義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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秀才と天才

関籍の主簿―――すなわち、一番長く側に居る秘書のような立ち位置にあって教わり、かなりの頻度でサボり半分に訪ねてくる張遼の薫陶をも受けた馬謖によって左翼の将である呉景が討たれる。

 

そのあっと言う間の出来事に於いて対応できた者は、馬謖と関籍、そして郭嘉のみであった。

 

では、疾風のようにその場を去っていった馬謖の隊を収容、再び全軍ひとかたまりとなった関籍率いる右翼に在って一番最初に動いたのは、誰であったか。

 

「敵は崩れた。突撃だ」

 

超局地的な指揮官である、関籍である。

この男は、無意識下の意識操作が得意であった。

即ちそれは人望と呼ばれるものであったり、或いは敵の恐怖心を煽ったりするものであろう。兎に角、彼は敵がいつ恐怖心を抱きはじめ、いつそれが臨界点になるかを経験で知っていた。

 

この場合も、そうである。

 

関籍と言う孫家の大敵に対し、彼らは敵意を抱いていた。しかしそれは、恐怖の裏返しでもあったのである。

 

目の前で暴れまくる関籍を見て溜まった恐怖が、鮮やかすぎる馬謖の討ち取りで膨れ上がった。

そして、今の『崩れた』という言葉でその恐怖が破裂したのである。

 

崩れた軍ならば、最早戦うすべはない。将もなく、統制もきかない。更には敵が突撃してきた。

 

抵抗する気概のある者を素早く見分けた関籍が討ち、その討ち漏らしを馬謖が薙刀で斬り裂く。

 

あっという間に敵陣左翼を崩し終え、右翼を散り散りにした張遼軍と合流。

 

郝昭が前衛にしていた弓なりの陣形が割れ、左翼と右翼に付随する。

 

孫堅の率いる孫家精鋭歩兵は郝昭の優れた指揮も相まって天下有数の堅陣を敷いていた重装歩兵を半ば突破仕掛けており、弓なりの陣を真っ二つにしたまま―――つまり、V字型の中途半端な錘行陣を敷いたまま完全にその進撃を止められていた。

 

前のみを向いて突き進んでいたその時、右翼と左翼を関籍と張遼が一気に後方から押しまくり、押しまくられて出来た敵陣の罅を馬謖が機敏に荒らし回って更に広げる。

 

関籍。

張遼。

郝昭。

 

そして、馬謖。

 

并州以来の三人と、そのうち二人の弟子の如き若武者の見事な連携と軍師郭嘉の采配で、後方を潰して統率を乱し、混乱させた後に長大な包囲陣が完成したのである。

 

包囲されたとわかった孫堅軍は、更に追い打ちをかけられたかのように混乱した。

指揮官が声を枯らして叫んでも統制はきかず、更に深みに嵌っていくだけだったのである。

 

「練度が低いな」

 

少し進むだけで自らの仲間を圧死させていく、混乱の極みにある敵兵を見て、関籍は呟いた。

自分たちの軍ならば四方を包囲されても一方へ戦力を集中・包囲陣を突っ切れるだろうと思ったのである。

 

「彼らは急速に勢力を伸ばし、様々な豪族を傘下に入れて、時には在野の山賊すらも引き入れてきました。

勝っている間は、兵は増えます。勝てば自由に略奪ができるのですから」

 

「…………それは禽獣だ」

 

「大半の兵は、傭兵。傭兵とは略奪と報酬のみが戦う理由です。そんな理性や志などよりも目の前の利を取るでしょう」

 

事実、この当時の大半の諸侯の軍の八割方は傭兵で構成されていた。

代表的なもので言うならば、曹操の青州兵だろう。

百万を謳われた青州兵は、曹操一代限りの傭兵集団として精強を謳われていた。

 

「曹操の青州兵も略奪の最中に味方である于禁に襲われ、程々にするようになったようですが」

 

「当たり前だ」

 

潔癖で、頑ななところがある。

そう思い、郭嘉は静かにため息をついた。

 

傭兵の略奪は容認しなければならないところもある。何せ、一気に勢力を伸ばすには数が入り、その中には略奪が目的で参加しているものもいるのだから。

 

関籍軍の大半は義によって従った私兵であり、半ば専門の戦闘要員でありながら農作業にも手を出している奇特な連中だったが、皆が皆そうではない。

 

(時をかけるしかありませんか)

 

じっくり兵を練り、軍規を整え、編制を明らかにする。

一年でやり遂げなければ、齟齬も出るだろうが、それが選ぶ道ならばしかたがない。

 

「ともあれ、孫堅は揚州の統一を急ぎすぎました。練度と用兵が比例せず、将には兵がついていかず、頼みの私兵も味方に阻まれて無為に散るのみ」

 

「うむ」

 

逃げることも、中央突破もできず、気づくものがあっても味方に阻まれて動けない。

 

「この包囲殲滅戦は、危険な点もありました。下手をすれば被害も真っ直ぐ当たるのと同等な可能性もありました」

 

「だが、理由があったのだろう?」

 

「成功した時に得られる武名と、敵の練度の低さによる成功率の高さを天秤にかけ、決断した次第です」

 

郭嘉の計算に狂いはなかった。敵は練度の低さによる機敏な用兵ができず、私兵を温存していたがために身動きが取れなくなった挙句の果てには私兵を無抵抗のまま討たれている。

 

「郭嘉、動いたぞ」

 

「はい」

 

後方に向かい、孫堅の私兵たちが退いていく。

包囲陣に嵌った瞬間、傭兵と豪族たちの兵を切り捨て、核となる私兵を生かすことを選択したのだのである。

 

「逃げるぞ、奴は」

 

一回影武者を使われた苦い経験があるからか、すぐさまそちらへ向かおうと馬首を返した。

 

「まあまあ。それよりも彼らに降伏を促すべきです。山賊野盗のゴロツキの中にも、光るものはおりましょう」

 

「揚州牧にもかかわらず荊州を侵略せんとする逆臣を逃がすのか?」

 

「逃しません。ここまで、私の計算通りです。

あれは馬謖あたりに追わせ、関籍殿は彼らを帰順させながらゆるりと江夏で吉報をお待ちください」

 

お互い、静かな声ながらある種の凄みを纏わせた会話であった。

 

郭嘉には孫堅の首を含めた先の展望があり、関籍には謀反人を殺すという執念に似た感情があったのである。

 

「……軍師の言う通りにしよう」

 

「お聞き入れいただき、感謝いたします」

 

こうして、六万の孫堅軍の内二万が降伏し、他は討たれた。

 

そして、私兵を引き連れて逃げた孫堅は一路柴桑へと落ち延びるのである。

 

野戦は、終わった。

 

しかし。

 

「追撃をかけろ、疾風の如く!」

 

まだまだ元気な若武者が、孫家の私兵の後背を突いた。

後に百里を一日で駆けると謳われた、疾風の猟犬が解き放たれたのである。

 

「母様、ここは私が!」

 

応戦したのは、孫策。豪傑の名高い孫家の嫡子。

若武者同士の、戦いであった。

 

「孫策!漢に仇なす叛の一族!申し開きはあるか!」

 

「あるわけないでしょうが!」

 

「ならば死ね!」

 

薙刀と、大剣。両者がぶつかり合い、火花を散らす。

 

「非力!」

 

均衡は、一瞬で崩れた。

気の使い方を熟知し、豊富な気に恵まれている天才と、上の下程度の秀才。

勝負は一瞬でつくように、思えた。

 

「なるほど、剛力だな」

 

払い、弾き、いなし、避け。

 

百合に至るまで、馬謖は紙一重で耐え抜くことを選んだ。

 

勝てないならば、負けない。

 

負けなければ、勝ち目はある。

 

「ウザったいわね!」

 

「そこだ!」

 

振りかぶった瞬間、脇腹に一刺し。

痛みに怯んだ微か瞬間に、神速に僅か届かぬ烈風の突きが壁の如き範囲を以って孫策に襲いかかった。

 

手数と、速さ。それに、急所を違わぬ正確さ。それを磨き上げようと練磨するのが馬謖の槍術である。

 

「くっ……!」

 

盾としていた大剣が執拗に同じ部位を突かれ、耐久力が限界に達す。

 

誰もが、馬謖の勝ちだと確信した。

 

「退かれよ、策殿!」

 

放たれた矢が馬の額を貫き穿ち、力を失って地に伏す。

 

「ぐ!?」

 

まるで何が起きたのかわからなかった馬謖もつんのめるように前に落ち、すぐさま受け身をとって立ち上がる。

 

「大丈夫ですか、馬主簿」

 

「……ああ。孫策を討てなかったのは残念だが、役目は果たした」

 

「役目?」

 

そんなものは、孫堅を討つことではないのか。

配下の顔に浮かんだ疑念を察したのか、馬謖はゆっくりと口を開いた。

 

「我々は、囮だ」

 

「は?」

 

「郭嘉殿は師父が軍師と認めた者だ。逃げ道を予想して兵を伏せるくらいはやっていよう。ならば我々の役目は、陽動だ。追撃が終わったと想わせて油断した心理を突き、確実に殺す。それくらいなことはしかねん」

 

目の前に在る林と、その後に続く隘路。ここで孫堅の命は潰えることになるだろうと、馬謖はそう予想した。

 

場数を踏み、二人の一流の将に鍛えられた若武者は、将たる才質を示しつつあったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伏兵。即ち、開戦前に後方十五里に伏せていた、張任隊。

 

夏口から聞こえる喚声にやきもきさせられている部下を見ながら、張任は静かに精神を研ぎ澄ませていた。

 

来る。

 

そう軍師が言って、友が信じた。

ならば来る。

 

それだけで充分、信じるに足る。

 

「……見えた」

 

赤い、布。

 

赤い頭巾。最早それしか見えなかった。

 

「まず、孫堅を仕留める。その後一斉射撃だ」

 

無言で『諾』と返した部下全員が、張任の弓を見つめていた。

 

一秒、二秒。

 

満月の如く引き絞られた矢は、遂に孫堅に向かって放たれる。

 

隣に居た娘らしき将が、口を開いた。

 

伏兵を、察知したのか。或いは自分を察知したのか。勘、という奴なのか。

 

 

「我が主の、我が友の治める地を荒らし――――」

 

額に、突き刺さる。

赤き頭巾に咲く、見栄えのしない朱の華。

 

「逃げられるとでも思ったか」

 

後から続く矢の雨を受ける間もなく、孫堅の息は絶えていた。


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