義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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後漢の一刻は約十五分です。


汜水陥落

「……似合っていませんな、拙者の口調は」

 

「せやろな。ま、ウチも似合ってないちゅー自覚はあったわ」

 

七刻半。

ひたすら戦い続けてきた身体に活力が戻り、同時に目に涙が浮かぶ。

 

「ちょ、何泣いとんねん!?」

 

「いえ、何でも」

 

すで用意されていた替え馬に飛び乗り、汜水関から脱しながら偃月刀を振るう関籍の目には、涙。

 

ほとほと情けない自分に呆れ果て、涙を流しながら偃月刀を振るうその姿は、傍から見れば異様だった。

 

「汜水関はまあ、しゃあないやろ。華雄も籍やんも居らんかったんから。

華雄も虎牢関に落ち延びたみたいやし、こんだけ粘ったんや。もう勝ち目も見えてきとるで、自分」

 

「はい」

 

飛龍と、青龍。

先頭に立つ二頭の龍の牙にかかり、数多の兵が朱に染まる。

 

触れたら幸いとばかりに薙ぎ倒すその姿は、まさに鬼神であった。

 

「劉備軍が居ませんな」

 

「攻城の方に回ったんやろ。旗印の『劉』だけやったら劉岱か劉備かわからへんけど、あの『関』の旗で確定や」

 

曹操も、居ない。

 

孫堅は、逆方向に陣を構えている。

 

「……さて、一気に突破したわけやけど」

 

やけにすかすかした陣を抜け、僅かに馬の脚を止める。

 

自分たちがうまく突破できたからといって、兵たちが無傷で突破できるとは限らない。

 

やはり突入時から比べれば張遼の青騎兵は目に見えて減っていた。

 

彼女がやったことは堅陣の間隙を縫って突破し、真っ二つに割ると言うもの。行きは奇襲で、帰りは強襲。生存率は行きと帰りの戦闘の質が違う以上、行きより下がるのだ。

 

「籍やん、何であんなんになってたんや?」

 

「挑発に乗ってしまいました」

 

全く後悔はしていないと言わんばかりな言い草に、張遼の顔が少し驚きに染まる。

彼女の率いる軍はとっくに連合軍の包囲陣から脱出していたからこその、余裕ある驚きだった。

 

「挑発……籍やんが乗るって相当やな。何言われたんや?」

 

「あなたを馬鹿にされました」

 

「…………は?」

 

「あなたを馬鹿にされました」

 

愚直に繰り返す関籍の内面は未だ小波が波打っていたものの、挑発に乗って激した時と比べれば比較的安定した傾向にある。

それがまたもや、揺らいだ。

 

どうにもこの話題は、彼にとって逆鱗であるらしい。

 

「……ウチのことを馬鹿にされて、怒ったんか?」

 

「拙者は今まで、謀反人は殺してきました。しかし、漢のためになるであろう能臣たちはみな等しく逃してきました。それが漢のためだからです」

 

全く関係がなさそうに見える関籍の独白を聞き、張遼は黙って先を促す。

 

「無論、道を阻むならば斬り捨てます。ですが、個人に殺意を抱いたのは初めてでした。

拙者は怒ってなどおりません。袁紹を殺したくなっただけです」

 

「あれは、殺したらアカンで?」

 

「知っています」

 

殺すならば、漢に歯向かった逆賊として法の下に裁かれねばらならない。

他の将は別に良いが、やはり盟主は別だった。

 

「……それにしても、漢しか見とらんかった籍やんも今ではウチのことをそーんなに大切思ってくれとるんやなぁ?」

 

嬉しさ混じりの、からかい。

飄々とした、猫のように気儘な質な張遼は、言葉尻を捉えて真面目なこの男をからかうのが大好きであった。

 

普段の何気ない行動をからかい、関籍が生真面目に否定する。

そんないつものことが繰り返されると思ったのだが。

 

「当たり前です。拙者にとって文遠殿は何よりも大切な人であり、この身命をとして忠義を尽くす主。

漢には負けますが、拙者は文遠殿のことをお慕い申しております」

 

上司として。

 

青騎兵たちは半ば諦めと共に声無き語尾にそうつけられるであろうことを察す。

 

(早く結婚しろよ……)

 

青騎兵の大隊長が抱いたこの思いが青騎兵の総意であり、黒騎兵の総意でもあった。

 

「お、お慕い?」

 

「はい。文遠殿のことを、拙者は敬愛しております。これはお慕い申している、と言うことになるのではないでしょうか」

 

上司として。

或いは、武人として。

 

語尾にそうつけられることをまたもや察し、青騎兵総員は、また思った。

 

(早く結婚しろよ……!)

 

一方で文遠殿こと、張遼は焦っていた。

自分が袁紹の如く、触れてはならぬところに触れてしまったことに気がついたのである。

 

袁紹は逆鱗で、張遼は忠義心。

同じ触れてはならぬ箇所でも、内容は全く違っていた。

しかし、もたらす結果は同じだった。

 

「うっさいわ!佞言絶つべし!佞言絶つべし!ろくすっぽ思ってもおらんことを口に出すなや!」

 

恥ずかしさと、不意を突かれた動揺が、そのまま表に噴出する。

顔はすでに真っ赤であり、口元は甘い表情を抑えるのに必死で微妙にピクピクと震えていた。

 

だが、相手は関籍。直言しかしないことに定評のある堅物である。

 

「おそれながら。文遠殿は拙者に対し、誠意を以って接して下さいました。拙者も文遠殿のお気持ちに報いるべく、誠意を以って仕えてまいりました。

佞言など、あろうことがありません。天に誓って、拙者の言った言葉に嘘偽粉飾はありませぬ」

 

相手が、悪かった。

 

「……さ、さよか」

 

思考の処理がおいつかなくなった時、決まって口にする肯定語。

 

顔を鬼灯のように真っ赤に染めながら、張遼はひたすらそっぽを向いた。

 

(泣かしたら殺す)

 

(悲しましたら殺す)

 

(むしろ何故あれで気づかないのか。殺す)

 

背中に凄まじい殺気を感じ、関籍は少し警戒しながら振り向く。

それは汜水関より追手が来ているのかと錯覚させるが如き、濃密な殺気だった。

 

「?」

 

「何でしょうか、関偏将軍」

 

「いや、凄まじい殺気が……」

 

「疲れているのでしょう。午睡に満たぬ時間いえども、気を抜かずに戦い続けていたのですから」

 

肩から血が流れ出しているし、脇腹の傷も脂肪を抜け、肉まで達している。

手の甲の傷も、決して浅いものではなかった。

 

「……そうかも知れんな。実際、文遠殿の救援が一瞬遅くばこの身は満身創痍となっていだろう」

 

馬も何もなく、体力すらなくなりかけていたあの状況下。詰みの状態であることは間違いがなかった。

 

一瞬遅れれば矢の雨で満身創痍。一刻遅れれば関籍の首が飛んでいる。

 

「疲労の極にいては正常な判断すら下せんか……」

 

「……………大丈夫なんか、自分」

 

思考の処理が終わったらしき張遼が関籍に話し掛けるも、やはりそっぽを向いたまま。

赤面の方はまだまだ収まっていないようである。

 

「長期戦では傷は開きますが、短期戦ならば支障はほとんどないかと」

 

「さよか。まあ、呂布ちん居るし、大立ち回り要因には事欠かん。

指揮取れるなら大丈夫やろ」

 

大回りの道で、虎牢関へと進む。

 

一連の戦いの最終地、虎牢関。

 

守将は呂布。字は奉先。

 

天下無双の武人である。

 

 


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