艦これ Side.S   作:藍川 悠山

53 / 94
13

 

  13

 

 

 長門と別れた時雨は鳳翔の家へと向かった。

 艦娘寮が被害を受けた為、現在使用出来る部屋は限られている。その為、時雨と満潮は鳳翔の家にて寝食を共にするよう指示されていた。無論、家主である鳳翔は了承済みである。

 

「お邪魔します」

 

 一応の礼節として他人行儀な挨拶をして玄関に上がる。家の中は暗い。電灯は全て消え、多少の月明かりがある外よりも深い暗闇が広がっていた。外部からの電力供給が停止している現状、鎮守府内の発電施設より生み出した決して多くない電力は主要施設に優先して供給されている為、優先度が低い住居には電気が通っていないのだ。

 

 そんな暗闇を時雨は何気なく進んでいく。夜目が利く時雨にとって暗闇は暗闇に成り得ない。闇の中にも光は存在する。彼女の瞳はそれを捉え、見逃す事はなかった。

 

 やがて暗闇の中に光を見つけた。夜目が利く時雨でなくともはっきりと灯りと認識できる光。赤みのある温かな光は居間から発せられていた。

 

 時雨はそれに導かれるように居間へと続く障子を開ける。中にはテーブルの上に置かれた一本のローソクと、それを見つめる満潮の姿があった。

 

「おかえり。……鳳翔さんは?」

 

「ただいま。鳳翔さんは自分の店に行ってるよ。こんな時だからこそ大人の社交場は必要なんだって」

 

 自然に言葉を交わして、時雨は満潮の左腕を見る。当て木を施し、包帯に巻かれた腕が三角巾によって首から吊り下げられていた。

 

「腕、やっぱり骨まで痛めてた?」

 

「らしいわね。折れてはいないから動かそうと思えば動くけど、さっさと治したいから鳳翔さんにガチガチに固めてもらったのよ」

 

「うん、賢明な判断だね。……そうだ、お腹減ってるでしょ? 何か作るよ。台所とか勝手に使っていいって了解は取ってるからさ」

 

「いらないわ。夕方頃、朝潮達が来て豚汁を一緒に食べたからお腹減ってないの」

 

「そう、それはよかった」

 

 姉妹と一緒に食べる食事はおいしいよね──と時雨は笑って満潮の隣に座った。

 

「なんで隣に来るのよ。向かい側に行きなさいよ、暑苦しいわね」

 

「僕は温かい方が好きなんだ。我慢して」

 

「ふん……ま、いいけど」

 

 ローソクの炎を前にして二人は静寂を共にする。静かに燃焼していく炎の明かりはやわらかく室内を照らしていた。

 

「いつか──」

 

 その静寂を裂いて満潮が口を開く。

 

「いつか聞こうと思ってた事があるの」

 

「ん、なにかな」

 

 躊躇うように口ごもりながら、けれど、はっきりと満潮は言葉にした。

 

「アンタが見る夢の事」

 

「…………」

 

 時雨は対して口を閉じる。ただ、嫌な顔はしなかった。

 

「アンタが過去の夢を見るのは前から知っているけど、その夢に対する認識はここ数日の間で随分と変わったわ。それは過去の事であると同時に、私達に訪れる未来の事でもある。『運命』の存在を知って、私が最初に思ったのはアンタの夢の事だったわ。アンタがどんな夢を見ているのかは知らない。でも、そこには私や扶桑や山城がいて、そしてきっと良くない事が起こるんでしょう?」

 

「…………」

 

「わかるわよ。アンタは夢の話になると、いつも寂しそうな顔をするもの。ゴトウ提督に『あんな運命を受け入れない』と言った時もそう。アンタの顔は決意に満ちていたけど、同じくらい悲しくて寂しそうだった。……そんな顔されたら、なんとなくだけど、どんな夢を見ているのか察しがつくわ。だからアンタが口にしたくないなら、それを無理強いはしない。アンタが辛い思いをするくらいなら、私は一生知らないままでいい。けど、出来るならはっきりと教えて欲しい。アンタが見る夢を──いえ、私が辿り着く運命の果てを」

 

 アンタはそれを知っているんでしょう──満潮はローソクの炎を見つめたまま、そう呟いた。

 

 それを聞いた時雨は深い溜め息を吐く。溜め込んでいたものを全て吐き出すように、長くゆったりとした溜め息だった。

 

「いつかは聞かれると思ってたよ。キミに僕が見る夢の話をした時から、こうなるとは思ってた。でも、意外に遅かったかな。普通だったらもっと早く、運命の存在なんかに気付くよりも前に好奇心から聞きたくなるものだと思ってたから……、うん、すごく嬉しい」

 

「嬉しい?」

 

「だって、それを聞かれるのが遅ければ遅いだけ、キミは自分の好奇心よりも僕の事を慮ってくれたって事だから、それはすごく嬉しい事だったよ。ありがとう、満潮」

 

「べっ、別にそれは運命の存在を知るまで興味がなかっただけよ! 私はそんな優しい奴じゃないもの。それに──」

 

「優しくない子は『アンタが辛い思いをするくらいなら、私は一生知らないままでいい』なんて言わないよ」

 

 ついさっき言った言葉を引用されて、満潮の顔が紅潮する。炎の明かりに照らされてもそれはわかった。時雨に見つめられて、満潮は堪らず顔を背けた。

 

「……ああ~っ、もう。またアンタの毒気にやられている。そういうのはいいから話すなら話す! 話さないなら話さない! はっきりしなさいよ! ……ったく」

 

 内面的な成長を果たし、ある程度素直になったとはいえ、やはり時雨が向けてくる純粋な好意は未だに慣れなかった。時雨はそんな満潮に微笑む。こんな素敵な子と友達になれてよかった──と、心の底から思った。だからこそ彼女の望みに時雨は応える。

 

「話すよ。僕が知ってるキミとキミ達の運命を」

 

 そうして時雨は語り始める。

 このまま運命に流されれば、いつか辿り着く運命の果て。時雨が地獄と形容する、暗闇の海での戦いを。

 

「今から一年か二年か、具体的にはわからない。でも、そのくらい先の事。すぐではないけど、そう遠くもない月日の後──キミの“死”が待っている」

 

 満潮が息を呑んだ。無理もない。死刑宣告をされたようなものだ。一年か二年、その程度の猶予はあるが、このままでは確実に死ぬと言われて平静ではいられない。祥鳳の結末を知っているからこそ、その衝撃は大きかった。

 

 彼女はそれを受け入れる。自分から聞いた事だ。自分がどんな死に方をするか、それを聞く為に時雨に辛い思いをさせている。だったら、これくらいでへこたれてはいけない。そう自分を律した。

 

「その頃には過半数の艦艇が沈んでいて、もうどうしようもない状況でね。それでもなんとか生き延びた船達が、まだ戦いを続けていた。僕はその中の一隻だった。きっとキミもそうだった。やがて大きな作戦があって、僕も参加する事になった。どんな作戦だったかはわからない。勝算があったのか、それとも玉砕覚悟だったのか、それすらもわからない。そんな作戦に参加した」

 

 時雨は一息を吐く。思い返すように瞳を閉じて、再び唇を動かした。

 

「そこで僕等は出会った。満潮、キミと会った事もないキミの妹に当たる朝雲と山雲。そして最上と、扶桑に山城。それに僕を含めた七隻で艦隊を編成して行動する事になったんだ。皆それぞれ、いろんな場所で戦って、いろんなモノを失って、その果てに辿り着いた終着点。それがその艦隊だった」

 

 終着点と聞いて満潮が驚きの顔を浮かべる。時雨の言い回しでは自分だけでなく、まだ見ぬ妹達や、最上に扶桑、山城までもその戦いで没するような言い方だった。まさか──と思いつつも、突如頭痛がした。その事実から目を逸らす事を拒むように何かが訴える。……それは真実だと。

 

「言わば僕等は寄せ集めだった。死に損ねた駆逐艦に、運用し辛い巡洋艦。そして欠陥を抱えた老戦艦。どれだけ好意的に捉えようとも、それを覆せないほど僕達は生存の見込みを期待されていない寄せ集めだった。加えて共に過ごした時間は短く、育まれた絆なんて微々たるもの。けれど、その想いは共有していた。戦う事で誰かを守れると、戦う事で何かが守れると、そう思って戦いに臨んでいた。少なくとも船達はそう思っていた。……そして、運命の海峡に僕等は突入したんだ」

 

 時雨の眉間にしわが寄る。想起したイメージは何度も見た夢の光景。けれど、それを見て平気だった事は一度もなかった。

 

「僕達の役割は囮だった。異なる突入口から同時に突入し、他の有力な艦隊に向けられる戦力を分担する。非力な僕等は突破できないだろうけれど、他の艦隊が進撃し易くなる。その為の犠牲。それが成功したのか、失敗したのかはわからないけれど、そういう手筈だったんだと思う」

 

 これは夢を見た僕が感じた所感だけどね──と、時雨は笑わなかった。

 

「最前線に立つ僕等は勿論集中攻撃を受けた。進むのは夜の海。見えるのは一瞬の閃光だけ。真っ暗な海面が激しく波打って船体を揺さぶる中、僕等はひたすらに突き進んだ。……最初に落伍したのは扶桑だったよ。被雷して炎上、そのまま転倒して大爆発が起きた。あぁ、あの紅蓮の華は本当に鮮やかだったな」

 

 そんな感想を零す。力のない声だった。

 対して満潮は言葉を失う。『最初に扶桑が死んだ』と時雨は言った。あの時雨が、扶桑の死を口にした。あまりにも簡単で、淡泊な言葉だった。その事が衝撃的だった。そして最初と言ったのなら、それに続く者がいるという事。ならば、それに続くのは──

 

「次は三隻同時だった。前方に展開していた朝潮型三隻、つまりキミとキミの妹達が被雷した。山雲はあっという間に沈んで、満潮は航行不能になってやがて沈んでいった。朝雲はなんとか逃げようとして最後の最後まで粘ったけど、結局追撃を受けて沈んだよ」

 

 自分の呆気ない最後を満潮は聞いた。ショックじゃないと言えば嘘になる。胸に迫るものは確かにあった。しかし、それよりも。自身の苦しみよりも、目の前で語る彼女の苦しみを理解してあげる事の方が満潮にとっては大切だった。

 

 故に時雨が語り終えるまで、その話に耳を傾け続けた。

 

「残った僕等──僕と山城と最上はそれでも進んだよ。被弾した身体で前に、少しでも前にと進み続けた。そして山城が砲撃を受けて、ついに動けなくなったんだ。艦橋が崩れ落ちて炎上する中、自分に省みず前進しろと言い残していなくなった。僕と最上は前進したよ。でも、限界はとっくの昔に訪れていたんだ。多く被弾した最上が反転して、僕もそれに続いた。大口径砲弾の至近弾を受けて船体を海面に叩き付けながらも、僕は逃げた。逃げて逃げて、気付いた時にはもう一人だった。最上は敵の追撃を受けて雷撃処分になったらしい。……こうしてその艦隊は僕だけを残して全滅した。これがキミの運命の果て。そして僕に訪れる未来の話だよ」

 

 語り終えて時雨は肩の力を抜いた。心底疲れたように息を吐く。

 二人は互いに目を合わせないようにして、しかし、同じローソクの炎を見つめた。

 

「それをアンタは幼い時から見てたわけ?」

 

「うん。幼い頃はもっと曖昧だったけどね。徐々に鮮明になって、近頃では船ではなく艦娘の姿に変換されて夢見る事もあったよ」

 

 夢に見るのはこの戦いだけじゃないけど、やっぱりこの戦いが最も色濃く残っている気がする──と時雨は言う。そう言う時雨に、満潮は奥歯を噛み締めた。

 

「どうして泣いてるの?」

 

 時雨が満潮に目を向ける。満潮は静かに涙していた。

 

「……後悔の涙よ」

 

「自分の死がそんなにショックだった?」

 

「違うわ。そんな事、もうどうでもいい。……どうしてもっと早く聞かなかったのか、それを悔いているのよ。アンタの抱えてるものがこんなに重いものなんて思わなかった。もっと早く知っていれば、アンタの苦しみをもっと早くわかってあげられていれば……私はもっと早くその重みを一緒に背負ってあげられたのに。そう思うと、悔しくて堪まらない……っ!」

 

 時雨の見る夢に関して、満潮は興味がなかったと言った。それは正しい。本心からそう思っていたが、決してそれだけの理由でもなかった。時雨に寂しそうな顔をさせたくなかったのも理由の一つ。そしてもう一つ理由があるとすれば、それはやはり恐れだった。運命の存在を知る前から恐れはあった。前世。かつての艦艇の魂が至った末路。それを聞くのは怖い事だった。関係ない。興味がない。そう言ったところで誤魔化せない根源的な恐怖。それは間違いなく存在した。

 

 だからこそ触れずにいたし、今の今まで避けてきた。満潮はその行いを後悔する。自分が知ろうと思えば知れる事、それから目を背けている間、時雨はずっと苦しんでいた。いいや、それよりも遥かに前から時雨は一人、誰とも共有出来ない苦しみを抱いていたはずだ。それを思うと、心が揺れる。悔しくて涙が出る。

 

 自分が話を聞く事で、時雨をもっと理解してあげられたのに──と満潮は涙した。

 

「…………」

 

 満潮の言葉に、時雨は驚きを表した。

 人前で涙する満潮が珍しかったからもある。けれど、それ以上に彼女の優しさに驚いた。

 

 自分の死の運命よりも、それをずっと抱えてきた時雨の事を想ってくれるのだ。そんな彼女の想いを優しさと言わずに何と言う。その涙は誰よりも深い優しさの証明に他ならない。

 

 時雨は自然と笑顔になっていた。そして満潮の涙を拭う。

 

「大丈夫だよ、満潮。確かに夢見る過去の記憶達はどれも辛い事ではあったけど、今はね、決して悪いものではなかったって思ってるんだ。この記憶のおかげで『運命』の存在に気付けたし、艦娘として生きていく事に迷いを持つ必要もなかった」

 

 そしてなにより──そう続けて、時雨は本当に幸福そうな笑みを浮かべた。

 

「──この記憶達がいなければ、キミと友達になる事もなかったんだから」

 

 過去の記憶は苦しみと共にあった。しかし、その記憶があったからこそ出会えた者達がいた。例え一方的でも出会いたいと願える人達がいた。それはきっと素敵な事で、それはきっと良い事だ。『時雨の魂』は僕を苦しめようとして、これを見せ続けた訳じゃない。そこには想いがあって、祈りがあった。だから、この記憶達を悪かった事にはしたくない。──時雨はその願いを込めて言葉にした。

 

「だから泣かないで。僕はこんなにも幸せなんだからさ」

 

 満潮の頬を伝う温かい涙を払って時雨は微笑む。そんな時雨の偽りのない笑顔を見て、満潮の後悔は少しずつ溶けていった。

 

「なによ……。私、泣いただけ損じゃない」

 

 そう言いながら満潮も笑みを浮かべる。時雨が幸せであるのなら、それ以外の事はもうどうでもよかった。

 

 ひとしきり笑い合うと、涙を見せた事が恥ずかしかったのか、満潮は途端に咳払いをして視線を逸らした。

 

「ま、まあ、とりあえずアンタが運命を変えたいって思う気持ちは痛いほどわかったわ。あんな未来が待ってるっていうのなら、何が何でも変えたいわよね。私もそれを聞いてしまった以上、そして他人事でもない以上、“付き合う”なんて半端な事は言わないわ。……一緒に運命を変えましょ、時雨。私達自身の為に」

 

「うん、勿論だよ。一緒に頑張ろう」

 

 決意を新たに、二人は絆を深める。これよりは協力関係でなく、二人は運命共同体となった。

 

「それで、運命を変える為に私達がやるべき事はわかった? 間宮さんが言ってた提督の言伝だけじゃ、私はよくわからなかったんだけど」

 

「わかったよ。少なくとも提督が僕達に期待している事はね」

 

「流石ね。それにしても提督が期待している、か。あの人はいったい何をしようとしているわけ?」

 

 満潮が疑問を投げ掛ける。提督が何を目指し、何を期待しているのか。時雨には既にわかっている。その情報を満潮と共有する。

 

「──提督は運命を欺くつもりだよ」

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。