12
陽に輝く鋼鉄のサンバイザーを深く被って龍驤は歩く。
既に時雨達とは別れ、遠征で疲れた体を癒す為、気を抜けて休める自室へと向かっていた。
その道中、進む方向から見知った顔がやってくる。
桃色の髪を二つにまとめた駆逐艦の少女──漣だった。
「彼女達には会えましたか?」
「会えたよ。キミが言っていた通り、いい子らだった。あれだけ惜しんでくれれば祥鳳も報われるってなもんやね」
互いに足を止めて、二人は言葉を交わす。気心の知れた相手にだけ用いる柔らかい言葉だった。
龍驤に祥鳳の訃報を知らせたのは秘書艦の漣であり、青葉と時雨がその死に際に深く関わった事も彼女が教えた情報であった。同時に意気消沈していた青葉を励ますようにと龍驤は依頼されていた。
「青葉はだいじょぶや。たくさん泣いて、たくさん吐き出した。少し時間を置けばきっと前に進めるやろ。あの時雨っつー子はもともと図太そうだからフォローの必要はないみたいやしな」
「帰ってきて早々ごめんなさい。龍驤さんも辛いはずなのに」
「かまへんかまへん。ウチもあの子の最後がどうだったか聞きたかったのは本当やし、誰かを慰める事で自分が救われる事もある。おかげさまでウチも気持ちの整理ができたよ」
ニカッと笑って胸を張る。
女性らしさの窺えない貧相な胸であったが、人間的な器の大きさは大人の女性に相応しかった。その実、龍驤は合法的に飲酒が許されるれっきとした成人女性なのである。
「それならよかった──んですが……あー、龍驤さんにはもう一つお伝えしておく事がありましてー……」
漣は苦笑を零しながら、申し訳なさそうに言う。
「早ければ明日には新しい空母が配属する事になりまして……、龍驤さんにはその方と第四航空戦隊を組んで頂く事になりました」
「ほうほう。祥鳳が抜けた分の戦力補填は必要やし、普通に朗報やん。なんでそんな微妙な顔しとるん?」
「えーと、その方は祥鳳さんと同じく元々は違う艦種で、改装空母として先日航空母艦になったばかりの艦娘なんですよねぇ……」
そこまで言われて龍驤は思い至った。
「……つまり完全な新人な訳やな?」
「アハハ、はいその通りです。それも戦場に出た事ないどころか、戦闘教義もろくに学んでいないお嬢様らしいッスよ」
「かーーーっ、また一から鍛え直さんとあかんやつやん、それぇ。こりゃあしばらくソイツの訓練三昧やなぁ……」
長い長い遠征からようやく帰って来たと思ったら、休暇は今日一日だけかいな──と龍驤はうなだれる。しかし、その口元は小さく笑っていた。
「まったく……、お互い友達の死を悲しんでる暇もないなぁ漣」
「漣的にはありがたいですけどね。今、手を休めるとすぐに泣いちゃいそうなんで」
「ハハハッ、キミらしいね。ま、ウチは貴重な休日やし、自室でのんびりさせてもらうわ」
ほんならな──と呟いて、龍驤は漣の横を抜ける。それを見届けて漣も自分の執務へと戻っていった。
龍驤は自室に向かいながら──
「今日は久しぶりに飲もうかな」
──そう窓から見える空を見つめて呟いた。
-◆-
「姉様、具合はいかがですか?」
医務室のベッドに腰を下ろす姉──扶桑に、山城は声をかける。
上体を起き上げたまま窓から外を見ていた扶桑は、呼び掛けられて山城の方を向いた。浮かべる表情は普段の柔和な笑顔とは異なり、少しだけ陰のある笑顔だった。
「ええ、大丈夫よ山城。心配しないで」
「そうですか。よかった」
病衣の隙間から覗く包帯が痛々しかったものの、処置はもう済み、大事はないと医師から確約されている。なので山城もその言葉を信用し、安堵の笑みを浮かべた。
「あ、これ、自室から本をいくつか持ってきました。ここは退屈でしょうから」
「……ありがとう」
数冊の本を扶桑は受け取る。
何度も読み返した本だったが、読書家の扶桑にとってはこれ以上ない娯楽。しかし、その顔はいまいち晴れない。
「どうかしましたか? なにか、元気がなさそうですが」
姉に対する観察眼には自信がある山城は扶桑の異常を看破した。
自らの不調を指摘された扶桑は僅かに逡巡すると、その重い口を開いた。
「さっき満潮がお見舞いに来てくれたの」
「まさかあのお団子ツインテールが姉様に不敬を!?」
「いいえ、違うわ。……ただ祥鳳の事を気にしているようだったものだから、少しだけ心配で」
「…………」
山城は昨晩の時雨を思い出す。甘えてきた彼女の事を思い出す。
あの子も気にしていたわね──と想起する。けれど、その姉の心配は不要だと山城は思った。
「そればかりはあの子達が解決するしかない事ですよ。慰める事は出来るけれど、代わりに解決してあげる事はできません」
「……そうね。人の死はそれぞれが受け止めていくしかないものね」
扶桑もそれは了解していた。だからこそ心配してしまう。あの子はちゃんと受け止める事が出来るのかと、そんな心配を抱いてしまう。
「大丈夫ですよ。あの子達は」
何一つ根拠もなく山城は言った。そして、そう言った自分に驚いた。それは信頼の証。理由なく信じるなど、姉以外に対して抱いた事のない感情だった。
「ふふ、ふふふっ」
そんな山城を扶桑は笑った。口元を押さえて嬉しそうに。
「な、なんで笑うんです扶桑姉様……」
「いえ、ごめんなさい。なんだかこの頃……あの子達と出会ってから、あなたはよく自分の意思を表に出すようになったと思って。これまではわたしの意見に迎合するだけで、意見を返す事なんてしなかったもの。その変化は姉としてすごく嬉しいわ」
「……そ、そんなこと」
なくはないかもしれない──と、山城自身も否めなかった。この短い期間に自分は様々なものを得られた気がする。姉以外との人間関係。海をゆく喜び。戦う理由。恩師との邂逅。それらの影響を受けた結果だと自覚しながら、それでもきっかけはやはりあの子なのだろうと思った。……あの夜、青い瞳の少女と出会って自分は変わり始めた。今ではそれを納得出来る。
「山城の言う通り、きっとあの子達なら大丈夫ね」
「はい。万が一ダメだったのなら、わたし達が正してあげればいいだけですよ」
それが大人の役目だと、山城ははにかんだ。