義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
「壮観ですな、文遠殿」
「歯ごたえは兎も角、あれ断ち切れたらスカッとするちゅーことは確かやろなぁ……」
黄巾軍五十万。
董卓率いる官軍、五万。
凄まじい兵力差を前に、二人はあくまで冷静だった。
「戦術なしのぶつかり合いならどうなるやろか?」
「華雄殿で千。呂布殿で二万。文遠殿で八千、拙者で一万は稼げます。華雄殿の騎馬隊一万で四万、呂布殿の親衛隊一万で五万。青騎兵三百で一万。臧覇と義兵で一万。拙者の黒騎兵八十七騎で五千はいけましょう」
「足りんなぁ……」
本国に残してある青騎兵五千と黒騎兵二千があればまた違ってくるのだろうが、今手元にあるのは最精鋭の三百騎。関籍の黒騎兵も先鋒の任を請け負った所為で消耗している。
策を使うか、戦術でがんばるか。それくらいしなければひっくり返りそうもない兵力差だった。
「董仲穎殿によれば、翌日攻撃をかけるとか」
「せやなぁ……まぁ、あの賈駆とか言うのはなーんか曲者な気がしたし、何かあることは確かやろな」
「はい」
謹直に答え、そのまま背後で立ち尽くす関籍を振り返り、ため息をつく。
「……何でしょうか」
「いやぁ、相変わらずの鉄面皮やなぁて思っただけやから気にせんといて」
「はっ」
馬鹿にしようが、あくまでも謹直。
何の反応も(示してはいたが)返さないことに苛立ち、青龍偃月刀を片手に持ちながら周囲に目を凝らす関籍の手を引っ張った。
軽いからかいを流す奴には、反応を返すまでやり続けるのが張遼の流儀なのである。
「……ちっとは動けや」
「はぁ……」
渾身の力で引っ張っても一歩も動かない関籍に理不尽な文句を付け、再び引っ張る。
何かを察したのか、わざとらしくない足運びで関籍の巨躯がつんのめった。
(隙無し、やなぁ……)
つんのめろうが何をしようが、自分の護衛についているという任務を忘れず、隙一つない足運びを見せた関籍に感心する。
なんというか、彼は義務感の強い男なのだ。
「飲みに行かへん?いや、行こか。行くと決まった」
「……文遠殿。確かに今日の仕事は終わったと言えど、明日は戦。武器防具の手入れをし、敵の朝駆けに備えて寝るのが将足る者の心掛けでしょう」
「知らんわ」
諫言を一言でぶった切られた関籍の目が白黒し、引っ張る際にかかる抵抗力が弱まる。
不意をつかれれば、如何に無双の武人とて弱いらしかった。
「文遠殿、ではもはや抵抗はいたしません。ですが引っ張るのは止めていただきたい」
「何でや?」
「手を繋いでいるという風に見られかねません」
「知らんわ」
伝家の宝刀を二度も抜き、割と深刻な致命傷を与えたはずだが、なおも関籍はめげなかった。
元々が義理堅い奴であり、本人は意識していなかったが、自分の身分の低さに劣等感を抱いているところもある奴である。
男の身ながら自分を引き立ててくれた張遼には感謝し切れぬほどに感謝していたし、足を向けて眠れないほどの尊敬の念を持っていた。
故に、『低い』自分と『尊い』張遼の浮いた話に怒りを覚えたのである。
「では、酒場に行くのは止めましょう。他人に見られれば、誤解が深まることとなります」
「じゃあ、ウチの幕舎―――」
「得体の知れぬ男を連れ込んだとあらば、文遠殿の名に傷が付きますぞ」
「じゃあ、籍やんの幕舎で飲もか。因みに、拒否権はない」
酒は飲め飲め飲むならば~とか何とかを綺麗な声で歌い出した張遼に引きずられるように、関籍はとりあえず張遼の幕舎に連れてこられた。
酒があるのは張遼の幕舎と倉くらいな物であり、酒好きの張遼言えども倉の物には手を出さないために彼女の幕舎まで行かねばならないことになったのである。
「よし、酒瓶持った。杯持った。行こか」
「…………」
「行こか」
「……はっ」
職務中に酒など、この関籍一生の不覚とか何とかいいながらも逆らわない関籍に気をよくし、ぐいぐい引っ張って幕舎まで行き、止まる。
「ほな、飲もか」
「承知した」
観念した関籍が自分に続いて幕舎に入ってくるのを確認し、張遼はニヤリと笑った。
堅物と昼間っから酒を飲むと言うことに、謎の達成感があったのである。
「……さ、乾杯しよか、乾杯!」
やけにご機嫌な張遼の杯を受け、腕を互いに交差させて飲み干した。
身長差があるが故に不自由だが、一応サシで飲むときの習慣のような物なのである。
「かぁー、うま!やっぱ昼間っから飲む酒は最高やな!」
「……まあ、そんなにうまそうに飲まれるとこちらの酒もうまくなると言うものですが」
何杯か酒を乾し、あっという間に一瓶分の酒が消えた。
酒豪と酒豪が飲みあったら当然と言うべき消費量ではあるのだが、それでも異常な速さだった。
「……籍やん」
「はっ」
「あんた、自分は死なへんって思っとるやろ」
杯を目線まで掲げ、いつもの明るさをどこかに置いてきたような暗さで、張遼は呟くように口を開く。
陰を落とさない無邪気な瞳に、僅かな陰が出来ていた。
「……まあ、死ににくいとは思っております」
「いーや、死なへんと思っとるわ、あんたは」
酔ったのか、酔ったふりをしているのか。そこまではわからないが、その酔眼には憂いが生まれていた。
「せやから平気で敵に突っ込んで敵の首ぶっ飛ばして、それが奪われてもへいちゃらな顔しとるんよ」
下駄を履いたままの片膝を立たせ、カン、と言う硬質な音が鳴る。
酔いと正気の狭間に、彼女の意識はあった。
「ええか?武名っちゅうのは鎧みたいなもんや。高まれば近づくだけで逃げることもあるし、捨て駒にならされることもなくなる。掛け替えのない駒やからな」
「……駒とは言い過ぎなのではないですか?」
「言い方はええよ。大事なのはそこやない」
酒を飲み干し、杯を置く。
この一杯で、二本目の瓶が空になった。
「名を売るんや。関籍の名をこの一戦で天下に広めたれ」
「……はぁ」
「気のない返事やなぁ……」
いそいそと立てた片膝を仕舞い、関籍の方に寄ってくる張遼を特に避けるでもなく、彼はただ泰然と飲んでいた。
「あんな、籍やん。聞きたいことあるんやけど、ええか?」
「はい」
「ウチと飲むの、嫌か?」
「楽しいとは、思います。ですが、拙者が楽しみを得る所為であなたの名を落とすような行為は慎みたいと思っております」
かつて張遼が居た方向を凝視しながらただただ杯をあおぐ関籍は、緊張していた。
産まれた瞬間から父による特殊な気功を身につけるための修練に励み、それが終わったと思ったら父と母が流行病で死に、遺された妹を養育しながら学問に励み、襲ってきた賊を一人で壊滅させたが故に洛陽に召し上げられることとなった。
それから二、三年は兵として必死に鍛練に励み、気づいたら并州で壇石塊を討っている。
産まれ落ちて二十五年。関籍は女に慣れていなかった。張遼並みの箱入り――――と言うより、修羅入りだったのである。
隣に来た張遼をどうすればいいのかわからないし、彼女が噂を『まんざらでもない』と言う意味もわからなかった。
恋をしたことはあるにはあるが、一瞥もされたことはない。
身分の差を痛感したのが、恋を経験した洛陽時代であった。
「文遠殿、お戯れが過ぎますぞ」
無言。人付き合いの苦手な―――というよりは女に慣れていない関籍にとって、これほど辛い反応はなかった。
「文遠殿?」
薄紫の柔らかな髪が二の腕に当たり、硬直状態にあった関籍は、遂に行動に出ることを決意した。
つまり、張遼の方を向くことを決め、実行したのである。
「……寝た」
そこにあったのは、穏やかな寝顔。
流石の関籍も、これには言葉を失った。
「なぜ寄りによってこの関籍の幕舎で……」
無防備に過ぎる。関籍は先ず、怒りを覚えた。
自分はしないが、張遼は女盛りの美女。こんな無防備な恰好を見せられれば、兵たちはとても無心ではいられまい。
「……」
ひょいっと脚と背中を担いで立ち上がり、周りを見回してひた走る。
身体の上下移動は最小限に。関籍は、隠密の如く張遼の幕舎まで駆け抜けた。
「……起きたら諫言をせねばなるまい」
時は夕刻。まだまだ人の訪ねてくる時間である。
まかり間違って無断で入って間違いがあれば、自分は一生涯の不覚をとることになるだろう。
「良し」
青龍偃月刀を構えて張遼の幕舎の前に仁王立ちし、警備は万全。
無論、そこに至るまでの行動を、ばっちり見られていたことは言うまでもない。