義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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拠点・三

「……………どこ行っとったんや」

 

不機嫌。

そんな気分が滲み出ている張遼が、匈奴・狄・鮮卑の三胡族を率いてひたすら原野を駆けていた将に食って掛かった。

 

と言っても、食って掛かるというほどの勢いはない。ただ、不機嫌なだけである。

 

「はっ。雁門に服を買いに行ってまいりました」

 

「服を買いに行ってなんで馬五千頭と騎兵四千徴収してくんねん。つくんならもうちっとマシな嘘つかんかい」

 

漢民族の血を引く狄兵二千と、同じく混血の匈奴兵千に、またまた同じく混血の鮮卑兵千。

 

全員が全員黒色の鎧を着ているあたり、自己主張が凄まじかった。

 

「それは違います、文遠殿」

 

「ほぉ、どこがどう違うんか言ってみぃ?」

 

「糧秣三万石に、拙者の戦装束の替えが三百着、文遠殿の袴と陣羽織の替えも三百着有り申す」

 

張遼の額に、血管が浮き上がる。

彼女の心中は、複雑だった。

 

約三ヶ月寝込んでいた関籍を介抱し、朝晩無休で看病したのは彼女なのである。

喪いそうになった時、命の灯火が消えかけた時、目覚めない時。

 

ひたすらその快復を願い、泣きながら呼びかけていたのに。

 

当の本人はうっかり寝た隙に山砦を出て行ってしまうし、どこに行ったかも通達していない。

 

ともすれば愛想を尽かされたのかと思ったり、天に存在ごと消されたのかと思ったりもした。

 

即ち、彼女は凄まじく心配していたのである。

 

それがどうだ。

華佗の気孔術でやっと食べ物やらなにやらを消化していたような奴なのに、この馬鹿は服を買いに行ってそのまま十万単位のぶつかり合いを演じてしまうほどの馬鹿だったのだ。

 

「……何で無茶ばっかりするんや」

 

「それが為すべきことだからです」

 

何の迷いもない、返答だった。

心底自身の行動を疑っていない。死ぬかもしれない行動を他人の為だけに起こし、迷いを全く抱かない。

 

自分の盾になったのも、雁門の盾になったのも、為すべきこととして見ている。

 

そんな一途さが、好きだ。死を恐れぬ勇猛さも、欲を捨て去ったような執着の無さも。

 

「………知らん」

 

武人としては、喝采を叫んでいる。

それでこそ、花も見もある一流の武人だと。

 

将としては、納得している。

副官は、部下は、兵は。命を張ってこそだと。命を懸けなければ何も為せない、と。自身をも駒にしなければ勝てないと。

 

人としては、憧れている。

果断なまでの決断力と、卓越した判断力と、その誠実さに。

 

 

だけど、女としては。

 

「……もう、知らん」

 

寂しい。怖い。恐ろしい。

 

何度も死地に立ったことがある。死に直面したこともある。

 

その経験を嘲笑うように、彼の行動の一つ一つが自分にそれ以上の恐怖を与えていた。

 

喪う怖さ。

一回経験しかけたその絶望に似た恐怖は、実体をなしてより明確な物として女としての彼女にのしかかってきていたのである。

 

「喪う怖さも知らんくせに……」

 

「知りません」

 

ピタリと、張遼の歩みが止まる。

修羅の如き気が肩あたりから放出され、関籍以外の皆が死を覚悟した、その瞬間。

 

「拙者は文遠殿より後に死ぬつもりは更々ありませんので、知りようがありません」

 

「……………………アホ」

 

修羅の気を収めて去っていく張遼を追いかけかけて、関籍は止まった。

 

ここに将として後ろで沈黙を守る彼らを連れてきた自分には、彼らの生活を保証する義務がある。

 

「この山砦の主は誰か!」

 

「私です、関籍様」

 

特徴的な、その兜。

俊敏そうな体躯をしたその手には、逸品と思われる槍があった。

 

「周倉、お主がこの山砦の主か」

 

「はい。関籍様の義の道へ僅かなりとも助けともなりたく、兵を養い、畑を耕し、商売で稼ぎ、金穀糧秣を貯めてまいりました。そこに張文遠殿が負傷した関籍様を担いで落ちてまいられたので、お救いさせてもらった次第です」

 

両手を重ね、大地に膝を付く。

心旦からの懇願を以って、嘗ての賊将は赦しを乞うた。

 

「お願い致します。一兵卒で結構ですから、私も義の道にお供させてはくれませんか?」

 

「……漢に逆らったのは、紛れもない罪。されど罪とは洗い流させるもの」

 

馬騰、韓遂に対しての問答無用な対応から漢に対して叛逆するものには容赦がないと言う威名を以って知られていた関籍だが、実際はかなり甘い。

賄賂を咎めたものの、『とるならば自分からとって職務に励め』と言って不問にしたように、初回や二回目ならばあっさり許す。

 

常習犯には鬼のように情けがないだけであり、彼は後漢特有の寛容さを持った人間だった。

 

「帝も、真人間に立ち返ったお主を咎めはすまい。拙者の独断では決められぬが、拙者は赦したいと、思う」

 

「では―――」

 

「我が義の道。付き従ってくれるならばこれほどまでに嬉しいことはない」

 

そう関籍が言った瞬間、周倉の顔が喜色に染まり、目から涙が零れ落ちる。

 

「光栄の極みにございます!この周倉、生きる時も死した後も、ただ殿の為に働く所存でございます!」

 

周倉の顔に最初に会った時のふてぶてしさはすでになく、ただただ主を敬愛する純粋な思いのみがそこにはあった。

「そう言えば、拙者の名も地に落ちたと思っていたが……何故お主は不義の士である拙者に仕える気になったのだ?」

 

「侠の輩の間では最早張文遠殿と殿の名は義士として不朽。侠の者の前で不義などと申せば、何れかの一家に闇の内に刺されましょう」

 

侠。わかりやすく言えば自分の良心と、義侠心と呼ばれる精神に従って動く無法者である。

関籍も関羽の養育がおわった後の若かりし頃、長生と名のって侠の者と義とはなんぞやと根源的な問題に関する論争することを好んだ。

他にもその膂力と義理堅さを以って大いに名を響かせ、荊州・交州・巴蜀一円の侠をその大らかな気性で束ねていたりしたが、その後に自戒してめっきり無口になったと言う経歴があったりした。

未だに諫言するときは侠の論客とやりあっていた頃の癖で長ったらしく例を挙げて話してしまったりする。

 

―――関籍のことは一先ず置いておくとして。

侠には、情報網がある。

即ちそれは誰々が仇討ちをなしたとか、そう言った美談を為したものを庇うためのものであったり、権力に抗ってまで筋を通した者を牢から救い出すためのものだったり、多種多様な情報が中華全土から流れ込んでくるのだ。

 

「巴蜀の張任殿、巴西の甘寧殿、荊州の文聘殿らは、特に関籍殿を尊重する心が篤いようです」

 

「張任に興覇、仲業が、か……」

 

節を全うしそうな同じ庶民出身の無官の将の器に、隠密にかけては天下一、二を争うであろう河賊の頭に、酒を酌み交わす頃には既に荊州に根を張っていた強かな男。

 

関籍が若かりし頃の友に思い馳せていると、問わねばならないことに気づく。

 

「周倉、事前に使者は発していたが……どうだ?」

 

「はい、殿が連れてこられた方々の住居は問題なく用意できています。

ここ臥牛山に二千、副山に二千ずつ。余裕を持って作りましたから、これから少しくらい増えましたも問題はないかと思われます。

が、殿」

 

「ん?」

 

軽く背伸びをし、帽子のような特徴的な兜の縁が関籍の肩あたりに触れた。

 

「張文遠殿の元へ行かなくてよいのですか、殿?」

 

「……文遠殿か」

 

臥牛山の者達に導かれて続々と住居に案内されていく新・黒騎兵たちを見ながら少し頭を掻き、関籍は少し戸惑ったような様子を見せる。

 

何故怒られたのかが、いまいち理解できていなかったのである。

 

「殿、張文遠殿は殿のことをそれはもう、献身的に看護しておりました。心配のあまり眠れないということもあったようですし、恐らくは殿の身を案じるあまりあのような態度をとったのではないでしょうか」

 

「むむむ」

 

青龍偃月刀を片手にしばらくグルグルと辺りを歩き、決めた。

 

「周倉、お主が正しいのかも知れぬ」

 

「では、私室に赴かれたほうが良いと存じます」

 

「うむ」

 

頷き、周倉の案内に従って張遼の私室へと足を運ぶ。

并州牧時代と同じく、非常に簡素な部屋だった。

 

「……では、私はこれで」

 

「うむ」

 

帽子のような特徴的な兜を上下に揺らしながら周倉がその場を去ると、関籍は一、二回扉を叩いた。

 

「文遠殿、開けてくだされ」

 

「……勝手に入ったらええやん」

 

「それでは礼に失します」

 

暫くの沈黙の後、扉が軋み、開かれる。

 

「失礼いたします」

 

若草のような心地よい香りが満たされた部屋に入り、膝を付いた。

無論、己の非を認めて謝るためである。

 

「……なあ、籍やん」

 

しかし、相手は神速。言の先を取り、やけに弱々しい声で彼の名を呼んだ。

 

「はっ」

 

「もう、どこにも行かんといてな」

 

泣きじゃくる子供のように、親を亡くした孤児のように。

 

「もう、ウチから離れんといてな」

 

震える身体を布団に隠し、零れる涙を陣羽織で拭いながら、必死に懇願した。

 

「……もう、心配させんといて。ウチ、このままやったら心がどうにかなりそうなんや」

 

いつも明るく、快活で。

 

思いやりがあって、温かくて。

 

「……すみません」

 

そんな彼女をここまで変えたのは、自分なのだ。

 

「もう、あのような不覚は取りません」

 

村が賊に襲われたあの時の妹のように泣きじゃくる張遼をぎこちなく抱きしめながら、関籍は誓う。

 

 

二度と、彼女を泣かせはしないことを。


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