義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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後漢の一尺は23センチです。


并州雁門

「何やっとんねん、籍やん」

 

懐に仕舞った文を目敏く見つけた張遼の手が伸びる。

 

「文遠殿ですか」

 

その手を軽く払いつつ、関籍はゆっくりと立ち上がった。

 

「なに、妹が初陣を踏んだというので、思わず己の経験と重ね合わせてしまっただけのことです」

 

何せ、身の丈九尺の巨漢である。立ち上がるだけで、張遼の手が届きにくいところにまで逃げることができたのだ。

 

「妹ぉ?」

 

一尺ほどの身長差にめげることなく、張遼は城壁の上に登って目方を合わせる。

 

突き落とされたり足を踏み外したりしようものなら墜落死だが、獣のような敏捷性を持つ張遼にその心配は無用だった。

 

「籍やん、妹おるんかいな」

 

「言っていませんでしたか?」

 

「いっちども聞いたことあらへんわ」

 

黒頭巾に、黒い直垂。

黒づくめの格好をした男は、少し首を傾げて呟いた。

 

「そうですか、言っていませんでしたか……」

 

「せや。言っとらへんで」

 

并州。

異民族の侵攻絶えぬ修羅の土地に、関籍は身をおいていた。

 

特に理由があったわけではない。ただ、妹を守るために己を鍛えていたら司隷校尉に見いだされ、兵として漢に仕えることになった。

 

給料も生活できない程度ではなかったし、何よりも彼は漢という国に尽くすことに憧れを抱いていた為に、あっさりと了承したのである。

 

そして、数年後に激戦区たる并州へ異動。妹が一人前の武人となってきたこともあり、特に激戦区へ行くことに抵抗の無かった彼は半ば貧乏くじを引かされる形で異動させられたのだ。

 

洛陽でぬくぬく育った兵は、弱い。

 

それが辺境の兵―――即ち、年がら年中異民族と戦っている猛者どもの一致した意見だった。

 

現に、今残っている并州軍の中に洛陽兵は殆どいない。その大半が環境の過酷さに負けて跳散し、或いは異民族の馬蹄の前に倒れ伏した。

 

その数少ない例外が、この優しげな顔をした大男である。

 

「妹は、美しくなるでしょう」

 

「……ほ、ほぉ」

 

「強く、義に篤く、一本芯が通っている。自慢の妹です」

 

断言するように言った関籍に若干引きつつ、張遼は豊かな想像力を働かせ、一瞬後には後悔した。

 

……関籍の女版など、想像するものではない。というか、妹だからと言って単純に女体化させて考えるのは如何なものか。

 

自分の思考に諫めを入れつつ、関籍が、初陣だなんだと言ったからだろうか。張遼はふと自分が彼に会った時のことを思い出した。

 

 

それは、四年前のこと。并州はいつものように異民族の侵攻にさらされていた。

 

檀石塊。恐るべき軍略と鬼神の如き武勇を併せ持つ、鮮卑の王。

彼以前と彼以後では率いる軍そのものが違うとすら言われた恐るべき王が、再び并州雲中へとやってきたのである。

 

幼い頃からこの王の脅威に曝され続けてきた并州兵の士気は低く、決戦のために補充されてきた洛陽兵の士気は言うまでもなかった。

 

異常な速度で迫り来る異民族の威に屈し、まず洛陽兵が崩れた。

これは、指揮官の判断も悪かったのである。

 

即ち、『洛陽兵はろくに戦力にならんからせめて精兵の盾になれ』と言うことだった。

早い話、死ねと言うことである。

 

この空気を目敏く察知した洛陽兵の指揮官は、一番大事なものを守ることに決めた。

 

つまり、自分の命を守るためにすべてを見捨てて逃げるということを、あっさり決断したのである。

 

故に洛陽兵はあっさり崩れ、異民族たちの突撃の勢いを殺しきれずに并州兵たちは甚大な被害を受けた。

 

従事である張遼も必死で指揮をとって奮戦したが、一度決定づけられた流れは恐怖を抱いた兵には覆せなかった。

 

最早これまでと周りを見回した時に、気づいたのである。

 

―――檀石塊。

 

鮮卑の王が、視界の奥にいることに。

 

何回も見た。何故なら奴は、掠奪するにも戦うにも、先頭に立って突っ込んでくるのだから。

 

既に味方は壊走しかけていた。尋常な手段での戦術的、戦略的な勝利は到底望めない。

 

総大将を、王を殺す。

 

そうすれば、勝ち目が見えるかもしれなかった。

 

刺し違える覚悟を決めると、彼女は単騎で突撃した。

矢の雨を潜り抜け、数多の立ちふさがる異民族を殺し、王の親衛騎を蹴散らし。

 

遂に一太刀浴びせる頃には、既に彼女は満身創痍だった。

 

ニヤリと笑い、何やら檀石塊が喋る。

親衛騎たちが距離をとり、まるで円を描くような形をとった。

 

中心には、満身創痍の張遼と体力の有り余る檀石塊。

 

元々の技量は、張遼が上だっただろう。しかし、彼女は肩で息をするほどに疲労の極にあり、その身体は戦う前から傷だらけだった。

 

傷の痛みが動きを鈍らせ、持ち味の神速の攻勢を殺す。

持ち味の神速が殺されれば、単純な膂力と技術の勝負である。

 

技術の優位で食い下がってはいたものの、彼女は膂力の差からいいように嬲られていた。

 

檀石塊とて、一流の武人。手負いの一流をしとめるくらいはわけないのである。

 

遂に馬が地に崩れ落ち、張遼は死を覚悟した。

 

―――どうせ、敵の手にかかるならば。

 

自害の為の剣を腰から抜き放った、その時。

 

凄まじい重量を感じさせる馬蹄の音が大地を震わせた。

 

自害の手を、止める。

 

―――怪物。

 

視界に入ってきたのは、異民族を槍にかけては放り上げ、人馬一体の如く暴れ狂う怪物の姿。

 

所々傷を負いながらも、意に介すことなく進み続けるその姿は、正に暴威の化身だった。

 

「■■■■■!」

 

檀石塊が何事かを叫び、形成された円陣の層が厚くなる。

 

そんなことなど知らぬとばかりに、暴威の化身は突き進む。

触れるもの全てを叩き斬り、後ろを見せた兵を見逃す。

 

親衛騎の指揮官らしき武人を太刀を合わせる間もなく両断し―――

 

「張従事、お迎えに参りました」

 

恐らくは異民族から奪い取ったであろう悍馬を乗りこなし、見事な偃月刀を持った黒づくめの男が、円陣のど真ん中に突入した。

 

「……は?」

 

敵陣を一人で切り裂いてきた暴威の化身らしからぬ言葉に耳を疑い、笑う膝を大薙刀で支える。

 

今はあまりの突入の凄まじさに異民族らは固まっているが、今の状況を考えればいつ槍を繰り出してきてもおかしくはない。

 

「丁并州刺史が張従事をお救いせよとのことで、恐れながらこの関籍が囲みを突破して参りました。拙者の馬を使い、速やかに退避を」

 

「……いやいやいや、ウチが馬持ってったら自分はどうすんねん」

 

「拙者のことを心配して下さり光栄ではございますが、張従事は丁并州刺史にとって必要なお方。即ち并州の安寧のために必要なお方。一兵卒たる拙者と比べるべきでないと存じます」

 

「そりゃ官職からみたらそうやけど―――」

 

言い返そうとし、気づく。

檀石塊が、硬直から動き出していた。

 

「む」

 

馬首を巡らし、偃月刀の柄で刺突を捌き、異様な風切り音と共に返しの突きを放つ。

 

その巨躯を動かす無尽蔵とも言える体力が、彼にはあった。

 

もう何人斬ったかなどわかりはしない。恐らくは百や二百では片付かない数だろう。

 

それだけの異民族を屠っておきながらまだまだ全力を出せるその体力は、正に異常と言ってよかった。

 

張遼も、檀石塊相手に全力を出せれば勝てていただろう。寧ろ圧倒していたかもしれない。

 

しかし、体力が足りなかった。百人斬りのあとで、檀石塊と言う傑物を相手にするのは無理というものだったのである。

 

「――ッ!?」

 

関籍には、体力があった。膂力もあった。技術と言えば突いたり振ったり払ったりと言うことしか知らなかったが、逆にそれが檀石塊にしてみれば驚異だった。

 

喰らったら死ぬ。陽動の攻撃も牽制の攻撃もないため、一撃たりとも喰らうわけにはいかないのだ。

 

彼自身も膂力に優れた猛将だが、防ぎきるので精一杯だった。

唯一の救いは彼の槍は一流の武器であり、関籍の膂力に任せて振るわれる偃月刀を防ぎ切れているということである。

 

「■■■!」

 

武器の優位によって硬直状態に持ち込んだ檀石塊は、すぐさま次の手を打った。

 

―――奴を殺せ。

 

恐らくは高官であろう、この女。

女を救うためにこの怪物が出て来たならば、女を配下の兵に襲わせ、それを救おうとするときに隙ができると考えたのである。

 

「あんましウチを舐めんなや……!」

 

僅かな休息によって、張遼は体力を回復していた。

流石に檀石塊と何十合も打ち合えるほどではない。しかし、一兵卒に負けるほど彼女はやわではなかった。

 

精兵中の精兵たる親衛騎が馬を失った張遼目掛けて襲いかかると、関籍の攻撃が途端に精細を欠き始める。

 

「関籍!」

 

ずば抜けた素質はあるが、場慣れはしていない。

それでも一流相手に互角に戦っている男に向かって、声をかける。

 

「何も言わんでウチの言う通りやってみぃ!」

 

防ぎ、捌き、斬る。

馬上の相手との不利を何ともせずに徒で複数の敵を圧倒していた張遼が、遂に痺れを切らした。

 

関籍が自分の持つ素質を活かし切れていないことに気づいたからである。

 

「はっ」

 

謹直に返事をし、偃月刀を横薙ぎに振り払って檀石塊との距離を取った関籍の身体には、細かい傷が浮かんでいた。

 

「まず、両手で偃月刀を持って、振り上げる!」

 

檀石塊が、何かを悟った。

今なら勝てるとばかりに姿勢を低くし、人馬一体となって関籍に迫る。

 

隙のありすぎる、構え。

檀石塊はそれに釣られた。何せ、守るべき急所である脇腹や胸が無防備であり、偃月刀の持ち手二カ所を持ちながら振り上げているだけなのだ。近づければすぐさま勝負は付いた。

 

「持ち上げたら、全体重込めて振り下ろす!」

 

忠実に従った関籍の偃月刀が煌めき、再び異様な唸りをあげて落下する。

 

恵まれた膂力と、巨躯が持つ重量。それらを中途半端ながらも活かそうとした結果は、明白だった。

 

「最後!頭は割るんやないでッ!」

 

風を斬り裂いて落下する偃月刀が微妙に軌道を変え、威力が減衰する。

 

「■ッ!?」

 

それでも、なお。

鉄が鉄を無理矢理両断する凄まじい音を立て、檀石塊は左肩から股間までを真っ二つに斬り裂かれ、落馬した。

 

 

世界が、止まる。

異民族は、王を喪った衝撃に。

張遼は、関籍のあまりの怪力に。

 

ただ一人、関籍だけが動いていた。

 

「張従事、丁并州刺史が―――」

 

「阿呆、はよそいつの首取らんかい!」

 

偃月刀を小脇に構え、邪魔者は斬ったとばかりに悠々と馬を歩かせる関籍をどやしつけ、檀石塊の首を切り落とさせる。

 

張遼は檀石塊の首を取ることは涼・并・幽の三州の平穏と、その功績による辺境に回ってくる軍事予算の増化を勝ち取ることができると信じていたため、自分の身より何よりも檀石塊の首こそが重要だったのである。

 

しかし関籍からすれば、丁并州刺史が名指しで救出することを命じるような相手であり、異民族相手に一歩も引かずに戦っていた張遼の身を安全な地へと逃がすことのほうが重要に見えた。

 

両者のすれ違いは、このあたりの認識の差違が問題だったのである。

 

「張従事、もうよろしいか?」

 

「おう、ええで」

 

まだ血の温もりが残る檀石塊の首を腰に括り付け、手には偃月刀と馬の手綱を持つ関籍に向かってうなづき、自身は檀石塊が乗っていた馬を強奪、乗り換える。

 

眼前には、雲霞のごとき異民族。

 

「ほな、行こか」

 

「はっ」

 

王である檀石塊を討ったとは言え絶望的な状況には変わりないのに不思議と、死ぬ気がしなかったことを、覚えている。

 

 

 

「あん時はヤバかったなぁ、籍やん」

 

「はっ」

 

謹直に返事を返してくる頼れる副官の肩に手を回し、彼女は高らかに言い放った。

 

「ほなウチらを動員せなアカンようになった賊を見に行こか!」

 

「黄巾賊……と言うらしいですぞ、文遠殿」

 

并州丁原軍、黄巾賊討伐に出撃。

 

檀石塊が倒れた四年後、184年のことであった。

 

 

 

 

 

 


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