14
満潮と時雨に中央の鎮守府への異動を告げられたその夜。時雨は一人、一室の前に立っていた。表札には天龍と龍田の名が記されている。その扉を僅かな躊躇いもなく彼女はノックした。
夜に響く乾いた木の音。しばしの静寂の後、その扉は開かれた。
「あらぁ、アナタが訊ねてくるなんて意外ねぇ。天龍ちゃんに用ぉ? 残念だけど、今は医務室で療養中よぉ」
「ううん、キミに用があって来たんだ」
「あらあら、ますます意外。……中、入る?」
「いや、ここでいいよ。そんな長話をしにきたわけじゃない」
「そう」
淡泊な会話を交わす二人に親しさはない。両者ともに社交辞令のような言動をしつつも、そこに一切の遠慮はなかった。
視線が交差し、少しの間が空く。
その間には時雨の息を吸う音だけが聴こえた。
「キミはあの夜に言ったね。祥鳳の死は運命だったと」
「ええ、言ったわよぉ。アナタは肯定も否定もしなかった」
「うん、僕は答えられなかった。今更だけど、その答えを返しに来たんだ」
時雨は数日前の質問を返しに来たと言う。龍田は既に終わった話と思っていたが、律義にも返答を用意してきたのならばと、時雨の声に耳を傾けた。
「キミの言った通り、祥鳳は珊瑚海に沈む運命だったと思う」
時雨が提示した答えは肯定だった。龍田が望んでいた否定の言葉ではない。だからと言って落胆もなかった。龍田もまた運命の存在に気付いている。運命の存在を知って、龍田は諦めを覚えた。戦い続けた先に待っていたのが定められた死の運命だったなど、今まで何の為に戦ってきたのかわからない。
龍田はいつだって姉である天龍の為に戦ってきたが、それ以外の全てがどうでもいいとは本心から思っていない。それは自らの心を守る方便に他ならない。彼女は戦いの中に失われた命の尊さを知っている。流れた血の痛みを知っている。零れた涙の悲しさを知っている。故にその根幹には誰よりも深い虚しさを抱えていた。
時雨に問い掛けたのはそれを否定して欲しかったから。運命など存在しないと、シンパシーを感じる彼女に言って欲しかった。けれど、こうもはっきりと肯定されれば諦めもつく。半ば受け入れていた事だ。落胆などするはずもなかった。
「肯定したって事はやっぱりアナタも何か感じるところがあったのね」
「作戦前日に夢を見て、そこで彼女が沈むのを知っていた。実際に彼女が死んでしまう時まで半信半疑だったけどね」
「私も同じようなものよ」
龍田の既視感に似た違和感も確信に変わったのは全てが終わった後の事。予感しながらどうにもできなかった時雨を責める事はできない。
二人の境遇は同じ。だが終わった事として処理した龍田とは異なり、時雨はその先に目を向けている。それは未来。過去の幻影を見続けた彼女は、数々の出会いと多くの後押しを得て、運命の先にある未来を夢見る事ができるようになっていた。
「運命は存在する。だけどそれには抗えるはずだ。祥鳳の時もあと少しだった。あと少しの尽力で覆っていた。だから僕はキミに改めて答えるよ。──祥鳳はあの海で沈む運命と定められていた。けど、彼女の運命は変えられるものだった」
希望はある。運命を覆せる可能性はきっとある。時雨の目はそう語っていた。
「……そう、アナタは諦めないのね。運命なら仕方ないとは思わないのね」
「明日は我が身だよ。いつか僕等にも運命が襲い掛かってくる。それは自分だけじゃなく、大切な人達にだって襲い掛かる。その時になって成す術なく死を甘受するなんて嫌だろう?」
だから僕は運命と戦うよ──と時雨は言った。
大人しそうな顔をして勇ましい事を言う時雨に、龍田は苦笑を零す。自分に似ているかとも思ったが、その実、考え方がまるで違った。
「アナタ、往生際が悪そうね」
「抗える内はどこまでだって抗うのが性分なんだ。キミは案外潔さそうだね」
「ええ。私はいつ死んでも構わないもの。……だけど、そうねぇ。天龍ちゃんが私より先に死んじゃう運命だったりすると困っちゃうわねぇ」
「僕もそう思うから諦めないんだよ」
時雨はそう言い切ったにも関わらず、自信なさげに頬を掻いた。
「どうかな。キミが求めているような答えだったらよかったんだけど……」
「残念ながら私が望んでいた返答とはかけ離れていたわねぇ。……でも、悪くない答えだったわ」
少なくともこれから戦っていく気力には繋がった。運命と戦うのもまた一興だ。それに気付かせてくれた事くらいは感謝してあげてもいいと思った。
「そっか。それならよかった」
龍田の心中を察したのか、それとも“悪くない答え”という評価が彼女にとって高評価だったのか龍田にはわからなかったが、笑顔でそう言った時雨に毒気を抜かれる。やはりこの少女は自分とは似ていないと改めて思った。
「それじゃあね」
「待ちなさい」
手を振って別れようとする時雨を呼び止める。
「ありがとう」
そして、感謝を述べた。
何に対する感謝なのか本人にも判然とはしなかったが、それでもわざわざ答えを返しに来てくれた年下の女の子には感謝の意を示しておくべきだろうと、そんな理由で言葉を紡いだ。
「うん!」
時雨はそれを知ってか知らずか、満面の笑みを返して頷いた。そうして彼女は夜の暗闇へと去っていった。
龍田は時雨を見送ると扉を閉め、一人だけの部屋で、いつか自分が言った言葉を思い出して笑みを漏らす。
「“これからが本当の戦い”とは言ったけど、まさか運命が相手なんてねぇ。でもまぁ──」
──あの子ならなんとかしちゃいそうねぇ。そんな予感を龍田は感じた。
-艦これ Side.S ep.3『運命』完-