義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

5 / 83
騎都尉張遼

「張騎都尉様!」

 

「なんや?」

 

張遼はいつでも出陣できる準備を整え、眠気覚ましと暇つぶし代わりに関籍と碁を打っていた。

 

関籍はもちろん碁など知らないし、張遼もそれほど得意なわけではない。が、碁とは時間を潰すにはもってこいの遊びだったのである。

 

「火の手が……黄巾の陣から火の手が上がりました!」

 

「……ほぉ、読みが当たったみたいやな、籍やん」

 

自分の信頼する副官が手柄を立てたのが嬉しいのか、何とも華やかな笑顔を見せる張遼に、関籍は全く表情を変えず、ただ一言呟いた。

 

「拙者の勝ちですな」

 

パチン、と。碁石が板に打たれる綺麗な音を響かせ、約一刻の戦いの末の決着が付く。

 

「……二重の意味で、そうやな」

 

覚えたばかりの関籍に負けたことが悔しいのか、それとも策が図に当たったのに無反応な関籍に不満を覚えたのか。

 

張遼は白と黒の石が板の上で描いた形を一瞥すると、さっさと偃月刀を持って立ち上がる。

 

「いくで、籍やん」

 

「はっ。伏兵の配置は完了しております故に碁に興じておりましたが……これが機なれば参りましょう」

 

彼もまた身の丈にあった長大な青龍偃月刀を手に持ち、立ち上がった。

 

その顔には、僅かな怒り。

 

「張騎都尉」

 

「あん?」

 

「必ずや、この戦いで黄巾を討ち果たしましょうぞ」

 

元々は見る者に優しげな偉丈夫という印象を持たせる顔。

それが怒りで目がつり上がり、全く容赦情けの無いような鬼神の顔になっていた。

 

「……せやな」

 

普段感情を表に出さない奴が、一度怒ると異常に怖い。

心の内で黄巾に憐憫の念をかけつつ、張遼はひらりと馬に跨がった。

 

なれた動きに緊張は見られず、神速の用兵に変わりはなし。

 

曹操が突撃を開始する僅か前に、并州軍が黄巾の軍の後背を突いた。

 

「漢に背き、民から奪うことしか知らぬ逆賊どもめが……この関籍が成敗してくれる!」

 

黒騎兵百騎が先陣切って突っ込み、完全に不意をつかれた形になった黄巾の輩が宙を舞った。

 

日の光を受けて輝く偃月刀が光の線を残して振られると、一度に数人の黄巾の兵の首と胴が泣き別れになって地に落ちる。

 

触れる敵全てを片っ端から両断していく関籍は、正に鬼神の如き武勇を持っていた。

 

「待て、そこの黒づくめ!」

 

「む」

 

血飛沫上げて突き進む黒騎兵。その先頭たる関籍に立ちふさがったのは、他よりも上等な鎧をした男。

 

「ちょ、張牛角様!」

 

将らしきその男を救いの神を見るような様子で呼ぶ黄巾兵を一瞥し、関籍は怒りを湛えた眼差しで張牛角を見据えた。

 

「よくも同志をやってくれたな、黄天を解さぬ愚か者め!」

 

手に持つ槍は、官軍の豪傑から奪い取った逸品。使っても使ってもまるで傷の付かないその武器を使い、張牛角は潁川黄巾賊の中でも剛勇を謳われていた。

 

そんな彼を、勿論黄巾兵は知っている。

張牛角に敵う者はなく、彼が先頭に立てば官軍すら簡単に打ち破れた。

 

確かに張牛角は豪傑だった。朱中郎将率いる官軍を壊走にまで追い込んだのは、この男の剛勇に依るところが大きい。

 

「死ね、黒づく―――」

 

しかし、相手が悪すぎた。

 

気合いの声は言い切ることなく、繰り出された槍は届くことなく、張牛角は唸りを上げる偃月刀により、頭から馬ごと両断された。

 

「殺すときは声も発さず殺せ、賊」

 

偃月刀にこびりついた脳漿と血を一振りで振り払い、再びその武勇でもって黄巾を斬り、或いは馬蹄にかけていく。

 

「張騎都尉が配下、関籍様が張牛角を討ち取ったぞ!」

 

後ろで部下があげる雄叫びを聞き、更に偃月刀を振るう。

 

関籍の胸には、何の感慨もなかった。黄巾を討つという、使命感にも似た念のみがそこにはあった。

 

横を見れば張遼の青騎兵がおり、その先頭にはいつもと変わらず張遼がいる。

 

(文遠殿!)

 

素晴らしいお働き。

心の内でそう叫び、その叫びに応ずるかのように手に持つ偃月刀が唸りを上げる。

彼女が持つは関籍の物より二十斤(約4,5kg)軽い飛龍偃月刀。檀石塊との戦いから一年後に新調したそれは、少し目方の軽いだけで自分の青龍偃月刀と酷似していた。

 

張遼の戦い方には華がある。

その華に魅せられ、兵たちは懸命に突き従うのだ。

 

(そしてその華は、友軍までをも鼓舞する)

 

後ろに続く黒騎兵の戦いぶりから見ても、それはわかることだった。

 

後ろを見せて逃げ始めた黄巾を左肩から股まで斬り下げ、偃月刀を構え直す。

 

全軍の将帥らしき者が、その姿を現していた。

 

「……黄天の世を共に創ろうと約束した同志が、また一人倒れた」

 

鈍色に輝く剣を抜き、怒り狂うように髪をかき乱す。

 

「張角様の世、黄巾の世。農民が笑って暮らせる素晴らしき世……何故その尊さが、貴様等には理解できんのだ?」

 

「貴様等がやっている所業。それがただの山賊にすぎんからだ」

 

「大義の前の小義に過ぎんわ!」

 

「小義を何の呵責もなく破り、罪も責務も感じぬ獣どもに、どうして大義が語れようか」

 

青龍偃月刀を天に翳し、振り下ろす。

黄巾の将の前に突きつけた刃は、日の光を受けて輝いていた。

 

「参られい、黄巾の将。この関籍がお相手致そう」

 

「ほざけ愚者が!」

 

一合。

思いを乗せた剣刃と、意志が込められた青龍偃月刀がぶつかり、火花を散らす。

 

「今度はこちらから、いかせてもらおう」

 

振り上げからの必殺の斬撃ではなく、底からすくい上げるような振り上げ。

張遼には劣る物の、巨体から放たれるという迫力によって実際以上に速く見えるそれは、いつもの振り下ろしには負けるが必殺の一撃であることに変わりはなかった。

 

「ぐぅっ!?」

 

しかし黄巾の将は、これすら辛くも防ぎきる。

防いだ黄巾の将の左腕から嫌な音が響いた。

 

「……まだ」

 

右手に剣を持ち替え、更に斬りかかってくる黄巾の将に、関籍は一つ問いかけた。

 

「お前が波才か?」

 

「波才様はとうに落ちられた。あの方ならばいずれ貴様等の首をまとめてはねるだろう」

 

信仰に近い将への信頼。波才とは配下の信を得るに足る優れた将帥だったのだろう。

 

関籍は眉を潜め、手負いの将に向けて馬を走らせた。

 

―――波才は最早、この世にはいないだろう。

 

落ちたところには伏兵が居る。その伏兵の指揮官は、臧覇だ。奴は敵将の首をおめおめと逃がすような奴ではない。

 

「張角様、万歳―――!」

 

防いだ剣ごと右肩から斜めに斬られ、その黄巾の将は絶命した。

 

殺したことに後悔はないが、死すまで貫き通した志には敬意を表する。

 

関籍は己の心に従い、すっかり壊走を始めていた黄巾の兵を意に介さずに下馬し、地に伏した将に向けて一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そら、今全力で圧しぃ!」

 

《おおおぉぉぉ!!》

 

号令に応えて雄叫びを上げる兵たちの勢いを纏め、突如脆くなった黄巾の軍を苛烈に攻め立てる。

 

チラリと左翼を見れば、そこにはこの雲霞の如き敵軍の中にあっても一際目立つ将が居た。

 

「張騎都尉が配下、関籍様が張牛角を討ち取ったぞ!」

 

遠くから聞こえた黒騎兵の旗持ちの声が耳朶を打ち、口角が上がる。

 

(やっぱやるなぁ、籍やん)

 

彼女の決断した『男を副官に』、と言うのは異例も異例だった。

 

男は気を練る素養に欠け、兵としては優秀でも武勇を以て将を支えなければならない副官には向かないというのが通例だった。

 

気の有無は戦場において大きくその命運を左右し、気を巡らせた将と纏わぬ兵卒では比べものにならないほどの差を生む。

故に兵は男が多く、歴史に名を残す武将には女が多い。それはいつしか男性を卑下する風潮にも繋がっていた。

 

「関籍に負けんなや!青騎兵の意地見せたりぃ!」

 

都に於いて生まれたその風潮は近頃辺境にも伝わり、それが浸透しようとしたときにやってきたのが関籍であり、彼が檀石塊を討ったという報であった。

 

丁并州刺史はともかく、女尊男卑の風潮が広まることを喜ぶ配下によって彼の功績は自分の物と書き換えられたが、彼は何とも言わなかった。

 

天性感情と言う物に欠けているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。

要は出世欲に欠けているのか、とわかったのはその更に一年後であった。

 

一年後に、再び襲来してきた鮮卑。

檀石塊の仇を討たんと奮い立つ息子・和連をただの一太刀で斬り捨てた関籍は、その首を功績ごと部下にやってしまったのである。

 

それを見た自分は、問うた。

 

『何で功績を他人に渡すんや?』

 

関籍は、見られたことに驚いたのか眉を潜めながら一礼し、言った。

 

『彼女は親が借金を背負い、苦境に立たされていると聞いております。幸い拙者は五体満足。借金などもありませんから、彼女に譲った次第でございます』

 

致命的に無欲であった。

その誠意あふれた姿勢は、野心があるから無欲を装っているのではないと一目でわかった。

 

「…………ん?」

 

青龍偃月刀が二人目の将を斬り裂いた瞬間、彼が討った賊将の首に矢が吸い込まれるように突き刺さり、落馬。

 

「今のはどちらが賊将を討ったのでしょうか?」

 

「籍やんの方が一寸速かったし、籍やんやろ」

 

何やら猫耳帽子を被っている童女ともめているようだが。

 

掃討を終え、帰還する。

帰陣した先には、いつもの通り関籍が武具を脱いで待っていた。

 

「ご無事で何よりです」

 

拝手と共に、心胆から発したであろう言葉が関籍の口から漏れる。

 

「おう、籍やんもな」

 

臧覇が波才を討ち取った旨や、総大将である朱中郎将が明日天幕にくるようにと自分を呼んでいると言う報告を聞き、張遼は思い出したように口を開いた。

 

「何やもめとるようやったけど、大丈夫やったか?」

 

「はい。こちらが非を認めればすぐに許していただきました」

 

沈黙。

 

突如訪れた沈黙に、関籍の眉がピクリと動く。

何か拙いことをしたのかと思ったのだろう。しかし、今はそんな場合ではなった。

 

「……非を認めた?」

 

「はい。名は終ぞ分からずじまいであった黄巾の将。拙者が討つ前に、曹騎都尉の配下・夏侯妙才殿の一矢が喉輪を穿っていたようで」

 

「いやいやいや、籍やんの方が速かったやろ」

 

それはひとかどの武人であるならば一目瞭然だった。あの矢を放った者もひとかどの武人。己の矢が僅かに遅かったことくらい分かっているはずである。

 

「そうであろうとなかろうと、向こうがそう見た以上はそうなのでしょう。味方同士で功名争いなど愚かなことです。早めにその禍根は絶った方がよいと判断いたしました」

 

何の未練も見られない関籍の顔を見ていると感じた怒りや何やらが薄れていくの感じ、張遼はふかーくため息をついた。

 

「……お人好しやな」

 

「ちゃんと利得計算もしております」

 

「ほう、聞かせてもらおか?」

 

「夏侯妙才殿は夏侯嬰の家系に連なる名門であり、その主である曹騎都尉も宦官の家とは言えども名門です。無頼の農民、しかも男が功を立てるより外聞がよかろうと存じます」

 

結局はお人好しやないかい、と心の中で呟き、清々しいほど未練のない顔をしている関籍を見る。

 

「それに曹騎都尉は、我々を試したのかもしれません」

 

「……なんやて?」

 

「武だけの功名餓鬼か、それとも全体を見て戦える武人であるか。文遠殿の名、貶めるわけには参りません」

 

言われてみれば、とも思う。

曹騎都尉は不正を嫌う。その部下の不正は許さないはずだ。

 

それが公然と部下たちが不正をなしたのであれば、それは。

 

「試されたんか」

 

「推測に過ぎません」

 

「……勘に障るわぁ」

 

頭を掻き、飛龍偃月刀を持って天幕の外へと出る。

 

「籍やん、ちっと付き合いや」

 

「お望みとあらば」

 

手に青龍偃月刀を持ち、自分の後ろに続いて天幕を出て行く関籍をチラリと見、再びため息をついた。

 

―――男である時点で出世が遠のくのは確実だっちゅうのに、なんでこーも無欲なんや。

 

いつまでも自分の副官で終わる男ではあるまいに。

 

副官の数少ない欠陥にため息をつき、張遼は偃月刀を水平に構えた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。