艦これ Side.S   作:藍川 悠山

49 / 94
09

 

  9

 

 

 時雨達が中央の鎮守府に到着した時、深海棲艦の爆撃は既に終わり、その被害を受け炎上していた施設の消火活動も完了していた。その早い手際に甚大な被害は無かった事を察したが、それでも海から眺めた自分達の帰るべき場所が破壊された光景を見て筆舌に尽くし難い気持ちを感じた。

 

 自分達なら回避できたかもしれない光景。それを前にして、重い気持ちを呼吸と共に吐き出した。腐っている暇はない。後悔するのは飽きた。今は前だけを向き続ける。少なくとも時雨はそう思った。

 

 鎮守府に上陸した二人は被害の状況を知る為、駆け足で現地の艦娘を探した。そうして見つける。自らが経営する甘味処──その崩落した姿を困った様に見つめる女性、給糧艦『間宮』を見つけた。

 

 時雨は駆け寄って問い掛ける。

 

「間宮さん、無事だったんですね」

 

「えっ……、ああ、あなた達も帰って来たのね。ええ、私は大丈夫よ」

 

 “あなた達も”という言い回しが気になったが、余計な詮索をしている状況ではない。時雨は現状の確認を優先した。

 

「他の皆は無事ですか?」

 

「それも大丈夫。誰かから連絡があったのか、いち早く察知した提督が皆に避難するよう勧告したから、人的被害はほとんどないわ」

 

 それを聞いて二人は少しだけ救われた。ヲ級が艦載機を発艦する前に鎮守府へ打電していた事が被害を抑える結果に繋がっていた。爆撃自体は防げなかったものの最低限の貢献はできていたのだと、時雨達にとってその事実は慰めとなった。

 

「ただ、その提督自身が行方不明なのよ。皆の避難が終わるまで指令室に残っていたみたいなんだけど、爆撃の混乱の中で行方がわからなくなっていて……」

 

 心配そうに間宮が言う。

 海から眺めた時、最も被害が大きかったのは庁舎だった事を時雨は思い出す。庁舎には提督室や指令室等の鎮守府の運営上で重要な施設が集中しており、そこを狙うのは確かに効果的ではあった。しかし──と時雨は小さな違和感を覚える。それでも最優先ではないはずだ。それ以外に最重要施設はいくつもある。各種ドック、工廠、艦娘寮。そのどれもが攻撃を受けてはいたが、庁舎ほどの被害はなかったと記憶している。無差別だったから被害が偏ったのか、或いは意図的に狙ったのか。時雨は頭の端でその事を思案しながら、提督がいなくなった事にショックを受けた。

 

 提督は自分達に『教えておきたい事』があると言っていた。それが運命に関する事だと、そんな予感があっただけにいきなり手掛かりを失ってしまった不安定さを感じる。勿論、提督の安否も心配であり、それも含めて多大な喪失感がのしかかった。

 

「あ、そうだ。時雨ちゃん、提督からあなたに言伝を預かっていたんだったわ」

 

「ことづて?」

 

「ええ。避難勧告の後、私の電話に連絡があってね。自分から伝える事が出来なそうだから、今日帰ってくるだろうあなたに伝えて欲しいって。……今思えば、あの時にはもう覚悟していたのかもしれないわね」

 

 間宮の言葉に時雨の思考が巡る。

 ──爆撃の前に提督は自分の身に何かが起こるのを知っていた? 爆撃を受け、自分は命を落とすと悟っていた? いや、違う。あの人はもっと強かだ。例えそうだったとしてもただで転ぶような人じゃない。ましてや、生死不明だなんて曖昧な結果を残したりはしない。最高司令官の生死が不明確な状況は味方にとって不利益となる。死ぬんだったらわかり易く自らの遺体を晒すし、生きているのならすぐに姿を現すはずだ。そのどちらでもないのなら、そこにはなんらかの意図がある。

 

 時雨が知る限り、ここの『提督』はそういう人間だった。多くを語らず、厚い仮面に表情を隠す鉄面皮ではあったが、その分、計算高く、思慮深い人だったと回想する。少なくとも無駄死にをするような潔い人間ではなかった。

 

「それで、言伝というのは?」

 

 考えを巡らせながら、間宮へと続きを催促する。間宮は頷いて、預かった言葉を口にした。

 

「──『運命は特別な存在に惹かれる。けれど運命を変えるのは必ずしも特別な存在ではない』と提督は言っていたわ。私にはよくわからない言葉だけど、時雨ちゃん、あなたにならこの言葉の意味がわかるんじゃないかしら」

 

「運命は特別な存在に惹かれる……か。なるほどね」

 

 頭の中で何かが噛み合った。全てを理解した訳ではないが、その言葉に納得する。提督がいなくなってどうしようかと思ったが、運命に対する手掛かりは確かに掴めた気がした。

 

「ありがとう、間宮さん。おかげで歩みを止めずに済みそうだ」

 

「ええ、それならよかったわ。────それで、えーと、なるべく触れないであげた方がいいと思って無視していたんだけど、そろそろ我慢の限界というか……。えっとね、時雨ちゃん。あなたはなんで満潮ちゃんをお姫様抱っこしているのかしら?」

 

 真面目な顔から一転。困ったような笑みを浮かべながら、間宮は時雨の腕に抱かれる満潮を指差した。海上から今に至るまで、時雨はずっと満潮を抱えたまま行動していた。腰が抜けている満潮を放置する訳にはいかない時雨にとっては当たり前の配慮だったが、それをされている満潮は堪ったものではない。ここはよく知る艦娘が多くいる鎮守府。こんな恥ずかしい姿を見られれば、しばらくは笑い話のネタにされてしまう。とはいえまだ自力で立てるほど回復しておらず、抗える術がない為、なるべく誰にも見られないように小さく丸まって、時雨の胸に顔を押し付けていた。その顔は耳まで真っ赤である。

 

「ああ、うん。満潮は来る途中で損傷を受けてね、ちょっと動けない状態なんだ。本人は元気で、命に別状はないんだけれどね」

 

「あ、よく見れば左腕とか酷い怪我ね。ごめんなさい、顔の赤さに気を取られて気付かなかったわ。でも、困ったわね。入渠ドックも医務室も損害を受けていて今は使えないのよ。せめて、どこかに休ませてあげられる場所はあったかしら……」

 

「艦娘寮はどうかな? 被害はあったと思うけど、全室が使えない訳でもないよね」

 

「確かに無事な部屋はあると思うけど、まだ崩落とかの二次被害も考えられるからオススメはできないわね。──あっ、そうだ」

 

 間宮はパンッと手を叩く。なにやら名案が浮かんだようだ。

 

「鎮守府の裏にある鳳翔さんの家なら、きっと被害を免れているはずよ。そこを貸してもらえばいいと思うわ」

 

 

  -◆-

 

 

 鎮守府に隠れるように、その家屋はひっそりと存在している。決して大きくはないが、趣のある立派な屋敷。そこは第一線から退き、後進の育成及び艦娘達の精神的支援を責務とする初代一航戦、軽空母 鳳翔の自宅であった。長い戦歴の果てに実質上の引退をしている彼女は、特例的に鎮守府内の居住を許されている。人の社会に戻り、隠居する事も可能ではあったが、彼女自身の強い要望により前線たるこの鎮守府に予備戦力扱いで身を置いていた。

 

 そんな彼女は通常時、昼は艦娘達の愚痴や相談を受け付けるカウンセリングを行い、夜は大人の社交場として鎮守府内にて居酒屋を経営している。この中央の鎮守府が他の鎮守府より恵まれていると言われる要因は、間宮と並んで彼女の存在も多分に影響していた。

 

「ごめんください。鳳翔さん、いますか?」

 

 その屋敷を時雨は訪ねた。無論、満潮をその腕に抱えたまま。

 時雨がここを訪れるのは初めてだったが、満潮はどこか見覚えがあった。しかし、なぜ見覚えがあるかは思い出せなかった。

 

 ガサゴソと聴こえてくる玄関の先から、息を切らせた家主──鳳翔が姿を見せる。

 

「はい、どちらさまでしょうか。──あっ、時雨さんと満潮さん。おかえりなさい。帰ってくるのは聞いていましたよ」

 

「うん、ただいま戻りました。息が切れているみたいですけど、忙しかったですか?」

 

「ええまぁ。食堂も間宮さんも被害を受けたので、野外での炊き出しをしないといけなくて。その準備をしていたんです。でも大丈夫ですよ。ちょうどお昼過ぎでしたから、お腹をすかしている子はいないでしょうし。夕方までに間に合えばいいので、そんな急いではいませんから」

 

 それで御用はなんですか──と訊ねかけた鳳翔は満潮に目を向ける。彼女の怪我を見て、時雨の要望を察した。

 

「これはいけませんね。今すぐお布団を用意しますから、さっ、早くあがってください」

 

 時雨を促すと、足早に鳳翔は客間に向かい、来客用の布団を敷く。ゆっくりと進む時雨が追い付く頃には、既に布団は敷き終わっていた。凄まじい早技である。

 

 満潮を布団の上に下ろして艤装を外していく。時雨が全て外し終わると、タイミング良く鳳翔が医療キットを持ってきた。

 

「お疲れ様です。あとは私に任せてください」

 

 申し出た鳳翔に任せて、時雨は一歩引き、その様子を見守った。

 腫れ上がった左腕には氷嚢をあてがい、内出血をしている右足には冷却用の湿布を張り付け、その上から包帯を巻き、圧迫しつつ固定する。その後、至る所に細かく出来た擦過傷を消毒し、清潔なガーゼを張り付けた。最後に薄めの毛布を腰のあたりまでかけて、処置は瞬く間に終了した。

 

 この手際の良さは長年の経験がなければ得られないものであり、それを見た時雨は素直に感心した。

 

「はい、これで大丈夫です。左腕を触診した感じでは骨にヒビが入っているか、もしかしたら折れているかもしれません。腫れがひいたら当て木をしますので、しばらくは動かさないでくださいね」

 

 鳳翔は横になった満潮に向けて言葉を投げ掛ける。これまで羞恥から沈黙を保ってきた満潮は小さく頷いた。

 

「ありがとう、鳳翔さん。助かりました」

 

「いいえ、大した事はありません。時雨さんも艤装を外したらどうですか。出撃ドックも壊されちゃったみたいですし、修復が終わるまでここに置いていってもいいですよ」

 

 その言葉に甘えて時雨は身につけていた艤装を外し、満潮のものとまとめて部屋の隅に置いた。

 

「それじゃあ鳳翔さん、僕は鎮守府の復旧作業を手伝いに行こうと思うんですが、今は誰が陣頭指揮しているんですか?」

 

「現状は陽炎さんと朝潮さんが他の子達をまとめているはずです。主戦力のほとんどはトラック島に出ているので、あの二人が残っていてくれたのは僥倖でした」

 

「陽炎と朝潮か、確かに頼もしい二人だ」

 

 決断力に優れる陽炎と堅実で現実的な朝潮は、理想的なリーダーとサブリーダーと言える。消火がすぐに済んでいたのも、あの二人の手腕によるものだろう。

 

「二人ならグラウンドにいるはずですよ」

 

「わかりました、行ってみます。──それじゃあね、満潮。キミはゆっくり休んでて」

 

 満潮にそう言い残し、鳳翔に頭を下げると、時雨は駆け足でグラウンドへと向かっていった。時雨が去ったのを知って、満潮はようやく溜め息を吐く。散々赤くなった顔を冷ましながら、脱力するように息を吐いた。

 

「ふふふっ、時雨さんは少し見た目が変わりましたが相変わらずみたいですね」

 

「……はい。人前でお姫様抱っこなんて、堪ったもんじゃないです」

 

「でも、ちょっとは嬉しかったりするんじゃないですか?」

 

「…………まぁ私も女子なんで、ちょっとくらいは」

 

 その返答に鳳翔は微笑みを浮かべる。

 

「嬉しいのは相手が時雨さんだからではないんですか?」

 

「やめてくださいよ。私は至って健全です。アイツが男なら恋心の一つでも抱いていたでしょうけど、私は時雨をそういう目で見た事はないですよ」

 

 満潮が時雨に感じるのは友情だけだ。そこに愛情に似たものはあっても恋愛感情などはない。彼女とどうにかなりたいと思った事など一度もなく、時雨に対してドギマギするのは純粋な善意からなる彼女の言動が心地良くも自分にとって受け入れ難い事だからだ。友人としての好意はあってもそれ以上の他意はなかった。

 

 鳳翔もその言葉に頷く。

 

「満潮さんはもう他の子達とも仲良く出来そうですね」

 

「えっ?」

 

「以前相談してくれたでしょう? 自分は他人と壁を作ってしまう。敵意を持って接してしまう。それで誰かを傷付けてしまう──って」

 

「……あぁ」

 

 時雨と初めて出会った頃。朝潮に人との接し方を改めるように叱られた事があった。その時に鳳翔のカウンセリングを受けた記憶を思い出す。ほとんど気紛れのようなものだった。信頼する姉に言われて、仕方なく形だけでも努力してみようと思って行った場所。なるほど、道理で見覚えのある家だと得心する。自分は以前に訪れた事があったのだ。

 

「その時、鳳翔さんは思いきって踏み込んでみればいいと言ってくれましたね。自分の方から相手に歩み寄れと」

 

 そう言われた事があったから、自分を特別視する時雨に「なぜ自分は特別なのか」と問い掛けられた気がする。あの問い掛けがなければ、ここまで時雨と友情を深める事はなかっただろうと満潮は思った。

 

 感謝の念を抱いた満潮に対して、鳳翔の表情は少しだけ陰をおびる。

 

「乱暴な回答をしてしまったとずっと心残りでした。私は余計な事を言ってしまったのではないか。そんな不安を抱いていました」

 

「いいえ、的確なアドバイスだったです。おかげで前に進めた気がします」

 

「みたいですね。今の貴女を見ればわかりますよ。自分の気持ちをはっきり言葉にできる今の貴女は見違えるほど変わりました。それは良い変化だと、私は思います」

 

 そう笑顔で言うと、鳳翔は静かに立ち上がる。

 

「それでは、私は準備がありますから失礼します。満潮さんは安静にしていてくださいね」

 

「ありがとうございました」

 

 諸々を含めて、遅くなった感謝を伝える。それに頷いた鳳翔は客間から姿を消した。

 

 一人になった空間で満潮は軽くなった右腕を天井に伸ばす。当然、それは届かない。ただ、まじまじと見つめる自分の手が以前より少しだけ大きくなったように思えた。

 

「素直になった。いい顔になった。自分の気持ちを言葉にできるようになった。だから私は変わった……ね」

 

 近頃、多くの人にそんな事を言われた気がする。多分それは良い事で、きっと成長と呼べるもの。それを今、実感した。

 

「頑張ろう」

 

 伸ばした手を握り締める。

 まだ何一つも成し遂げてはいないけれど、みんなが認めてくれた成長の先に求める理想があると信じて、満潮は掲げた拳に力を込めた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。