義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
「荊州に?」
「ん。呼ばれとるみたいなんや」
荊州牧は孫堅と因縁の如く仲の悪い王叡。嘗て行き掛けの駄賃として孫堅に滅ぼされそうだったところを張遼―――と言うか、その配下の黒騎兵を率いている某籍さんに救われた男である。
「一先ずは江夏に駐屯して、民を慰撫して孫堅に相対してほしいっちゅーことや」
「一先ずは?」
「せや。一先ずは」
江夏。江陵に次ぐ水軍の一大拠点になりうる場所であり、孫堅にとっては目と鼻の先にある要衝であった。
ここを取られれば荊州攻略の橋頭堡を孫堅に与えることとなり、それは即ち荊州が孫堅に取られることを意味していた。
「……まあ、臥牛山にある蓄えも無限ではありません。孫堅は帝の許可も得ずに江東を征し、それに飽くことなく荊州に貪乱なる牙を向ける不忠者。帝から正式に任命されし荊州牧たる王叡殿を助けることに、なんの躊躇いもいらないかと愚考いたします」
「……せや、な。ほなま、行こか」
全軍に通達し、臥牛山を発つ。
190年。張遼・関籍・周倉・閻行らは、荊州江夏へ迎えられる。
愚直なまでに義を徹す愚者たちの、雄飛の時が迫っていた。
「……ところで、籍やん」
「はい」
「部下っちゅーもんは、あれやろ?命張って上官守るもんなんやろ?」
「当たり前です。押し付けはしませんが、少なくとも拙者はそうしようと思っております」
「ほーか、ほーか。ならええんや」
いたずらっぽく笑い、いつもの如く関籍の背中を叩いて先を急ぐ。
涙を流し尽くしたかと思うほどに泣いてから、張遼はいつもの快活さとか、温かさとか言うものを取り戻していた。
襄陽。ここは荊州の中心地であり、四方に交通の通じる交通の要衝でもあった。
荊州牧王叡は、この地に建てられた城で荊州全体の政務を取り仕切っているのである。
「王叡殿、ご健勝そうで何よりでござる」
「いやいやいや、最近少し肺腑が悪くてな。どうも長くはないらしい」
カラカラと笑い、感謝と尊敬の念を滲ませながら王叡は関籍に向かって頭を下げた。
自殺をしようと考えるまでに追い詰められた自分を、圧倒的な武勇と卓越した連携で救いながら何の見返りももとめず去っていく。
その姿に、王叡は得も知れぬ感銘を受けていたのである。
「江夏は荊州を賊から守る要衝。将軍の手腕で守り抜いて下され」
「張奮武将軍がしっかと守り申す。拙者も微力を尽くしますれば、ゆっくりと身体を休められ、また荊州の領民を統治してくだされ」
その言葉を聞いた途端、好々爺然とした王叡の顔が疑問に揺らぐ。
彼は少し考え、僅かに戸惑いながら口を開いた。
「……もしや聞いていなかったのですか、関将軍」
「は?」
「貴殿は帝のご意思によって奮威将軍となられ、張奮武将軍と同格になられたのですぞ。江夏太守も張将軍が『是非関将軍に』と言われ、貴殿が任ぜられたものです」
関籍は、ここに至って気づいた。
また嵌められたことに。
「文遠殿!」
漢を通して認可された以上、断るという選択肢は関籍にはない。
太守を拝命し、江夏城で周倉とパチパチ碁を打っていた張遼に半ば怒鳴りかけながら、関籍は初めての持ち城に入城した。
「おぉ、籍やん―――もとい、関江夏太守やんか」
「何故拙者の主では居てくれないのですか!?」
「だって并州の政治を回しとったの、籍やんやろ?ウチは一将でええし、これ以上庇われんのも嫌なんやもん」
珍しく激した関籍を見て周倉の目が驚きに染まり、碁を打つ手が止まる。
士官二ヶ月で修羅場に巻き込まれる彼女の不運は、最早運命めいたものすら感じられた。
「何故拙者が文遠殿を庇ってはならないのですか!?」
「また庇って死なれたくないからに決まっとるやろが!」
歯軋りしながら顔突きつけて修羅場を展開する二人の間をそろそろと周倉が抜け、碁盤を持って退散する。
関籍と、張遼。
お互いの意地と意地がぶつかり合ったのはこれが初めてであり、退散した周倉はもとより青騎兵や黒騎兵すらもどう手を付けたらいいかわからないという有り様であった。
暴風と突風が荒れ狂っているような惨状は、全く被害を出していないにも関わらず辺りを完全に圧していたのである。
そして、十刻(二時間半)後。
「……では」
「……あん?」
青騎兵と黒騎兵がとっくに退出した、夕刻。
「……友として、拙者の隣に居ていただけますか」
「……ええよ。ずーと、隣に居たるわ」
遂には練兵場で戦い始めた修羅二人が、その身体を横たえていた。
白い装束は汗に濡れ、青い陣羽織はしっとりと素肌にくっついている。
お互いを怪我させるような意図はないとはいえ、本気に近い戦いだったのだ。その凄まじい疲労感も宜なるかなというところであろう。
「風呂入るわ」
「拙者はまだ少し身体の衰えを感じますので、少々鍛えてまいります」
何だかんだで馬が合う二人の立場はこうして逆転し、張遼は晴れて『上司と浮いた仲になるなど不敬』という―――なんの障害かまでは言わずともわかるであろうが―――最大の障害を破壊し、自分の本分であるところの兵の調練に明け暮れることとなった。
関籍は辞儀を低くして名士を尊重して足場を固め、篤実な仕事ぶりで民の信頼を徐々に受けていく。
この立場交代は、非常にうまく機能したのである。
まず関籍が一番最初に行ったのが、河賊の抱き込みであった。侠としてその名を鳴らしていた時の友である甘寧を頭にした複数の河賊の連合を水軍として起用しようとしたのである。
これは勿論、孫堅勢力との引き抜き合いになった。謀略などもいろいろあった……らしい。
そこらへんに疎い関籍は最初から『引き抜き合いに勝って大量に雇う』と言うよりも『民に迷惑をかけていない信頼できる少数を雇う』と言う方針をとっていたので、謀略に関しては全く感知していなかった。
故に、最初から目星をつけていた河賊一派である甘寧が諜報力を活かして頑張ることになったのである。
結果集まったのは、甘寧ら命知らずの一本筋の通った精鋭のみ。予算もない、軍師もいない、謀将もいない関籍陣営の限界が、この少数精鋭制によく現れていた。
この、河賊の起用。
これに関しては、皮肉なことに水軍の殆どが度重なる孫堅との戦闘で摩耗していったことは、この場合肯定的に働いた。
水軍の内の九割が甘寧に付いてきた野郎どもであり、費用が通常よりも安く済んだのである。
給料が旧来の水軍と比べて安い代わりに、彼女らの格は高かった。
甘寧は都督と言う、江夏一帯の水軍の軍権の一切を統括する職にいきなりつけられることになったのである。
侠仲間であった文聘や張任が私兵を連れて駆けつけてきてくれたこともあり、江夏の壊滅寸前の軍は殆ど持ち直した。
奮武将軍の張遼、騎都尉の閻行、都尉の張任、同じく都尉の文聘。
臥牛山で合流した郝昭、周倉は関籍直属の私兵部隊の長でしかなかったが、精強な三万の歩兵、七千あまりの騎兵を従えている以上そこらの都尉よりも武力があった。
例外だらけの江夏統治は官職・階級的な矛盾点を多く孕みながらも何回かの孫堅の侵攻に耐え、無茶振りに答えることに定評のある男・関籍の元で中々にうまくいっていたのである。
「籍様」
「何だ、興覇」
「密偵から報告が参りました」
その水軍都督は、天井裏から現れた。
最早侠の頃から現れ方が何も変わっていない友の隠業に感心しながら、関籍は竹簡に何やら書き足す作業を止める。
「孫堅がまたもや来るようです。兵は五万」
「仲業と伯道は何と?」
仲業こと文聘と郝昭こと伯道は最前線たる江夏の更に最前線に要塞を築いて三度に渡る孫堅の侵攻を防いでいた。
興覇こと甘寧はその掩護として度々水軍を動かして退路を断つ動きを示し、追ってきたならば水上に築いた要塞に引き篭もるという専守防衛の姿勢で戦にあたると同時に、侠の諜報網を健生化し、孫堅が城を出ればその二日後には伝わるような優れた諜報網を作っていたのである。
「『大丈夫です。全く問題はありません。奴さん、火計の的になりたいようです』、と。兵も士気は盛んですから、援軍は形だけでよろしいかと」
「一度徹底的に叩きたいのだがな……」
軍師がいない。
関籍は虎牢関でのあの惨状で、軍師というものに得体の知れない恐怖を抱いていた。
その恐怖は主に武に偏重しているとはいえ、優秀な人材を数多く揃えた今も変わらず、自然と備えを守備寄りにしていたのである。
関籍の戦術の粋を集めた『勝てはしないが、絶対に負けはしない』備えを最前線に築いたばかりに、彼は益々追撃を嫌うようになっていた。
「無理はしないべきでしょう。孫堅は負けても立て直せますが、我々はそうもいきません」
「うむ」
一回追撃して敵船団の前衛を粗方葬り去り、いい気になっていたところを包囲されかけた甘寧の言は、重かった。
叩き上げ特有の卓越した戦術的な勘を持っていたから甘寧は僅かな被害も出さずに逃げ帰れたが、一瞬でも判断が遅れたら壊滅していたであろうという確信が、彼女にはある。
「では、当分はそのように」
「ああ、苦労を掛けるな」
「勿体無い言葉です、籍様」
天井裏から出てきた水軍都督は、天井裏へと消えていく。
誰が見ても、彼女は間諜のたぐいにしか見えなかった。
「失礼いたします」
「うん?」
「お目通り願いたいという、者が居ります」
政務を再開できなかった関籍は、筆を墨につけながら考える。
仕事と人事。どちらを取るか。
答えは決まりきっていた。
「会おう。名は?」
「はっ。その者の名は確か、戯志才……だったかと」