義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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奮闘七刻

「……おい、兼」

 

「何だよ、仲」

 

剣戟の音が、止まない。

 

「あいつ―――何刻戦ってる?」

 

「もう、七刻は経ってる」

 

掛かっていた五人の将が退き、ひたすらに弓が射掛けられる。

旋風の如く廻る偃月刀が、その全てを弾き落とした。

 

先ほど潰れたばかりで、その黒い男に馬はない。

 

「じゃあさ。あいつ、何人の将軍と戦った?」

 

「二十四人と、三回ずつ戦ってる。今も合わせれば、内五人とは四回、かな」

 

「殺した兵は?」

 

「三万を一部隊にしてはじめの二刻くらい攻撃してたぐらいだから、下手しなくても五百やそこらじゃ下らないだろ」

 

「殺した将は?」

 

「六人だろ?」

 

仲は、訝しんだ。

兼の反応が、あまりにも淡白だったからである。

 

「驚かないのか?と言うか、怖くないのか?」

 

「こっちに来たら何もできずに死ぬよ、あれは」

 

戦闘開始から七刻後の男、しかも歩卒のものとも思えない程鋭い突きによって、馬上の将が突き殺され、落馬した。

 

「でも、疲れては来ているはずだよな!」

 

「何で?」

 

「前は三合で交代してたけど、今は二十合だぜ?」

 

「ああ、そうだな。だけど、一騎当千を謳われた猛将が、四人か五人で掛かって行ってそれぞれ二十合しか保たないような怪物に、俺達が何かできるのか?」

 

あくまでも冷静に、兼と呼ばれた兵は返す。

 

何の気負いも緊張もなく、彼はただただ天災のような男を見ていた。

 

突き殺した将の馬を奪い、やっと対等の条件になった関籍の偃月刀の冴えは凄まじく、再び三人の将を馬から叩き落とす。

 

「項羽みたいな奴だ、あいつは」

 

「項羽?」

 

「高祖と覇を競い合った英傑だ。男ながら、女の豪傑などは歯牙にかけぬ強さを持っていたらしい。

ま、敵にそう記されるくらいなんだから嘘じゃないんだろ」

 

気のない返事をした兼は、更に言った。

 

「俺、この戦いが終わったら兵士辞めるわ。あんな奴を敵にしてたら命いくつあっても足りないしな」

 

「俺も、そうしようかな……」

 

見目麗しい女の武将―――武安国の頭を叩き割り、返す刀でこれまた見目麗しい容姿をした兪渉を寸暇の躊躇いもなく叩き斬る。

 

「……勿体無いなぁ」

 

「戦争だ。仕方ない」

 

慌てて残りの二人が逃げ、弓が用意される前に関籍が二人の逃げた方へと突っ込んだ。

流石にあの雨のような射撃は辛かったのだろう。

 

しかし、数少ない一瞬の休息を自ら手放すという判断は、わかっていてもそう簡単にできるものではなかった。

 

「でも、まぁ―――」

 

「ああ。まぁ―――」

 

汜水関は落ちたから、作戦は成功なんだよな。

 

同時にそう呟き、ため息をつく。

 

最早汜水関に華の旗はなく、ただ崩し文字ではない『関』と『劉』だけがはためいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(流石に疲れたな)

 

弓兵を斬り、槍兵を斬る。

偃月刀を重く感じたのは、初めてだった。

 

握力も出撃した時とは雲泥の差であり、膂力も往時のものはない。

量で押す兵との戦いと、集中力を使う矢の雨。

それら二つを合わせたような度重なる将との連戦は、確実に関籍の武のキレを奪っていた。

 

「孫堅!」

 

名を叫び、南海覇王を振り下ろしてきた江東の虎の一撃を防ぎ、一息ついた頃に北海武王と孫策の剣が迫る。

 

普段ならば、防いだ瞬間に反撃の手に繋げられた。

 

そんな忸怩たる後悔と、未だ嘗て味わったことない『自分の武が衰えていく』という恐れに苛まれながら、関籍は再び孫策の剣を斬り、とどめを刺さんと渾身の力で偃月刀を振り下ろす。

 

「させん!」

 

間に割り込んた孫堅が、北海武王を砕かれながらも嫡子の命を救い、南海覇王で関籍の腕を掠めた。

 

腕周りの黒袖が斬られ、大地に血が滴る。

 

まともに武技を学んでから、馬騰に続く二番目の負傷であった。

 

「見たか者共!関籍言えど鬼神に非ず!斬れば血が出るただの人に過ぎん!」

 

気づけば防戦一方になっている自分を危ぶみつつ、覚悟を決める。

 

(文遠殿、拙者はこの地にて果てるやもしれませぬ。

主の盾とならずして死ぬ不忠を何卒、お赦しくだされ)

 

孫策が退き、周泰が背後へまわり、黄蓋が弓を引き絞り、孫堅が南海覇王を振りかぶる。

 

(死地に、在り)

 

全てが遅く、感覚は鋭く。

遥か千里先まで見通せるかのような感覚に囚われながら、関籍は一つずつ対処をした。

 

黄蓋の矢は射線から身体をずらし、周泰の奇妙な形をした剣を手甲で受け、南海覇王を偃月刀で受ける。

 

自分の身体が、自分の武が。

 

何かを超えた。

 

(死地に在ってこそ、超えられる壁もある)

 

全ての対処が終わり、体勢を立て直して孫堅に当たる。

手甲が防ぎきれなかった刃が僅かに肉を斬り、動かす度に左の甲が鋭く痛んだ。

 

「……伯符!」

 

「はっ!」

 

「見たな!」

 

「はっ!」

 

鍔迫り合いと言う、本調子ならば絶対にあり得ない行動を取りながら、関籍は僅かに身体を休めた。

 

孫堅は、嫡子たる孫策に何かを教えているようだが、そんなことに頓着している余裕はない。

 

「私が示したのが集の力だ!」

 

黄蓋の矢が脇腹を掠め、鎧が紙のように引き裂かれる。

あまりの威力に内臓が圧迫され、顔を顰めた。

 

矢は、苦手だった。

 

「そしてこの男が示しているのが、個の力の極たる物!お前も虎の子ならば、見て学べ。個の極みを己の物にせよ!」

 

南海覇王。

両手で振るわれたそれを刃で防ぎ、周泰の鳩尾に石突きを捻り込み、本人ごと後方に吹き飛ばす。

 

骨の一本や二本は、やったか。

 

「後続が来る前に、問おう」

 

「何だ、禽獣の飼い虎」

 

顔を怒りに歪めながら、孫堅は更に問うた。

 

「祖茂は、如何にして死んだか」

 

「すれ違いざまに首を斬り落とした。美談などはない」

 

逃げていた、と言わなかったのはせめてもの心遣いであった。

関籍は怒っていたが、今や八刻になる激闘の末にやっと冷静さ取り戻しつつあったのである。

 

「……ならば貴様の死にも美談は要らんな!」

 

「もとより求めてなどいない」

 

戦いに、死に誇りを。

孫の一族の持つ気性を真っ向から否定した関籍は、静かに言い放った。

 

「死など、総じて惨めな物に過ぎん」

 

矢。

 

肩を掠り、地面に突き立つ。

突き立った矢に視線をやり、気づいた。

 

(限界か)

 

乗る馬の足運びに精細さがなく、手綱のみで操るのは不可能になりつつある。

 

「動きが鈍いぞッ!」

 

馬の動きがずれ、受け損ねた。

それだけで、いとも容易く死地に陥る。

 

矢。また、矢。

 

転がって避け、近寄ってきた孫堅の騎馬の腹に足裏を付けた。

その騎馬の進行方向は、周泰が飛んでいった、場所。

 

「ふん」

 

くるり、と。

背中を地につけて寝ている状態から巴を描くようにして我流で馬ごと孫堅を投げ、一回転して地に立つ。

 

矢は、拙いのだ。

 

「……む?」

 

大地に背をつけいた時に耳で聞いた、馬蹄。

あれは孫堅かと思ったが、どうやら違うらしかった。

 

今でもそれは、続いている。

 

こちらに、向かって。

 

矢を弾き、走る。

 

何たる情けない様か。何たる無様な姿が。

 

これが、主に見せる我が身であっていいのか。

 

偃月刀を大地に刺し、拝手して待つ。

 

黄蓋の矢は、もはやこちらへ飛んでこなかった。

 

「文遠殿」

 

「なっさけないのー、籍やん。いつもの武神っぷりはどないしたねん」

 

飄々と。

疾風のような行軍で『予期せぬ方向へ』強襲を行い、奇襲となした神速の名将が、そこには居た。

 

「文遠殿の御前ならば、拙者も今一度の働きが出来申す」

 

「言うもんやなぁ……ま、ええわ」

 

苦笑し、手を伸ばす。

 

「助けに参りました、関偏将軍」

 

いつしかの関籍のような口調で、されどその相貌はいたずらっぽい笑みで崩しながら。

 

張文遠は、来着した。


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