義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

64 / 83
大戦略

「華琳殿、叩いてきたぞ」

 

「あら、ご苦労様。戦利品は?」

 

幕舎をくぐるために屈んだ、偉丈夫。

関籍。復帰した二十騎と脱落した数騎を含む八十二騎で袁紹軍の補給線を荒らし回っている男である。

 

彼は魏延が気狂いのような吶喊を仕掛けたのを見届けると、下流から黄河を渡河。向こう岸に渡って白馬津を越えるとそのまま冀州に侵入。機動力に物言わせて領地を爆走、ひたすら輜重隊を襲い米一粒残さずに奪い尽くし、奪った兵糧を壺に収めて泰山の裾に埋めて簡易の兵糧庫として更に機動力を活かして輜重隊を襲い続けていた。

 

それは泰山に近辺に伏せていた曹操の伝騎(伝令将校)が『関籍が泰山に来ました』と聞いて言ってみたらもう済南に向かって進発しており、居なかったと言うほどである。

 

一応曹操は『十日で帰ってくるように』と言っていたためキッチリ十日後には白馬津を渡って帰還していてはいる。故に彼はここにいるわけであった。

 

「泰山から掘り出してきた。まあ、五万石ほどだろう」

 

「上出来ね」

 

別にこれが一万石であろうが、『全部燃やしました』であろうが、曹操は一向に構わなかった。

要は、指定した地域で輜重隊を叩いてくれればよかったのである。

 

まさか『中間報告・追加命令』用の中途帰還の期限である十日で全てやりきってみせるとは思っていなかったが。

 

「後は、ここ。滎陽を落とせば袁紹は和睦を望むようになるでしょう。今であっても提案すれば首を縦に振るでしょうけど―――」

 

「今後の戦いに備え、敖倉は早めに確保したい、と」

 

無言で首を縦に振る。

成皋にある敖倉は漢の高祖が珍しく項羽から逃げずに腰を据えて守った由緒正しき食料庫。滎陽もまた同じく呉楚七国の乱で活躍した漢の将軍・周亜夫が最大の重要拠点と定めた要衝。ここを取れば河内郡は曹・関の手に落ちるだろう。

そうすれば河南は孤立し、これもまた曹・関に帰属することは明白であった。

 

北方四州と新たに加えた徐州はくれてやればいい。しかし、司隷に対する侵攻の為の要衝は奪わねばならない。

何せこちらには余力がない。五州に攻め入って勝てても、統治することが難しいのだ。

 

「私たちの目的は、洛陽・長安の奪回。その維持の為には私たちが力を携えるしかないのだけれど―――」

 

目敏く袁紹が河南・河内を取っているがために、荊州路から侵攻しても曹操との提携が二郡によって阻まれてしまう。

 

「―――私が食い止めている内に、二郡。獲ってきてくれるかしら」

 

「承知した。魏延軍の楚勁千・楚甲二千・武卒二千、甘寧軍の楚勁二千・武卒三千と呂布と八十二騎を以って獲ってこよう」

 

豫州勢力を呑み込んだお陰もあり、東部戦線については吸収・解散・募兵で得た豫州兵を城に篭らせればよくなった。

即ち、野戦・攻城戦で力を発揮する楚兵を攻撃用に、特に強くもないが粘り腰な豫州兵を防衛用に転用することができるようになったのである。

 

「皆意匠の差異こそあれど装備は同じように見えたけれど、兵種に違いでもあるの?」

 

「鎧を纏って一日二百里走り、三人張りの弩を素手で張るのが楚勁、二重に鎧を纏って一日二百里走り、四人張りの弩を素手で張るのが楚甲。三重に鎧を纏って一日二百里を走り、五人張りの弩を素手で張るのが武卒。鎧の正面についている紋様でそれと分かるようになっている」

 

むしろ、ちらりと見ただけで『意匠の差異がある』と分かっただけでも曹操の審美眼の優秀さがわかるといえた。

なにせ軍などは一言に『精鋭』と言っても強い者弱い者が点在するのが当然である。多少の違和感こそ感じたものの、彼女が気づかないのも当然だった。

 

「では、後方に送り返された魏延軍の残兵は武卒なのかしら?」

 

「輜重隊を守っている兵は一般兵や楚勁、あって楚甲。一般兵・楚勁は色備えには入れんから、必然的に楚甲だ」

 

大分打ち解けた口調で話す関籍の言った言葉を聞き、曹操の脳裏に背水の陣を敷いて悪鬼の如き奮戦ぶりを示した魏延とその配下を思い出し、敵にせずに済んだ安心やら何やらで胸を撫で下ろす。

それはそれで、面白くもありそうだが。

 

楚甲であれならば、武卒とは何なのだろうか。

少し空恐ろしい気持ちになりながらも、彼女は一礼して去っていく頼もしい味方の背中を見送った。

 

 

「む、董襲。甘寧を知らんか?」

 

華琳殿こと曹操の元を去った関籍は、取り敢えず津に居た董襲に声をかける。

甘寧の副官的な立場にいるこの男もまた、俠の時代からの知己であり、古くからの友であった。

 

「おぉ、長生さん。帰ってきてたんですか」

 

「うむ」

 

長生と言うのは、彼が俠の時代に好んで使っていた名である。

字をつける時を逸した彼にとっては、謂わばこれが字なのかもしれなかった。

 

「お頭なら幕舎に引きこもってますよ。『入ったらどうなろうが覚悟ができていると見做す』って最後に見た時に言ってたんで、多分寝てるんだと思いますけど……」

 

「そうか―――と、言うか」

 

張任は、長生。

文聘も、長生。

董襲も、長生。

 

俠時代からの仲間な皆一様に俠としての名を、呼ぶ。

 

だが。

 

「何故甘寧だけ籍様なんだ?」

 

「そのくらい察っしような、長生」

 

極めて普通な流れで敬語を辞めた董襲に肩を叩かれ、甘寧の居る幕舎の方を向かせられながら、関籍は解し切れぬ顔のままに歩きだした。

 

バサッ、と。

着くやいなや幕舎と外を遮る万幕を引く。

 

「…………」

 

正座。

一番くつろげる自分の幕舎で、何故か正座。

 

一見してすぐにわかる珍妙さに呆気にとられながら、関籍は他人の来訪に気づかぬ甘寧をしげしげと見つめた。

 

何やら白い布を針と絹糸とでゆっくりゆっくり丁寧にチクチクとやり、一針縫っては縫い具合を調べ、一針縫っては縫い具合を調べ、とまあ、凄まじい精密且つ繊細な作業をやっている甘寧。

 

(目新しい……)

 

服装なんざどうでもいいとばかりの暴れっぷりを見せていたから少し窘め、服を買ってやったりはしたのである。

が、思わぬ形で更生が大成功に終わったことを示す情景を見て、関籍は何やら嬉しくなった。

 

黒一色の軍装で『血が目立ちにくいから黒でいい』と言っていた頃とは偉い違いである。

 

「………よし」

 

俯いてのチクチクを終え、いつも首に巻いている白い布の端を両手で持ち、真っ直ぐ掲げた。

甘寧の満足気な―――普段の鋭さを持った表情から割りと稚さを持った笑顔を見せて、気づく。

 

「……………」

 

「興覇―――」

 

バッ、と左手を『待った』と言わんばかりにこちらに立ててみせ、右手に持った縫ったばかりの白い布で取り敢えず口元を隠し、甘寧は視線を外して後ろを向いた。

 

正座のまま向いている方向を変えるという稀有な芸を披露した、半刻後。

 

「…………なんでしょうか、籍様」

 

甘寧はやっと、再起動を果たす。

 

「出陣だ。巻・原武・獲嘉・修武を夏侯淵殿が、我らは滎陽・薨陵・新鄭・密・成皋・平皋を落として敖倉一帯を確保する」

 

「……野王・溫・沁水・河陽らに蟠居する郭汜の一党は放置していていいのですか?」

 

「ひとまず張繍・張遼を北上させることで宛から前線を北に押し上げ、梁に駐屯している華雄殿と合流、新城・陸渾を落としてもらう」

 

五色備えを、出し切る戦い。

 

一つの戦場には集わずとも、驍将名将を遺憾なく使い切る一大攻勢。

 

「戦略としてはまず全軍が一丸となって中牟を通過、滎陽を落として糧道を確保。その後に魏延には京・密、お前には薨陵・新鄭、呂布殿と拙者で成皋を落とし、京・密を落とした魏延、薨陵・新鄭を落としたお前と合流、平皋を攻めて敖倉を確保、地盤を固めた後に洛陽を奪回する」

 

あまりにも壮大な、大戦略。

郭嘉の司隷攻めの大戦略に曹操が手を加えたものだけに、気宇の壮大さは群を抜いていた。

 

「先鋒はお前だ、興覇」

 

手を前で重ね、一礼する。

 

武に生きるものでは抑えられぬ、血の滾りを感じていた。




謎の甘寧推し。オットット!これはマーケティング的にも大正解ですよ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。