艦これ Side.S   作:藍川 悠山

44 / 94
04

 

  4

 

 

 翌朝の食堂にて、昨晩一睡もしなかった山城は注文した煮物に箸をつける。様々な具材が混在したごった煮。薄い色と濃い色が彩る鮮やかさは、しかし、今の山城の心中のようにごちゃごちゃしているとも言えた。

 

「……はぁ」

 

 溜め息を吐く。

 思い出される昨晩の記憶。あの少女に告げた言葉と感情のままに振る舞ってしまった自身の未熟さ。思い返す度に気恥ずかしさやら後悔やら自己嫌悪やら、そんなものが押し寄せてくる。昨晩の出来事を若さ故の暴走と受け入れるほど山城は成熟していなかった。なにぶん、あんな積極的な気持ちを他人に抱いた事自体、彼女にしてみれば初めてに等しいのだから。

 

「はむ」

 

 煮物を食べる。

 ほんのりと温かく、ほんのりと甘い味付け。美味しい。それはまるであの子のように──

 

「…………別にあの子といかがわしい事をしたわけじゃないのに、なに考えてるのよわたしは」

 

 交わしたのは抱擁だけ。別れを惜しむ友人としては決して変な事ではないし、不埒な事でもない。至って普通。特別な事なんて何一つない。抱擁など海の外では挨拶として用いられていると聞く。自分はそれをしたまでだ。だから気分が高揚して昨晩眠れなかったのもきっと気のせいで、恐らく久しぶりにお酒を飲んだからに違いない──と、山城はそう自分に言い聞かせる。

 

 目の下にクマを浮かべながら正当化に励む山城の前に一人の影が現れた。それに気付いて彼女は顔を上げる。

 

「ここ、いいかしら?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 見知った顔に返答して、山城はその人物に目を向けた。見知った顔は初めて出会った時と同じように血色が悪く、その形相も穏やかではない。山城の正面の席に座った人物──満潮は両手に持ったおぼんを下ろすと、すぐ箸に手をつけた。

 

 満潮が注文したのは焼き魚定食。特別好きなメニューではなかったが、セットのしじみの味噌汁が飲みたかったが為に彼女は注文していた。

 

「酷い顔ね。二日酔い?」

 

「そうよ」

 

 答えつつ味噌汁を啜る。味噌の風味が口に広がって朝というものを実感する。

 

「ビール一口で二日酔いなんて、筋金の入った下戸なのね」

 

「うっさいわね。お酒は子供が飲むものじゃないのよ」

 

「それはまぁ、その通りね」

 

 同感ではあったが、それにしても弱過ぎるだろうとも思った。

 

「それに酷い顔なのはお互い様でしょ。なによ、さっきから百面相しちゃって。遠くから見ててもわかったわよ」

 

 満潮に言われて山城は自分の顔に触れる。どうも心の動きが顔に出ていたらしい。なんて迂闊な──と、山城は気付けの為に軽く頬をつねった。

 

 そんな山城の様子を眺めながら満潮は言う。

 

「時雨と話したみたいね。……自分の気持ちには気付けた?」

 

 言われて山城は目を見開く。

 

「昨日の事、時雨から聞いたの……?」

 

「まさか。そんな野暮な事するほど暇じゃないわ。……ただ、なんとなくわかるだけよ。アンタが何に苦しんで、何から逃げていたのかを。自分の気持ち──特に自分が抱く好意を素直に表現できない不器用さって、不本意だけど私も該当するみたいだしね」

 

 焼き魚の身をほぐしつつ、つまらなそうに満潮は言った。

 その言葉を聞いて、山城は以前言われた扶桑の言葉を思い出す。“素直じゃなくて、ちょっと捻くれてて、不器用に優しい”。そんな満潮は自分に似ている──と。

 

「……そうね、おかげさまで。気付いたというより痛感したという感じだったけれど、まあ錆付いたわたしの心にはちょうどよかったわ」

 

 故に彼女の言葉を否定する事はしなかった。そう素直に答えた山城に満潮は含み笑いを零す。

 

「なんで笑うのよ」

 

「いいや、アンタも随分素直になったものだ……と思って」

 

「だとしたら、だいたいあの子のせいよ」

 

「ええ、だいたいアイツのせいね」

 

 二人とも同一人物を連想して、満更でもなさそうな笑みを浮かべる。しかし、次の瞬間、山城の顔に寂しさがよぎった。

 

「……出立は明後日の朝よね?」

 

 満潮は頷く。

 別れの時は遠くない。

 

「寂しくなるわ」

 

「そうね」

 

 山城は素直な言葉を口にする。満潮もそれに続いた。

 

「でも、アンタの場合、時雨と別れるのが寂しいだけで、私なんかは別にどうでもいいんでしょ?」

 

「そうでもないわよ。あなたとこうして憎まれ口を言い合うのも、それはそれで気に入っていたもの。ええ、気心が知れる仲というのなら、あの子よりもあなたとの方が心を通じ合わせられていたと思う」

 

 だからこそ──と山城は言う。

 

「──正直、あなたが羨ましいわ。あの子と……時雨と同じ道を歩めるあなたが羨ましい」

 

 本心を口にする。無意識ではなく、意識してその言葉を満潮に告げた。

 時雨が自分には言わなかった“やるべき事”を、きっと目の前の少女は知っているのだろう。彼女は時雨の理解者。大人である自分とは違う、同じ目線で世界を見る事が出来る同年代の友達だ。これからも共に歩み、そして志を果たすだろう。見守る事しかできず、明後日には二人と別れる山城にはそれが羨ましかった。

 

 満潮は箸をとめる。そして、山城に目を向けた。

 

「私は逆にアンタの方が羨ましいわ。アンタと扶桑はアイツにとって特別だもの。いえ、例外って方が適切か。……アイツは死んだって──ううん、例え地獄に堕ちたってアンタ達の事だけは忘れない。そのくらいアンタ達はアイツに想われてる。ちょっと嫉妬するくらいに」

 

 時雨にとって満潮は特別な存在だ。けれど、数ある特別の中でも扶桑型戦艦姉妹は別格。決して同列には扱われない。もしも自分と扶桑型姉妹を天秤にかけた場合、時雨は間違いなく後者を選択するだろう。優先度がはっきりしている時雨だからこそ、満潮にはそれがわかってしまう。だから彼女の中でヒエラルキーの最上位に位置する山城にジェラシーを感じ得ずにはいられなかった。

 

 山城も時雨が自分達に対して異常とも言える執着を抱いている事を知っている。だからこそ疑問を投げ掛ける為に口を開く。

 

「どうして──」

 

 ──『時雨はそこまでわたし達を想ってくれるの?』……そう続けようとして山城は口を閉じた。それを聞いても満潮は答えないだろうし、そもそも彼女に聞くべき事ではない。なにより山城は時雨を信頼すると決めた。今更、理由を聞く必要はない。“彼女が自分を想ってくれる”。その事実だけあればいい。

 

 諸々の感慨を呑み込んで山城は思う。というより、ようやく思い至った。

 

「ねぇ満潮。わたし思うんだけど、時雨って悪女よね」

 

「今更気付いたわけ? 私達みたいなのにはアイツは毒よ。それもうーんと凶悪な」

 

 互いが互いを羨むとはなかなかに笑い話だ。自分達をここまで思い悩ませる時雨は、満潮が言う通り心を侵食する毒素に間違いない。

 

「まったく──」

「──まいっちゃうわね」

 

 二人は息を合わせて言うと、互いを笑うように笑顔を浮かべた。

 

 

  -◆-

 

 

「──みたいな話を今朝したのよ」

 

「ふふっ、本当にあなた達は似ているのね」

 

 昼過ぎ頃、満潮は医務室を訊ねていた。

 ベッドの扶桑は満潮の声に耳を傾け、妹の心境を知ると同時にその成長を喜んだ。

 

「やめてよね。私は山城ほど偏屈じゃないわ」

 

「ええ、そうね。あなたは自分の気持ちと向き合えているもの。……あの子はわたしを至上の存在として扱う事で誰かを好きになるという行為を避けてきた。それは環境が生んだ事でもあり、山城自身が望んだ事でもあるから、そのどちらも悪かったと言うしかないのだけれど、他人を好意的に見られない人間関係は結局として無理解にしか至らない。他を疑い、他を排斥するという結果だけを残すのよね」

 

「……少しだけわかるわ、アンタの言う事。私も時雨の強引な好意にあてられていなければ、他人をもっと敵意的に見ていたと思う」

 

 時雨と出会う前。交流を図ろうとしてくれた数多の艦娘達を満潮は拒絶した。敵意を以て対応した。その好意に気付かず、多くの少女達を排斥した。それを思い出しながら言葉にする。

 

 扶桑はそれに微笑みを返した。

 

「自分の好意を把握するのって、少し照れ臭いけれど、とても大切な事よ。それはつまり自分を理解するという事だもの。自分が自分をわかってあげなければ、きっと他人もわかってあげられない。あなたはもうそれが出来ているわ。そして、山城もようやく気付けたみたいね」

 

「それがわかっていたなら、もっと早く山城に教えてあげればよかったのに。アンタの言葉ならアイツは聞いたはずでしょ」

 

「自分で気付かなければダメでしょう。──いいえ、違うわね。そもそも誰かに好意を抱く事が第一歩だもの。言葉で教えただけで改善出来る事ではないし、それこそ誰かに教わる事でもないのよ」

 

「まぁそれもわかるけど。……アンタって見守っているように見えて、意外と放任主義よね」

 

「見守るというのは本来そういう事でしょう? それにね、満潮。わたしだって自分の事で手一杯だもの。こうして余裕ぶっているけれど、決して余裕がある訳ではないのよ。いつだって不安や悩みで頭の中はいっぱいなの」

 

「……確かに自分の生き方を迷っていたアンタだもんね。他人の面倒を見てる余裕なんかなかったか」

 

「ふふふ、その通りよ。だから、恐れず前に進もうとするあなた達が眩しく見える。そして、わたしもそうありたいと思うのよ」

 

「買い被り過ぎよ。時雨はともかく、私はそんな大したものじゃないわ」

 

 謙遜ではなく、満潮は淡泊に言い捨てた。その言葉に扶桑の表情が変わる。

 

「自分を卑下するのはあなたの悪い癖ね。あなたが大したものじゃないなら、あなたに諭され、感化されたわたしはどうなるのかしら? 自分を不当に低く見るのはあなたが関わってきた全ての価値を下げるという事を知るべきよ」

 

「…………」

 

 厳しい言葉に閉口する。

 扶桑の言う事は正しい。褒められたのならば胸を張るべきであり、謙遜はしても決して卑下するべきではない。わかっている。満潮にもそれはわかっている。けれど、そう素直に喜べたのならば、満潮は満潮をやっていない。他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。それが満潮の性質であり、生半に変えられぬ個性だ。だからこそ、たしなめられても、それが正しいと思っても、頷く事はしなかった。

 

 それを扶桑は理解する。それがこの子だとわかってあげる。

 

「……けれど満潮はそれでいいのかもしれないわね。ええ、あなたみたいな子の方が愛おしいと思うもの」

 

「──…………!」

 

 扶桑の直接的な好意ある言葉に満潮の沈黙は更に深まる。自分を肯定してくれる相手にはどう対応したらいいのか、満潮には未だわからなかった。

 

「ねぇ、頭を撫でさせてくれないかしら?」

 

 愛おしそうに満潮を見つめながら扶桑が申し出る。その突然の申し出に満潮は困惑した。

 

「……どうしてよ」

 

「褒めてあげたいの。自分に厳しいあなたが頑張ってる自分を褒めないのなら、他の誰かが褒めてあげないといけないし、なによりわたしがあなたを褒めてあげたいの。わたしは満潮の頑張りを知っているもの。全部じゃないけれど、少しだけかもしれないけれど、それでもあなたが頑張っているのを知っている。だからせめて、その頑張りに報いさせて」

 

 扶桑は満潮を見てきた。出会ってからずっと見てきた。

 最初は自分の悩みを解決してくれた恩人として目で追っていた。次第にそれは変わって、仲間を誰より慮る優しい少女の印象となり、そして彼女の苦悩も目の当たりにした。彼女は語ってくれなかったけれど、仲間を守れなかった自分を責めているのは時折来てくれる見舞いの際に察していた。

 

 ずっと見守ってきた。見守るしか出来なかった。だからこそ、別れが近い今だからこそ、それに報いたい。彼女にとってそれが望ましいモノなのかはわからなかったけれど、褒めてあげたいと扶桑は思った。

 

「…………」

 

 自分を見つめる扶桑を見つめ返して満潮は口を閉ざす。その瞳には僅かな困惑と微かな期待が映っていた。それを自覚した途端、満潮は視線を逸らした。

 

「……好きにすれば」

 

 そして、小さく呟いた。

 拒もうと思えば拒めた事だったが、頑なに意地を張るには、自分というものを知られ過ぎてしまった。だから観念する。自分を肯定してくれるのなら、それを受け入れようと思った。或いは誰かがそうしてくれるのを満潮は期待していたのかもしれない。

 

 了承を得て、扶桑は満潮の頭に手を伸ばす。満潮も自分から頭を差し出して、それを受け入れた。

 

「いい子、いい子」

 

 言葉を繰り返して扶桑は頭を撫でる。満潮は気持ち良さそうに瞳を閉じる。その時、平穏を感じた。心の平穏を満潮は感じた。いつだって棘が立っていた心がなだらかになった。そんな感覚を覚えた。

 

「扶桑達に出会えてよかった。本当にそう思うわ」

 

 その言葉は自然に出てきた。

 

「それはわたしも同じよ。あなた達に出会えた事がこれまでの人生で一番の幸運だったと思うくらい」

 

 その言葉も自然に出てきた。

 

「はっ」

「ふふ」

 

 二人は笑って、どれだけ言っても足りない感謝と上手く言えない万感の想いをたった一言に乗せて──「ありがとう」と同時に互いへと伝えた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。