義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
関籍と袁術ら連合軍の戦いが起こる、五日前。
援兵を送らなかったことが仇となったかな、と。今更ながらに郭嘉は思った。
曹操と秘密裏に約定を交わしたが為に、援兵を断り、曹操は何をすることもなく兵を引いたということになっている。
曹操は漢帝国の臣、関籍も漢帝国の臣。劉備は袁家閥に属する牧。
曹操と関籍が何らかの密約を結んで涼・擁・司隷・并・冀・幽・青・徐・揚・豫・交の十一州に影響力を及ぼす天下に一番近い勢力であり、漢を脅かす最大勢力でもある袁家に対抗しようとするのは明らかだった。
故に曹操による徐州侵攻も対袁家の一環と考え、潰し合いをさせる目論見――――或いは、組んでいるか組んでいないかの真贋を確かめる為に援兵を要請したのであろう。
そしてその結果、『出さない』ということで曹操との密約を結んでいると判断された。
全くそのようなことはなかったのであるが。
(真贋を確かめる為ならば、出してもよかったか)
全員が生き残る為に他国の意思を見極め、頼むに足る口を見極めようと足掻くこの時代において、行動に枷がかかるとこのようなざまになる。
誤解を与えて、旗幟を鮮明にさせてしまった、とかだったり。
(曹兗州牧は袁紹と李傕らの攻勢に防戦一方。こちらも戦術的な勝利はあれど城は取られているし、侵略されている以上は国力も落ちる)
勝とうが負けようが、関係ない。
関籍と言う男は、漢の子らである民を酷使することを病的に嫌う。
絶対に、復興に専念することになるだろう。
二年か、三年か。ともあれ、時間がかかることは確かだ。
(その間に地盤を固めるつもりですか、孔明)
人の心を読み切ったいい手だろう。実質的にこちらに服しきっていない江陵以南―――武陵の南半分と零陵・臨賀・桂陽は放棄せざるを得ないのだから。
服しきっていない土地を速やかに侵略し、徐州と言う伸びようのない土地を捨てて移る。
外交がうまく行けば成功が確実とはいえ、果断な決断だった。
「報告!長沙から劉備軍が退き上げ、占領中の桂陽に入りました!」
「……流石の劉備も『小関籍』には手を焼きますか」
色鮮やかな旗を授けられた董卓軍の軍団長たちと、異民族に恐怖を与えるためだけに染め上げた色備え。
紅赤は、呂布。
銀灰は、華雄。
漆黒は、関籍。
紺碧は、張遼。
紫紺は、甘寧。
いずれも百戦錬磨の猛将どもである。
荊州入りしてから、新たに増えた色は紫紺の甘寧と、あと一人。
と言うより紫紺は水軍に与えられた色なので、『甘寧の色』というよりは『荊州水軍の色』と言えるかもしれない。
そのあと一人が、現在の長沙太守。
三十代が一人居るだけであとは全て二十代と言う中に、十代で抜擢された『小関籍』。
旗は白。率いるのは歩・騎両兵。
敵が死ぬまで噛み付くことをやめない番犬率いる白備えが、侵攻してきた張飛の一万を迎撃していた。
農奴出身の一兵卒から異様な出世を果たした彼女の主な役割は、練兵。
志願兵と領民兵のそれぞれに適切な訓練を課した後に志願兵の適性―――即ち、騎兵だとか弓兵だとか下級士官だとか―――に分け、その素質を花開かせるのが仕事である。
荊州兵が何倍かの戦力をひっくり返すことが可能なのはやはり、その兵尽くが精鋭で構成されているからだろう。彼女はその、屋台骨とも言える役割を果たしていた。
民政家でもある。優れた戦術家でもあるし、何よりも一途で忠義に厚い。故に付けられた名が、『小関籍』。
意味はそのまま、小型の関籍と言ったようなものである。
「軍師」
「速いですね、小関籍」
「その渾名は畏れ多いぞ、軍師……ッ!」
似てるからこそ、類似型の人の型としてのからかい甲斐がある。
密やかな愉悦に口角を上げながら、郭嘉は静かに口を開いた。
「まあまあ。関籍殿は気にしないと思いますよ?」
「ワタシが気にするんだ!」
最初は黒が一番好きで、次に白が一番好きになった。
何というか、そういう好みの変遷がよくわかる配色な彼女は、白備えの主将だと言うのに黒を基調とした軍装である。
世の中には黒一色の軍を率いているのに真っ白な軍装で先陣切って突っ込むような一州の牧も居るのだから問題はないような気もするが。
「兎に角、長沙は安泰だ。諸陣地を山中や森に交錯させて防衛しているから、侵入してきてもまず抜かれることはないと思う」
「そうですか。では、北進を許可しましょう」
わざわざこれを言いに来たならば、誰であろうと用件はわかる。
北進。つまり彼女の求めることは、関籍の野戦軍団への合流であった。
「後任は傅彤に任せた。ワタシの直轄の兵は二千、皆歩兵だ」
「傅彤ですか」
良将である。
何よりも彼女は、目の前の長沙太守の幼き頃よりの友だった。
「……傅彤もワタシも、嘗て王荊州牧の治める襄陽に避難していたときにあの電撃の戦を見て、憧れた質だ」
電撃戦は八年前だから、この長沙太守はや十歳やそこら。確かに幼い頃にあんなものを見れば影響を受けずにはいられまい。
「だから、お得意は強行軍と強襲だと?」
「……いいだろ、別に」
姓は魏。名は延。字は文長。
延は『長引かせる』であり、遼は『遙かである』。
長は『久しい』であり、遠はまた『遙かである』と言う意味を持つ。
関籍の名前占いの凝りっぷりによって新兵名簿から既に『張遼と似た名前だ』と目をつけられ、実物を見るに値して素質を見極め、育てる。
「いってらっしゃい、魏文長。量産型とは言え、その手に持つは偃月刀。負けは恥と心得ることです」
「わかってるさ」
名と字で興味を持たれ、その才覚によって成り上がり、張遼の用兵の後継者こと馬謖と双璧として並び称されることなる。
善養士卒の才と民政家ぶりも含めて関籍の後継者とされた彼女は、遂にその名を荊州より外に響かせることとなった。
それと同時に。
「……師父の言はなし。されど己の裁量で動けてこその、将」
「義陽より離れる、と?」
「ああ」
神速にして隠密の行軍が、動く。
本来の才幹を見出され、磨かれた二人は走り出した。
この国、漢を護る為に。
「天も地も、聞き届けられよ」
眼前に広がる、二十五万。
圧巻の光景に一切興味を示さず、関籍は腕を大きく天に広げた。
「兵の半数を殺せば我らの勝ち、この関籍の首を取ればそちらの勝ちと定める」
地に突き刺した偃月刀と、天に翳した諸手。
一度しっかりと瞑目し、傍らに立つ愛馬に跨る。
「削るぞ」
声を以って応える者は、居ない。
ただ一斉に馬に乗る音を以って、その言の葉に彼らは応えた。
「突撃してくる敵に退くは我らに非ず」
騎兵の防御力の弱さ。
その弱点をつこうとしたのだろうが。
「攻めよ。敵を呑み込み、勢に加えてしまえ」
喚声高らかに怒涛の如く迫りくる二十五万に、無言の五千の騎兵が突撃する。
195年梅雨。
連合軍に攻められてより丁度一年。
南陽の戦いは、幕を開けた。