艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 鎮守府を襲った空襲より数日が経ち、復旧作業がほぼほぼ完了した頃。鎮守府は正常に普段の日常を取り戻していた。各施設が稼働し、外部からの電力供給も再開され、座学教室もまた開かれている。次期作戦の準備が着々と進められている事以外、いつも通りの鎮守府の風景がそこにはあった。

 

 駆逐艦 吹雪が行う早朝の走り込みもその一端。けれど『改になれ』と命じられた彼女は、いつにも増して気合いが入っていた。それは空回り気味ではあったが、錬度を上げる事以外、具体的な改装条件がない上に、どこまで錬度を上げれば改装を受けられるようになるのかもわからない状況では、それも致し方ない事だった。

 

 不確かな見通しに焦りを感じながらも、吹雪はひたすらに努力を積む。走り込みもその一つである。

 

「あれ?」

 

 ふと誰かを見つけた。

 グラウンドの隅で微動だにしないまま直立している。奇妙な光景だった。

 

 だからだろうか、吹雪の足は引き寄せられるようにその人物へと向かっていた。

 

 近付いて見て、それが誰だか判別できた。見覚えのある黒い制服は、やはり白露型のもの。ただ、白露や村雨のものとはその細部が異なっていたが、吹雪には差がわからなかった。

 

 駆逐艦 時雨。吹雪がよく知る駆逐艦 夕立の二つ上の姉に該当する艦娘だった。

 

 直接的な面識はない。話を聞く事はあったが、言葉を交わした事はない。友達の友達。それくらいの関係性。故に、これが初対面と言って差し支えはなかった。

 

 彼女は目を瞑って、全く動かないまま直立している。ただ立っている。意図はわからなかったが、何かの鍛錬かとは思った。仙人のように瞑想しているのかもしれない。そういう精神的な修行が効果があるのか、吹雪にはわからなかったが、相手は改二になったという艦娘。夕立のように、どこか普通とは違う子なんだと、漠然とした印象を受けた。

 

 改二になった艦娘。それに気付いた吹雪は、彼女に聞けば何かアドバイスが貰えるかもしれないと、淡い期待を抱いて時雨へと更に近付いていった。

 

 間近に迫って様子を窺う。黒い髪を一つの三つ編みに纏めて肩に流した少女。その佇まいは静かでありながら、確かな存在感を与える。華やかな夕立とはまた異なる存在感。動に対する静。剛に対する柔。穏やかな湖面のように揺るがない彼女は、本当に自分と同じ年代の駆逐艦なのかと疑いたくなるほど、透明だった。

 

「おはよう、吹雪。僕に何か用かな?」

 

「うわあっ!?」

 

 微動だにしなかった時雨が突如話しかけてきて驚いた吹雪は、足がもつれてその場に尻もちをついた。そんな吹雪に、時雨は手を差し伸べる。

 

「ごめん、驚かせちゃったね。大丈夫?」

 

「あ、はい。だいじょうぶです」

 

 半ば放心しながら時雨の手を掴み、吹雪は立ち上がる。その間も時雨は足を動かさないままだった。

 

「え、えっと、あの、はじめまして時雨……さん。妹の夕立ちゃんにはいろいろお世話になっております」

 

「はい、初めまして。そんなかしこまらなくてもいいよ。歳もそんなに変わらないだろうし、好きに呼んでもらって構わないからさ」

 

「そうですか──じゃなくて、そうだね。よろしくね、時雨ちゃん」

 

「うん、よろしく」

 

 二人はそんなぎこちない挨拶を交わす。

 

「それで時雨ちゃんはこんなところで何をしていたの?」

 

「ん? バランス感覚を養う鍛錬だけど、キミはした事ないかな? ほら、こうしてボールの上に立つやつなんだけど」

 

「えっ!?」

 

 時雨が自分の足元を指差す。言われて見れば、時雨の足は僅かに地面から浮いていた。その間には握り拳ほどのボールが挟まっており、上手くバランスを取らねばとても立ってなどいられない状況であった。

 

 その鍛錬には吹雪も覚えがある。以前、まだこの鎮守府に来て間もない頃、軽巡洋艦 川内の指導でやった事のある体幹強化のトレーニング。時雨が行っていたのはそれだった。ただ一つ自分と異なっていたのは、その習熟度。言われるまでまったく気付かないほど、彼女は自然に立っていた。

 

「わわっ、ぜんぜん気付かなかった。ただ立っているだけと思ってたよ。わたしもやった事あるけど、こんな綺麗に立てた事ない。すごいなぁ。いつからやっているの?」

 

「昨晩からだよ」

 

「──は?」

 

 訳のわからない事を時雨は言っていた。

 

「それは、昨日の夜からずっとここでボールの上に立っていたってこと?」

 

「うん、そうだよ」

 

「……疲れたり、眠くならないの?」

 

「平気だよ。キミが近付いてくるまで眠っていたからね」

 

「──は?」

 

 またもや訳のわからない事を時雨は言っていた。

 

「ボールに乗ったまま眠っていたの?」

 

「勿論。これは基礎中の基礎だからね。海上という不安定な足場で戦う僕等にとって全ての行動の土台となる技術だ。ボールの上に立てて当たり前。無意識下でも立てるようになって、ようやく一人前だよ」

 

「────」

 

 絶句。ボールに立てれば一人前だと思い、あれ以降してこなかったが、その実、自分はまだ入り口に立っただけと知り、吹雪は言葉を失った。

 

「吹雪は輸送任務や海上護衛ってした事ある?」

 

 ふるふると吹雪は首を横に振った。

 

「そういう任務で長期遠征とかするようになると、海上で睡眠をとる事も多くなるから、余裕があれば練習しておくといいよ。僕等の仕事はただ敵と戦う事だけじゃない。守る事。誰かの安全を確保する事もまた駆逐艦の仕事だよ」

 

 鍛錬を怠っていた事を責めるでもなく、時雨は助言としてその言葉を贈った。吹雪は素直に頷いた。

 

「それでキミは走り込みかい?」

 

「う、うん。改にならないといけないから」

 

「そっか。でも、あまり気負い過ぎない方がいいよ。焦っても結果はついてこないからさ」

 

「…………」

 

「吹雪?」

 

 突然黙り込んだ吹雪を時雨は心配そうに覗き込む。

 

「あ、あのっ!」

 

「ん?」

 

「何をすれば改になれる一番の近道なのかな!?」

 

 吹雪は気合いを込めて問い掛けた。そこには必死さが滲み出ている。故に時雨は苦笑した。気負い過ぎない方がいいと言った途端にこれでは、困った笑いも零れるというものだった。

 

 しかし、それだけ真剣だという事だろう。そのひたむきさだけは十分に伝わった。それに──

 

「いいよ。少し話をしようか。僕も一度、キミと話をしてみたかったんだ」

 

 

  -◆-

 

 

 ボールから降りて、時雨はグラウンドの周囲を囲んでいる土手に腰を下ろす。朝の芝生はひんやりと冷たく心地良いものだった。それに吹雪が続き、時雨の隣に座り込む。

 

 吹雪がひんやりとする感覚に身震いするのを、時雨は鋭い視線で見つめた。

 

「…………」

 

 時雨は自分のやるべき事を自覚し、提督の思惑をも理解している。指針は既に定まった。後は次期作戦を待つのみなのだが、唯一懸念しなければならない事柄が存在する。

 

 ──『駆逐艦 吹雪が運命を変える鍵』。提督はその言葉を残した。それを端から疑っている訳ではない。運命に対して何かしらの特異性を有する提督が最も重要視している要素なのだから、それが嘘偽りであるとは思えない。

 

 しかし……だ。駆逐艦 吹雪はどこをどう見ても普通の艦娘。特型駆逐艦ならば他にもいるし、彼女の代替になる者はそれこそ数知れない。『運命を変えるのは必ずしも特別な存在ではない』とも提督は述べていたが、特別でないモノの方がこの世界には多い。希少であるからこその特別のはずだ。ではなぜ、ありふれた普通の中で駆逐艦 吹雪が選ばれたのか。その理由は一体何なのか。提督は彼女に何を見出したのか。彼女は自分達の運命を託すに値するのか。

 

 それを見定めなければならない。場合によっては提督の期待を反故にしてでも、時雨は自分の信じる道をゆくつもりだった。

 

 価値を測るような視線を向けられながらも、それに気付かぬ吹雪は強くなる為のアドバイスが貰えると、上機嫌な様子で時雨に接する。

 

「吹雪、キミは自分が特別だと思うかい?」

 

「えっ? まさか、そんなこと思った事もないよ。わたしは性能も良くないし、技量もそんな上手くないから」

 

 自覚はなし……いや、彼女にしてみれば正しい認識か。提督が特別視しているだけで、本人も認めているように彼女が特別な訳ではない。口ぶりからして内に秘める何かがある訳でもなさそうだ。なにより彼女は人を騙せるほど器用に嘘を吐けるタイプではないだろう。──そう時雨は判断する。

 

「それよりも時雨ちゃん、どうすれば改になれるか教えてほしいな」

 

 意図が掴めない事を言う時雨に、吹雪は助言を催促する。そんな彼女に時雨は嘆息を吐いた。

 

「吹雪、さっきも言ったけど、焦った所で良い事なんて何もないよ。力なんて後からついてくるものなんだから」

 

「でも、頑張らないと。わたし、要領悪いから、人一倍頑張らないと強くなんてなれない」

 

 自分が凡人であるのは自覚している。特別な才能なんてない。だからこそ誰よりも努力しなければならない。この鎮守府に配属して自身の未熟さを痛感した吹雪にとって、努力は唯一の進む道。努力したから、ここまで来れた。がむしゃらな努力だけが未熟な自分を変えてくれた。努力こそ、彼女が最も信頼する自分の力。

 

 しかし、その信頼は転じて強迫観念となっていた。努力すれば報われる。これまでもそうだったのだから、これからもきっとそう。だから報われるまで頑張るしかない。『強くなれ』と言われたのならば尚更だ。ひたすらにそれだけを見て、前に、前に、前に。そうやって進んでいくしかない。なかなか報われなくて確かに焦りもあるけれど、それだけしか知らないのだから、それだけを頑張るしかない。

 

 努力をする。努力をする。努力をする。

 先人の話を聞いて、教えを請うて、努力する。──吹雪の頭の中にはそれだけしかなかった。

 

「…………」

 

 そんな吹雪の歩んできた道を知らぬ時雨は冷やかな目で彼女を見つめた。

 時雨はなんでもそつなくこなす。要領良く物事を吸収し、努力を人より必要としないで、その倍以上努力した者よりも優れていた。彼女自身、自分が他者より優れているという自覚はあるし、自負もある。自惚れではなく、純然たる事実として知っている。だからこそ。自分とは歩んできた道が違い過ぎるからこそ、吹雪の心境が理解できなかった。

 

「急いては事をし損じるよ。今はゆっくり周囲に目を向けて、自分に問い掛け──」

 

「──そんな事言われても、わたしは早く改にならないといけないの!」

 

 吹雪の言葉が強くなる。聞き分けのない物言いに、時雨の視線が険しくなった。

 

「改装して、キミはどうするつもりだい?」

 

「……? どうするもこうするもないでしょ。それは命令されたからで、でも、それだけじゃなくて、わたしはわたしの為にも強くなりたい! もっと強くなりたいの!」

 

 互いの感情が露出する。初対面だろうと関係なかった。

 

「改装すれば確かに性能は向上する。でもね、僕等は人間だ。かつての船じゃない。人の強さって腕っ節で決まるものではないし、強い力をもっていても、それを扱うに足る精神がなければ強さとは呼ばれない。わかるでしょ?」

 

「わからないよ! ……もしかして時雨ちゃん、アドバイスしてくれるつもりはないの? だからそんな意地悪な事を言うの?」

 

「違うよ。強くなるには、まずはそういう事から考えていかないといけない。ただ強い力を得るだけじゃ、強くはなれないって僕は言いたいんだ」

 

「そんなの強くなってから考えるよ!」

 

「それじゃダメだって言ってるんだ!」

 

 交差した視線は、いつしか睨み合いになっていた。

 二人の意見は平行線。ただ強くなりたいと願う吹雪に、ただ強くなるだけではダメだと言う時雨。どちらも頑固に相手の意見を取り入れない。

 

「……もういい。もういいよ」

 

 先に諦めたのは吹雪だった。彼女は自分の求める事を言ってはくれないと断念した。

 

 それは時雨とて同じだった。彼女は自分の言う事を聞き入れてはくれないと失望した。

 

「さようなら」

 

 吹雪は立ち上がり、形だけの会釈をして去っていく。その背中を時雨は複雑な表情で見送った。

 

「……困ったな」

 

 後味が悪い別れ方をしてしまった。

 どちらが正しくて、どちらが悪かったのか。その判断はできない。自分は正しいと思った事を言ったつもりだが、彼女にしてみれば気分の悪い事だったのかも知れない。

 

 提督が重要視する艦娘。ただ強いだけなら他にいくらでもいる。ましてや駆逐艦の強さなど限界がある。故に提督が彼女に求めているものは駆逐艦としての強さではなく、人間としての強さのはずだ。周囲に影響を与える人としての在り方のはずだ。だからこそ時雨はただ強くなるだけではいけないと諭したが、こうなってしまった以上、それが正しかったのかわからなくなった。

 

「僕の言葉が適切だったかはともかく……、このままじゃ彼女を信用する事は出来ない」

 

 今のやり取りだけでは彼女を見定める事は出来ないが、しかし、現在の印象で語れば『駆逐艦 吹雪』は自分達の運命を託すには値しない。

 

「いや、まだ時間はある。様子を見よう」

 

 高く昇り始めた朝日を眩しそうに見上げながら、時雨もまたその場を去った。

 

 


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