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「ああ……、あなたがわたし達を護衛するっていう駆逐艦なのね」
扶桑型戦艦二番艦──『山城』は極めて興味なさそうに呟いた。
「うん。もう一人、満潮って子もいるんだ。少し口が悪いけど、とても素敵な子だよ」
白露型駆逐艦二番艦──『時雨』は山城の隣に座り込んで、彼女の興味の薄さなどまるで気にせず笑顔を浮かべていた。
「そういえば山城はどうしてこんなところにいたんだい? 扶桑は工廠で改修作業をしていたけれど、山城はしなくていいのかい?」
「……わたしと姉様の改装内容は違うもの。わたしは機関周りで、姉様は砲塔関連。姉様の作業は難航してるけど、わたしの場合、後は慣らし運転するだけで改装終了だから……」
「へえ、山城は扶桑の事を姉様って呼ぶんだね。うん、とても似合う響きだ」
「ええ、それはまぁ……」
「あ、僕の事は好きに呼んでもらって構わないよ。呼び捨てでも、愛称でも、なんでもいいからね」
「ち、近い……!」
次々と言葉を投げ掛けながらにじり寄ってくる時雨に気圧された山城は身体を反対側に傾かせて距離を取るが、時雨も身体を傾かせてその距離をずいっと埋める。逃げられぬ事を悟った山城は両手で壁を作って、時雨を押し出した。
「近い、近いからちょっと距離を頂戴!」
「ああ、ごめん。少し近過ぎたね、離れるよ」
そう言って時雨は二センチほど山城から距離を取る。離れるとは何だったのか──と山城は心底思ったが、それでニコニコしている時雨に対して「もっと離れろ」とは言い出せず、誠に遺憾ながら相手の体温すら感じられるこの僅か二センチメートルの距離感を我慢する事にした。
「それで? 山城はどうしてこんなところで鼻歌を歌っていたのかな?」
「別に……他にする事がなかったから退屈しのぎに海を見に来ただけよ。鼻歌は、その、気分で……」
「ああ、他に誰もいないって思うとなんだか独り言とか多くなるよね。わかるわかる」
「……くっ」
こんな変な奴に絡まれるくらいなら、テンションあがってきたからって鼻歌なんか歌わなければよかった。そもそも海なんかを見に来たのが間違いだったのよ。部屋で大人しくしてればこんな事には……あぁ、不幸だわ──そう心の中で呟く山城の後悔は尽きない。そんな彼女の心中など知らぬ時雨は、変わらず尽きぬ笑顔を振りまいていた。
「山城は海が好きなんだね」
「……嫌いよ。わたし達はいずれあそこに沈むんだから」
艦娘の墓場は常に海だと山城は言う。時雨もそう思う。けれど──
「大丈夫。山城は沈まないよ」
「なんでよ。……あぁ、わたしが欠陥戦艦だからどうせいつもドックにいて、ろくに戦う事もできないと思ってるのね」
山城はそれをはっきり否定できない自分を歯痒く思う。
「ううん、そうじゃないよ。キミは誰よりも猛々しく戦えるって僕は“知ってる”。でも絶対に沈まない。……僕が守るから。キミも、扶桑も、きっと守るよ」
その歯痒さを時雨の言葉が払拭する。笑みは消え、冷たく感じるほど澄んだ青い瞳で、時雨は山城を見つめた。一変した雰囲気に山城は息を呑む。
「な……なによいきなり……」
「決意表明みたいなものかな。僕の魂に対する、ね」
「……あなた、よくわからないわ。気味が悪いくらい」
「キミにそう言われると流石に傷付くな」
そう言って時雨は困った様な笑みを浮かべる。一変した雰囲気は消えて元に戻った。
「それはそうと、山城は本当に海が嫌いなのかい?」
「何よ、文句あるの?」
「いいや……。ただ鼻歌を歌いながら海を眺めてたさっきのキミは、そうは見えなかったからさ。楽しそうでもなかったけど、満更でもなさそうだった」
「……見透かしたような事を言うのね、あなた」
少しは遠慮してほしいものだわ──と山城は目を伏せる。時雨はそんな山城の顔を覗きこむ。
「聞かせて欲しいな。キミの本当の気持ちを」
「…………」
赤と青の瞳が交わる。赤は不愉快そうに歪んで、青はどこまでも澄み切っていた。その青の綺麗さが赤の苛立ちを増幅させる。いい加減、我慢の限界だった。
「──馴れ馴れしいのよ! わたしの心に踏み込まないで!」
溜まった言葉、押し止めていた言葉を吐き出して、山城は時雨の視線から顔を背ける。途端に押し寄せてくるのは罪悪感。自分より小さく幼い少女に怒鳴ってしまったという言い得ぬ罪悪感が胸に圧し掛かった。
でも、この子が悪い。初対面のくせに馴れ馴れしく、他人の距離に入ってくるこの子が悪いのよ。わたしの反応は至って普通。おかしいのはこの子なんだから、わたしが気にする必要はない。ないはず……なのに……──そう山城がどれだけ自分を正当化しても、なぜだか罪悪感は拭えなかった。
「うん、そうだね。ごめん。少し浮かれていたみたいだ」
時雨は山城から視線を外して、空を眺める。夜空には八割ほどの月が、淡く夜を照らしていた。
「月が綺麗だね」
「……そうかもね」
その呟きを最後にしばらく沈黙が続いた。潮騒だけが静寂を破って二人の耳に入っていく。未だ距離が近い二人は互いの体温を感じながら月に照らされる。その中で山城は──この子、早くどっか行かないかしら──と切実に思っていた。居心地の悪さに山城は横目でチラチラと時雨の様子を窺う。……時雨は涙していた。
「ちょっ……え、なんで泣いてるの?」
「えっ?」
言われて気が付いたのか、時雨も驚いた様子で自分の頬に触れた。
「あ……、本当だ。どうしたんだろう、止まらないや」
「ど、怒鳴られたのがそんなにショックだった? あ、いや、あれはわたしだって大人げなかったとは思うけれど、あなただって悪いのよ? 出会って間もない人にあんなズケズケ距離を縮められたら、わたしでなくてもあんまりいい気分はしないって言うか……、あの……、ごめんなさい」
年下を泣かせてしまった事実が山城を饒舌にさせた。
両手を忙しなく動かしながら慌ててなだめようとする山城を見て、時雨は涙を零しながらも、堪らず笑ってしまう。不慣れな事を精一杯している様子が、なんともおかしくて、そして嬉しかった。
「違うよ、山城。これは傷付いたからとか、悲しかったからとか、そういうのじゃなくて……。なんだろう、僕もよくわからないんだけど、嬉し泣きっていうのかな。たぶん、そういうのなんだ」
絶え間なく涙を零し、苦しそうに胸を押さえながら、時雨は声を絞り出す。
「キミとこうして“また”月を眺められた事が嬉しくて、胸のずっと奥にある心が泣いているんだ。……だから、安心して。キミが気に病む事は何一つないから」
それだけを言うと、時雨は自分の胸を抱くように嗚咽する。肩を震わせて、強く瞳を瞑って、魂の激情をひたすらに受け止める。溢れ出た想いは涙となって頬を伝った。
「えっ、え、ちょっと……」
時雨がなぜ泣くのか、そして何を言っているのかも山城にはわからなかったけれど、何かをしてあげなければと直感的に思った。混乱する頭でどうすべきかを考える。否、考えるよりも先に、行き場に迷っていた彼女の両手が時雨の身体を掴んでいた。咄嗟に抱き締めていた自分に驚き、離れようとしたが、しかし、それは叶わない。
触れ合った体温が心に伝わる。胸の奥、自分の骨子とも言える大事な部位。その心が山城に訴えた。──“今はただ抱きとめてあげなさい”──と。
「な、なんなのよ……、もうっ──」
山城は離れかけた両腕を、再び時雨の身体に寄せる。
なぜそうしようと思ったのかはわからない。けれど、どうしようもなくその訴えが正しく思えた。