義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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痛点

「郭嘉様、舞陰・魯陽・葉・隼ら四邑はこちらへ恭順するとの事でございます」

 

「でしょうね」

 

嵩む馬車から新開発した四輪車に乗りながら、豫州に接する国境四邑の恭順の報に郭嘉は静かに頷いた。

 

恵恤を施し、生活を保証し、病める者には薬を、飢える者には食を、貧する者には仕事を与える。

 

灌漑を公共事業にし、金を流して民を富ませ、安定した生活を営ませる。

 

徴兵はせずに志願制に、低税にして金回りを良好に。関所もなるべく無くし、民を慮ることを第一とした民生家の政を味わえば、最早他領の慰撫になどはありがたみを抱かず、ただただ関家の治世を渇望する。

 

民の突き上げにあっていて、籠城などは出来たものではない。

 

「新野に逃げ込んだ鼠賊の様子はどうですか?」

 

「劉備軍・孫家軍が揚州伝いに荊南の占領地に向かっているとのことです」

 

長沙以南。武陵の南部に零陵、桂陽、臨賀などが、現在の劉備の統治下に組み込まれていた。

 

新野から如何なる方便で脱したかは知らないが、彼女らが現在は降伏した舞陰を伝って揚州へはいったことで、舞陰に多少なりとも動揺が走ったことは確かである。

 

郭嘉は関籍が取り敢えずは負けはしないことと、罠にかからないことを予想していた。

そして、罠にかからないと知れば孔明がすぐさま帰路に着くことも察していた。

 

わざと見逃してまで、自分の行軍を秘匿したかったのである。

 

そして彼女の知らぬことではあるが、豫州へ逃げた数万の捕虜が逃げた先々で関籍軍の凄まじさを伝えたことで、恐怖が増大。郭嘉が往く所往く所で開城するという事態が多発する一因になったのである。

 

関籍の滅多にない戦略的な一助であった。

 

「……これで豫州に続く荊北は確保、と」

 

朝廷工作は最早、司馬孚を引き入れた時に終えている。

後は彼女の姉が何とかするであろうと言う予測が立ったがゆえに、彼女は早々に洛陽を後にしたのであった。

 

李傕らに占領されているがゆえに身が危ない、という事もあったが。

 

「司隷に続く荊北は、関籍殿と賈駆殿が何とかするでしょうから……」

 

自分がやることは、切り取りだ。

 

新野から出る大軍の通れる街道を封鎖し、韓浩・閻行に守らせている。

 

袁術はこれでまず動けない。最低限の防衛軍に殆どの民を引率させて襄陽に退かせ、関籍の退路を断つという戦略的価値を持つ新野と言う小城に誘引。

しかる後に街道を封鎖して飢えるのを待つと言うのが郭嘉の大戦略だった、が。

 

(気づかれましたか)

 

袁術ほどの大軍でなければ、自然情報網にもかからなくなる。

無傷で退却にした二雄には裏をかかれた、ということになった。

 

自分の行軍には速さが足りない、ということだろう。

 

「汝南・汝陰・安豊・戈陽の四郡の調略に時間をかけ過ぎましたか……やはり、関籍殿の速さが欲しいものです」

 

苛烈さ、というか。迅速果断に粉砕するというよりも、自分にはじっくりと確実に、軍旅を発すれば必ず勝つと言うような戦いの方が性に合う。

 

それだけではやっていけないし、時には果断さも必要だということは、彼女にもわかっていた。しかし彼女は潁川名士。謂わば豫州は郷土である。

 

やりやすい―――即ち、こちらに就かせやすい土地である以上は、やってみることに価値があった。

 

「郭嘉様」

 

「はい」

 

柔らかく、返事をする。

兵卒の心を取る勇猛さもないし、功を以って動かすこともできない。

ならばせめて丁重に扱うことによって掌握せねばならなかった。

 

最も彼女は『関籍の師』であるという一点においてその兵卒の心を捉えるには充分である。

要は心構えであった。

 

「潁川名士を引き連れ、陳羣様が参られています」

 

「潁川は半ば曹操殿の領有に在った筈ですが?」

 

潁川名士の筆頭であり、清流派の顔役のような影響を持つ荀彧のお陰で、曹操は半ば潁川を領有しているに等しかった。

 

これを利用してか、曹操は袁家との争いに入ってから潁川を燎原の火のような勢いで攻め立てて占領し、荊州との連絡を密にする姿勢を見せているのである。

 

「汝南に避難されていた方々だそうです」

 

「……丁重に遇し、占領地の行政に携わらせましょう」

 

権限は後々取り除けば害にはならないでしょうから。

そんな一言を呑み込み、汝南が軍旅を差し向けただけで降ったことを内心喜ぶ。

 

汝南が降れば、後は連鎖だ。豫州は立て板に水を流すようにして関籍の元となるだろう。

 

「申し上げます!」

 

「戈陽・安豊が降りましたか」

 

「は、はっ!」

 

慧眼に恐れ入ったのか、伝令兵が頭を下げた。

最早汝南に入っているというのに、戦火を交えるでもなく城は手中に転がり込んでいく。

 

(江陵で寝ていたわけではない、という証明になればいいのですが……)

 

尋常一様な君主ならば、配下の怠惰を憎む。自分が自ら戟を以って兵を鼓舞しているのならば尚更だ。

 

関籍に限ってそんなことはあるまいが、地元の名士に江陵で独立するのではないかと勘繰られたりもした。

 

呂蒙の真贋を見極め、信ずるにたる情報を集めて潔白を証明し、江陵以北に不敗の構えを作る。

更には関籍がもし敗れた時に際して兵糧を博望に運び込み、甘寧に孔明の伏兵に対しての対処法を記して送り、調略と朝廷工作を同時に進行させ、周瑜と孔明の朝廷工作を潰す。

 

関籍が新野を取られて退路を断たれたことを知らされた劉焉の軍を郝昭が一歩も譲らずに弾き返したところで和議を結んで退かせ。

 

一段落つくまで働き詰め、あとは結果を待つのみとなった彼女がやっと休んだのが、ここ一月。

 

(……流石に疲れました、ね)

 

全幅の信頼が懐かしい。

痛くもない腹を探られる度に、そう思った。

 

豫州は最早落ちるだろう。曹操との外交も広範囲の地を接することでより密になり、孤立を装って敵を誘いこんで逆に包囲して孤軍にしてやって領土を増やすなどといった戦い方もしなくてすむ。

 

骨が蕩ける程の濃い疲労を感じつつ、郭嘉は一つ咳をこぼした。

 

豫州が彼女の手に落ちるまで、あと一月とかからないだろう。

 

甘寧の揚州への牽制と、蜀の侵攻を防いだ郝昭の蜀への牽制。

 

不敗の体勢を敷いた南部戦線の膠着化。

 

関籍の大勝による敵への恫喝。

 

孤立を装った末の、豫州への逆侵攻。

 

絵を描ききった軍師は、静かにこの一連の戦の帰結を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって宛城北部。

 

「………皆で、食べる」

 

「はっ!」

 

甬道を瓦礫の山に変え、三ヶ月分の糧食を奪い取った呂布はご機嫌だった。

 

十万近くの軍の、三ヶ月分の糧食。

彼女の腹を満たすには充分――――と言うよりは、過分なまでのコメが、そこにはあったのである。

 

「おいしい」

 

好きなだけ食べていいよ、と言われて遠慮する呂布ではない。

そりゃあもう、食べていた。部下の候成に猪を狩らせ、酒を買ってきてもらっては食べていた。

 

一角の武将である候成に対して獣を狩らせるなど有り得ないと言う声もあったが、候成は呂布の食べる姿にこそ忠誠を誓っている奇特な将だったため、寧ろご褒美である。

そこに特に不和はなかった。

 

毎日酒瓶を開け、猪を焼いてコメを食う。

 

まともに―――ただし猪と、だが―――戦っているのが候成だけという異常事態の中、敵である郭汜は怒りを溜めていた。

 

兵糧が来ない。そう訝しんだ二週間後には甬道が破壊されたという報告があったから、恐らくはやられたことをより派手にやり返されたのだと―――即ち、一過性の物だと―――思っていたのが、甬道は継続的に破壊され続けられたからである。

 

「……我慢ならん」

 

「…………その通りですな」

 

李儒は、この硬直が負けしか産まないことをすぐさま悟っていた。

しかし、野戦は危険だということも同時に悟っていたがために周囲に斥候を放って分散した敵軍の動向を探っていたのである。

 

「呂布隊は孤立しているのだろう!?」

 

「はい。ですが―――」

 

華雄が自信満々に『器用に兵を散らし、決戦に際して束ねるのが関籍の用兵の一つ』と言っていたことが、李儒の脳裏を去来していた。

 

だが、呂布を殺さない限りは負けるということもわかっている。

 

「五万で、呂布を討ちましょう」

 

世には戦力差二十五倍をひっくり返した怪物も居るが、五十倍は無理であろうと言うのが、李儒の思考であった。

そもそも、この時点で彼女にそれ以外の選択肢は無い。

 

城の包囲をとけば城方から追撃を受け、本領に帰る途上にどうせ北方の呂布と対決することになる。

 

なるば呂布を討つことに全力を注ぎ、その後に頑健に抵抗を続ける宛城を落とす。

 

これしか、なかった。

 

「ですが」

 

「うん?」

 

「呂布を寝返らせることを、試してください。驃騎将軍の地位と、莫大な財宝を以って」

 

無言で頷いた郭汜に驃騎将軍の印を渡し、五万の騎兵が去っていく様を見つめる。

 

李儒の思惑に反して、帝は中々に頑強な意志の持ち主だった。

関籍などは勅さえあれば墓に埋められる。しかし、彼女はその勅を出すことを拒み続けていた。

 

殺すぞ、と脅したこともある。

しかし、

 

『朕が死んでも劉氏は絶えぬ。しかし、真に国を思う勇士は関籍以外に居らぬだろう。殺すなら殺すがいい。朕は国を存続させる為にある帝。真に国を勇士を庇って死ぬならば後の世に遺す何よりの土産になろう』

 

齢など十の半ばに過ぎぬ幼帝は、それをあくまで拒んだのである。

 

母とは出来が違う皇帝の態度に、如何に帝を帝と思わぬ李傕・郭汜と言えども引き下がらざるを得なかった。

 

殺したら、自分の脳天に偃月刀が飛来する。

そんな漠然とした恐怖があったのである。

 

だが、驃騎将軍の印ぐらいならば無理矢理に用意させることは出来た。

 

「……寝返ればいいが、な」

 

李儒の独り言もまた、風に紛れて消えてゆく。

たった一つの痛点を中心に、またもや原野が血に染まろうとしていた。




(休止とか活動報告で嘘ついて)すまんな。
嘘にするつもりはなかったんだ。

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