義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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待たせたな!(AA略)


節義

三つの砦、五つの関。作戦経過日時を十日程余らせ、魏延は五千の兵を四千五百にまで減らしながらも武関を抜け、それら八つの防衛拠点を落としていた。

作戦日数は大幅な余剰を見せ、このまま進めば約二十日の余裕が生まれるだろう。

 

百足の伝騎によれば、関籍らの本隊は洛陽を降し、一路長安へと駒を進めているとの報せだった。

これまた大幅に作戦日数よりも速い行軍・攻城である。

 

この報せを聴いた時の魏延と言えば、『やはり』と言う名の尊敬と『行軍を無理せぬ程度に速めてよかった』という安堵が混ざっていた。

 

この作戦は、両者の行軍速度・侵攻速度が等しくなければ最高の効力を発揮するとは言い切れない。

つまりこの別動作戦の指揮官と本隊の指揮官には、非常に息のあった連携が必要とされる。

 

楊儀がこの投機的な案に反対したのには魏延と言う生意気な、且つ奴隷上がりの将官に対する対抗心と嫌悪感もあったろう。

しかし、反論するに足るような現実的な困難さがあった。

 

「ふむ……」

 

師譲りの吐息を漏らし、魏延は放った騎兵による諜報で得た情報を整理し終えた。

 

羌族は、動く。現に西涼陣営は洛陽を棄て、長安へと退いた。

退いたというより、残された守兵では抗しきれないと悟った将が一戦も交えずに降伏したという方が正しい。

が、何にせよ羌族は旺盛な戦闘意欲と恐怖が変質した信仰めいた従順さで西涼陣営の後方を荒らし回り、李傕に手勢を割かせたのである。

 

これによって西涼陣営は長安一帯に於ける動員兵数を三万にまで減らした。

長安一帯であるから、その三万の軍勢は霧のように薄い幕となっており、集落のように点々と配置されている。

 

一見すれば防衛拠点の為の城が逆に枷になっているように見えるが、実際は一箇所を攻めれば忽ちの内に他の箇所へと『出陣されたし』の伝令が飛んだ。

時間差はあれど、このままでは三千の拠点を攻めていたら一万五千が出てきた、というようなことになりかねないだろう。

 

即ち、この網を如何にして破るか。

これが彼女の頭の使いどころだった。

 

「よし」

 

――――攻める。

 

横からの奇襲を防ぐ為と称して崖の隙間に構築した自陣を一瞥し、魏延は四千の兵を率い、五百に自陣を守らせて出陣。支城の一つに襲いかかった。

 

無論、本気で落とす気はない。あくまでも釣りであり、それでしかない。

 

だが、李傕もそうやすやすと野戦を挑むわけではない。李傕も軍事においては馬鹿ではないわけだし、何よりも『荊楚の兵の剽悍さ』を彼は盟友郭汜の死を以って知っている。

 

そう簡単に出てくる筈もなく、ただ遠目に威圧を掛けるように出陣の兆候を見せるだけだった。

 

洛陽には五千の兵が、その周囲には三千の兵に守らせた城や拠点が複数有る。

 

洛陽に一息に襲い掛かっても周囲の拠点が補給線を断ち、支城を潰していけば時間稼ぎになり、補給線の維持が難しくなった。

 

そして洛陽が落ちても、残兵を収容して函谷関に篭もれば兵糧が尽きるであろう。

 

そんな計算をしていた李傕に、驚くべき情報がもたらされた。

 

『関籍率いる本軍が支城の全てと洛陽が無血のままに開城し、函谷関に迫らんというところまで来ている』という報せである。

 

最早関籍は、彼等董卓から寝返った涼州勢力からすれば災厄でしかなかった。歩く度に味方が死に、必死に戦おうが止められるような弱い精神と武力ではない。

 

漢にとって、彼の支持者にとってはその項羽を思わせる武勇は畏敬と信頼の対象になりうるだろうが、彼等からすれば嵐が驚異的な執念と不屈の闘志を持って追尾してくるようなものだった。

 

しかも最近、幸運の女神に見放されたような不運から一転している。

 

文武ともに人材が豊富であり、地の利も良い。兵は強捍で衰えることを知らず、大義を得て勢いをさらに増した。

 

身分略歴問わず信任し、降った将すら受け入れる。

 

その寛容さは、形見の狭い思いをしていた張郃とその配下を単身で訪ね、張郃に背中を見せながら元袁紹軍の兵の実戦さながらの調練を丸腰で見学したことからも明らかだった。

 

普通、今まで鎬を削って戦い合っていた者が降れば、警戒心を抱く。

将のみを隔離し、兵卒は先鋒として使い潰すことがこの国では一般的だった。

しかし、関籍は人の善性を信じているようなところがある。

 

『仮にも一国の主がとる態度ではない』とか『いつか死ぬ』とか『脇が甘い』とか轟々非難されながらも直さない、彼の大きな欠点であった。

 

尤も張郃はその信頼と期待に応えるべく前線で善く戦い善く守り、時には自ら矢の雨が降り注ぐ先陣に立つような捨て身の勇敢さを見せている。

 

 

が、その一方で彼が裏切り者に手厳しいことは誰しもが知っていた。

公然の事実であるし、漢の国を裏切ると決めたからには容赦はしないというのは、正しい。

 

だが、敵対者にとっては堪ったものではないのである。

 

『ただでさえ手に余る怪物が来ているのに、国内に別働隊を抱えていてはどうにもならない』

 

李傕は、出陣を決めた。

釣られているのはわかっているが、出ざるを得なかったのである。

 

洛陽の支城を任せた配下にことごとく降伏され、自分以外信用できないと言うのが李傕の哀しい現実だった。

 

「……李傕が出陣を決めた、と」

 

「はい」

 

深々と頭を下げながらその重大情報を伝えてきた狐顔の女を明らかな侮蔑の眼で見下しながら、魏延は頭を巡らす。

思ったよりも、食い付きがいい。若い将が率いた五千程度の寡兵に、李傕が直々に出る必要などなかった。

 

信頼できる副官に―――つまり、関籍にとっての張遼、曹操にとっての夏侯淵に任せればいい。

 

味方同士の不和を経験したことがなく、信頼に応えることしか頭にない魏延は、その点のみが不審に思える。

 

(この女のような者しか居ないのなら、李傕も憐れだな)

 

ただただ低頭し、許しを乞うている狐顔は、魏延が一番嫌う人種だった。

 

「で、ワタシに何を求める」

 

「関荊州牧に先の裏切りを許してくださるように口利きしていただければ、と……」

 

つまるところは、助命だった。

 

こいつ等に節義はないのか、と。魏延はキレかけている頭に静止をかけながら可能性を探る。

 

一度裏切り、二度裏切ろうとしている。そんな恥知らずなことを、人が行おうはずがなかった。

 

彼女の師である関籍は言ったのだ。人にとって一番大切なのは節義であり、それを守り通してこその人なのだ、と。

 

「李傕の策と言う可能性もあるな」

 

「そんなことは」

 

「武士の嘘は武略という。軍師と言う立場で武に生きながらも策士として名高い貴様ならば、その可能性もあるのではないか?

証拠がなくば、信じられるものではないな」

 

策を弄しに単身潜り込んできたならば、魏延にもまだ助命を願う気はある。

彼女は忠誠を何よりも重んじていた。一度は裏切った李儒であろうが、紛いなりにもその道を通せば彼女の眼には良く映るのである。

 

「証拠ならばあります」

 

差し出されたのは一目見てもそれと知れる高貴な布に包まれた、頑丈な造りの箱。

 

重量としては軽いそれを、魏延は僅かな動悸を感じながら静かに開けた。

「『受命於天既壽且康』……伝国の玉璽か」

 

「はい」

 

角の先が僅かに新しく、接がれたような痕がある。

謀叛人である王莽が漢の孝元太皇太后に玉璽を渡すよう使者を送った時、角が欠けたと言われている玉璽に相違なかった。

 

そして、これを献上するということは策略としてあり得ない。

そうまでもして得るものが若い将の首と五千の兵というのは、割に合わなすぎるのである。

 

この玉璽の使い道は、追い詰められきったときにあるはずだった。

 

「お前の裏切りは、真実か」

 

玉璽を納め、僅かに手を震わせる。

彼女の内心は、己が玉璽に触れてしまったという畏れ多さと、目の前の蝙蝠女への怒りがないまぜになっていた。

 

目を瞑り、息を吸い、吐く。

 

魏延は一先ず玉璽を己の机の上に置き、改めて李儒の方へと向き直った。

 

「李儒」

 

「はっ」

 

いやに平静なその声色に許されたと言う確信を得たのか、李儒は慇懃な態度で平伏する。

この時の彼女が秘めた静けさの裏の激情と、その後の激情の爆発を読めたのは関籍と張遼くらいだった。

 

それほどまでに、魏延は爆発に向けて自分を圧し殺していたのである。

 

「武士には守らねばならない物がある。何だかわかるか?」

 

自ら手をとって立たせながら、魏延は遂に感情を表に出しながら次の言を投げた。

 

「それは節義だ。お前にはそれがない」

 

手をとられ、立たされたことに安堵した李儒には、それよりも深い絶望が待っている。

 

その絶望から逃げようと後ろに一歩下がって幕舎から出た瞬間、彼女の身体を魏延の剣閃が両断した。

 

「裏切り者だ。晒しておけ」

 

何事かと駆け寄ってきた近衛にそう告げ、魏延は幕舎へと戻る。

決戦の時は、近かった。




詳しくは割烹へどうぞ。

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