艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 駆逐イ級の咆哮を受け、空に異変が生じた。

 艦娘達の抵抗により乱れ切っていた深海棲艦の艦載機は突然に統率を高め、これまでは道化を演じていたかのように隊列を組み直す。残存していた約五十機が、それぞれ五機構成の編隊を組み、空中に黒い波を描いた。

 

 その不穏な様子を第一に発見したのは祥鳳が最後に放った偵察機だった。

 祥鳳が発艦した艦載機は既にほぼ全てが壊滅し、その偵察機が最後の一機。自分の目の代わりとして一機だけ高高度に位置させていた為、唯一被害を受けずに健在であった。

 

「敵艦載機が攻めてくる」

 

 偵察機からの報告を聞いた祥鳳は青葉へと簡潔に告げる。青葉も空を睨んでいたので、敵の動きが変化した事自体は把握していた。航空戦に精通した祥鳳の発言を受けて、その意味を知った彼女は声を上げる。

 

「敵航空戦力が攻撃を仕掛けてきます! 全艦、輪形陣の外周を狭めて密集し、中心の祥鳳さんを死守してください!」

 

 それを聞き、外周に位置していた衣笠、古鷹、加古、漣の四人が中心にいる祥鳳へと距離を詰める。密集陣形による対空迎撃。防衛範囲は狭まるが、その分、弾幕の密度は増す。自分を含めた他の仲間の守りを薄くする代わりに、祥鳳だけは絶対に守ろうとする布陣だった。

 

 青葉は握っていた手を離す。

 

「ごめんなさい。ここからは進路を誘導している余裕がありません。動きに合わせますので、ご自分だけで進んでください」

 

「ここまで……、ありがとう。心配しないで……、きっと逃げてみせるから」

 

 祥鳳は頷いて、未だ温もりが残る手をぎゅっと握り締めた。

 

「来るわよ、青葉」

 

 隊形を組み直した艦載機達は一度距離を取って旋回すると、二手に分かれ、左右から交差するように祥鳳目掛けて襲撃した。

 

 片側五編隊、約二十五機。左右合わせて十編隊が一斉に襲い掛かる。

 編隊は一列に並び、迫りくる。それは一つの波。風前の灯火を一気に飲み込む津波に等しかった。

 

 その黒い大波へと艦娘達は鉛の砲弾を撃ち込む。

 疲弊した身体は悲鳴をあげ、気合だけで保った精神は次の瞬間には消え去りそうになりながらも、一人の仲間を守る為に彼女達は砲を撃つ。血反吐を吐く思いで、ただひたすらに空の黒点を狙い続けた。

 

 思考はない。ここまで来て考える事などなかった。

 精根尽きる前に、友を襲う敵を討つ。それだけに残されてもいない力を注ぐ。カラになった体力を気持ちだけで補い、折れかけの心を勢いだけで支える。

 

 トリガーを引く指は動いているのか、それとも痙攣しているのか、もはや判別がつかない。感覚は末端から消えていく。いずれ痺れすら感じなくなった。気付かぬ内に叫んでいた喉はかれ、砲撃の音に晒された耳はいつしか甲高い金属音に支配される。正常なのは視力だけ。敵を狙うのに必要な目だけが活動し続ける。視力だけは失わないよう、他の部分を遮断し、視力の維持にエネルギーをまわした。

 

 砲は火を吹き、波は乱れる。

 衣笠が敵を落とす。古鷹が敵を燃やす。加古が敵を砕く。漣が敵を穿つ。青葉が敵を壊す。時雨が敵を殺す。

 

 心身をすり切らした攻撃は黒い波を削っていく。──だが、足りない。彼女達が持ち得る性能の全てを超えるパフォーマンスを発揮しても尚、それを打ち消すには至らなかった。

 

「右翼、二機も抜かれちゃった!!」

 

「左翼、こっちは一機抜かれた!!」

 

 古鷹と加古が苦しそうに声を上げる。その報告を聞き、青葉と時雨は祥鳳を背に隠すと、迫りくる敵艦載機へと対峙する。右に時雨、左に青葉が位置して、見上げる空、その眼前に達した敵を撃つ。

 

 急降下してくる艦載機。爆弾は装備していない。既に攻撃し終えた爆撃機だったが、腹の下に装着された機銃を吐き出す。機銃掃射が降り掛かる中、二人は動く事なく、それを受け止める。上空より撃ち込まれた銃弾は『装甲』に弾かれながらも、時折脆い箇所に命中し、『耐久値』を減らしていく。同時に衝撃が痛覚へと波及する。けれど二人は怯まない。痛みを感じている余裕などなかった。

 

 二人は機銃掃射を浴びながら祥鳳に接近した艦載機を全機撃墜する。

 一息吐く間もなく、敵は更にやってきた。間髪入れない波状攻撃。第二波は左右それぞれ二機ずつ。またもや爆装のない爆撃機。それを同じように迎撃した。

 

 第三波も爆撃を終えた爆撃機が二機ずつ。変わらずに機銃掃射が行われ、二人は甘んじて祥鳳の盾となる。しかし、三度目ともなる機銃掃射を受けて、時雨の体勢がついに崩れた。重巡洋艦である青葉に対し、彼女は駆逐艦。『装甲』も『耐久値』も数段劣る。攻撃を受け続ければ先に支障が出るのは明白だった。

 

 青葉は二機撃墜したが、時雨は辛うじて一機を撃墜。仕留め損ねた残り一機が祥鳳へと機銃を撃ち込む。放たれた凶弾は低速で航行する祥鳳の左足を貫いた。彼女の『装甲』はもはや無いに等しく、弾かれる事なく肉体を抉る。穿たれたふくらはぎは出血しながら、そこに込められた力を失った。

 

「あぁっ……!」

 

 短い悲鳴をあげて、祥鳳は前のめりに倒れ込む。急に力が抜けた身体は不格好に海面を滑り、一定の距離を進んだ後、完全に停止した。

 

 ──早く、動かないと……逃げないと……。

 

 動きを止めるのが最も危険である事を承知している祥鳳は懸命に全身へと力を込めた。だが、起き上がろうにも傷付いた身体はそれを許さない。支えにした両腕は起き上がる途中で脱力し、撃たれた足には力すら入らなかった。

 

 それでも足掻く。無様に海面へ顔面を叩き付けようとも、彼女は何度でも挑戦した。起き上がれるまで何度でも全身に力を込めた。それが彼女の戦いだった。

 

「このっ──!」

 

 祥鳳を撃った艦載機を青葉が撃墜する。

 

「祥鳳さ──」

「──左右より攻撃機! 魚雷が投下されましたよ!」

 

 祥鳳を心配した青葉の言葉は、漣の切羽詰まった声に遮られた。倒れる祥鳳に伸ばしかけた手を引っ込めて、青葉は動きの止まった彼女を狙って投下された魚雷を睨みつける。雷跡は二つ。両方とも祥鳳に命中する進路を取っていた。

 

「時雨さん、そっちは!」

 

「こっちは三本! やってみせるよ!」

 

 機銃で小破した身体を操って、時雨は右翼から来る魚雷の正面に移動する。水中を進む魚雷の対処を僅かな猶予で考え、迷う間もなく実行した。

 

「深度を浅く設定。信管も敏感に調整。……全門、直ちに斉射!」

 

 正面から来る三本の魚雷に対して、時雨は八本の魚雷を発射。深度を浅く設定された魚雷は水面にはっきりと姿を見せながら進み、やがて向こうからやってくる魚雷と交差する。──その直前、時雨は姿を捕捉していた自らの魚雷に対して一斉砲撃を放った。

 

 砲弾の数発は魚雷に命中、或いは至近弾となり、魚雷の信管が作動。八本の魚雷は連鎖的に爆発を起こし、上下に交差していた三本の航空魚雷をも巻き込んだ。

 

 敵の魚雷が全て爆発したのを確認した時雨は息絶え絶えに膝をつく。

 

「ちょっと賭けだったけど、なんとかなるものだね」

 

 時雨が手練手管を駆使して魚雷を対処したのに対して、青葉はもっと単純に魚雷の対処をしていた。

 

「航空魚雷の一本や二本くらい!」

 

 重巡の『耐久値』を生かして、自分から魚雷へとぶつかっていく。被害を最低限にする為に防御の構えを取りつつ被雷し、二本の魚雷から祥鳳を守った。

 

「ぐぅっ!」

 

 とはいえ、魚雷の爆発を受けて無傷ではいられない。肉体を保護する服が破れ、盾にした砲塔が大破し、一時的に機関が停止した。再起動には十秒ほどかかるが、その程度で済んだだけ運が良かった。

 

 時雨と青葉が魚雷を処理し、一瞬の安堵を得た時、その頭上を影が横切る。

 

「第五波、敵艦爆!! 何が何でも撃ち落として!!」

 

 弾幕を突破し、祥鳳の直上まで到達しかかっている敵爆撃機を観測して衣笠が絶叫に近い声をあげる。数は左右合わせて五機。爆弾を保持し、急降下爆撃の動作に移行していた。

 

 続く波はなく、それが最後の敵襲。これをしのぎ切れば祥鳳を守り切る事が出来るだろう。故に時雨と青葉を除く全員が必死の形相で、その艦爆隊へと砲火を集中させた。だが、それは深海棲艦とて同じ。この攻撃を通す事が存在理由であり、それ以外の事など考慮しない。恐れを知らない怪物は砲弾の網の中に躊躇なく飛び込んでいく。

 

「────ッ!!」

 

 衣笠、古鷹、加古、漣の四人は四方から中心に向けて弾幕を描く。発する声はなく、呼吸も止める。息継ぎをする時間すら惜しい。生命活動をしている余裕があるのなら、その力を一発でも多くの砲弾を撃つ為に使う。

 

 命を削って放つ砲撃は実を結び、五機の内、三機に次々と命中し、その身体を空中で爆散させた。

 

「くっ……動いて、早く、早く動いてください!」

 

 魚雷を受け、身動きが取れなくなった青葉はもどかしそうに身体を動かす。推進力を失ったその身体は海に浮くだけで、一向に動く気配がなかった。

 

 砲塔を失った青葉に爆撃機を迎撃する力はなかったが、倒れる祥鳳を庇うくらいはできる。既に中破した身体だが、満身創痍の祥鳳が爆撃を受けるよりは生存確率が格段に高い。迎撃し切れなかった最悪の事態を考えて、青葉は自分の身体に鞭を打った。

 

 青葉と同じく魚雷の対処をして迎撃の遅れた時雨は、機銃掃射で負傷した身体を動かして爆撃機を要撃する。砲塔は全て生きている。残り二機ならば間に合うはずだと照準を定めた。

 

 爆撃機は垂直に降下している。重力によって更に加速するそれを狙い撃つのは至難。加えて悠長に狙いを定めている余裕もない。──しかし、決して不可能ではない。それを可能にする技術があって、それを行える装備もある。そして時雨改二にはそれを出来るだけの経験があった。

 

 彼女自身の経験と、魂から解け出した“駆逐艦 時雨”の経験。第二次改装によって同調を増した二つの魂は共鳴し、互いの経験が憑依する。かつての戦いで培った“時雨”の技巧を、彼女は自分のものとして昇華し、今ここに再現した。

 

 右腕の艤装だけを突き出し、姿勢を低く構える。

 頼るのは己が視力と対空電探からの情報。そして自らの幸運。アナログとデジタルにオカルトを付け加え、時雨は心の示すままにトリガーを引く。

 

 二基の単装砲から発射された砲弾は導かれるように爆撃機を捉え、身体を砕き、誘爆した爆弾によってその存在を消滅させた。

 

 仲間を殺した爆炎を抜けて、敵爆撃機──その最後の一機が突進する。間近で爆発に巻き込まれ、機体の表面は傷だらけであったが、爆弾を未だ保ったまま直下にいる祥鳳へと襲い掛かる。

 

「間に合え──ッ!」

 

 温存していた左腕の艤装を構え、狙いを付ける。

 他の四人からの砲撃を掻い潜り、その機体は不規則に動く。阻止限界点ギリギリまで粘って照準を定めると、時雨は願いを込めて砲撃を放った。

 

 大口径単装砲と小口径連装砲、計三発の砲弾がバラける事なく狙い通りに軌跡を描く。敵爆撃機もまた予測した通りの位置を通過し、時雨の砲弾は最後の一機へと命中した。

 

「────」

 

 だが、浅い。

 命中した一発の砲弾は機体を捉え、生物的な内側を露出させた。しかし入射角が悪かったのか、はたまた偶然爆撃機が身体の向きを変えたのか、命中した砲弾は表面を広範囲に抉り取っただけに終わり、その襲撃を阻止するには至らなかった。

 

 辛うじて難を逃れた爆撃機はバランスを崩しつつも、その進路から逸れる事なく祥鳳へと向かっていく。もはや阻止限界点は超え、遠方からの砲撃では間に合わない。その事を祥鳳自身は偵察機の報告を受け、知っていた。

 

「う、うううーっ……!」

 

 伏した祥鳳は渾身の力を振り絞って、なんとか起き上がる。顔をあげ、眼前にまで迫った爆撃機を目にした。

 

 ──逃げないと……! 皆の為にも……、私自身の為にも……! 生きて、生き延びて……!

 

 出血する足で踏ん張って、重過ぎる腰を上げる。冗談みたいに足が笑う。自分の体重すら支えられない血の抜けた両足は──結局、再び立ち上がる事なくあっさり屈した。

 

 ぺたん──と、祥鳳はその場に尻もちをついて、放心した顔が上を向く。……目の前には死が迫っている。鈍く光る黒鉄。生物に近い不気味な爆撃機が、もう一呼吸の内にやってくる。

 

「──あ、あぁ」

 

 ──……生きたい。死にたくない。生きていたい。もっと……ずっと……生きていたい。

 

 生への渇望が沸いてくる。現実の死を目の当たりにして、あらゆる虚飾が脱げていく。そこに理屈はない。思慮もない。あるのは、ただ生きたいという生物として当然の本能だけ。そんな本当の気持ちだけ。けれど、生への渇望も虚しく、その身体は動かない。

 

 だから彼女は静かに瞳を閉じ、自分の死から目を背けた。

 

「動けぇーーーっ!!」

 

 絶叫が響き渡る。

 その絶叫で祥鳳は瞳を開けた。

 

 聞き覚えのある声に反応して、気付けば視線を向けていた。

 

 大きな波を立てて、青葉が自分の方へとやってくる。停止した機関を意思の力のみで稼働させ、重巡とは思えない速力でやってくる。

 

 彼女はまだ諦めていない。祥鳳の死を諦めていない。あんなにも必死に手を伸ばし、抵抗している。懸命に戦っている。その姿は尊く、そして希望に満ちていた。

 

 その希望に手を伸ばす。

 動かないと思った左腕は不思議と軽く持ち上がった。

 

 手の先には青葉がいる。手を伸ばし、自分を守ろうとしてくれる彼女がいる。

 

 ──あぁ、なんて心強いのだろう。貴女がいてくれたおかげで、私はここまで戦えたんだよ。

 

「青葉──」

 

 祥鳳は微かに笑って、彼女の名前を呼ぶ。

 二人の手が触れた瞬間────無慈悲にも爆弾は投下され、間もなく祥鳳へと着弾した。

 

 


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