連合軍の反撃が始まるのである。