義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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三面楚歌

豊穣な荊州の大地に雨が降り、栄養を含んだ黒土を潤す。

 

雨季。豊作には必要不可欠な季節が今、荊州にも訪れていた。

 

「いい雨だな、軍師」

 

「作物は潤い、河は荒れて水嵩を増します。正に水攻めの絶好期でしょう」

 

「うむ」

 

綺麗に整備された緑生い茂る庭の木々の葉に水滴が付着し、落ちる。

某孟徳ならば詩の一作でも作れそうなほどに情景としても中々な景色に対して、この反応はどうだろうか。

 

関籍は毎年のように程よく雨が降るものだと思っており、郭嘉は軍略・政略のことしか頭に浮かばない。

雅のない主従であることは確かだった。

 

「軍師。あれから三日経つが、どうだ?」

 

「来ます。必ず」

 

雨が程よく降ることを祈りながら、関籍は治水のことを考え、郭嘉は水攻めの効率化のことを考える。

 

某孟徳さんは陣中で、詩を作っては消し、添削しては首をひねっていた。

雅で多才な孟徳さんに見られる雨は詩になるが、この主従に見られる雨は兵器になる。

ものの見方は、人それぞれであった。

 

「……詩でも作りたくなるが、生憎拙者には詩才がない」

 

「あなたには統率力と武勇があれば充分です。他は人としての純度を下げることになりかねません」

 

割りとあんまりなことをサラッと言った郭嘉を咎めず、関籍はただ雨を見続ける。

自覚もあったのである。

 

「申し上げます!劉徐州牧より使者が参りました!」

 

某孟徳さんが納得のいく詩を作り上げた瞬間、庭の見える襄陽城の一室に報告官が躍り込む。

 

「思ったより遅かったですね」

 

「軍師の予想は正午だったが……今は夕刻。外れることもあるものだな」

 

「それはまあ、私も三日後の天気まではわかりませんから」

 

星を読んでわかるのは翌日の天気である以上、郭嘉の読み違えもしかたのないこと……なのだろう。

 

ここまで読めることが、異常なのだが。

 

「……さて、参りましょうか」

 

眼鏡の弦を軽く押し上げ、郭嘉はゆっくりと歩き出す。

 

主がどこまで寛容なのか、主がどこまで怒らないで済むのか。

 

『心のままに』と言った以上は虚偽粉飾や我慢はない。あるがままが、見られる。

 

これからの策を立てるに必須となる、『見切り』。

 

歪な虚の器の変動する沸点を見極めるには、数をこなすことが必要だった。

 

(まあ怒りの沸点などは本来不確定で然るべきものですが……)

 

いつも同じところで怒りはしないし、気分次第でどうとでもなる。

しかし、見ておくに越したことはなかった。

 

「劉徐州牧の使者、関雲長と申します」

 

「輔国将軍漢寿亭候、荊州牧の関籍だ」

 

少し恨みを込めた眼差しを向け、一礼した関羽の視線に気づかず、礼を返す。

善意には敏感であり義理を感じるが、彼は悪意には鈍感だった。

 

「私個人としてはとても」

 

ぐぐっと何かを呑み込むような動作をし、口をへの字に曲げる。

 

「とっっっても、言いたいことは色々あるのですが、これは主命です」

 

「主命を怠らぬのが臣足る者の役割だ。私用は果たしてからにするがいいだろう」

 

関羽の額に青筋が浮き、口元がヒクヒクと痙攣し始めた。

 

関羽は激怒していたのである。

 

兄が死んだと思って泣きながら喪に服していたら兄は南方で元気に敵を唐竹割りにしていたし、もしや自分が幽州に居ることを知らず徐州の桃香様の元に健在の報告を出してくれているのかと思いきやそんなことはなく。

 

戻ってきて兄からの連絡がないとわかった瞬間に曹操が訓練を終えた青州兵を率いて攻め込んできたばっかりに下邳城から一騎、馬を飛ばして荊州くんだりまで行かねばならない。

 

関羽は不幸であった。

 

抑えきれないほどに多量な肉親への情があったことが更に不幸を呼んだ。

傍から見れば傲慢そうに見えたのである。実際は兄が悪いのだが。

 

「……ふぅ」

 

呼吸で怒りを鎮め、落ち着きを取り戻す。

 

「徐州へ、援軍へ来ていただけないでしょうか」

 

「それは些か以上に、都合が良すぎるのではありませんか」

 

周倉。常に側に控える近衛歩兵一万の軍団長が、不満を明らかにしながら口を開いた。

普段は暇した張遼と碁を打ったり馬謖と手合わせしたり、近衛歩兵を訓練したりと忙しい彼女だが、その目まぐるしい働きぶりは軍中でも名物となっている。

 

智はそれほどでもないが、武は馬謖と互するというのが関籍軍の将たちのつけた評価であった。

 

「関籍殿がただ一人模範たる義を示したというのに、誰一人続くものが居なかった。その連合が反董卓連合軍でしょう。ならば連合軍は連合軍どうし助け合えば良いのではないですか」

 

「周倉」

 

怒りはないが、威を以って制す。

関籍は、自然とそのような行動をとれていた。

 

「出過ぎた真似を、お許しください」

 

「構わん」

 

笑って許した関籍に対し、帽子の様な兜を外した周倉の頭が下げられる。

意図してはいないだろうが、周倉は臣下の大方が思っていることを代弁した。その無形を有にする果断な行動を咎める理由は、関籍にはない。

 

「何故我らに頼むのかな?」

 

「明らかな敗軍に味方するものはあなたしか居ないからです」

 

それは侠であって義ではない。

微妙な緊迫感が漂う空間を、雷鳴のような怒声が切り裂いた。

 

「私闘に手を貸す道理はない!」

 

吼えるような声に、立ち並ぶものの殆どが怯む。

怯まなかったのは、張遼と郭嘉だけだった。

 

「私闘ではありません!」

 

「帝から袁紹が無理矢理にもぎ取り、ばら撒いた官職に就いた者共が争い合っているだけであろうが!」

 

反董卓連合軍に参加した諸侯の内、曹操以外が全て大幅な出世を果たしていた。

あと、公孫瓚も出世の沙汰はなかった。

陳留太守の曹操が得たのは各地に散らばる黄巾賊の討伐権くらいなものである。

曹操は袁紹からではなく、帝から正式にその権利を認可されるとすぐさま行使。兗州一帯の平穏を取り戻し、一気に青州まで黄巾を駆逐。

青・兗の二州はこれをもって黄巾から完全に開放されたのである。

 

この功をもって曹操は正式に、帝から兗州を任された。

 

袁紹からではなく、帝から。

 

よって、関籍の中で正式な土地所有者は、

 

兗州の曹操。

 

蜀の劉焉。

 

幽州の公孫瓚。

 

荊州の王叡。

 

これら五州だけであり、臥牛山に居た頃は身を寄せるならばこの五州―――と言うよりも、四人―――のどれかにしようかと思っていた。

 

現在は荊州牧が自分に代わり、公孫瓚が攻め潰され、青州は空になったところを袁紹が奪った為、蜀と荊州と兗州以外は全て無法地帯か謀反人と言う、憤死しかねない地図になっている。

 

この憤死確実な地図の中でもまだ許せなくもなくないのが、徐州。

 

袁紹とか袁紹とか袁紹とかが領土拡張の鬼となっている中で、善政の聴こえも高く動きを見せていない劉備領だったのである。

 

幽・冀・并・青の河北四州を占める袁紹と、豫州の袁術。孫策のものになるであろう揚州。司隷・擁・涼の三州を占めている李傕・郭汜・李儒。無法地帯な交州。

 

四面楚歌とか言う場合ではないほど、洒落にならない四面楚歌状態だった。

 

何せ蜀以外の周りが全て敵なのだから。

 

「そんな奴らの側にはつけん……が」

 

何故曹操が動いたのかが気になる。

関籍の気持ちはそれだけだった。

 

「援軍は出す。曹操に正当な理由がなくば、戦う。しかし、正当な理由があれば戦わん」

 

無理矢理とは言え、帝から徐州を任されたことには任されたのだから、侵略は侵略。

 

ただの侵略は漢に叛くことになる。それが、関籍の決定であった。


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