艦これ Side.S   作:藍川 悠山

46 / 94
06

 

  6

 

 

 水柱があがる。

 間髪なく次々と、轟音を発して海面が破裂する。

 

 こうなれば先にいる敵機動部隊にもこちらの動きは察知されただろう。それは仕方がない。駆逐棲姫と会敵した瞬間から承知していた事だ。あとはもう時雨が上手くやるのを祈るしかない。……もっとも、自分が上手く時間を稼ぐ事が前提なのだが──満潮は打ち上がる水柱を掻い潜りながら、そう思考する。

 

 駆逐棲姫の攻撃は苛烈だった。

 両腕、両足に設けられた四基の砲塔からは装填時間など実質ないような間隔で絶え間なく砲撃が飛んでくる。反撃しようにも機を計るのが難しく、攻撃出来ても圧倒的な機動性の前に回避される。覚悟していた事だが、一対一で駆逐棲姫と戦うのがここまで困難だとは思わなかった。話に聞いていた駆逐棲姫という強敵。なるほど確かに規格外だ──と思い知る。

 

 故の苦戦。回避を怠ればあっという間にやられるが、反撃できなければいずれはやられる。そんな戦いだった。

 

「…………ッ」

 

 無駄口を呟く余裕すらない。

 回避に専念し、反撃ができる僅かな間に砲撃を放つ。悠長に狙いをつけている暇はない。大雑把な照準で砲撃を敢行し続けた。

 

 それがどれだけ続いただろうか。一分か、五分か。そう長い時間ではなかったけれど、満潮の体感時間では三十分程度に感じられた。極度の集中力はそれほどまでに感覚を延長させ、それに比例して疲労の蓄積もまた加速していった。

 

 擦り切れそうな意識の中、その瞬間は不意に訪れる。

 

 満潮の動きが疲労により洗練さを欠き、彼女は誤って打ち上がった水柱の後ろから砲撃を撃ってしまった。水柱を突破した砲弾は、偶然にも駆逐棲姫の直撃コースを進み、結果的にそれは至近弾となる。命中はしなかった。

 

 偶然で当たってくれるほど甘くはない。飛来する砲弾を見てからでも回避できるからこそ脅威なのだ。──だがしかし、そこで疑問が浮上した。

 

 なぜ今の一撃は至近弾となったのか。

 完璧な回避行動を行う駆逐棲姫は至近弾すら許さない。ただ単に砲弾が直撃する軌道を進んでも、この相手は完璧に避け切ってしまう。ならば至近弾となった要因は“水柱の後ろから撃った”からだ。

 

 水柱──つまり視界を阻む物から突如現れた砲弾だったからこそ、駆逐棲姫の反応は遅れて至近弾を許した。見えなかったから、着弾までの時間が短かったから、完璧には避けられなかった。そんな当たり前の事に満潮は気が付いた。

 

 見てからでも反応できる。それは逆に、見えなければ回避行動は行えないという事。当然、あまりにも当然な事だった。規格外の存在である駆逐棲姫を相手取っているからこそ、そんな常識を失念していた。

 

 突破口が見えた。

 瞬時に思案し、打開策を練り上げる。プランは多岐にわたった。それが実用的かどうかは問わず乱雑に可能性を模索し、有効なものを集積していく。疲れ切った意識に鞭を打ち、頭脳は瞬間的に限界を超える。──そして、勝利の可能性を掴み取った。

 

「────」

 

 満潮の瞳に炎が宿る。意志という火が灯る。

 

 もっとも単純な打開策は近接戦闘。見ても反応出来ず、反応出来ても避け切れない距離。つまりは組み付いての密着状態ならば駆逐棲姫を打倒し得る可能性がある。──否定。捕え切れる力などないし、組み付いても自分には攻撃する手段がない。ましてや速力で負けている以上、間合いを詰める事など不可能。接近戦など論外だ。

 

 性能で圧倒されているのだから相手の得意な距離で勝負するしかない。そう、駆逐棲姫は付かず離れずの間合いを維持している。自分が最も効果的に動ける距離。砲撃の射程圏で、回避するのにも十分な余裕がある距離を維持している。

 

 満潮が近付けば退き、満潮が退けば近付く。露骨なほどに位置取りが正確だ。満潮はそこに勝機を見た。

 

「──今ッ!!」

 

 反撃の機会を探り、砲撃が僅かに切れた間に満潮は前に出た。その途端、駆逐棲姫は後退すると同時に砲火を集中する。満潮の周囲に数多の砲弾が着弾し、衝撃で全身が左右に揺さぶられた。水柱に包囲され、駆逐棲姫の視界から満潮の姿が消える中、彼女は狙いを定めて反撃を放つ。彼女の視界は駆逐棲姫を一切捉えていなかったが、水柱の先にいる相手を幻視して直感のままに狙いを付けた。この一手を決して外してはならない。

 

 正面の水柱を越えて砲弾は駆逐棲姫へと向かう。駆逐棲姫は回避行動を行わない。する必要などなかった。砲弾の軌道を観測し、それが自身に届かない事を知っていた。

 

 満潮の砲弾は駆逐棲姫の眼前に落ちた。至近弾にもならない完全な外れ。──だがしかし、それでも水飛沫はあがる。飛び上がった海面は僅かな時間だけ駆逐棲姫の視界を覆った。とはいえ、それは一瞬。装填時間を待たねばならない満潮が次弾を放てるほどの猶予はない。けれどそれでよかった。

 

 砲撃を撃った満潮は水柱を抜けて、駆逐棲姫を中心にして右回りに大きく旋回する。回り込むような満潮の動きを、水飛沫で覆われた視界の隙間から駆逐棲姫は視認した。水飛沫が晴れるのを待たず、駆逐棲姫もまた満潮を追って身体を左に向けていく。その際、彼我の距離を測り、遠ざかった間合いを詰めるように少しだけ前に移動した。

 

 そうして、すぐさま砲撃は再開された。右に回り込む満潮を狙って次々に砲弾は吐き出される。砲弾の雨を受け、艤装が軋みを上げる。直撃こそなかったが、衝撃に晒され続けた艤装は満潮の身体を保護出来る許容域を超えようとしていた。

 

 艤装から波及する痛みに歯を食いしばりながら、満潮は最大戦速で海面を滑走する。波に足を取られれば即被弾しかねない状況で、しかし、未だ瞳に宿った炎は消えていなかった。

 

 大きく旋回し、最初の地点から駆逐棲姫を中心にして九十度ほど右に回り込んだ位置。そこで満潮は急停止した。足を止め、装填が完了した連装砲を構える。そして最後の賭けに出た。

 

 回り込んだとはいえ、満潮に合わせて転回していた駆逐棲姫との構図は変わらず対峙したままだ。当然、動きを止めた満潮へと照準は定められる。一度止まった以上、満潮に回避は許されない。駆逐棲姫のような規格外の動きができない満潮には、静止状態から一瞬で砲弾を回避できるほどの速力を得る事は叶わない。故に被弾は免れなかった。対して駆逐棲姫はその限りではない。足を止め、狙いを絞った満潮の砲撃を見てからでも回避する事は容易い。この撃ち合いにおいて駆逐棲姫の勝利は約束されている。

 

 それでも満潮はその勝負に身を投じた。そんな蛮行、普通ならば疑問を抱く。だが、深海棲艦に疑問はない。確実な勝算を得て、何一つの躊躇いもなく、駆逐棲姫は引き鉄を引いた。

 

 両者の砲撃は同時。完全に一致した轟音が周囲に反響する。

 

 砲弾は交差し、互いへと飛来した。

 駆逐棲姫が放った四つの砲弾の内、大口径砲弾と小口径砲弾が一つずつ満潮へと命中する。満潮は小口径砲弾を無視し、大口径砲弾を左腕の魚雷発射管を盾のように突き出して防御した。左腕が千切れたかと思うほどの激痛と、右足に直撃した小口径砲弾を受け、堪え切れずに膝をつく。幸い五体満足ではあったものの、これ以上の戦闘続行は難しいほどの被害を受けた。

 

 対する駆逐棲姫は砲撃を放った後に、満潮の砲撃を回避出来ていた。自身の左半身に命中すると観測した砲弾を、右に移動する事で回避した。なんて事はない。当然の結果だ。勝敗はここに決した。それは厳然たる事実。砲撃戦において駆逐棲姫は間違いなく勝利していた。だが──

 

 

「──馬鹿ね。その先にあるのは地獄よ」

 

 

 そんな蚊が飛ぶ音のような小さな呟きを駆逐棲姫の聴覚は感知した。自分との勝負に敗れた者の言葉にしては不適当な物言い。それと同じくして不可解な事実を観測した。満潮は魚雷発射管を盾にして直撃弾を最小限のダメージに軽減させた。それはいい。把握していた事だ。しかし、それならば“装填されていたはずの魚雷”が誘爆するはず。そうならないのなら、それはつまり──駆逐棲姫は疑問ではなく観測した情報から分析し、解答を出力する。

 

 機械的に自分の右方向を振り向き、視線を落とす。そして、その事実を観測した。

 

 砲撃を回避し、移動した先。その一瞬だけ制止を余儀なくされる地点に四本の酸素魚雷が達していた。回避は間に合わない。この瞬間だけは一切の行動を行えない。回避不可能。その事実を観測した。

 

 最初の一手。満潮が“ワザと”駆逐棲姫の手前を狙って撃った砲弾。それによって発生した水飛沫は駆逐棲姫の視界を奪うものではあったが、それで隠そうとしたのは自分の姿ではない。その時の砲撃と同時に発射した魚雷を隠したのだ。その後、右に大きく回り込んだのも進行する魚雷を視界から外し、意識を逸らす為。それが成功すれば、後は海中に隠れた酸素魚雷が命中するように駆逐棲姫を誘導すればいい。自分との間合いで移動する相手を誘導するのは難しくはなかった。そして、確実性を求めて駆逐棲姫の回避行動後の硬直を誘発させたのである。

 

 全ては算段通り。回避不可能の魚雷は全て命中し、炎熱と衝撃を以て駆逐棲姫の身体を砕く。金属同士が弾き合う音。肉が弾ける音。それらの音を爆音が消し去り、微かな余韻を残して、やがて静寂がやってくる。

 

 膝をついていた満潮は負傷した箇所を庇いながら立ち上がり、慎重に駆逐棲姫の方へと近付いていく。

 

 駆逐棲姫が存在した位置にはその残骸が漂っていた。原型は保っていないが、それでも名残はあった。右半身を失い、艤装という艤装が壊れ、石膏のような肌が剥がれ落ち、体内が露出したグロテスクな残留物。それは青い体液を全身から垂れ流し、無機質な隻眼は虚空を見つめている。生きているようには──いや、再び動き出すようには見えなかった。

 

「ふん……、目が良いのも考えものね。よく見えるだけに、見えないものには盲目だもの」

 

 見えないものほど大切なのにね──と、満潮は勝ち誇ってみせながらも安堵の息を吐いた。

 きわどい勝利だった。失敗の危険は大きく、賭けになる部分も多い作戦。相手がもっと用心深く、思慮深かったのなら成立しなかった。強大な力を持っていたが故に慢心していたのか、或いは──

 

「──な」

 

 考察を中断して満潮は身構える。

 

 異変は突然発生した。

 目の前に転がる残骸が胎動し、砕かれた破片が分裂していく。強烈な熱を発して細胞が新しく生まれ変わる。肉体が肉体を生み、艤装から艤装が生え、体液が体液を生じさせている。それは再生。もしくは再誕。産声の代わりに霧のような光を放つ。青い炎に似た光。その光を纏うように駆逐棲姫の身体は再生していった。

 

 マズイ──と思った時には遅かった。六割ほど修復された時点で連装砲を撃ち込んだが、砲弾が肉体を壊すよりも再生する速度の方が数段速く、遅延は出来ても再度破壊する事は叶わなかった。

 

 なんて出鱈目。なんて理不尽。なんて不条理。死して蘇るなど物理法則どころか、この星の生命に課せられた規律すら無視している。そのルールを犯す事だけは許されない。それはあらゆる尊厳を無下にする。生に対する冒涜であり、死を無意味に落とし込む。即ち堕落。この世全ての価値を貶める悪逆に他ならない。

 

 それを駆逐棲姫は行使した。本来許されざる所業を行い、再び世界に生を受けた。逸脱している。生物として逸脱している。正に規格外。その存在に上等も下等もない。等しく絶対にして唯一無二。星のルールより外れた異端者は今ここに禁を犯す。

 

 やがて、その身体は完成した。真の意味で完成を迎えた。

 再誕を果たした駆逐棲姫の肉体に欠損はない。原型にはなかった長い足があり、砕かれた半面もまた修復され、作り物めいた美貌を取り戻している。完全な人型を得て、駆逐棲姫は海上に立っていた。

 

 それはまるで艦娘。原形より引き継いだ生物的な艤装さえなければ、そう思えるほどに少女として成立している深海棲艦。空母ヲ級を筆頭に完全な人型は上位の深海棲艦にしか見られぬ形。なれば不完全だった頃よりも、現在の駆逐棲姫は強化されていると判断していいだろう。

 

 満潮はそれを目撃し、事実として理解し、そして戦慄した。

 

 考えられる可能性を模索し、知恵を巡らせ策を練り、多くの賭けに勝った上で打倒した相手が強化されて再生したとなれば、その絶望感は言うに及ばない。この時、確かに満潮は諦めた。自身の生存を諦めた。

 

 それを認めながら、彼女は連装砲を握り直す。

 腫れ上がった左腕は力なく垂れ下がり、被弾した右足はろくに力も入らない。切り札である酸素魚雷も撃ち尽くした。勝算など考えるだけ無駄だという結論が脳内に溢れかえる。それでも尚、満潮は前を向いた。前を向いて、倒すべき敵を見た。

 

「もう少し頑張らないといけないわね」

 

 絶対的な死を前にして、駆逐艦 満潮は屈しない。生を諦めても、その打倒を諦めない。恐怖は既に焼き払った。絶望を相手に、その瞳は勇気を訴える。死を見据えた戦士の目。それは生命の終わりまで輝きを止める事はない。

 

 勇猛果敢に砲口を突き付ける。

 引き鉄を引けば、戦闘は避けられない。その先に待つのは自分の死。果たせるものはちっぽけな時間稼ぎだけ。命を賭けるにはあまりに惜しい結末だ。故に逃げてしまえばいい。今ならばまだ間に合うかもしれない。気まぐれに見逃してくれるかもしれない。その可能性に賭けるのが、生物として正しい行動ではないのか。

 

「ハッ──」

 

 自問を鼻で笑う。

 満潮は一切の躊躇いもなく、その引き鉄を引いた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。