艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 静寂の空間。月は夜を照らし、星は空に輝く。戦場から見上げた空が嘘のように、それらは当たり前に夜空を飾っている。

 

 その夜空の下。二階建ての庁舎の屋根。およそ人の目が届かない場所で、彼女──満潮は涙を零していた。抱えた膝に顔を埋めて静かに、そして嗚咽の一つ一つを刻み込むように、悔いと共に涙を流す。

 

「クソッ……、間抜け……、能無し……!」

 

 自分を罵倒する。

 祥鳳の死に対する後悔は否応なく彼女の心を軋ませる。

 

 祥鳳の守りを薄くして、天龍の援護に向かった自分の選択に後悔はない。それを間違いだとは思わない。自分の信念とも言える思考原理だ。否定してはならない。後悔するのは自身の力不足。天龍を守り、尚且つ祥鳳の護衛に間に合わなかった自分の無力さにおいて彼女は悔いを残していた。

 

 もっと自分が強かったのなら、素早く敵を蹴散らし、祥鳳と合流出来ていたはず。そうすれば運命は変わったかもしれない。しかし、自分にはそれが出来なかった。必死に尽力して尚、まったくとして間に合わなかった。

 

「何が皆を守りたい……よ。笑い話にもならないじゃない」

 

 仲間を守れるのなら道化にだって喜んでなろう。けれど、今の自分は道化にすらなれない。力不足の敗北者。己が無力に涙する哀れな理想論者でしかない。

 

 入渠が必要ないほど無傷の身体が憎らしい。誰かの盾にもなれず、五体満足な自分が恨めしい。いっそ名誉の負傷の一つでもあれば多少の慰めにもなったかもしれないのに──そんな事さえ満潮は思った。

 

 不意に膝の隙間から見える眼下の窓から誰かの頭が現れる。自分がこのなだらかな傾斜の屋根まで登ってきた窓だった。

 

 その頭は左右を確認した後、体を乗り出して満潮の居る屋根へと目を向けた。

 

「おっ、こんな所に隠れてやがったか。探したぜ、このやろう」

 

 現れた誰かが言う。

 月に照らされ、その顔ははっきりと判別できた。

 

 ショートカットの黒髪に眼帯。特徴的な容姿に、男勝りな言動。もしも闇夜で顔が隠れていても判別できるほど個性的な彼女──軽巡洋艦 天龍は自分も屋根に登り、満潮の傍に寄ってくる。

 

「なんだ、隠れて泣いてたのかよ。ハッ、律義なほどに甘える事を知らねぇ奴だな」

 

 満潮の様子に気付いた天龍は、そう言って笑いながら彼女の隣に腰を下ろし、真っ直ぐに前を向いた。対する満潮は天龍を一見しただけで目を逸らし、自分の膝だけを見つめる。

 

「アンタ、大破寸前だったくせに入渠しなくていいわけ?」

 

「こんな身体で風呂に入ったら死ぬっつーの。医者連中が言うには絶対安静らしいからな」

 

 天龍の被害は艤装だけでなく肉体にも及び、特に内臓に大きなダメージが蓄積されていた。故に入渠ではなく、本格的な治療が必要だった。

 

「ま、いろいろと騙し騙し戦い続けてきたし、ここらでじっくり休養するのも悪くない」

 

「だったら安静にしてなさいよ」

 

「後輩の面倒を見てから、そうさせてもらうつもりだぜ」

 

「…………」

 

 満潮は口を閉ざす。

 天龍は口を開ける。

 

「自分の弱さに涙する。戦いの中に身を置く奴だったら一度は経験する事だよな。……お前だって仲間を失ったのはこれが初めてでもないんだろ?」

 

「…………」

 

 満潮は頷く事もせず、ただ沈黙する。天龍はその沈黙を肯定と受け取った。

 

「だったらわかるはずだ。涙できる内は強くなれる。その悔しさは成長の糧になるからな。お前はきっと強くなるよ。俺が保証してやる」

 

「……将来の事なんてどうでもいい。強くなったからって死んだ人は戻ってこないわ」

 

 その返答に天龍は苦笑いを零す。

 

「そうだな。『祥鳳は守れなかったけど、次こそはみんなを守って見せる!』って、ただの馬鹿みたいに前を向けられれば悔し涙なんか流さないわな。……お前は『誰一人死なせない』と本気で思ってる大馬鹿野郎だ。そんな諦めが良いとは思ってねぇよ」

 

「バカにしてるの?」

 

「馬鹿だと思ってるが、それを笑いはしねぇさ。というか笑う権利が俺にはない」

 

 前を見る天龍の視界には広大な海が広がっている。夜に溶けた水平線に果てはなく、その深淵はどこまでも続いていた。

 

「……俺もそうだった。お前と一緒で『誰一人死なせない』って、その一心で戦ってきた」

 

 天龍は海を見つめながら語る。

 自分の戦いがどういうものであったのかを──。

 

「昔……、俺と龍田が最初期に戦ってたのが、ちょうどこの鎮守府だったんだ。当時の有望株だった金剛とほぼ唯一の空母として重宝されていた鳳翔さんとは違って、俺達はある程度代替のきく巡洋艦だったからな。消耗してもいい戦力として最前線だったここに配属された訳だ」

 

 つっても当時の巡洋艦の中では最強だったんだぜ──と、天龍は誇らしそうに言う。

 

「五年前、十二歳の頃。俺達は艦娘として、ここで戦った。仲間は俺達よりも年下のガキ共だった。昔の駆逐艦は今よりもっと小さく幼い奴等でな、中には七歳とかもいたんだぜ?」

 

「えっ」

 

「当然、世論の反発はあったが……結局として俺等は戦場に送り出された。当時はそんくらいヤバい状況だったんだわ。いきなり海路が封鎖されて、世界中で一般人の死者も数え切れないほど出た。まぁこのへんはお前だって知ってる知識だろうけどな」

 

 満潮は頷く。

 突如出現した深海棲艦によって人類が被った被害は甚大だ。資源的にも、人材的にも、全世界が被害を受けた。ほとんどが海に覆われたこの青の星で、敵意ある存在に制海権を奪われるのはそれほどの意味があった。

 

「今でこそ──いや、今だってお前みたいな子供が戦場にいるのは自然な事じゃないが、昔はもっと酷かった訳だ。……俺達はその駆逐艦達を率いて戦った。今に比べれば深海棲艦は弱かったし、数も多くはなかったけど、それ以上に俺達も弱かった。駆逐艦の武装はお前達の比ではないほど貧弱で、『装甲』もないようなもんだし。俺と龍田も武装こそ通用するレベルだったが、如何せん錬度が低くてな。数隻の駆逐イ級を倒すのも一苦労。その中に軽巡や重巡が混ざってたら、それこそ命懸けで戦うか、尻尾を巻いて逃げ出さないといけなかった」

 

 前を見据える天龍が目を細める。見つめる海に当時の戦友を幻視した。

 

「戦いの度に誰かが死んだ。猛々しく戦って死んでいった奴もいたし、戦場でパニックになって惨めに死んでいった奴もいた。仲間だけじゃねぇ、関係のない一般人が巻き込まれて命を落とす事だってあった。俺達の目の前で大勢が死んでいったんだ。……俺は誰にも死んでほしくなかったから必死に戦ったよ。強くなりたくて体を鍛えたし、大きくなりたくて毎日牛乳を飲んで、肉をたくさん食った。勉学は嫌いだったけど、戦闘教義の勉強だけは欠かさなかった。それでも駄目だった。皆を守れるほど劇的に強くなる訳もなく、ときたま死ぬかもしれない奴を助けられるようになる程度だった」

 

 天龍の言葉が満潮の胸に突き刺さる。

 

「俺はそれでいいとは思えなかった。だって、どうしようもなく人は死んでいくんだからな。誰かを助けられても、誰かは助けられない。どうしても皆を守れない時がある。……その度に涙したよ。龍田にも見られないように、こうして屋根に登って、膝を抱えて、そのまま寝ちまうまでずっと泣いてた」

 

 語られる過去の天龍の姿は、まるで今の自分だった。

 

「だけど、いつしか泣かなくなった。誰一人死なせなかった──からじゃない。日に日に強くなっていく実感はあったし、守れる人数も増えたけど、結局誰かは死んだ。その状況でどうやっても助けられない奴が出てくるんだ。どれだけ手を尽くしても、どれだけ手を伸ばしても届かない生命があった。……それが数え切れなくなった時、涙が枯れたんだ」

 

 隻眼を閉じる。

 

「悲しいとか悔しいとかがなくなって、ああ、またか……って人の死に慣れちまった。非日常が日常に変わった瞬間だったよ。死を理不尽だと思わなくなって、怒りや憎しみすら希薄になった。どうやら人間ってのはなんにでも順応しちまう生き物らしい。……あぁ、その事が一番悲しかったな」

 

 天龍は目を開けて、満潮に視線を移す。

 

「そんな俺がお前を笑えるかよ」

 

 同じ道を歩もうとしている満潮を笑う事など天龍には出来なかった。

 

「私とアンタが同じだって言いたいわけ?」

 

 満潮が言う。顔をあげて、涙で潤んだ目を天龍へ向けながら。

 

「さあな。それはお前次第だろ。……ただまぁお前の先を歩く者として助言しておきたくてな」

 

「助言?」

 

 天龍は「ああ」と頷いて、夜空を見上げる。

 

「……俺と一緒に戦った駆逐艦達のほとんどは戦没したけどよ、中には役目を終えて人間の社会に帰った奴もいたんだわ。その理由は負傷して戦えない体になったり、性能が低過ぎて戦力として数えられなくなって引退したりとか、まぁいろいろなんだが、それでも戦いから離れる事が出来た奴等なんだ。ソイツ等とはまだ交流があってさ。楽じゃないけど、幸せな生活を送ってるっていう話だ」

 

「……それはよかったわね。でも、それが助言? 話が見えないんだけど」

 

「ちゃんと守れたもんもあった事を忘れんなって話だよ。……全員は守れなかったが、俺にも守れた奴等が確かにいた。戦い続けていた時には気付かなかったけど、最近になってようやくわかってきたんだ。……俺の理想は叶わなかった。でもよ、だからって全部が無意味だった訳じゃない。それを教えてやりたかった」

 

 天龍は気持ちのいい笑顔を浮かべて、満潮の頭を乱暴に撫でる。髪はあっという間にぐしゃぐしゃになった。

 

「お前が来なかったら俺は多分死んでた。だから、お前は俺をちゃんと守ったよ。ありがとな」

 

 そして呟く。感謝の言葉。素直にその気持ちを言葉にした。

 

「──ッ」

 

 それを聞いて満潮の顔がくしゃっと歪む。

 強く瞑った瞳から涙が溢れ、噛み締めた口元は悔しさと嬉しさに震えた。

 

 天龍の言葉は小さな慰めとなって彼女の胸を締め付ける。

 後悔は尽きない。けれど、その言葉が嬉しくないと言えば嘘になる。素直な感謝を疑うほどひねくれてはいない。だからこそ、尚更に悔しかった。

 

「ア、アンタ一人助けたくらいじゃ、私の気がおさまらないのよ……!」

 

「ああ、そうだよな。悔しいよな」

 

「もっと強くなって、私は、強くっ……!」

 

「大丈夫だ。お前はきっと強くなる。だから今は泣いておけ。肩くらいは貸してやる」

 

 顔を隠すように満潮はうつむく。天龍はうつむいたその頭を自分の肩へと引き寄せ、その涙を隠した。

 

 


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