義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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関籍の不覚

白馬。三万の曹操軍が五十万の袁紹軍と睨み合っている地である。

 

河北と呼ばれる土地に位置するこの土地で、曹操は数の暴力に苦戦を強いられていた。

援軍は、期待してはいない。荊州も荊州で四十万前後の軍に四方から攻められているのだから。

 

蜀の劉焉も十五万を率いて動き出し、郝昭が構成した峻険な山地と掘削陣地を巧妙に組み合わせた防御陣地が隠蔽されつつ配置された西部戦線に攻め上がってきている。

 

交州勢力と荊州南部の三郡を支配する劉備は盟を結んでいるし、何よりも三公七民という巫山戯た税制で外征が出来るとは思えない。彼女の感覚からすれば、そんな低税で維持できるのは最低限の国内防備くらいなものであった。

 

増税、ないしは人頭税制の導入を具申した臣下に『これ以上過酷な税を民に科すならばこの関籍が荊州にいる意味などない。増税や人頭税云々など言ってる暇があったら領内を見回って民の悩みの一つや二つでも拾ってこい』と言ったらしいから、本当に増税する気がないのだろうと曹操は感じていた。

 

動員兵力の寡少さも、そこらへんが関係しているのだろう。

商人たちは利益を度外視してまで積極的に荊州を支援をしているらしいが。

 

「それにしても、この状況は拙いわね」

 

こちらの不利を悟ってか、或いは攻めを急く理由でもできたのか。

夜間に渡河してきた袁紹軍の三度目の総攻撃を辛くも跳ね返し、曹操は机を軽く指で叩く。

 

四度目、五度目。そこを耐えきれるか耐えきれないかでこの戦いの切れ目が見えるだろう。

 

曹操は来たるべき援軍の存在も知らず、静かに一人瞑目した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曹操に『関籍来』の報せを伝えるべく走る伝者より尚速く、兵糧の荷車や攻城兵器やらの嵩張るものを全て開封の曹操軍に押し付けた関籍とその直属である呂布を筆頭とした九十九騎は、飛ぶように地を駆けていた。

なぜかと言えば、すっかり回復した甘寧通信網から白馬で曹操軍三万と袁紹軍五十万とが大規模な決戦を始めたことを知ったからである。

 

完璧に出遅れた。そんな苦味を噛み締めながら、豫州が完全に制圧され、自分の統治法を完全に踏襲した郭嘉によって治められていることを知った関籍はすぐさま物資の輸送を郭嘉に命じ、兵站線を無視した速度で北上を開始。途中に出会った袁紹軍の斥候を呂布と共に殺しながら一路白馬へと向かっていた。

 

そうして。

 

「何たる不覚……」

 

白馬に着いた頃、曹操は流石に押し負けていた。完全に潰走してはいないが、それも時間の問題だと思われるほどに。

 

視界を良くするために登った山から見るに夏侯の二旗も分断されて中央部の前線で孤立、楽・李の二将が左翼前線に取り残され、于・曹の旗もまた右翼で孤立。中軍の曹旗が前線に曝されている。

 

その様は洪水に破られた堤を思わせる悲惨さだった。

 

「……見捨てる?」

 

「漢に忠たる宰相の器、見捨てることができようか」

 

血を吐くような語気で言い捨て、関籍は背後に続く九十八騎と隣に立つ一騎へ視線を巡らす。

 

彼らの眼に怯みはなく、戦意に満ちていた。

 

「拙者が義真殿より聞きし戦の道は、多勢云えども必ず勝たず、寡兵云えども必ず負けず。士卒の不和と和にあるもの也。小敵云えども侮らず、大敵言えども恐れず戦うもの。

この関籍、逆賊共と百度戦っているが、寡兵で大敵にあたるは今に始まったことに非ず」

 

寧ろ兵力において敵に勝ったことがないながらも百戦を経て未だ一敗のみしかしていない関籍が言うと、この言葉は凄まじいまでの説得力を持っていた。

 

そして、旗上げから付き従ってきた彼らの脳裏を百数回かに渡る戦いの記憶が過る。

いつも十何倍が当たり前。一桁の倍率ならば最早極楽。同数での戦いになったならばそれは槍の雨が降るほどに稀少。

 

「漢の勝敗、此の一戦に在り。諸君ら心を一つにして力を合わせ、ただ我の向かうところを見よ」

 

いつものことだ。

 

五千倍も百倍もさほど変わらない。

 

もう慣れた。

 

殲滅が目的じゃないなら楽だ。

 

様々な思考を内に秘め、百騎は白を先頭に赤を次鋒にし、一丸となって突撃を開始する。

正にそれは、雷霆の如き進軍だった。

 

袁紹の左翼の下級指揮官たちは馬蹄に響きを聞いた時には既に放たれた矢が頭や腹に突き刺さり、物言わぬ骸となったのである。

 

瞬く間に左翼の指揮系統の速やかな伝達を担う左翼中央部の下級指揮官らを一回の飛射で五十人程狙撃し、再び馬首を返して中級指揮官を狙撃。その後に混乱しきった突撃を喰らわせ、左翼を真っ二つに分けるように中央部を突破。楽・李の二旗の旗が立つ地点へ無理矢理に道を開き、すぐさまそれらを率いて離脱した。

 

「被害は」

 

「零騎です」

 

楽進・李典とその兵数千を図らずとも両脇に備えさせて盾のようにし、自ら錐の先端となったお陰か、被害はない。

腕や肩に矢を喰らった者は居るが、荊楚の優れた製鉄技術によって作られた甲はその矢を肉にまで届かせはしなかったのである。

 

「右に回るぞ」

 

袁紹軍中央部に対抗すべく曹操本隊が広げた左の翼へと一礼して楽進らが合流していくのを見送り、関籍はすぐさま袁紹軍左翼から中央部へ吶喊し、弱い所のみを食い破って突き進む。

夏侯の二旗には、しばしの間つっかえ棒になってもらわねばならなかった。

 

「呂布殿」

 

「……ん」

 

青龍偃月刀に追随するように方天画戟が薙がれ、遂に右翼を横撃する。

横から来たという伝令が来る前に吶喊が開始され、統帥すべき下級の指揮官が矢に撃たれて死んでゆく。

 

偃月刀が陽光を反射して光ったのを見た瞬間、彼らの目の前には死の刃が迫っていると言ってよかった。

 

赤い布と白い袖がひらりと揺れるその度に、兵の命が散華する。

 

最早憑かれたように目の前の敵を殺し抜く彼らの前に、曹操本隊を包囲せんと延び切った袁紹軍は一刻と保たずに右翼の曹操軍との合流を果たさせてしまったのである。

 

「右!」

 

再び于禁・曹洪の軍を柄のようにして従わせ、自らが錐そのものとなって忽ちにして浮足立った袁紹軍を突き破った。

 

「被害は!」

 

「三騎!」

 

息をつかせる間もなく三刻にわたって戦い続けた所為か、今まで殆ど無敵を誇った旗本が次々に死んでいく。

そう簡単には育たない歴戦の勇士の死に、関籍の心は僅かに陰った。

 

やはり、并州以来の戦友が死んでいくのは格別な悲しさがあったのである。

 

「夏侯姉妹を―――曹兗州牧の両翼を救いに往くぞ」

 

一声掛け、おもむろに二十人の名が関籍の口から放たれた。

 

「お主らは于禁・曹洪両将を護衛し、曹操殿に我らの来着をお伝えせよ」

 

呼ばれた二十人は何れも返り血と自らの血で血みどろであり、これからの戦に耐えられないであろう者である。負傷したから下がれという訳ではなく、理由をつけてから退避命令をだす。

 

関籍流の気遣いであった。

 

「呂布殿」

 

「……?」

 

呼ばれた呂布は、一つ首を傾げて意を表す。

 

水を弾く獣の革で作られた両袖は血を水滴のように滴らせながらも染みさせることはなく、ただ黒と白が赤に彩られて鮮やかに映えていた。

 

彼女の身体には、傷一つない。

関籍の身体にも、傷一つない。

 

他の七十五騎の身体には大なり小なりの傷があることを考えてみれば、やはりこの二人の武は他を絶するものがあった。

 

「往けますか」

 

「……恋は、おやかたさまに着いてく」

 

つまりは、往けるということなのだろう。

そう判断した関籍は、呂布の乗る赤兎馬が自らが乗る烏に並び立つのを待って、青龍偃月刀を天に掲げた。

 

「吶喊」

 

重い声が、背負う雰囲気が。

付き従う七十五騎の戦意を再び燃やさせる。

 

古来より、英雄は一集団の首領となってから頭角を現した。では、首領になる資格とは何か。

 

それは肉体的に超人であることである。

身体に奇瑞の印を持っていたり、信仰を抱かせるような徳を持っていたり、凄まじいまでの肉体的武力を持っていたり、と。その条件は多岐にわたるであろう。

 

そして、関籍の配下は彼が項羽の再来であるかのような稀代の猛将であるという点に、本能的なまでの信頼感を集団として共有していた。

この時代では、兵士というものは首領の肉体的武力に信倚するところが大きく、更には首領が殺されれば兵が多量であろうが―――即ち、百万であろうがたちどころに四散する。

この『首領を戴かねば無力である』と言う点も英雄が成立し得る条件であったし、更に言えば首領は多分に肉体的に超人であることが条件とされた。

 

それは瓦をのみで削ったような異形の顔であったり、身の丈九尺と言う躯幹であったり、ともかく常人との明確な違いが一目でわかることが重要だったのである。

 

関籍はこの点、如何にも英雄然とした風貌をしていた。

 

九尺もの身の丈に、美しい髯。圧倒的なまでの武力に、味方に対しての優しさに、信仰を抱かせるような風韻。

 

英雄として必要な要素を、彼は『男である』ということ以外は満たしていたのである。

 

故に、彼の率いる兵は強かった。気が狂っているのではないかと思うほどに、強かった。

 

黒い軍団の紅白の鋭鋒が再び右翼を断裂さしめ、中央軍に突き刺さる。

 

袁紹の軍は、未だ軍隊運動を止めてはいなかった。




今項羽×呂布×最精鋭=最強

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