義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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修正しました。


罵倒

「ぐぬぬぬぬ……!」

 

「……何というか、よくもまああんなに口が回るものですな」

 

金色の鎧を着た袁紹軍が入れ替わり立ち代わり董卓に対する罵倒を言い放って去っていく様を見、関籍は苦々しげに笑った。

 

他人の主とは言えど、まともな武人ならば戦友がその身全てを捧げた主君が侮蔑されるのは心が痛む。

 

「……殺すッ!」

 

「まあまあ、いずれ痛い目に合わせてやればよいでしょう。敵の兵糧はあと三ヶ月ないと言う話ですし、無理に出撃する必要はありません」

 

「……そんなことは知っている!」

 

爆音の如き足音を立てながら自室に戻る華雄を見て、関籍は無言で頭を下げた。

 

勝つためとはいえ、信奉する主をいいように言われて何もできないというのは、辛いだろう。

 

(拙者とて、文遠殿を悪しきざまに言われればああなるであろうからな……)

 

恩をかけられ、目をかけられ。戦いの手引を手取り足取り教えてくれた恩人。

その恩人を何も知らぬ者に罵倒されたならば、どうか。

 

(いかんな、冷静さを保たねば)

 

頭に血が上りやすい関籍は、常日頃から冷静さを装っている。

情が深い、と言うのか。別に自分は笑われてもいいのだが、友や恩人を貶されれば、幼き頃から途端に頭に血が上った。

 

そんな自身を自戒しつつ、関籍は兵糧庫に向かう。

籠城戦の要は兵糧。その総数を常に把握し、決戦の前には兵たちにその数が許す程度に振る舞い、士気を上げなければならない。

 

関籍の勘が、もうすぐ戦が動きを見せることを察知していたのである。

 

「関籍様!」

 

「……どうした、紀黄」

 

「華雄様が汜水関から出撃なされました!」

 

帳簿を持ったまま黒騎兵の什長、紀黄に振り向き、天を仰ぎながら問う。

 

「偽報ではないのだな」

 

「はっ。李儒様が『敵は罵倒に疲れ、軍規は乱れています。一気に潰走さしめるならば今でしょう』と」

 

「馬鹿な……今ならば籠っているだけで勝利は掌のものを掴むが如く容易に手に入ると言うのに……」

 

天を仰ぐのをやめ、帳簿を紀黄に預けて歩き出す。

 

「拙者が単騎で出て、お諌めいたす。張繍、閻行は華雄殿が無事帰還したら二度と関を出ぬようにときつくお止めしろ」

 

馬を曳きながら側にやってきた二人の副長に厳命すると、関籍は馬に飛び乗った。

 

目の前で関門が開き、剣戟の音がより身近に、血の咽るような臭いがすぐ側にある。

 

駆けた。華雄は常に、付き従う兵たちに背中を見せて戦う。

 

故にその居場所は、先頭のみ。

 

「華雄殿」

 

馬を失い、今にも頭から叩き斬られそうだった華雄を自身の馬に引き上げ、降りる。

 

「無念、ご察し申す。しかし、これを悔いに軽率な行動は慎まれますよう」

 

「関籍」

 

何かを、言おうとした。

 

「私は、董仲穎の臣下ではありません。無論、汜水関の守将でもありません。

殿は、責任を持って務めさせていただきます」

 

言う前に、口を開いた。

無用な弁論は要らない。華雄が討たれれば、董卓軍の汜水関は落ちるのだ。

 

「……すまない」

 

「お気に病まれますな」

 

偃月刀を大地に刺し、拝手。

岩に打ちつけられた波が引くように、華雄軍は退いていく。

 

これが己であれば、こうはうまくは行かなかった。

 

関籍は正当な判断を下した己を見直し、追いすがる敵を流れるように斬る。

 

騎馬武者。

 

「もらうぞ」

 

そこそこの、馬だった。一流ではない。愛馬に敵うはずもない。

だが、無いよりはましだった。

 

黒い巨体が馬上に現れた瞬間、明らかに敵の追撃の波が退いていく。

 

(畏れではない)

 

策か。

 

自分を、取り殺すための。

 

「それもよかろう」

 

ならば、その完成までに抜けるまで。

 

ただ一点になった黒い獣が、汜水関目掛けて走り出し、止まった。

 

「……今。何と言ったか」

 

「并州の野蛮人に仕えている野蛮人は、まさに禽獣のようですわね。

そんなことだから時勢を読み違えるのですわ、と」

 

そう言いましたわ。

 

袁紹がそう言おうとした瞬間に、凄まじい殺気が一身に注がれた。

 

「義も信も知らぬ禽獣如きが我が主を貶し、あまつさえはその決断を批判しようとは」

 

「義も信も、勝者こそが作るもの―――敗者のあなた達愚者が、不義不信ですわ」

 

馬首を、返す。

 

「戯言を」

 

一歩、進んだ。

 

「何が不義か、何が不信か。真に知るは人に非ず」

 

「では、誰が知ると?」

 

「天」

 

残り五百歩。

 

「天のみが、張文遠の下した義の真贋を知る」

 

四百歩。

 

「それこそ、戯言」

 

三百歩。

 

「然り、地で交される問答全てが天からすれば戯言に過ぎぬ。

ただ、為す事のみが天に通ず」

 

完全に、囲まれた。

 

策に、嵌ったのだろう。

 

「故に張文遠の大義は天が知り、禽獣の無道は天が知る」

 

「付き合っていられるものではありませんわね」

 

二百五十歩。

 

「皆さん、やっておしまいなさい!」

 

顔良。文醜。鮑忠。高幹。

 

孫堅。孫策。程普。周泰。

 

夏侯惇、許楮、典韋。

 

 

猛将の、第一陣。

 

 

「天は、ご覧あれ」

 

二百五十歩。そこで止まるか、或いは進むか。

 

顔良、文醜。まだ甘い。

大剣に、大槌。受けずに斬り裂き、馬の首が主の代わりに地に落ちた。

 

馬の首から流れる血に、二人の騎手が叩きつけられる。

 

「不様」

 

鮑忠の左手ごと長槍が遥か後方に飛び、高幹の身体が縦に割れた。

 

偃月刀が、怒っている。

 

「関籍ッ!」

 

双剣。

南海覇王と、北海武王。

 

弾き、返しの偃月刀を北海武王が受けた。

 

堅い。

堅牢なる、盾の剣。

 

「孫堅、一騎打ちを汚すか」

 

「勝つのみよ」

 

背後に立った周泰を立ち上がっていた顔良に振り返らぬ一振りで叩きつけ、程普の鉄脊蛇矛を両断。

 

「主を侮辱されても、怒らんか」

 

七星餓狼。以前よりも、太刀筋が鋭い。

 

「いや」

 

円状の鈍器と、円球の鉄塊。

 

七星餓狼と、南海覇王。

二振りの名剣と使い手ごと、飛来した二つ諸共弾き飛ばす。

 

武の冴えは、怒りが曇らせることはない。

感情の乱れが、武技を乱すことはない。

 

「存分に、不快だ」


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