義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
「ほぉー……やっぱし都っちゅーのは華やかなもんやなぁ」
相変わらずのサラシ、上掛け、袴と言う軽装で張遼は洛陽を闊歩していた。
一歩後ろには雲を突かんばかりの大男が控え、身の丈にあった長大な偃月刀が奇抜な格好をした彼女により一層の人目を集める。
「そうですな」
相槌を打つ一方の男は熱いというのに黒い頭巾に黒い直垂、黒い鎧の黒づくめ。
張遼よりはマシな格好と言えるだろうが、異様なことは確かだった。
「なんや、籍やんは洛陽から来たんやろ?」
「はい」
「何かこう……懐かしいとかあらへんのか?」
「ありませんな」
城門付近でそんなことを聞かれた関籍は膠も無く切り捨ると、城門から出て乗馬する。
紺碧の鎧を着た三百騎と、漆黒の鎧を着た百騎が、城門の外で二人を迎えた。
「行き先は潁川。朱右中郎将と合流し、彼の地に巣くう黄巾を討つ」
関籍の重厚な声が義憤を帯びて発せられ、四百騎の兵の背筋が伸びる。
張遼直属の青騎兵と、関籍直属の黒騎兵。并州屈指の精鋭部隊が、洛陽郊外に集結していた。
「進発」
馬を僅かに急がせながら青い獣となって道を突き進む一団に、黒い獣が追従する。
青騎兵は通常では考えられない速さと優れた突破力を持ち、黒騎兵は強行軍と長駆に向いた粘り強さと休憩を挟む必要のない頑健さを持っていた。
「籍やん、降りるで」
「頃合いですか?」
「疲れさせると急事に対応できひんしな。だいたい一刻駆けたら降りた方がええやろ」
腕を上げ、速度がゆるりと落とされていく。
まず黒騎兵が軽やかに馬から降り立ち、落とした速度を保ちながら手綱を持った。
「駆け、始め!」
号令をかけた関籍の姿も馬上にはなく、手綱を引きつつ大地を疾駆する。
馬に疲れを溜めぬよう、一刻ごとに降りて走る。それが一番効率的な進軍の仕方であった。
「それ、乗れや!」
二度目の騎乗を果たした両騎兵部隊は進発したときと同程度の進軍速度を保ち、一路朱儁の元へとひた駆ける。
一日で平均七百里を走る強行軍の末、并州軍が朱儁の籠もる長社へたどり着いたのは五月の半ばのことであった。
「籍やん、どないしよか?」
びたーんと身体を力なく卓上に横たえ、張遼はそうこぼした。
隣で何やら本を写しているのは、関籍。知略の面では未知数だが、武に於いては相当頼れる副官である。
「……戦局の打開をお望みか、或いは募兵がままならぬ現状を打開するのがお望みか?」
「どっちもやな。何せ兵がなきゃ戦には勝てへんのに、勝たなきゃ兵は集まらん。相当ヤバいんやないか、これ」
春秋左氏伝を写す手を一端止め、関籍は少しため息をついた。
突破できないこともない。しかし、それには多大な被害を被ることになるだろう。
それでは、勝利とは言えない。
「身分を問わぬと仰せならばこの関籍、心辺りがございます」
「おお、で、どっちのや?」
「兵です。
徐州が一郡、東海郡に我が友が二千の兵とともに世を憂いております。その者、太守の不正を糺そうとした父を救うために罪を犯しました。これを許されればその兵尽く服し、漢朝を支える一助となりましょう」
「罪人かぁ……まあ、ウチが何とか掛け合ったるわ。遠慮なく呼びぃ」
「呼び出してはおります」
場の空気が凍り、関籍の居住まいがより一層ただされる。
「独断で行動した咎は、お受けいたします」
諸手を地に付け、関籍の巨躯が伏せられた。
危惧があり、それが的中したとは言え、独断専行は褒められるべきではないと思っていたのである。
「かまへんかまへん。どうせ兵足りんとか思って気ぃ回しといてくれたんやろ?」
関籍の全身から伝わってくる謝意を見せられては、怒る気などは起こらなかった。
自分の身を案じてくれて起こしてくれた行動を叱り飛ばせば、部下の働きが不活発になることを、張遼はよく知っていたのである。
「だけどまあ、これからは報告してな?」
「はっ」
返事をした数十秒後にやっと上げられた顔には、まだすまなさげな表情が残っていた。
「臧覇という男が指揮を取っており、恐れながら彼の兵は一団として臧覇につかせたままにする方がよいと思われます」
「おう、全然かまへんけど……なんやその顔は」
「……拙者を疑わないのですか?」
関籍配下の百騎に、臧覇率いる二千。これがあれば目の前にいる将の首を取り、黄巾に寝返ることも可能だった。
「あぁ、ウチはでっかい女やからな。部下疑う暇あったら裏切られんよう自分を磨くわ」
胸を叩いてそう宣言した張遼の潔さに、関籍の口角が僅かにあがる。
「……文遠殿は、万騎を率いても満たぬ器をお持ちです」
「せやろか?まあ、嬉しいからその世辞は受け取っとくわ」
ほなな、と言い残して自分の天幕に帰って行く張遼を見送り、関籍は静かに呟いた。
「男の身ながら引き立てていただいた恩、せめて我が身を以て尽くすことにより、お返ししたいと思います」
洛陽で兵となり、并州へ異動することが決まったときに妹に貰った偃月刀を両手で持ち、燭台から漏れる光にかざす。
「すまんな、羽。まだ拙者は、お主の元へ参るわけにはいかんようだ」
黄巾を討つ為の義兵を挙げ、主君と仰ぐお方にも会えました。願わくば兄上にも、そのお方を支えてほしく思います―――
まだ見ぬ妹の主が、どのような人傑かはわからない。
「そなたにも、勝利の栄光があらんことを」
偃月刀の煌めきに祈り、立ち上がる。
遠く馬蹄の音が、この場へ近付いてきていた。
「文遠殿」
「おお、なんや関籍」
騎都尉の曹操と友軍の臧覇が到着し、陣を構えた数日後のことである。
関籍は、突然こう切り出した。
「今夜か明日、朱右中郎将が打って出ると思われます」
「唐突やな。理由はあるんやろ?」
「はっ」
一礼し、組んでいた手を空にかざす。
「拙者、妹を連れて諸州を旅して回っていた時期がありもうした」
「ほう」
「ここ、潁川では五月中旬から下旬にかけてに乾いた強風が吹き荒れることがあります。昨夜はその兆候が天文に現れておりました」
「……火ってことかいな」
無言で再び一礼し、更に言葉を紡ぐ。
「朱中郎将は機を見るに敏な名将でございます。必ずや火計でもって敵兵を混乱させ、曹騎都尉は城方との連携の機を逃さずに背後から奇襲・敵を撃破することでしょう」
聞く者を安心させるような穏やかさを持つ声色に、確かな自信が現れていた。
張遼のと比べて太い指が地図のある一点を指し示し、何度か叩く。
「我々はこの隘路で待ち構え、敗走してきた黄巾賊を残らず殲滅すべきかと」
「読めたで、関籍」
「は?」
「臧覇の二千をここに伏せて、ウチらは曹騎都尉と提携して敵を攪乱する気やろ?」
功を立てれば罪が許されるというわけではない。
しかし、その一助になることは確かだった。
「はっ。どうか臧覇に機会を与えてやって下さりますよう、この関籍、伏してお願い申し上げます」
「伏さんでもええって。情に流されて作戦が甘くなったわけじゃあらへんしな」
「それでは―――」
珍しく笑顔を見せた関籍の様子に苦笑しつつ、張遼はひらひら手を振りながら、言った。
「臧覇によろしゅういっとけや、籍やん」
「はっ!」
勇躍して駆け出す大きな背中を見つつ、張遼は地図をちらりとながめ、ため息をついた。
「―――なーんで三日やそこらでこんな地図作れるんかいな」
精巧な地形図と、長社を中心とした敵軍の布陣までがかかれた地図。
ただの武一辺倒な元農民が、作れるはずのないもの。
「……今夜か明日、か」
獰猛な獣を思わせる笑みを浮かべ、張遼は地図を丸めて立ち上がる。
武人の血が、いつになく騒いでいた。