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「こちら鎮守府所属、第一特務隊、旗艦満潮。入港を許可されたし」
『──確認した。入港を認める』
日が傾き始めた頃、満潮と時雨の両名は目的地である企業の工廠地区へと到着した。許可を取った二人は艦娘用の入港口からドックに入り、案内に従って艤装を預けた後、応接室へと通された。
「担当者をお呼び致します。こちらでしばらくお待ちください」
ここまで二人を案内してきたスーツ姿の女性は一礼すると、音もなく退室する。人目がなくなったのを見て、満潮はソファへと遠慮なく座り込んだ。
「はぁー、疲れた」
「まさかの交戦があったからね」
時雨は立ったまま満潮の横に位置取った。
「それもあるけど、こういう息苦しい場所って苦手なのよ。一つ所に人が沢山いる場所って」
「鎮守府だって似たようなものじゃないか」
「あそこには艦娘の方が多いじゃない。ここはほとんど人間しかいない。息が詰まるわ」
「僕等だって人間だよ」
「そりゃそうだけど……、そう思ってるのは私達だけかもしれないじゃない」
「悲観的な見方だね」
「でも正しいモノの見方よ。私が普通の人間だったら、人の形をしておいてあんな化物と戦える艦娘の事をきっと怖いと思うもの」
「まぁ、中にはいるだろうね。……けど世界はそんなに厳しくないさ。少なくとも利用価値がある内は、こちらに危害は加えないよ」
深海棲艦が存在する限り、僕等の存在は保証され続けるさ──そう時雨は続けて言った。そんな事を平気で言う時雨を見て、満潮は溜め息混じりに言う。
「アンタは意外と打算的な見方をするわよね」
「単純な損得勘定はこの世で二番目に信頼できるからね」
「一番目は?」
「友情、かな」
「意外に陳腐な答えね。でも、友情には境界があるわよ。友達になったらその全てを信じるってほどお花畑でもないでしょ、アンタは。信じるに値する友情の分水嶺はどこにあるのよ?」
「うーん、それは考えた事ないけど……そうだね。やっぱりそこは“信じられる”って思った瞬間からなんじゃないかな」
「随分と曖昧なのね」
「そうでもないさ。はっきりしてるよ。つまりは“その人を好きになったら”って事だからね。僕としてはわかりやすい」
「…………私にはさっぱりわからない感覚ね」
自分が誰かを好きって自覚する事に抵抗はないのだろうか──と、自分の気持ちに疎い満潮は珍獣を見るような目で時雨を見た。その時、ふと思い出す。
そういえば昨日、私の事も“好き”とか言ってなかったっけ?
──途端に顔が熱くなるのを満潮は自覚した。
「……ぐぬぬ」
「どうしたの?」
「自分で地雷踏んだだけよ。ほっといて」
「?」
突然俯いて顔を隠す満潮に、シッシッと手で払われた時雨は得心がいかないまま、仕方なく室内の調度品に目を向ける。この企業のロゴである三つの菱形が印されたそれらは、いずれも素人である時雨をして高級感を感じさせるものだった。この施設にしても、時雨がいた鎮守府の規模とほぼ変わりがない。国が保有する軍施設に匹敵する一企業の一施設にただただ感心せざるを得なかった。
「これからは企業の時代かもね」
国営で機能していたものが、将来的にどんどん民間へ移行していくかもしれないな──と時雨は思った。そうしていると応接室の扉がノックされた。満潮が代表して「どうぞ」と返答する。
「いや、お待たせして申し訳ない」
扉から顔を覗かせたのは小太りな初老の男性だった。見るからに人が良さそうな笑顔を張り付けた彼は、しきりに頭を下げながら満潮の前のソファに腰を下ろした。
「あなたもどうぞ腰掛けてください」
「いえ、僕はこのままで構いません」
男の気遣いをやんわりと時雨は拒否する。男は食い下がる事なく、そうですか──と納得した。
「自分は艦娘支援部門で主任を務めている者です。以後、お見知りおきを」
「旗艦の満潮よ。こっちが時雨。……早速ですが主任さん、扶桑型戦艦の改装は済んでいますでしょうか。予定では明日の正午に鎮守府へ向けて出発する手筈なのですが」
最低限の会話だけで切り上げたいのか、要点だけをまとめて主任に問う。対して主任は張り付けた笑顔を困った様に歪ませて、申し訳なさそうに語りだす。
「いやぁ、大変申し訳ないのですが……彼女達の改装にはもうしばらくの時間が必要でして……」
「は? 次期作戦決行までもう大して猶予がないのは承知していますよね?」
「わかっていますとも。しかし、技術屋としては半端な成果で改装を済ませる訳にはいきません。我々が納得できる性能にはまだ幾許かの時間が必要なのです。これは技術屋の矜持と御理解頂きたい」
「だったらその矜持の中に『納期に間に合わせる』ってのも加えておきなさいよ!」
「まぁまぁ満潮、落ち着いて」
今にも蹴り付けようと立ち上がる満潮をなだめながら、時雨も主任へ問いを投げ掛ける。
「主任。改装完了までどの程度の期間が必要でしょうか?」
「あと三日あれば間に合わせる自信はあります」
「三日か……。迂回せず最短距離で鎮守府に向かえばMO攻略にはギリギリ間に合うね」
けれど──と、時雨は思案する。待ち伏せされていた事が懸念として脳裏に浮かんだ。自分達の行動が敵に把握されていた場合、予定されている最短距離の海路を進むのは愚策。再び待ち伏せに遭う可能性は高い。かといって現場判断で迂回した航路を取れば作戦に間に合わないかもしれない。作戦を取るか、安全を取るか。さて──
「満潮、一度僕等の鎮守府に指示を仰ごう」
「なんでよ、コイツ等が矜持とやらを捨てれば済む話じゃない」
「キミは彼女達に中途半端な改装のまま戦場に行けっていうのかい?」
「んなつもりはないわよ」
「このまま強行するのか、それとも三日待つのか、そのどちらにしても僕等の判断で決定すべき事じゃない」
「……そうね。熱くなってもしょうがないか」
上げた腰をおろして、満潮は一つ息を吐く。
「主任さん、鎮守府へ連絡をお願いできますか?」
「ええ、勿論」
「では電報を──いえ、やはり封書でお願いします」
「封書……ですか。わかりました、すぐ一式用意しましょう」
主任は頷くと封書の用意をする為、応接室から出ていった。
「封書とは機転が利くね」
「暗号通信が傍受されている可能性があるんだから当然でしょ。幸い鎮守府には地続きで繋がってるんだから郵便を利用しない手はないわ」
「そうだね。早ければ明日中に返事が来るかな」
「ま、明日返事が来ても、その時点で予定から外れる訳だけど」
「それはもう仕方ないね。覚悟を決めよう」
そんな事を言いながら呑気に笑う時雨を見て、満潮は極めて深い溜め息を吐く。この先、この事で問題が発生した場合、主に責任を負うのは旗艦である彼女に他ならない。故に──
「ホント、先が思いやられるわ」
──文句の一つも出るというものだった。