艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 砲弾の雨が降る。弾頭が水面へ落ちる度に巨大な水柱をあげ、視界を揺らし、身体を濡らす。それでも時雨には届かない。戦艦二隻の集中砲火であっても時雨には届かない。神懸かり的な回避技巧。確かな錬度と積み上げた経験。それに裏付けされた技術。しかし、それを持って尚、こうも避け続けられるものではない。一度は避けられても、二度目はわからぬ。絶え間なき攻撃に対して限界は必ず来る。尋常であるのなら、技術は圧倒的な物量の前に屈するのだ。ならば、なぜ彼女は避け続けられるのか。──それはひとえに“運が良かった”の一言に尽きるだろう。

 

 可能な限り回避できるものは避ける。察知できるものならば反応する。けれど、降り続く雨のしずく全てを把握できないように、降り掛かる数多の砲弾全ての軌道を読める訳ではない。故に運の要素は必ずとして存在し、運が悪ければその身に降り掛かり、運が良ければ自ずと避けてゆく。時雨は後者。そして後者であり続けた結果が、戦艦の猛攻をしのぎ、あまつさえ反撃を敢行する現在を生み出していた。

 

「まだ遠い。もっと近付かないと」

 

 呪文のように時雨は呟く。時雨の攻撃は命中し続けているが、お世辞にも有効打とは言えないものだった。まず装甲が抜けておらず、砲塔を一基損傷させたのが精々であった。だからこそ、更なる接近を試みる。距離を詰めれば詰めるだけ貫通力は増し、かつ装甲の脆い部分に狙いが付けられるからだ。

 

「くっ……!」

 

 至近弾で身体のバランスが崩れる。それをすぐさま立ち直し、連装砲で応戦した。

 無論、距離を詰めれば詰めるだけ敵の攻撃も苛烈になる。今は運良く回避できているとはいえ、常に幸運であり続けられる訳ではない。そんな確証などあるはずもない。だが、それでも時雨はがむしゃらに進んだ。

 

 そして時雨は辿り着く。

 彼我の距離、僅かに五メートル。戦艦ル級を間近に睨み付けられる距離まで接近した。時雨は即座に狙いを定める。迷いはない。想定した通りの行動を粛々とこなしていく。

 

 狙いは頭部。船で言えば、恐らく艦橋に該当する指令伝達部位。船であろうと、人であろうと、そこが弱点でないはずがない。

 

 不意にル級と目が合った。無感情の顔に、無機質の目。けれど、確かな意思を覗かせているようにも、時雨には見えた。……そう、意思があるのだろう。仲間を庇ったイ級のように、深海棲艦にも行動原理が存在する。情愛のような仲間意識であるかもしれないし、ただ役割を全うするだけの昆虫的な本能かもしれないが、しかし、そこに意思はあるのだろう。時雨はそれを認める。そんな事はこれまで何度も彼女等と戦って得た既知の事実だ。

 

 深海棲艦は理解不能の怪物ではない。交流できる可能性があって、交渉できる可能性もあって、共存できる可能性だってある。意思の相違があるだけで、もしかしたらこの戦い自体無駄であるのかもしれない。可能性は無限に広がっている。希望は常に可能性と共にある。──だが、そんな可能性を模索している余裕が人類にはない。時間的にも、資源的にも、精神的にも、制海権を奪われた人類に、そのような余裕がある訳がない。だから排斥しなければならない。排除しなければならない。迫りくる脅威は武力を以て駆逐しなければ世界を保てない。それが人の世。可能性は脅威が去った後、平和が約束された時に探せばいい。その時には希望など残されてはいないかもしれないけれど、それ以外の選択肢もまた残されていないのだから。

 

 悪いのはお互い様だよ──そう時雨は心中で呟く。

 僕がキミを殺そうとするのも、キミが僕を殺そうとするのも、そういう存在に生まれてしまったのが悪いのさ。だから後腐れなく、艦娘と深海棲艦、どちらかが滅びるまで戦おう。

 

 引き鉄をひく。連装砲は発射され、狙い通り、ル級の頭部へと直撃した。それと同時に頭部を撃ち抜かれたル級の砲塔が咆える。狙いなど付けないめくら撃ち。だが至近距離で相対する時雨へ吸い込まれるように直撃した。

 

「────ッ!!」

 

 声もなく、時雨は後方へと吹き飛ばされた。海面を転がるように着水し、うつ伏せに倒れ込む。視界は赤から黒へ、黒から白に変転する。上下の判断すら困難なほど頭が揺さぶられ、白く点滅する視界の中で、海の青だけが輝いて見えた。

 

「……いき、てる」

 

 言葉が口から漏れた。

 戦艦の砲撃が直撃したのに、どうやら生きているらしい。全身が痛い。四肢はちゃんと繋がっているだろうか。それすら確認できない。踏ん張りはきく。身体は沈んでいない。けれど、何かが足りない。ああ、そうだ。持っていた連装砲がない。困った。武器がないと戦えない。みんなを守れない。

 

 単調な思考が流れていく。

 時雨は顔を上げ、確認した腕で身体を起き上げる。目の前には爆散したと思われる連装砲の残骸が辛うじて海に浮かんでいた。どうやら砲撃は前方に構えていたリュック型連装砲に直撃したらしい。余波は凄まじかったが、身体に当たらなかった為、肉体的損傷は最低限に留まったようだ。とはいえ耐久値は大きく損なわれ、中破の状態だった。

 

 直撃させたル級に目を向ける。まるで石膏の仮面が剥がれ落ちるかのように、その半顔は崩れ、露出した先には真っ黒な暗闇だけが広がっていた。決して空洞なのではなく固定化された暗闇が輪郭に収まっているような、そんな不気味さを放ちながら、戦艦ル級は健在であった。

 

「は……、かっこうわるいな」

 

 あれだけの無茶をしておいて無力化すらできないとは、まったく笑い話にもならないよ──と、時雨は口角を歪ませる。自嘲しながら、しかし、次の一手を模索する。目の前には二隻の戦艦。自分に武器はなく、動く事もままならない。だが、それでも生存を希求した。

 

 死ぬつもりなどない。どれだけの無茶をしようと、死ぬつもりで臨んだ事は一度もない。誰かが死ぬのは悲しい。辛い。痛い。その事を僕は知っている。だから自分も死んではいけない。誰かを残して、死んではいけない。生を諦めてはいけない。死を甘受してはいけない。抗え。抗って、抗い続けろ。死に反逆を、生に賛歌を。それが人生なのだから。

 

 両足に力を込める。踏ん張って、立ち上がる。足は自分のものではないように震えるけれど、それを力で押さえ付けた。

 

 無傷のル級が砲塔を時雨に向ける。時雨もそれを認識する。

 足は動かない。まだ動けない。再稼働にはもう少し時間がかかる。応戦は出来ない。砲塔を失い、魚雷もまた撃ち尽くした。選択肢があまりに少ない。相手が無様に狙いを外すのを期待するしかない。けれど、この一撃をしのげば逃げられる。生存できる。その確信があった。だが──

 

 砲口を覗いた。ル級の砲口。装填される弾頭がはっきりと確認できるほど、その砲口は真っ直ぐに時雨の方を向いていた。

 

 ──同時に確信してしまう。あの砲口から放たれた砲弾が命中しないという奇跡は、絶対にあり得ない事だと、どうしてもわかってしまう。これまで戦い、経験を積んできたからこそ、その望みのなさがわかってしまった。

 

「……僕も、ここまでか」

 

 ル級を睨みながら、潔い言葉を呟く。

 抗おうと思ったけど、抗いようがないんじゃ仕方がない。ここで終わるのは癪だけど、それも結果と受け止めよう。生を諦めないし、死を甘受はしないけれど、自分の生きた結果は認めないといけない。……僕が沈んだ後は大丈夫だろうか。残りの敵はあと何隻いるんだろう。でもまぁ満潮なら上手くやるか。そこまでの心配はいらないね。自分で守れないのは嫌だけど、彼女なら扶桑と山城をきっと守り切るだろう。仲間の為に戦う。満潮はそういう素敵な女の子だ。……ああ、でも──

 

「──僕が沈んだら、彼女を傷付けちゃうな」

 

 その呟きと同時に死を告げる轟音が響き渡る。戦艦の主砲が発射され、それは無慈悲に直撃した。直撃弾は六つ。暴力の塊を受けた身体は砕け、爆炎を巻き上げながら重力に引かれて海へと埋没していく。あまりにも呆気なく、彼女は深淵へと落ちていった。

 

 そんな光景を、時雨は傍から眺めていた。

 

「直撃弾多数、戦艦ル級一隻撃沈! 山城、続いて!」

 

「はい、扶桑姉様!」

 

 時雨の後方から、扶桑の砲撃が降り注いだ。それはル級の砲撃よりも早く、ル級を撃沈し、時雨の命を救った。その後を山城が続く。

 

「決意して早々に死なれちゃ困るのよ!」

 

 気合いと共に、半面を砕かれたル級へと砲撃を放つ。僚艦が撃沈したのを目の当たりにしていたル級はすぐさま転舵し、回避運動を取る。それでも鈍重な戦艦はかわし切れず、二発が左腕に直撃。肘から下が千切れ落ちた。無感情な顔が苦悶に歪む。せめて時雨だけは沈めようと、残された右腕の砲塔で狙いを付けた。

 

 だが、それも横から飛来した砲撃で阻止される。小口径連装砲の攻撃。軽巡ホ級を振り切って駆け付けた満潮の援護射撃だった。

 時雨と合流した満潮は安否を確認するよりも先に腕を肩にまわし、脱力する時雨を引き摺るようにその場から離脱する。ル級とホ級の動向を監視しながら距離を取り、一息を吐く。

 

「時雨、生きてるわね?」

 

「みんなのおかげで、なんとか生きてるみたいだ」

 

 満潮に肩を借りながら、時雨は笑顔を浮かべた。

 

「そ、なら遠慮なく言うけど……無茶し過ぎよ、この馬鹿! 誰があそこまでしろって言ったのよ!」

 

「ごめん、心配掛けたね。ちょっとムキになって、深追いしちゃった」

 

 直撃を受け、冷静になった頭で反省する。思い返せば確かに無茶が過ぎた。

 

「馬鹿、駆逐艦の砲撃で、そう簡単に戦艦が沈む訳ないじゃない。ったく、戦闘になると人が変わるんだからアンタは。……でも、よくやったわ。アンタが散々荒らしまわったおかげで扶桑達も攻撃に専念できたみたいだし、文句は尽きないけど、今は勘弁してあげる」

 

「うん。ここを切り抜けたら、いくらでも聞いてあげるよ」

 

「ふん、覚悟してなさい。……さて」

 

 満潮は振り返り、戦況を見る。残存している敵戦力は中破のル級、小破のホ級のみ。現在、扶桑と山城がそれぞれ砲撃を放っているが、敵は回避に専心しており、満潮達が囮として機能していた時とは異なり、動きを捉えきれていない。これまで上手くやっていたが、やはり実戦経験の少なさは否めなかった。

 

 早く対処しないと逃げられる──満潮はそう判断する。

 

「私は扶桑達の援護に行くわ。一人で離脱できる?」

 

「いいや、僕も行くよ」

 

 即答する時雨に、満潮は呆れたように笑みを浮かべる。

 

「……まぁアンタならそういうと思ったけどね。でも、あえて聞くわ。自分の状況はわかってる?」

 

「中破して、砲塔も失った。けど、幸い速力は落ちてないし、キミが予備の魚雷をくれれば雷撃はできる」

 

「あと一撃でもまともにくらったらお陀仏なのもわかってる?」

 

「勿論だよ。……大丈夫。無理はするけど、死ぬつもりは一切ないから」

 

「死ぬつもりがなくても、死は否応なくやってくるものでしょうが。……まぁいいわ。信頼してあげる」

 

 目の良さとか、操舵の上手さとか、そういう部分も信頼しているけれど、満潮が時雨に一番信頼を置いている事は、その生存能力だった。必ず生きて帰ってくる。そういう信頼を不思議と抱ける稀有な存在だったからこそ満潮は時雨に惹かれたのだ。

 

 背負った艤装から、満潮は予備の魚雷を取り出し、時雨に手渡す。

 

「気張んなさい。次の接敵で、ケリ付けるわよ」

 

「うん、今度こそ上手くやってみせる」

 

 満潮から受け取った八本の魚雷を発射管に装填し、時雨は反転する。それを確認して満潮も反転した。

 

「扶桑はホ級、山城はル級に狙いを定めてる。満潮はホ級をお願い。魚雷じゃ足の速い軽巡の動きを止めにくい」

 

「なら時雨がル級か。互いの装備を鑑みれば妥当な選択ね。……でもアンタ、実は受けた借りを返したいだけでしょ」

 

「あ、わかる? やられたらやり返さないとね」

 

「ま、倍返しは基本よね」

 

 冗談半分な言葉を交わして二人は笑った。

 笑顔を浮かべるのも束の間に、二人は瞬時に気持ちを入れ替える。笑みは消え、視線だけで頷き合うと、それぞれの敵へと向かっていった。

 

 満潮はル級と合流を図るホ級に接近する。行く先に連装砲を撃ち込み、進路を塞ぐ。ホ級は即座に反応し、満潮の方へと進路を変えた。

 

「扶桑、聞こえるわね? アイツの足を止めるから、その隙に仕留めて」

 

 後方に位置する扶桑へと通信を飛ばし連携する。「了解」という返事を受けて、満潮は連装砲の狙いを絞る。ホ級は砲塔の一つを失っている。攻撃の手は以前ほど激しくなかった。故に狙いを絞る余裕は十分あった。

 

 一射目は至近弾。修正し、二射目を放つ。再び砲塔に直撃。砲身が被害を受け、更に一つの砲塔が機能を停止する。それでもホ級の攻撃能力は尽きない。残された二基の連装砲と一基の単装砲による火力は未だ満潮を上回っている。

 

「ぐっ……!」

 

 ホ級の砲撃が満潮の左足に着弾した。左に傾く身体を、無理やり重心を右に移動して、バランスを取る。だが速力は落ち、細かい機動も取れなくなった。それを好機と見たホ級は火力を集中する。満潮もそれに応戦した。

 

 両者の距離は近く、それは削り合いだった。先に多くを当てた方が勝つ。ただそれだけのシンプルな戦い。手数は圧倒的にホ級が勝るが、砲精度では満潮に分があった。

 

 満潮の砲撃が、ホ級の身体に命中する。損害は与えたが、まだ足りない。

 ホ級の砲撃が、満潮の額を掠める。辛うじて装甲に弾かれ、被害はない。

 満潮の砲撃が、ホ級の連装砲に命中する。被害を与え、手数が一つ少なくなる。

 ホ級の砲撃が、満潮の腹部に直撃する。装甲を貫通し、耐久値が大きく削られたが、戦意は途切れない。

 満潮の砲撃が、ホ級の下部に命中する。爆炎があがり、速力が下がり、やがて動きが止まった。しかし、攻撃は続く。

 ホ級の砲撃が、満潮の胸へと飛来する。咄嗟に連装砲で庇い、被害は最小限に留めたが、連装砲は大破した。

 

 もはや満潮に反撃の術はなく、足が止まったとはいえホ級には未だ火力が残されている。──だが、それでいい。勝敗は既に決していた。

 

 次の瞬間、ホ級は爆散する。

 戦艦 扶桑の砲撃。その一撃は正確にホ級の身体を撃ち抜き、撃沈させた。足を止めた時点でホ級に待っているのは死のみだった。

 

「満潮、大丈夫?」

 

 扶桑からの通信に、満潮は溜め息を吐く。 

 

「大丈夫じゃない。強行策だったとはいえ被害を受け過ぎたわ」

 

「ふふっ、愚痴をこぼせるのなら大丈夫そうね」

 

 扶桑の微笑みに、満潮は鼻を鳴らして返すと、ル級の追撃に向かった時雨の方を見つめた。

 

 

  -◆-

 

 

 身体が痛む。持ち直した足はまた震えだした。気を抜けば波に足を取られそうだ。でも戦える。この程度ならば戦える。

 

「ハ……」

 

 脳内麻薬でも分泌しているのか、意識はやたらに鮮明だった。気分が高揚しているのがわかる。胸の奥が高鳴っている。それを自覚しながら、冷静な理性で蓋をする。闘争心は隠すもの。怠れば人は獣に成り下がる。

 

 精神を研ぎ澄ます。

 反省は生かせ。我を忘れず、けれど、熱い気持ちは否定せず、思考を常に巡らせろ。失敗なんて一度だけで十分だ。

 

「よし、いこう」

 

 敵を確認する。

 左腕を無くした戦艦ル級は後退する素振りもなく、遠くの山城と砲撃戦を繰り広げている。深海棲艦側の敗戦は濃厚。ならば逃げの一手はせず、少しでも相手に被害を与えようという腹積もりなのだろう。あれだけ損傷を受けているのだから、それは当然と言えた。

 

 時雨は速度をあげる。その動きを察したル級は反転し、接近する時雨へと狙いを変え、残された右腕の砲塔三基で迎撃した。

 

 襲い掛かる砲撃を時雨は回避する。先程まで戦艦二隻の猛攻を神懸かり的な回避技巧で避けてきた彼女にとって、四分の一となった今の砲撃を回避する事はあまりに容易い。──だが、それは自分も先程と同じならばの話である。

 

「ッ──!」

 

 身体を動かす度に強打した全身が──特に連装砲の爆散に巻き込まれたと思われる左腹部が悲鳴を上げる。運動能力の低下はないが、行動の度に走る痛みは確実に動きを鈍らせた。

 

 魚雷の射点に辿り着くまで攻撃を避け続けられるだろうか──そんな懸念が時雨の脳裏に浮かんだ時、ル級の周囲に複数の水柱が昇る。それは砲撃。山城の艦砲射撃だった。

 

「あなた馬鹿なの!? それだけの被害を受けて、なんでまだそんな前にいるのよ!」

 

 後方からル級に追撃を仕掛ける山城はいきなり通信を飛ばしてくるなり時雨を叱る。それは心配しての言葉であったが、無理をする時雨に怒りを覚えたからでもあった。

 

「下がりなさい! 後はわたしがなんとかする! してみせるから!」

 

 経験不足で頼りないかもしれないけれど、余裕のある自分に任せて欲しいと山城は訴える。けれど時雨はその優しさを受け入れなかった。

 

「ごめん。でも、ここは譲れない。僕が退けば、キミが狙われる」

 

「わたしは戦艦よ! 何発かは耐えられる! あなたが無理をする必要はないじゃない!」

 

「その通り、それが賢い選択だね。けど、そういう話じゃないんだ。キミが傷付く可能性がある限り、僕は妥協したくない。キミ達を無事に鎮守府まで送り届ける事、それが僕と満潮に課せられた仕事だから」

 

 護衛を任された者として、そして個人的な気持ちとしても、山城が傷付く可能性を時雨は許容しない。それが命がけであっても。

 

「あなたは十分仕事をしたわ。ちゃんとわたし達を守ってくれた。だから、もういいでしょ」

 

「そう言ってくれるのは素直に嬉しいよ。でも、だったら、最後まで守らせてほしい」

 

 通信越しに聞こえてくる時雨の声。それは静かで、けれど強い意志が感じられた。きっと今の彼女はいつものような笑顔ではないのだろうと、山城は拳を強く握り締める。反面、声からは力が抜けていった。

 

「なんでそこまでするの……、どうしてそんなに頑ななの……」

 

「そうしないといけない気がするんだ。ここで妥協したら、こんなところで甘えたら、僕はいつか後悔する気がする」

 

 状況に流されたら、夢で見続けたあの地獄を今度は自分が体験する事になる。時雨はそんな予感がした。だから、もっと強くならなければならない。辛くても、痛くても、例えそれが最善の行動ではないとしても、最後まで意地を通したいと、そう切に願った。

 

「どうか僕に、キミを守らせてほしい」

 

 その一言で山城は諦めた。自分には彼女を止められないと、説得を諦めた。

 

「あなた、本当によくわからないわ。腹が立つくらい」

 

 なぜこんなにも強情なのか。この少女にとって自分達がどんな存在なのか。そこにどんな理由があるのか。まるでわからない。わかるのはただ一つだけ。……本気で言っているという事だけだ。気味が悪いほど真摯で、腹が立つほどひたむきな言葉だったという事だけだ。

 

「──だったら勝手にしなさい! その代わり、わたしも勝手にさせてもらうから!」

 

 もう好きにしろ。守りたければ勝手に守れ。わたしもわたしで、あなた達の為に勝手に戦ってあげるから。──そう開き直って、山城はル級へと砲撃を放つ。斉射された砲弾は一発だけル級に命中し、傷付いた身体を炎上させた。

 

 そんな山城に、時雨は呆気を取られる。

 

「ふんっ! ……どうしたの? わたしを守るんじゃないの? そんな呆けていたら、わたしが逆に守っちゃうわよ?」

 

 呆気に取られていた時雨は、その言葉で笑みを零す。

 どうやら守られるだけのお姫様ではいてくれないらしい。……優しい人だ。尚更守ってあげたくなる。

 

「そっか。なら競争だね」

 

「上等よ。あなたが仕留めたら御褒美をあげてもいいわよ」

 

「それは楽しみだ」

 

「もう勝ったつもりでいるんじゃ──ないわよ!」

 

 会話をしながら山城は再び砲撃を放つ。しかしながら命中弾はなく、至近弾が数発あった程度であった。「抜け駆けをするからだよ」と、時雨は微笑みながら痛む身体を動かし、射点へと移動する。ル級の砲撃は未だ時雨を狙っており、近付けば近付くだけ散布界は狭くなっていく。

 

 けれど、今の時雨には当たらない。痛む身体など既にどうでもいい。痛みよりも、優先すべき事柄が出来たのだから。

 

「第一魚雷発射管、準備。放て」

 

 ル級の右側面から、時雨は四連装魚雷を発射する。距離は近い。鈍重な戦艦では回避できない距離と角度だった。避け切れない事を察したル級は被弾面に右腕の艤装を構え、防御の体勢で魚雷を受ける。四射線中、二発が命中。爆発と共に爆音が轟く。

 

「……タフだな」

 

 だが、それでもル級は沈まなかった。ただ浮いているだけの状態だったが、それでも砲塔は生きている。時雨は追撃を急いだ。

 

「もらったわ!」

 

 山城の通信と同時に轟音が響く。見上げれば砲弾が弧を描いて、死にかけのル級へと降り注ごうとしていた。軌道は申し分ない。恐らく命中するだろう事を時雨は認める。

 

 着弾。命中は二発。死にかけの戦艦に致命傷を与えるには十分な追撃だった。

 戦艦ル級は大破炎上し、徐々に水面へと沈んでいく。時雨の後方で山城が安堵する。──その最中、時雨は駆けた。

 

 山城の砲撃は正しく致命傷をル級に与えたが、その命を奪ってはいなかった。いずれ奪うだろう一撃だったけれど、その死は緩やかなものであり、沈みゆく中でル級の意識は生きていた。

 

 完全に砕けた顔無き顔が、後方の山城を睨む。死が確定した身体は、しかし、未だ死滅してはいない。残された渾身の力を以て、右腕だけを動かす。軋む身体が、死にゆく意識に呼応して、消えかけの殺意を込める。

 

 沈め。沈め。沈め。同胞のように。自分のように。冷たい海の底へ沈んでゆけ──と。

 

「させないよ」

 

 時雨が魚雷を放った。

 音もなく海を進む酸素魚雷は、殺意が放たれるよりも早く到達し、死が確定したル級を吹き飛ばす。沈みゆく身体は飛散して、死にゆく意識は殺意と共に霧散する。もう生きている部分は存在しない。

 

 それを確認した時雨はしばらく周囲を警戒した後、振り返って満潮の様子を窺う。扶桑に寄り添われていたが、彼女も自分の仕事を果たしたようだった。

 

「会敵した六隻は全て撃沈。これにて戦闘終了……だね」

 

 そう呟くと、ようやく時雨は脱力した。

 

 


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