義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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推奨BGM 真・三國無双5 登山家のテーマ


擬似天才

「……ふむ」

 

「御大将、まだですか」

 

「呂公、それより見てみたらどうだ?」

 

峻険な崖を持つ山の山頂に布陣し、正に高みの見物中である馬謖に副官に任ぜられた呂公が声を掛ける。

 

返ってきたのは、呑気な返事。

 

「あれが、騎兵だ」

 

「知っています」

 

あれが騎兵など、わかりきったことだ。

呂公は半ば憤激していた。馬謖がこの野戦の戦端が開かれる前にこの山に目をつけていたことの有意性には感心している。

 

しかし。

 

「今後背から襲撃をかければ挟撃となり、お味方の勝利は確実かと思われますが!」

 

「勝利は確実だな。勝利は」

 

馬の手入れをさせていた部下から新たに手に入れた自分の軍馬の背を撫で、崖の斜面を覗かせている馬謖の呑気さに痺れを切らし、つい口調が荒くなる。

 

呂公は、有能な副官であった。副官としての欠陥といった欠陥もなく、真面目で忠に厚い。

 

が、少しばかり戦術眼がない。

 

「ならば!」

 

「呂公。師父が望むは一般的に称される勝利に非ず」

 

「……それはまあ、わかりますが」

 

無謀な突撃を好まず、自分の武を絶対視しないのが関籍の持ち味。

つまりこの突撃は何かしらの途方もない戦果があると思うのだが、呂公は思うのだ。

 

確かにそれは成功すれば効果があるのであろう。しかしながら確実な勝利を得るべきではないのか、と。

 

「待つのだ。呂公」

 

「……戦機を逸しますぞ」

 

「遅れれば即ち戦機を逃し、逸れば即ち戦機を得られぬ。戦とは玄妙なものだな」

 

「そんな言葉遊びはどうでもよろしい!」

 

森の木々に馬を伏せさせながら待つ部下五百騎。

彼らの緊張が高まっていることも、呂公には鋭敏に伝わってきている。

緊張しすぎると、萎む。萎んでしまった状態で突撃すれば、負けることにもなりかねない。

 

それが、彼にとっての不安だった。

 

「兵たちを集めよ」

 

「では、いよいよ!」

 

「いや、面白いものを見せようと思ってな」

 

森の中にあっても隊列を崩さずに集まってきた部下の手前、露骨な怒りは見せられないもの、拍子抜けしたことは否めない。

 

「見よ、師父は今に逃げ出すぞ」

 

「御大将ッ!」

 

「呂公、怒りを収めろ。師父の戦は心を感情で呑み、操る戦。蚊帳の外から見るならば『負けるはずがない』と思わぬことだ。そうしなければいつまで経っても見抜けんぞ」

 

不敬にもほどがありますぞ!とでも言おうとしたのか。

凄まじい進撃に既に関籍に率いられているが如く不敗の念に駆り立てられる呂公を諌め、馬謖は眼を開いて崖下を見た。

 

退いていく。それはそれは見事に、負けたが如く。

 

(見事です、師父。これに気づく者は―――)

 

自分が渦中にある戦に際してどこか疎外感―――あるいは、現実感のなさを持つ新兵か、天から見下ろすが如き視線を持つ戦術型軍師。

 

「呂公」

 

「……ハッ」

 

「お主、目がいいだろう。師父が止まり、止まったところに敵が押し寄せてきたならば声を掛けよ」

 

騎射を含め、張任と並ぶ弓の名手であり、遠目も夜目もきくし、弓兵の指揮もお手の物。

他の群雄に仕えれば弓兵を総括させてもよい程だが、生憎張任と言う不動の弓兵指揮官が居たがために未だ二番手。何故か不遇な男、それが呂公であった。

 

半刻後。呂公は静かに報告する。

 

「接敵いたしました。何やら左右から伏兵が現れたようです」

 

「そうか。ならば一刻後にまた報告致せ」

 

呂公を含んだ兵の緊張感は、頂点に達していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東部戦線。魏延率いる千の白騎兵は、西部戦線の張遼率いる千の青騎兵と敵兵の死が伴う延翼運動を繰り返し、中央の関籍を不動不壊の核として約十五万の兵を包囲しつつあった。

戦いが始まってからすでに四万は死傷していることを考えれば、約三分の二―――即ち、先陣と中陣とすっぽり囲ってしまったといえる。

兵たちの暴走と、それに乗せられた下級指揮官、中級指揮官。

その指揮官らに乗せられた、将。

急には止まれない軍の性質を考えれば、後陣包囲も時間の問題だった。

 

「ワタシを殺せる奴はいるか!」

 

偃月刀が胴を薙ぎ、肩から一刀のもとに両断される。

絹のような毛並みを持つ馬が血に濡れ、黒い毛に血が染み込んだ。

 

関籍の愛馬『烏』の息子であり、まだ三才ほどの年若い黒馬。并州にもそうは居ない悍馬である。

 

この馬はまだ一才に満たない時、魏延は練兵総督兼長沙太守に任ぜられた際に下賜され、この子馬をせっせせっせと面倒を見、一流の軍馬に仕立て上げることに成功。

主の愛馬の子を授けられたことを期待と受け止め、愛馬に相応しき武者になるべく我武者羅に武を磨いたし、非番の日に関籍が賊を討伐しに行くと在らばその戦場に駆けつけ、高所から見ることによってその用兵を盗もうとすらした。

 

民政の要諦も眠い目を擦ってついて回って学び取り、任せられた仕事を忠実にこなしたし、地味な仕事にぶーたれている名士を傍目に誰よりも速く終わらせた。

 

農奴出身だけに、無用な誇りなどはない。負けても心は折れないし、何糞と思うことはあっても恨みを抱くことはない。用兵術を盗むことにも気兼ねはしない。

 

彼女がその驚異的な熱意を以って学び続け、農奴出身の一兵卒から遂には『小関籍』と呼ばれるに至るには三年もの年月を必要とした。

 

賊などとは違う強者と戦う関籍を見るという憧憬を再び見るのは、今。

 

「ワタシを殺せる奴はいないのか!」

 

初めて、同じ戦場に立っている。

 

激情家が多い土地柄に生まれた彼女もまた、激情家。

それ故の感激が、彼女の火のような攻めを更に苛烈なものへと昇華させていた。

 

「ここに居るぞ、魏延!」

 

龍牙。捻れ、交わり、二つの刃を切っ先にした異形の槍。

 

二人の間にある空間を突き破って繰り出された刺突を右に身体を傾けて躱し、偃月刀を構える。

 

「名は?」

 

「常山の昇り龍、趙子龍!」

 

趙子龍と名のった彼女の手に持つ槍は自分の持つ量産品とは違う階梯にあることを、魏延は一瞬で悟った。

 

受けるという行動がそれによって実行不可能になったことも、理解した。

 

「なるほど―――劉備の三将の内のがワタシの敵か!」

 

「相手にとって不足はなかろう?」

 

薙いだ偃月刀を愛槍龍牙の柄で受け、不敵に笑う。

まともな敵に巡り合ってこその、武人。

 

「そうだな……まずはお前だ」

 

「まず?」

 

「張飛とは引き分けだった。鳳統とか言う奴の策に邪魔されてな」

 

まず、首を献ずるのがお前だ。

 

獰猛な笑みを浮かべ、魏延は龍牙と鍔迫り合っている己の得物を手元に戻す。

 

「片手?」

 

「そうだ。片手は指揮に、片手は一騎打ちに。御館様は両手を使っていても精巧緻密に指揮が取れるが、ワタシはまだそれほどでもない」

 

「―――舐められたものだなッ!」

 

魏延の指揮に滞りはなく、趙雲の指揮に精彩はなく。

 

純然たる将と半武人半将の一騎打ちは、ただ苛烈さを増していた。

 

 

一方。若手の双璧のもう一人は。

 

「一刻ですぞッ!」

 

「まだ半刻だがな」

 

ただただ、崖を見つめていた。

 

「は?」

 

「急いている将に半刻と言えば四半刻で半刻が経ち、一刻と言えば半刻で一刻が経つ。心理とは面白いものだな」

 

心底から面白げに笑った馬謖の顔に稚気が浮かび、その笑いを収めるとともに、消える。

 

「我らはこの崖を下って敵陣の横腹を突く」

 

二十五万は伸び切った。ならば、寸断して徹底的に潰乱させるのみ。

 

「背後の街道は張任殿が封鎖している。我らは後曲と先陣を真っ二つに絶ち、それらをそれぞれの死地に送るだけでよい!」

 

無言で、頷きが返ってくる。

急峻な崖を下れば、無事では済むまいと誰もが思っていた。

 

「が、崖を下ることは難しいのではないかと思う者もあろう。そこで、だ」

 

―――不安な者は参加せずとも良い。

 

馬謖の言葉に兵たちの恐怖が一転し、怒気となる。

 

「馬義陽司馬!」

 

「何か」

 

「我らの中に臆病者が居ると申されるかッ!」

 

百人長が放つ怒気に同調するように、恐怖が怒りに変わってゆく。

 

(こんなものか)

 

馬謖は、思った。

 

感情を操るのは、難しい。居るだけで不敗の念を抱かせる師父にはまだ及ばない。

 

「この崖は、鹿ですら下れる斜面という」

 

真偽はわからない。しかし、『できる』と思わせることが重要なのだ。

 

「鹿が下れる崖を、馬が下れぬなど有り得ようか!?」

 

「「「「否!」」」」

 

崖下の喚声にかき消される程度の、声。

 

「ならば往くぞ、諸君。勝利の為に」

 

―――兵書を読むも良し、覚えるも良し。されど実戦に則して使い分けるべし。

 

もう一人の師である張遼とは違い、関籍は一言しか言わなかった。

 

しかし、嘗ての少年馬謖にとってはそれが何万遍の言葉よりも重かったのである。

 

『高きに寄りて下きを視れば、勢い竹を裂くが如し』

 

幾つかの工夫を加えながらも兵書に学ぶ秀才の擬似天才の如き逆落としが、二十五万の大軍を二つに断ち割ったときが、この大軍の命運が断ち切られた時でもあった。


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