義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
北へ
「籍やーん、きっちり捕らえてきたで」
「流石です」
いつものように捕虜の鎧と武器を引っぺがし、強奪した糧食から幾らかを与えて放ってやっている関籍のもとに、青い軍装に統一された一軍がやってきた。
青騎兵。速さ命の包囲担当軍団である。
速さが売りの駿馬の中でも選りすぐりの馬を与えている彼らは、その優れた馬術もあって水面以外では道を選ばぬ抜群の機動力―――将の異名に恥じぬ『神速』―――を発揮していた。
最もその機動力について常に口やかましく提言していたのは関籍であり、それを聞いた張遼が武技・用兵の神速を行軍にも行き渡らせようとした結果がこれなのである。
過去二百年、未来千五百年を紐解いてみても他に比肩する物のない野戦機動部隊を率いる将である関籍が特に重視したのは、万ならば四日で千里、千ならば三日で千里と謳われた抜群の機動力と、名士と侠を束ねて紡ぎ合わせた情報網であった。
では、それは何故か。
機動力に関しては単純明快。民の負担を避けるために兵を志願制に、嫡子と一人っ子は兵とせず、更には税を軽くしたことによる兵の欠乏が主な要因である。
安定した統治と賊や流民に土地を貸し与えて積極的にこれらを受け入れたこともあって、今の荊州は本来徴兵すれば十五万人は動員することが可能だったし、現にこの全域に渡った防衛戦では『流賊とかが来ても騎兵が来るまでの一刻は持ちこたえてくれ』という―――つまりは頭から一揆の危険性が抜け落ちたような馬鹿げた―――方針の元に一定期間軍事訓練を受けた民が義勇兵として散兵戦術を取り、関籍の知らぬところで敵軍を散々に悩ませていた。
が、正規軍が寡ないことは純然たる事実。
金食い虫の騎兵もいるし、何より水軍が金を貪る。
そこで関籍がポロリと漏らした狂気とも取れる一言。
『敵の一万を二千で敗った後に駆け通し、再び一万を敗れば兵力が二倍になったに等しいのではないか?』
と言う狂気の一言を採用した軍師・郭嘉によってこの機動力偏重は始まり、魏延がやり遂げてしまう。
この一言から始まった軍制改革は全体的に、無用な軍旅は起こさないが故に明確な指針を持たない有能な将たちに目標を与えたらどうなるかということがよくわかるものと言えた。
そして二つ目の情報網に関しては関籍は自身が戦略家ではないことを重々承知していたことが大きいだろう。彼は自身にその適性がないこともわかっていたし、半ば諦めてすらいた。
しかし、目で見える範囲ならば彼の軍事的な才覚はその冴え渡る切れ味を存分に発揮することができる。
ならば情報を集めて脳裏に視界と同様の光景を描き、網膜に焼き付けてしまえば本質的には戦術家であろうが、擬似的な戦略家としても采を振るえるのではないかと思ったのだ。
勿論、何から何までを精密に知ることのできる視界のような情報を常に集めるなどは到底できようもなく、結果的には彼に第二の天眼はつかなかった。
だが、この情報網は確かに今においても未来の模範としても役に立っているのである。
故に。
「では丁重にもてなした後、解放するわよ」
「……え?何で賈駆がここに居るん?」
こういった奇術のようなことが、起こりうる。
「魏延の突撃で敵が混乱した隙に、包囲の薄い逆方向に突撃をかけたのよ。計を伝えなきゃいけないかったしね」
宛城には、狼煙などで付近に援軍が接近してきていることが伝えられていた。
つまり包囲軍の一部が囲いを解いた時、誰にでもこう判断できたわけである。
『来援してきた援軍との戦いに赴いたのだ』と。
賈駆は更にその上を読んだ。
『敵を分断させたことを最大限利用して野戦と攻城部隊撃破を同時にこなしてくるだろう』
これは半ば当たり、半ば外れていると言える。
第一に、思いの外関籍の率いる兵力が被害を受けていたが為に過小だったこと。これにより攻城部隊攻撃に割ける兵力が少なくなり、戦術目標が『攻城部隊の撃破』から『守城部隊への援軍』に切り替わった。
狼煙を確認できているかいないかもわからない以上、最良ではないが仕方ないことである。
「兎に角、郭汜とその直属の兵は逃がして。それさえしてくれたらもう宛城は一兵も損ずることなく包囲が解かれることになるわ」
「…………えー、殺らへんの?」
「文遠殿。拙者は奴を私怨で殺し、我が軍の兵卒を無為に死なせるは本意ではありません」
頭をポリポリと掻きながら、張遼はしかたなさげに頷いた。
裏切り者を殺すのは喜ばしいが、別段自分たちが鍛え上げ、慈しんだ兵卒を無用に殺してまで殺さねばならないほどの人物ではないのもまた確か。
「……しゃあないな。ほな、ウチらはどないすんのん?」
「あなた達は一旦退いて楊奉率いる白波賊を討ってもらって、時期を待って再度北上。退き始めた李傕・郭汜たちを追撃してもらうことになるわ」
「はいはーい。わーったわ」
適当に流したような生返事をすると共に、張遼は捕虜とした郭汜の方へと去っていこうと、した。
「申し上げます!」
響く馬蹄に、降下音。力の限り急いで走ってきた一騎の武者が、馬から降りて陣幕の前に立っていた。
「何があった?」
謹厳な面持ちを崩さず、方天画戟を持ったままボーッと立ち尽くしている呂布を隣に配している主君に向け、精鋭中の精鋭たる百足衆は言上した。
「曹兗州牧から、救援を乞う旨を記した使者が参りました」
「曹兗州牧から?」
関籍は、思わず顎に手を当てて考え込む。
気位も誇りも高そうな―――つまりどちらかといえば自分よりも袁紹寄りな性格を持つ彼女が、自分を頼るだろうか?、と。
(向こうは文侯様の子孫、こちらは農民なのだ)
文侯とは無論、夏侯嬰のことである。高祖の功臣の一人であり、御者。この場合の御者とは、才覚を認めて自分の側においておくための口実と言ってもよいから、別段侮辱してはいいない。
才覚を認めて自分の側においておく為の御者で著名な者は、崔杼の御者であった東郭偃が名高いであろう。最も、彼らはろくな事はしていないが。
「李儒の罠なんちゃうか?」
「……賈駆殿は如何様に考えなさるか?」
「罠とかじゃないと思うわ。向こうもかなり状況が芳しくないみたいだし」
領地が黄巾の乱で荒らされたが為に兵糧収入が思うようにいっていない曹操軍三万に田豊・張郃・顔良率いる五十万をぶつけて封殺し、片手間に徐州をさっさと抑えた袁紹は、冀州・并州・幽州・青州・徐州の漢帝国北部を牛耳る一大勢力となっていた。
精鋭も漢帝国最北端・幽州の対烏丸兵団こと護烏丸校尉率いる軍団に、関籍の元で驍勇の凄まじさを謳われた并州兵、北平出身の騎馬民族こと公孫瓚率いる突騎(精鋭騎兵部隊)との激闘によって磨き上げられた強弩兵に、張郃率いる精強なる冀州歩兵。
漢帝国の南部が西の劉焉・東の孫策・中央の関籍と言うように三分裂しているのと同じく、北部は西の涼州連合・東の袁紹・中央の曹操というような様相を呈している。
北部三国で最も経済力・軍事力を持つのが袁紹であり、曹操は軍事力はともかく経済力は黄巾の乱の影響で荒らされたばかりに最下位。
因みに南部では荊州陣営が民を徴兵して戦争に動員しなかったばっかりに『なんだ、まだまだ余裕なのか』と言う風潮が流れ始め、軍事力・経済力と共に隆盛を極め首位を独走していたりする。
荊州の守護神が荊州に来て以来一度も負けていないということも大きいし、何よりも新野の袁術が兵を残して逃走・残兵の尽くが降伏したのが大きかった。
『ああ、攻められてるんじゃなくて、わざと引きずり込んで殺すのか』という錯覚を与えることができたのである。
荊州は新野の降伏兵どもに恵恤を施し、新たな領土であり郭嘉が暫定的に運営している豫州に送り返す程度には余裕であった。
「……そうか」
揚州から避難してきた劉馥に、魯粛が引っ張ってきた劉曄などを内政にあて、包囲を解いて豫州へ帰還した閻行に兵の調練を任せ、帰順した紀霊を豫州兵の総督に当たらせる。
一つの国を回すなど容易いとばかりに、郭嘉は素晴らしい関籍流の手腕で豫州を暫定統治していた。
つまり、三郡を失って一州を得、次いで度重なる勝利で民と商人の信を得、更には元々相当なものだった経済力が増大したのが関籍陣営である。
戦争中に、しかも攻められているのに経済力が増す。蒋琬・費禕・董允・馬良の凄まじさと各県令・太守の民政の巧さが如実に現れていた。
「では、すぐに援兵を差し向けたい、が」
「……豫州が問題ね」
彼らの元に、豫州がどうなっているかの情報は届いてない。郭嘉が攻略中です、という一月前の情報以来止まっているのである。
「……一先ず、旗本を百騎連れて行こう。それ以上では勘繰られるし、旗本百騎でも並の軍の万に相当するだろうからな」
旗本百騎で足止めしていれば、宛城攻略も終わるだろうし、豫州攻略軍団も手が空くだろう。
今は一刻も早く敵を留めることが大事だった。
「それがいいんじゃない?
多分、百騎が万に相当するって気づかない奴からはやいのやいの言われるかもしれないけど、実戦で結果を出せば大丈夫よ」
一刻にも満たぬ速さで方針を決めると援軍を乞う旨を伝えに来た曹操軍に事情を話し、直ぐ発つ旨を伝える。
「では往くぞ、諸君」
旗本。并州、陽人、汜水関、虎牢関、江夏、棘陽と、重要な戦いに尽く参戦し、生き残ってきた黒騎兵の最精鋭。
「……恋も、往く」
総指揮を任せられる貴重な人材・張遼に全権を託し、副官に関籍が居ないと指揮官として機能しない天下無双の豪傑を加え、関籍は一瀉千里に北上を開始した。
活動報告でアンケート実施中です。55話が投稿される前までが回答期限になります。
旗本百騎は項羽の二十八騎と同レベです。
項羽「連戦に次ぐ連戦で、配下が二人も死んでしまった!」