義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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奇襲阻止

荊州北西部の宛城から荊州北東部へ半日で着き、そのまま四刻休んで豫州へ突入した百二騎は砂塵を撒き散らしながら爆走していた。

馬から降りて曳き、自らの脚で走ること百里。そろそろ馬上に身体を移す時である。

 

「む」

 

「……?」

 

豫州が思いの外平和だったことを訝しみながら、関籍は呂布を従えて走っていた。

彼の認識からすれば、この曹操領豫州は袁術軍の一部が攻めているはずだったのである。

 

(また郭嘉が何かやっているのだろうな)

 

自分に不都合なことは孔明の罠。都合のいいことは郭嘉の策。

関籍はだいたいそんな感じに周りを取り巻く不可解な現象を解していた。

 

「……ん」

 

「うん?」

 

赤兎馬を曳きながら常人の三倍の速さで突き進みながらも関籍の斜め後ろと言う配置を外さない呂布の左手が、烏を曳いて走る関籍の右肩に触れる。

 

許昌を過ぎて、早々。

遥か前方に明らかに万を越える軍旅の率いる砂塵が霞んで立ち込めていた。

 

「……敵か味方か」

 

「恋が往く」

 

そう提言して頷きによる許可を得ると瞬時に赤兎馬に跨がり、呂布は馬蹄を僅かに潜めながら前方へと一騎駒を飛ばす。

 

最速の馬こと赤兎馬に乗った呂布を見送った関籍はすぐさま進軍を止め、懐に忍ばせた潁川一帯の地図を取り出した。

 

(…………今は此処か)

 

黄巾の乱で朱中郎将と共闘し、波才を討ち取った折に趣味で描いていた地図が、この期に及んで役に立つ。

 

何やら天の差配のようなものを感じつつ、関籍は都合のよい戦場を探し始めた。

 

曹操軍が布陣しているが白馬。今が許昌。

 

(迎え撃つならば郢陵か)

 

大軍の利が活かせない隘路で邀撃し、追っ払う。大将を討てるに越したことはないが、討たずともよいだろう。後背を討つことが最終的な目標となる。

 

「……おやかたさま」

 

「呂布殿か」

 

魏延の影響で呼ばれるようになった呼称が耳朶を打ち、振り向いた。

陽光に照らされて赤く煌く汗血馬に、強烈な存在感を示す二条の突っ立った髪。

 

天下無双の武人、呂奉先に相違なかった。

 

「袁紹」

 

「規模は?」

 

「郭と文の旗の、二万」

 

文は、文醜。

郭と聞いて一番先に思い浮かぶのは郭嘉だが、袁紹軍には在籍していないどころか、こちらの軍師である。

 

ならば、誰か。

 

そう数秒考え、頭を振った。

 

「……取り敢えず、呂布殿は三十騎を率いて郢陵へ北上。敵軍の後背の適当な箇所に伏せていてください」

 

「……おやかたさまは?」

 

「拙者は五十騎を率いて隘路を塞ぎ申す。呂布殿には逃げてきた敵の掃討を拙者と共同でやっていただきたい」

 

無言で頷き、十隊に分けられている百騎、その内の三隊にあたる三十騎を率いて、呂布は凄まじい速度で北へと消える。

 

そして関籍もまた五十騎を率いて隘路に布陣し、十騎に銅羅や旗を持たせて隘路の左の崖へ、十騎にこれまた銅羅や旗を持たせて隘路の右の崖へと伏せさせて、関籍はただただ敵を待っていた。

 

数刻後に、前方の砂塵が先ほど見えた微かな物からもうもうたる物へと変わり、その煙の中にある黄金の鎧が光を反射して輝く。

 

虎牢関以来の袁紹軍との対陣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「郭都督様!」

 

二万の軍を率い、手薄になった曹操の本拠地・許昌を突く。

そう献策した許攸の意見を取り入れた袁紹から許昌攻略部隊として選ばれた文醜と、補佐役の郭図。

許昌を確実に陥落させる為に配置した攻城兵器を引き摺りながらの行軍は迅速とは言えなかったが、それでもよく訓練された兵士たちは通常速度よりも僅かに速い程度の行軍速度でもって一路許昌へと迫っていた。

 

この奇襲が決まれば曹操が粘り強く守る黄河沿いの白馬の渡などは掌の玉を掴むが如く容易であろう。

そして、勲功第一は自分の頭の上に輝くことになる。

 

そこまで考えた郭図の思考を、兵卒の叫びが打ち破った。

 

「なんだ」

 

「……前方にある郢陵の隘路に、僅かな軍勢が駐屯してるとのことです」

「ふん、敵も気づくには気づいたか。

で、旗は?」

 

「えー……その、何というか……」

 

いやに歯切れの悪い兵卒に苛立ちながら、郭図は更に問い詰める。

 

「旗は!」

 

「…………黒地に白字の関、です」

 

郭図は、絶句した。

 

関籍。逃げてきた袁術から聞くところによると、二十五万居た袁術軍を五万で打ち破ったと言う野戦の達人。

最も、袁術の言っていることは虚偽である。彼女にもメンツがあり、たった一万ほどに負けたなどは、口が裂けても言えるものではない。

 

自軍の動員兵力は隠しようがないが敵軍ならば誤魔化せるというなんとも小児的発想から生まれた虚偽が、郭図の脳を狂わせていた。

 

「兵力は?」

 

「五百ほどかと」

 

実際は五十騎であるが、慣れていない物見は敵の数を過大に見すぎる。

それが五十騎ほどの軍勢を十倍にも増やして見せた。

 

(奴は宛城に向かうはずだ。少なくとも宛城救援で三万が必要だし、新野を封鎖した軍も黒騎兵だったも加味すれば精々奴が率いているのは五千程度)

 

黒騎兵の主力として名高い閻行が、新野の街道封鎖に参加していた。この情報と、宛城包囲を打開せねば配下の信を失うであろうという状況。

それを固定化し、条件とするならば郭図の読みは外れていなかった。

前提条件が四万ものズレを見せていなければ、彼は何とか読めたかもしれない。

 

しかし、現実はそうではない。

 

(進撃するしか、あるまい)

 

五百の兵に臆したとあらば、袁家での地位の失墜は確実。

 

郭図は、野戦を挑まざるを得なくなったのである。

 

しばらく無言で彼は進んだ。

得も知れぬ恐怖と嫌な予感が彼の身体をさいなんでいたのである。

 

「……本当に、五百なようだな」

 

「はい」

 

「では文醜将軍に伝えよ。一揉みに揉み潰せ、と」

 

指示を下した兵が駆け、素早く前線に郭図の意志が伝わった。

文醜率いる一万が整然と動き出し、黒一色に揃った軍装を誇る精兵とぶつかる。

 

「……な!?」

 

相変わらずの、凄まじい突破力。

しかし深入りはせず、前線を崩しては退き、崩しては退きを繰り返してこちらを誘引しているように、郭図には見えた。

 

それは或いは、前情報として袁術が如何に負けたかを知っているが故の錯覚だったかもしれない。

袁術も誘引された挙句に左右から伏兵に挟まれ、背後を呂布に突かれ――――

 

「申し上げます!」

 

悲鳴のような声が郭図を貫く。

後曲から来た兵の顔は、恐怖のあまり引き攣っているように彼の目には見えた。

 

「背後に、真紅の呂旗!呂布が、我々の退路を断つべく動き始めました!」

 

「馬鹿な―――」

 

そんなことが、あるものか。

あってたまるか。

 

そう叫ぼうとした郭図の声が、銅羅の音に掻き消された。

 

左右から鳴り響く銅羅の音と、関の旗。

 

前後左右から、関籍の軍が迫っている。

 

「……退けッ!!」

 

「は、は?」

 

「呂布に退路を断たれ、前後に分断される前に退却を開始しろ!このままでは、棘陽の二の舞いを演ずることになるぞ!」

 

棘陽。退いた関籍を追ったら左右から挟まれ、逆落としで前後に分断された挙句に前軍は関籍らに殲滅されかけ、後軍は呂布に壊滅させられた恐怖の戦い。

 

後軍に居る郭図からすれば、自分の首に方天画戟が常に突きつけられているような恐怖が背筋を走っていたのである。

 

こうして郭図と文醜は辛くも包囲を脱し、逃走にも成功した。

しかし、彼らの率いる二万は十三回にわたる追撃による被害や逃走で五千にまで減少し、袁紹の元へ逃げ帰ることとなる。

 

関籍軍の総兵力が百騎のみであり、回り込んだ呂布が三十騎であり、左右の兵も十騎ずつ。関籍の本軍が五十騎だということ。

更には死亡者が二騎のみと言うことを彼が知り、歯軋りするのは二月後の話であった。




関籍「十三回突撃したら、配下が二人死んでしまった!」

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