艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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03&04

 

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 駆逐艦 時雨は夢を見る。

 靄が掛かったかのように曖昧模糊としていて、それでも輪郭だけははっきりした歪な夢。夢の中の自分は船で、多くの人を乗せて海をゆく。武装する自分は決して普通の──ただ人を運ぶだけの船ではない。戦う為の兵器として、そこに存在していた。

 

 戦場は常にあった。数え切れない仲間を見た。数え切れない敵を見た。そのほとんどが誰なのか、何なのか、判別は付かなかったし、なぜ争うのかなどわかるはずもない。断片的な記憶の切れ端は儚く、目を凝らせば千々に消えてしまう。“前世の記憶を夢に見る”と言えば大仰に聞こえるが、所詮はその程度。誰もが見る雑多な夢に等しい。

 

 ──けれど、それが特異性を帯びるのは、ひとえに特別な記憶達があるからだ。

 色褪せる事なく、繰り返し見る記憶があった。その全てが悲惨で、残酷な記憶達。鮮烈に焼き付いた地獄の光景。曖昧であるのに関わらず、苦しいほど鮮明な夢。その中でも例外的に鮮やかで、目が眩むほど美しかった船があった。曖昧で、歪な夢の中で、恐らくそれだけが本物であるように見えた。異常の中の正常。白黒の世界にいて、唯一色を失わぬ船。目を奪われるのは当然だった。

 

 扶桑型戦艦──扶桑。そして山城。

 駆逐艦 時雨にとって彼女達は決定的だった。それが単なる夢でなく、宿りし魂に刻まれた記憶である事を認めるにはあまりに十分過ぎた。閃光が走る夜に紅蓮の華を咲かせる彼女達は、涙するほど鮮やかで、残酷なまでに美しかった。それを見てしまっては、もはや拒む事は出来ない。

 

 かつての『駆逐艦 時雨』は想ったのだろう。その悲しさを、その美しさを、そしてその無念を忘れたくない──と。

 

 だから現代の『駆逐艦 時雨』は受け入れる。皆が忘れても、僕だけはずっと覚えているから──そう、己が魂に刻んだ。

 

 

 

  4

 

 

 早朝。朝日が昇り始めたのを認めた満潮が艤装を装着する。右手に連装砲、左手には四連装魚雷を装備した彼女は出撃ドックから穏やかな海へと進む。その隣から特徴的な連装砲を背負った時雨が続いた。

 

「やり残した事はないわね? しばらくこの鎮守府には戻ってこれないんだから、あとで文句言っても知らないわよ」

 

「僕は大丈夫だよ。そう言うキミはちゃんと朝潮に謝ったのかい?」

 

「謝ったわ。未練を残して死にたくないもの」

 

「また縁起の悪い事を言うね、キミは」

 

「ふん、常に危険と隣り合わせの事してんだから、これくらいの覚悟で丁度いいのよ」

 

 堂々と言い切る満潮に、否定はしないけどね──と時雨は肩をすくめた。

 

「それじゃあ行くわよ、時雨。第四戦速で前進!」

 

「はい、了解」

 

 そうして二人は出発する。今度いつ戻ってこれるかも知れぬ鎮守府を振り返らず、朝日が昇る水平線を目指して進路を取った。

 

 

  -◆-

 

 

 水平線から日が完全に昇り切り、真上に至る中腹に差し掛かった頃、二人は朝食という名の補給を行っていた。

 

「梅干しとおかかの二種類があるけど、満潮はどっちが好き?」

 

 笹の葉に巻かれたおにぎりを広げる時雨が言う。

 

「何よそれ、もしかして手作り?」

 

「うん。道中お腹減ると思って」

 

「戦闘糧食があるのに、また手間のかかる事をよくやるわね」

 

「戦闘糧食も悪くないけど、やっぱり温かさが違うからさ」

 

「近頃の戦闘糧食は水だけで加熱できるのもあるらしいわよ?」

 

「そういう温かさじゃないんだけど……、まあいいさ。それで、どっちがいい?」

 

「おかか」

 

 なんだかんだと言いつつも満潮は即答して、時雨からおにぎりを受け取った。二人で「いただきます」と呟いて、おにぎりを食す。時雨の手作りおにぎりを咀嚼する満潮は、ふと感想を漏らした。

 

「……おいしい。ちょっと強めの塩分も運動してる身体には丁度いいわ」

 

「それはよかった」

 

「しかし、なんというか、相変わらずなんでもそつなくこなすわね、アンタは。面白みに欠けるっての」

 

「酷い言い草だね。それにおにぎりくらいなら誰だって作れるよ」

 

「アンタ、それ比叡の前でも言えんの?」

 

「…………」

 

 何も言えない──と、その沈黙は何よりも雄弁に語っていた。

 

「とにかくアンタの場合、いっそ料理くらいド下手だった方が可愛げが──っ!」

 

 緩んでいた満潮の表情が瞬時に変化する。眼光鋭く、進むべき進路の方へと目を向けた。それは時雨も同様だった。

 

「──満潮。水上電探に感あり。二時の方向に四隻。視認距離にはまだ遠い」

 

「わかってるわ。……たまたま遭遇した? こんな本土近海で? 馬鹿な」

 

「たぶん待ち伏せだよ。向こうは既にこちらを捕捉して戦闘隊形に移ってる」

 

「待ち伏せって……、こっちの動きがバレてたっての?」

 

「そういう事になるね。敵がこちらの暗号通信を傍受し、解読したのか。或いは──」

 

 人類側に内通者でもいるのかもね──とは言葉にしなかった。

 

「原因の詮索は後よ。現状の打開を検討しましょ」

 

 そう言って満潮はおにぎりの最後の一かけらを口に放り込む。その表情に焦りはない。

 

「そうだね。──っと、敵艦を視認したよ。駆逐イ級が四隻、単横陣」

 

「よく判別付くわね。私にはまだゴマ粒にしか見えないけど……、でも信じるわ」

 

 彼我の戦力差は二倍。とはいえイ級四隻ならばやり過ごせる自信がある。算段を立てた満潮は時雨の前に出た。

 

「相手はこちらを包囲殲滅してくるはず。囲まれる前に穴を開けて突破するわよ」

 

「火力を集中して包囲を破るか。陣形が組めない以上、それしかないね」

 

「最大戦速、進路このまま。二時方向からくる敵の右翼を撃破するわ。……私が先制して狙いを付けるから、アンタが仕留めなさい」

 

「わかった。確実に直撃させる」

 

 満潮は連装砲を握り直し、機関を最大まで稼働させる。時雨は背負っていた連装砲を前面に持ってきて、両脇のグリップを両手で握り、構える。両者とも魚雷の装填も完了し、満潮が先行して敵艦へと接近していく。

 

 イ級の砲撃は間もなく開始された。互いに視認距離に入り、砲弾の雨が二人を襲うが、対して反撃する事はしなかった。まだ彼我の距離は遠い。イ級の精度なら動いていれば当たらない。そう判断して、二人は操舵に専念する。

 

「砲撃は引き付けてからよ! 手数は相手の方が多いんだから、普通に応戦したら押し負ける!」

 

「承知しているよ。回避に専念して接近、外さない距離で砲撃し、即離脱する。そういう事だよね」

 

「わかってるならいいわ。遅れるんじゃないわよ!」

 

「キミこそ油断して避け損なわないでよ。世の中、ラッキーパンチってのもあるんだからさ」

 

「はっ! 言ってくれる──っわね!」

 

 進路上に着弾した砲撃を寸前で満潮は回避した。やや体勢が崩れるも、すぐさま立て直し、彼女達は加速する。

 

「ほら、言った通りだ」

 

「避けたんだから文句はないでしょ!」

 

「まぁね、良い反応だったよ」

 

「なにその上から目線、むかつくんだけど」

 

「普通に褒めたつもりだけど」

 

「アンタに褒められても、今更嬉しくもないっての!」

 

 そう言い捨てて満潮は更に加速する。その耳は僅かに赤い。

 

「ちょっと待ってよ。キミは僕より最大速度が少し速いんだから合わせてくれないと困る」

 

「うっさいわね! 黙って付いてきなさい!」

 

「そんな横柄な」

 

 悪態を吐きながらも満潮は速度を時雨に合わせる。このあたりが彼女の素直じゃない性格の発露であった。

 

 二人が喋っている内に砲撃の密度が増す。距離が縮まった事と、度重なる砲撃で修正されたイ級の攻撃は最初とは比べ物にならない精度となっていた。手数はそのままに、砲撃密度が上がった錯覚を覚え、二人はいよいよ無駄話をしている余裕を失う。──けれど、その表情は至って平静なものだった。

 

「…………」

「…………」

 

 言葉もなくアイコンタクトで頷き合うと、二人は手にする武装に火を入れる。深海棲艦の砲撃で海はうねり、水柱をあげる中で二人は構え、黒い巨体を晒す駆逐イ級へと狙いを定めた。とうに有効射程には入っている。後は当てるだけ。こちらは当たらずに、あちらには当てる。単純な構図。それを体現すれば、自ずと勝利は頭上に輝く。複雑な理屈など、今は要らない。

 

 ──満潮の連装砲が吠えた。発射された二つの砲弾、その片方が最右翼に位置していたイ級の目と思しき器官に直撃し、破壊した。青い体液を撒き散らせて、イ級は獣のような咆哮をあげる。それを確認する間もなく満潮は間髪いれず砲撃を続けた。

 

 二射目はイ級の側面を捉え、三射目は鼻っ柱を砕き、四射目は大きく開けられた口に放り込まれ、内蔵された砲塔をへし折った。だが、それが限界。満潮は敵右翼を突破し、背面に位置したイ級はこれ以上狙えない。故に──

 

「──時雨!」

 

 満潮の合図と同時か、或いはそれよりも早いタイミングで時雨は砲撃する。仲間をやらせまいと迎撃する他のイ級達の砲撃を一身に浴びて尚、当たる事なく、黒煙をあげる手負いのイ級に止めを刺す。

 

「──残念だったね」

 

 通り過ぎる際に一撃。足元にいた蟻を何気なく踏み潰すかの如きその砲撃は、容易くイ級の装甲を貫き、深い海に沈めた。

 

「急速反転! 射点に到達次第、魚雷斉射!」

 

 撃沈を確認する間もなく満潮が指示を下す。時雨は頷き、それに従事する。

 大きく回り込むように反転した二人は、慌てて回頭する敵艦隊の横腹目掛けて魚雷を放つ。満潮が左腕の四射線、時雨が両足の八射線、計十二射線の酸素魚雷が三隻のイ級を襲った。

 

 爆音と共に炎が上がる。揺れる視界の中で、相手の被害を時雨は観測した。

 

「──全体で五発命中。撃沈一、中破一。どうする満潮」

 

「追撃は無しよ。待ち伏せされていたとしたら、これが本隊とは思えない。増援が来る前にこの海域から離脱するわ」

 

「妥当だね。異論はないよ」

 

 そうして勝利を掴んだ二人は迅速に現海域より離脱した。背後から聞こえるイ級の咆哮を耳にしながら。

 

 

 


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