艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 戦艦群を突破した満潮は、先行していた陽動部隊と合流した。彼女達は満潮を見つけるや否や安堵する。

 

「無事だったようだな。なによりだ」

 

「球磨達も加勢したかったけど、満潮と敵が近過ぎて砲撃出来なかったクマ。申し訳ないクマ」

 

「気にしないで。それを承知で私も飛び込んだから」

 

 満潮は隊列の横を並走する。那智達と言葉を交わしながら、目だけは周囲を警戒していた。そんな彼女を、バツが悪そうな表情で暁は見つめた。

 

「……満潮は怖くなかったの?」

 

 そして問う。

 戦艦の群れに一人で突撃して怖くなかったのかと。

 

 戦艦の砲撃を近くに感じて暁は恐怖した。それは彼女が自称する“一人前のレディ”として相応しくない行為。だが、満潮はその恐怖を前にして果敢に挑んだ。自分と同じ低身長を気にする駆逐艦の艦娘が、だ。

 

 自身との差を認識して、暁はその疑問を投げ掛ける。満潮は暁を一瞬だけ見て、真っ直ぐに前を向く。

 

「怖いわよ。一瞬の油断や、たった一度の判断ミスで命を落とす場所で戦っているんだもの。そりゃ怖いわ。でも、やらなきゃいけない事があるから私はやるの」

 

「やらなきゃいけない事?」

 

「そう。アンタ達を無事に棲地MIまで辿り着かせる。それが今の私のやらなきゃいけない事よ」

 

「それって、誰かに命令されたから?」

 

「違うわ。この状況下で判断して、自分で決断したの。私はそれが正しいと思ったから。そうしなきゃって思ったから。だから、怖くてもやるのよ」

 

 口元に笑みを浮かべて満潮は言った。

 やるべき事。やらなければいけない事。それを自分で考えて、自分で定めれば、恐怖を感じても足が止まる事はない。止めている暇はない。人は結局として、自分の決断を貫く事でしか前に進めないのだから。

 

 満潮の言葉を聞き、満潮の表情を見て、暁は感嘆の息を漏らす。

 

「……初めて満潮がお姉さんに見えたわ」

 

「失礼なやつね。私は少なくともアンタ達第六駆逐隊よりかは年上よ。──……というわけで安心しなさい。アンタ達は私が守ってあげるから」

 

 連装砲の次弾を装填して満潮は前に出る。先頭の那智と肩を並べて海の先を睨んだ。

 

「満潮、どうした?」

 

「どうも今日の私は冴え渡ってるみたいでね。何か嫌な気配を感じるのよ。────ほら、索敵機も何かを見つけたみたいよ」

 

 言われてから那智は前方を哨戒している龍驤の艦載機を見た。『敵影見ゆ』と発光信号でこちらに警戒を促している。 

 

「総員警戒!」

 

 那智は警告に従い、すぐさま警戒態勢を発する。その途端、彼方より砲弾が飛来した。艦隊の前方に着水した複数の砲弾は、水の壁を作るように高い水柱を打ち上げた。

 

「撃ってきたか。こちらの所在は知られているな。加えて視認距離外からの砲撃となれば、相手はまたしても戦艦か」

 

「今のが一斉射だったら数はそんな多くないクマ。三隻か四隻。少なくともさっきの戦艦群よりずっと少ないクマ」

 

「ちょっとだけ影が見えるにゃ。数は、多分三つ」

 

 目を細めて多摩が報告する。他の面々には確認出来ないが、先の一戦で多摩の視力の良さは信頼されていた為、那智はその報告を確かなものとして聞き入れた。

 

「戦艦級が三か。八人で戦えば撃破出来なくもないな。……よし、全員魚雷を準備しろ! 統制魚雷戦を用いて正面海域を突破する!」

 

「──待って」

 

 満潮は号令を遮って、那智に視線を移す。「どうした?」と那智は問うた。

 

「アンタ達が力を尽くすべき場所はここじゃないわ。棲地MIに着くまで魚雷は温存しておきなさい。次発装填が間に合うのは那智だけなんだから」

 

 改装によって次発装填装置を搭載している那智を除き、古い艦であるが故に軽巡 球磨・多摩と第六駆逐隊は魚雷を一度撃ち切れば装填に多くの時間を有する。少なくとも棲地MIへ到着するまでには間に合わない。

 

 満潮の言葉を聞いて、那智は思案する。

 

「確かに我々は余力を残して棲地MIに辿り着かねばならない。そこでの戦いが本番であるのなら尚更だな。だったら、お前はこの状況をどう切り抜けるつもりなんだ? 先程よりか数が少ないとはいえ、正面から戦艦と撃ち合うのは自殺行為だぞ」

 

「私が囮になるわ」

 

「なに?」

 

「この状況で消耗していい戦力は棲地MIに行く必要のない私だけよ。私が敵を引き付けるから、アンタ達は攻撃しつつ離脱して」

 

「貴様、死ぬ気か?」

 

「まさか。アンタ達が離脱したら、私も反転して時雨達のところまで逃げ帰るわ。それまでの時間稼ぎをするって言ってんのよ」

 

 その物言いに那智は小さく笑いを零す。

 

「肝の据わった奴だ。気に入った。──だが間違えるなよ。この艦隊の旗艦は私だ。貴様の提案も加味するが、私の指示には従ってもらう。いいな?」

 

「……その指示に不満がなければね」

 

「なに、貴様の献身を無下にはしないさ」

 

 浮かべた笑みを隠して、那智は再度指示を告げる。

 

「球磨と多摩は第六駆逐隊を連れて左手より攻撃を仕掛けろ。魚雷は使わず、砲撃だけを許可する。貴様達はあくまで牽制だ。有効打は望まん。だから無茶はせず、常に回避を怠るな。──球磨、現場の指揮は貴様に任せる。雷撃はなくとも水雷魂を見せてみろ」

 

「了解だクマ。期待には応えるクマよ」

 

「満潮は右手より敵に接近し、可能な限りの攻撃と撹乱を行え。私はその後に続き、隙を見て三基十二門の魚雷を叩き込む」

 

「牽制、撹乱から本命を撃ち込むってわけね。魚雷を撃つのが那智だけならMI到着までに再装填も間に合うし、上手くいけば余力も残せる」

 

「そうだ。貴様の提案は手っ取り早く安易だが、貴様の負担が大き過ぎる上に、貴様がしくじった時の危険も大きい」

 

「私はしくじらないわよ」

 

「さて、どうだかな。ともあれ私は離脱中に背中を撃たれたくはない。なので貴様が撹乱してくれるというのなら、攻勢に出た方が良いと判断した。依然として貴様の負担は大きいが、やってくれるな?」

 

「ふん、いいわ。どちらにしろ私がやる事は一つだもの」

 

「ならば決定だ。──各々配置に付け。そろそろ第二射が飛んでくるぞ」

 

 陽動部隊は満潮・那智の遊撃隊と水雷戦隊に分かれ、左右に位置する。敵の砲撃が周囲に着弾したが、今更その程度で怖気づく艦娘はいなかった。 

 

 左右に位置したまま彼女達は進行する。まだ別行動はしない。敵の姿を捉えるまで攻撃を引き付ける。──そして深海棲艦の姿を観測した。

 

 最初に視認したのはやはり多摩だったが、すぐに他の艦娘達もその姿を認める。数は三。ル級が二隻に、タ級が一隻。先程の大戦力と比較すれば、大した事のない小規模戦力。だが、その異変に誰もが気付いた。

 

 ル級に変化はないが、タ級は違う。先程見たタ級とは何かが違う。姿かたちに変化がある訳ではなく、その身にまとわりつく雰囲気が異なっていた。それを艦娘達は赤いオーラとして認識する。深海棲艦の強化個体。それはエリート体と呼称されるものだった。

 

「タ級のエリート個体か。厄介な奴が出てきたな。──全員、あの個体には特別気をつけろ! 錬度がまるで違うぞ!」

 

 那智が注意を呼び掛ける。

 通常個体に比べ、強化個体は命中率を含めた能力が軒並み上昇している。特に一撃必殺の力を持つ戦艦がそうであるとなれば警戒を厳としなければならない。

 

「那智」

 

「なんだ満潮」

 

 不意に満潮が那智に呟く。

 

「たぶん、アレで最後よ」

 

「何がだ?」

 

「アンタ達の行く手を邪魔する為に用意された戦力がよ」

 

「なぜわかる」

 

「なんとなく。でも、勝負を決めにきた気がしない?」

 

「まあ、エリートを投入してきたという事はそういう事なのかもしれんな。だが、油断はするなよ」

 

「わかってるわ。ただ、そう思うから私はここで全力を出し切るつもりよ。全力でアンタ達を守り抜くから、アンタ達は絶対に棲地MIに辿り着いて」

 

 そう言う満潮の背を、後ろから続く那智は見つめる。小さな背中。多くのモノを背負うにはまだまだ未成熟な小さな背中だ。けれど、既にその背は多くのモノを背負っているように那智には見えた。

 

「なぁ満潮。貴様はなぜそこまでして私達を守ろうとする。単なる使命感からだけではないな。……もし、守れなかった者への贖罪の為にそうしているのならやめておけ。その生き方は危ういぞ」

 

 MO作戦にて沈没した祥鳳。その彼女と同じ艦隊で満潮が戦っていたのを那智は聞き及んでいた。故に僚艦を守る事に固執するのは守れなかった祥鳳への贖いではないのかと那智は指摘する。

 

 そんな自分の事を案じた那智の言葉に、満潮は笑みを漏らした。

 

「そうね。確かに守れなかった人達の事を想うと、ひたすらに悔しい。けど、それを理由に誰かを守ろうとは思わないわ。だって、それは代わりを求めているって事だもの。守れなかった人の代わりに誰かを守ろうだなんて、ただ自分が楽になりたいだけじゃない。そういう考え方は格好悪いから好きじゃないわ」

 

 だから私が仲間を守ろうと思う理由は──と、満潮は振り返る。

 

「──大馬鹿だからよ。戦いの中で誰かが死ぬのを仕方ない事だと思えない、そういう馬鹿な性分だったから、こういう生き方しかできなかったの」

 

 困ったように笑いながら満潮は言った。その笑顔には自嘲と、そして少しの誇りがあった。

 

「そうか。最初からお前はそういう人間だったのだな」

 

 言葉と笑顔を受けて那智は納得する。

 自分を曲げられない不器用な人間がいる。その事を那智は知っていた。何を隠そう、彼女もまたそちらの人種だったのだから。

 

 故に理解した。満潮という人間を理解した。

 

「貴様とは将来いい酒を飲めそうだ。だから死ぬなよ」

 

「死なないわ。死んだら誰も守れないじゃない」

 

「ああ、その通りだ。──さて、そろそろ無駄口をしている余裕はないな」

 

 既に敵を視界に捉え、敵の砲撃音ははっきりと耳に届く。ここまで近付いた以上、気を抜く事は許されない。

 

 二人の切り替えは早く、笑みを消した眼光は揺るぎなく敵である深海棲艦に注がれる。満潮は徐々に速度を上げていき、艦隊の最前に出た瞬間、那智は合図を発した。

 

「各隊、散開!」

 

 球磨率いる水雷戦隊が左に、満潮と那智の遊撃隊が右に展開。そうして中射程の巡洋艦達は砲撃を開始した。射程の短い駆逐艦はまだ敵に届かない為、回避に専念する。その中で満潮は敵へと突進していく。その速力は極めて早い。機関部を限界稼働させた過負荷全力。長くは続かない全力疾走を以て、彼女は誰よりも早く敵へと喰らい付こうとする。

 

 その接近を見逃す訳もなく、深海棲艦は真っ先に満潮を標的として認識した。

 

「──ッ!」

 

 敵の砲撃が降り注ぐ。那智達の砲撃によって定まらない狙いであったが、戦艦三隻からなるまとまった砲弾はその一帯を叩き潰すように落ちてきた。

 

 命中弾も至近弾もない。だが、周囲に轟く爆音だけで全身が軋みを上げる。伝わった音は骨に響き、左腕が酷く痛んだ。それでも歯を食いしばって満潮は進む。

 

「アイツには出来た。なら──!」

 

 思い出すのは時雨の事。以前、彼女は戦艦二隻の攻撃を避け続け、その眼前にまで迫った。それは卓越した操舵技術と天性の才覚があってこその結果だ。しかし、同じ駆逐艦ならば。ましてや、彼女よりも性能面で恵まれている自分ならば、決して届かぬ領域ではない。なにより──

 

「──私だって負けられない!」

 

 友達とは転じて競い合う相手でもある。

 友に出来て、自分が出来ないとなれば、それは負けた事になる。それを嫌だと満潮は思う。特別負けず嫌いな訳ではないが、叶うなら彼女とは対等でありたいと思うのが本心だ。子供の理屈だが、そもそもとして彼女達は子供。だからこそ、真剣にそう思った。

 

 それを動力に荒く波打った海面を蹴る。行く手を遮る水柱を右へ左へ潜り抜け、敵を射程に収めた。狙いを定めず、感覚に従って砲撃を放つ。満潮の一撃は横一列に並んだ戦艦群、その右翼に位置するル級へと命中した。装甲は抜けず、表面を焼いただけの攻撃だったが、その爆発を目印に那智達の砲撃が集中する。十発撃ち込まれた内、四発が直撃。特に那智の砲弾はル級の装甲を貫通し、明確な被害を与えた。肉体の被害は小破で済んだものの、片腕三基の砲塔を損傷し、ル級は火力の半分を失う結果となった。

 

 敵側の被害を見て、満潮は更に接近していく。

 火砲は少なくなったが、それでも健在艦が二隻存在する為、依然として苛烈な迎撃を受けた。着弾の衝撃で至近弾でなくとも身体が浮く。伝達した振動が骨を震わせる。限界稼働させている機関が燃えるような熱を発する。その全てに堪えながら満潮は砲撃の恐怖と対峙した。

 

 彼女の表情は必死。時雨のように涼しい顔で命は賭けられない。当然ながら死にたくはない。でも逃げたくもない。だから戦う。恐怖と闘う。恐怖を恐怖として認識したまま、その身体は自由に動く。踊るように軽やかではない。美しく流麗な動きではない。それでも砲撃には避け続ける。可能な限り最小限の動きで。出来得る限り速度を殺さぬように。囮として進み続ける。余裕など一切存在しなかったが、満潮はその役目を果たしていた。

 

 攻撃が満潮に集中する分、それ以外の艦娘達の行動は確約される。満潮に一歩遅れる形で敵を射程圏に捉えた第六駆逐隊も砲撃戦に加わった事で陽動部隊側の砲撃はより激しさを増し、一つ一つの威力は低くとも、それを補うだけの物量が戦艦達を襲った。

 

「■■■■……!」

 

 小から中口径の砲弾が雨のように飛来し、深海棲艦は苦悶の息を漏らす。装甲を貫通するものは少ないが、その一撃一撃が僅かずつ身体を削り取っていく。涓滴岩を穿つが如く、絶え間なき攻撃は頑強な戦艦に着実なダメージを与えていた。

 

 その助けもあって、満潮は敵の砲撃をやり過ごしていった。互いが互いを助け合い、そして彼女は敵の懐に潜り込んだ。右翼のル級、その更に右から回り込み、中央に位置するタ級の射線を塞いだ上でル級と対する。

 

 急速旋回で回り込んだ満潮は速度を落とさないままにル級の眼前へと迫る。ル級は砲塔を動かし、照準に捉えようとするも、あまりに接近され過ぎた今、満潮の動きを捉える事は出来なかった。

 

 狙いが定まらず砲撃のままならないル級の正面を満潮は滑り抜ける。その通りすがりに顔面へと砲撃を叩き込んだ。ル級の右半面が炎上し、視界の半分を奪う。奪った視界の死角へ回り込み、今度は左側──即ち中央に立つタ級に背を向ける形で、ル級に相対した。

 

 視認能力に損傷を抱えたル級は海に残った軌跡を追い、満潮の姿を捉える。彼女は移動をやめ、砲塔を構えたまま静止していた。満潮の砲撃が放たれ、ル級の身体に炸裂する。既に多くの砲弾を受けていたル級にとって侮れない近距離からの一撃。今すぐどうにかなるものではなかったが、何度も受けてはいられない。そこからの判断は早く、ル級は残された片腕三基の砲塔を満潮に向けた。

 

 それはタ級も同様だった。無防備な背中を見せた満潮へと砲塔を向け、即発射しようとしたところで赤い眼のタ級は観測する。このまま砲撃を撃ち放てば、確実に目の前の標的は葬れるだろう。しかし、タ級の射線上にはル級も存在している。撃てば味方であるル級にも被害が及ぶ事は一見しただけで明らかだった。故に絶好の機会ではあったが、合理的な判断基準の下でタ級は砲撃を中断する。駆逐艦一人の為に戦艦を失うのは等価ではない。情愛などではなく損得勘定でタ級はその行動を機械的に選択した。

 

 その判断基準はル級とて同じ。射線上に味方が居れば、深海棲艦はおよそ攻撃をする事はない。そのリスクに見合う価値がない限りは無暗に味方を撃ちはしない。──だが、ル級は砲撃態勢を取った。中断する気配はなく、眼前の満潮へと砲口を突き付ける。狙いは付けなかった。この近距離ならば当たる確率は高く、照準を定めている間に回避の準備をされては機会を逃す事になる。機械的な判断の下、ル級は砲撃を放つ。その射線上に味方がいる事を知らずに──。

 

 視界不良のル級には満潮の後方に位置するタ級の姿が見えていなかった。赤が滲む狭まった視界に映るのは眼前の満潮のみ。加えて満潮を即急に対処しなければならないという判断が攻撃を急がせた。それ故の失態。そして、その失態を満潮は待っていた。

 

「──今ッ!」

 

 ル級の砲撃が火を噴く直前、満潮は海面にへばりついた。傍から見ればいきなり土下座したかのような動きだったが、次の瞬間にはその頭上を砲弾が通過していく。満潮の上を通り過ぎた砲弾はその後ろにいたタ級へと迫った。しかし、ル級の砲撃を事前に察知していたタ級は辛うじて回避行動を取っていた。放たれた六つの砲弾の内、二発が避け切れずに命中し、致命傷ではないものの左半身に大きな損害を被った。

 

「甘いわね」

 

 顔を海面すれすれに近付けた満潮が呟く。

 タ級が回避した残り四つの砲弾は、更に後方へ位置していたもう一隻のル級に到達する。そのル級は球磨率いる水雷戦隊の砲撃を受けており、味方の砲撃が自身に迫っている事すら気付けなかった。当然、それは命中した。戦艦砲が三発直撃し、一発は至近弾となる。無防備な側面を穿たれ、傾斜していく身体に、球磨達の追撃が襲い掛かる。損傷した箇所を徹底的に叩かれたそのル級は二度と起き上がる事はなく、そのまま海底に沈んでいった。

 

 横一列に並んでいた深海棲艦の隊形を利用した満潮の奇策は成功する。敵の砲撃を受けながらも、持ち前の視野の広さを以て敵を観察し、それにより導いた策謀を即実行する決断力と度胸。それこそが満潮の才覚にして最大の武器だった。

 

「那智!」

 

「十分過ぎる働きだ! 後は任せてもらおう!」

 

 満潮の後ろを追っていた那智が敵に肉薄する。満潮を狙っていた敵の意識の外から近付き、まずはル級に腰の四連装酸素魚雷を発射。回避が間に合わない距離で撃ち込まれた魚雷は損傷したル級の身体に吸い込まれ、四発全てが命中する。味方を誤射した事を結局知らないままに、ル級は魚雷の爆発に焼かれて轟沈した。

 

 ル級の撃沈を目の前で確認した満潮は上体を起き上げ、こちらに向かってきた那智の手を借りて迅速に立ち上がる。そのまま二人は最後の一体となったタ級にトドメを刺しに行く。誤射を受けたとはいえ、タ級の艤装はまだ動いた。損傷は間違いなくタ級の生命を脅かしていたが、絶命にはまだ遠い。だからこそ確実な撃破を二人は急いだ。

 

 球磨達の砲撃がタ級の行動を阻害している。砲撃は繰り返していたが、その狙いはお粗末だ。当たる事はない。それを好機に満潮は連装砲で牽制しながら那智を雷撃位置まで護衛した。タ級の正面。逃げる事の出来ない距離。そこに達した時、那智は両足に装着した四連装酸素魚雷二基を全て発射する。

 

 八射線の雷撃が狭い間隔で直進し、砲撃によって動きのとれないタ級に忍び寄り、まもなく直撃した。炸薬が弾け、巨大な爆炎と轟音を発散させながらタ級の身体を砕いていく。爆発がタ級を破壊し尽くすまで時間はあまり掛からなかった。僅かな時間の後、その場に残ったのは亡骸だけ。残骸とも呼べる人の形を崩した残留物のみだった。

 

「やったか」

 

 それを確認した全員は安堵の息を吐く。戦艦と戦ったのだ。緊張は勿論、重圧も並ではない。それから解放されたとなれば安心を覚えるのは当然の事である。

 

「目標は撃破した。皆、よくやった。球磨も突然の指揮だっただろうが、よく果たしてくれたな。感謝する」

 

「ふっふっふ~、意外に優秀な球磨ちゃんって、よく言われるクマ」

 

 役目を見事果たした各々がそれぞれを讃え合う。自分達の勝利に第六駆逐隊の面々も年相応の穏やかな笑顔を浮かべていた。その光景を一歩引いた場所で眺めていた満潮は、彼女達を守り切った事に対する充足感を覚える。皆で笑い合える結末を彼女はいつだって希求してきた。まだ全てが終わった訳ではないとはいえ、その一つを達成できた気がした。

 

「……よかった」

 

 小さな呟きは誰にも聞こえる事無く、ただ満潮の耳にだけ僅かな余韻を残して消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──待って。アレは……なに?」

 

 勝利の残響を掻き消して、響の声が周囲にこだまする。戦闘中でも冷静を欠かなかった彼女だが、その声には明確な戸惑いが混じっている。それはまるで信じられないものを見たかのような、そんな未知に対する恐怖を語っているようだった。

 

 尋常でない響の反応に、全員が彼女が見つめる方向を見る。そして、ほぼ全員が同じように固まった。

 

 響が見ていたのはタ級の残骸。いや、それはもう残骸などではない。肉が肉を生み、艤装が艤装を造り出す。まるで植物の成長を早送りで再生しているように、その残骸だったモノは再度生命として産み落とされようとしていた。

 

 今はまだ人体の中身が露出したグロテスクな容貌だったが、それもじきに整形されていくだろう。それほど急激にタ級は元の姿に還ろうとしている。しかし、その再誕を正しく認識できたのはただ一人しかいなかった。それ以外の者達は現実から乖離した光景に目を奪われ、思考するに至っていない。

 

 タ級は真っ先に砲塔を再生させる。

 未だ完成し切らない体であったが、その砲口を敵に向けた。自分を殺した敵──那智へと怨念の一撃を放つ。

 

「那智……!」

 

 その中で唯一行動できたのは満潮だった。これと同じ出来事を彼女は既に経験している。駆逐棲姫もまたタ級と同じように再生し、最大の脅威として立ち塞がった。その光景を目の当たりにしていた彼女だけが、この異常の中で正常を保てていた。

 

 形が歪な砲弾が発射されるのと同時に、満潮は那智を押し倒す。加減などしている余裕がなく、それはほとんど体当たりであったが、体の小さい満潮が長身の那智を動かすにはそのくらい全力で行わなければならなかった。その甲斐もあり、砲弾が那智に命中する事はなく、満潮が背負う艤装に掠める程度の被害で済んだ。

 

 僅かな損傷を受けた満潮は、そんな事など気にする間もなく立ち上がり、全速力でタ級へと突撃する。再生し切る前にもう一度殺す。考えるのはその一点のみだった。

 

 駆逐棲姫は強化されて再生した。仮にタ級もそうであるなら、それだけは阻止しなければならない。そして、それが間に合うのは再び生まれ落ちる前の、この瞬間しかないだろう。最悪、刺し違えてでも時間を稼ぐ覚悟で満潮はタ級を殺しにかかる。

 

 その殺意を感じ取ったのか、タ級もまた狙いを変え、歪んだ砲塔を満潮に向けた。再生した砲塔は二つ。その一つが発射される。放たれた砲弾の軌道は満潮を捉えていた。間合いは近く、回避は間に合わない。刹那、その場の全員が息を呑んだ。──だが、砲弾は突如軌道を逸れて満潮の足元に着弾する。急造されたタ級の砲弾は歪んでおり、その為、軌道が変化したのだ。直撃を免れたのは幸運であったが、しかし、その一撃は至近弾──それもほぼ真下に落ちた。当然として衝撃波と共に巨大な水柱が満潮に襲い掛かる。彼女の軽い身体は浮き上がり、宙に投げ出された。

 

「こんの──ッ!!」

 

 しかし、打ち上げられた水柱の中から満潮は姿を現す。自身と同様に空中へ舞い上がった海水を滑って、更に蹴り上がる。水の上を進む事を許された艦娘だからこそ出来た二段ジャンプ。それにより彼女は前進する勢いを失わないまま、高度五メートルほどの上空からタ級へと接近した。

 

 残された最後の砲塔が満潮を狙う。宙に浮かぶ彼女は今度こそ格好の的だ。彼我の距離は目と鼻の先。先程のように軌道が変化する前に砲弾は満潮の身体を突き破るだろう。

 

 タ級の最後の砲撃が放たれた。

 砲弾は満潮の頭部を目掛けて飛来する。それを確かに満潮は認識した。

 

 自身に迫る凶弾を緩やかになった時間の中で観測する。極度の興奮状態が齎した感覚の延長。脳内麻薬が発揮させる極限の集中力。スローモーションが如き緩慢な世界で、彼女は自らを殺す物体を目撃した。

 

 ──死なない。

 

 左腕が動く。

 

 ──死ぬもんか。

 

 固められた左腕が動く。

 

 ──死んだら誰も守れない。

 

 気付けばその拳を力強く握り締めていた。

 

「オオッ──!!」

 

 眼前に振りかぶった左腕を、右から左へ振り抜く。渾身の裏拳は高速で運動する砲弾の側面を捉え、その進行方向を強引に変更させた。

 

「──リャァッ!!」

 

 そうして砲弾は弾かれる。拳によって軌道を変えさせられ、満潮に命中する事なく、彼女の背後の彼方へと消えていった。それは常人では達成できない一種のデタラメ。一流の戦士だけが成し遂げる芸当。戦艦 金剛が拳で砲弾を払いのけるように。軽巡 天龍が一刀の下に砲弾を切り払うように。満潮もまた、この一瞬だけその領域に足を踏み入れた。この時点ではあくまで極限状態が生んだ偶発的なものだったが、事実として彼女は死の運命を殴り飛ばし、それを成し遂げたのである。

 

 しかし、その代償は左腕の故障だった。高速移動物体を殴り飛ばした際の衝撃は固定していた石膏を完全に崩壊させ、ダメージは内部にまで達している。途端に激痛と腫れあがる熱を感じた。その全てを痛覚が支配し、自分の左腕がちゃんと繋がっているのかも感じ取れない。

 

 それでも構わなかった。今はどうでもよかった。この一撃が届く事だけを満潮は考えた。

 

「うおおっ!!」

 

 少女らしからぬ咆哮と共に、満潮は眼下の戦艦タ級──その赤い両眼へと連装砲の砲身を突っ込んだ。満潮の全体重を乗せた一撃は眼球を突き破り、砲身は頭蓋の内側に達する。同時に未完成の身体は重さに耐え切れず自壊し、一瞬の内に下半身が砕け落ちた。そして上半身へ馬乗りになった満潮は──

 

「くたばりなさい!!」

 

 ──撃った。一度や二度ではない。何度も続けた。頭部が破裂しては再生し、それをまた破壊する。やがて再生速度が衰えを見せ始め、その数が十を超えて、ようやく引き鉄を引く指が止まった。

 

 頭部を完膚無きまでに破壊されたタ級は海に溶け始める。もう再生する余地もない。その肉体が完全に消滅するのを見届けると、満潮は思い出したように息を吸った。気付かぬ間に呼吸をやめていたらしい。

 

「はぁ……っ! はぁ……っ!」

 

 その場にぺたんと座りこんで、肩を上下させるほど荒い呼吸を繰り返す。呆けていた思考は左腕に走る鋭い痛みで覚醒した。

 

「がむしゃら過ぎて、何が何だか覚えてないけど……、でも、やった。倒せた。私も……生きてる」

 

 それを認識して今度こそ本当に安堵の息が零れた。

 

「無事か、満潮!」

 

 壮絶な光景を前にして呆然としていた那智達が一斉に満潮へと駆け寄ってくる。傷だらけの彼女を見て、自ずと心配の言葉が出てきた。数多の心配を寄せられた満潮は、鬱陶しそうに顔を歪める。

 

「見りゃわかんでしょ。無事よ無事。ま、無傷とはいかなかったけど」

 

「まったく無茶をするクマ。もう少しで死ぬとこだったクマよ」

 

「球磨の言う通りにゃ。無茶はダメにゃ」

 

「……だが、その無茶がなければ私は危うかった」

 

 歩み寄った那智が、座りこむ満潮の肩に手を置いた。

 

「ありがとう、満潮。貴様が援護に来てくれなければ、ここまで進めなかっただろう。すっかり助けられてしまった。皆を代表して礼を言う」

 

 そして感謝の言葉を述べる。

 満潮はうつむいて頬を掻いた。

 

「これは全部自分の為よ。アンタ達を慮っての事じゃない。だから、感謝される義理はないし、その必要もないわ。けど──」

 

 口元が緩む。どうも誤魔化しようはないらしい。故に彼女は素直な気持ちを表情にあらわして、心からの笑顔を浮かべた。

 

「──誰かに感謝されるのはやっぱり嬉しいものね」

 

 そう、嬉しいから頑張った。

 誰も傷付かない事が嬉しい。誰も涙しない結末が嬉しい。誰かに感謝される言葉が嬉しい。彼女の理想はその喜びから生じたもの。

 

 駆逐艦 満潮は仲間の為に戦う。それは誰も死んでほしくないから。誰にも涙して欲しくないから。そして誰かに感謝されたいという願望もまた信念の柱になっている。それら全てを含めて彼女の理想だ。無償で戦う者などいない。例え自己満足であろうと、そこに求めるものはある。満潮にとってそれが「ありがとう」という言葉。彼女にとって命を賭けるに値する、あまりにもささやかな望みだった。だからこそ、その理想は尊く、強い。

 

「驚いた。貴様もそんな風に笑うんだな」

 

「失礼ね。嬉しい時は笑うものでしょ」

 

「ああ、そうだな。……立てるか? 手を貸すぞ」

 

 那智の配慮に「いらないわ」と首を振る。けれど一人で立ち上がれる訳でもなかった。

 

「さあ、アンタ達は行きなさい」

 

「貴様を一人置いていく訳には──!」

 

「過負荷全力で動き続けたから機関部が限界でね。暫く休まないとまともに動けもしないのよ。左腕もこんなだし、ね」

 

 脱力した左腕を見せて困ったように笑う。それも一瞬だけの事。すぐに真剣な表情になった。

 

「せっかく手早く済ませたんだから、さっさと棲地MIに行ってもらわなきゃ頑張った甲斐もないわ。だから早く行って。……大丈夫よ。敵は倒したんだし、少し休んだら時雨達のところに戻るわ」

 

 満潮の言う事は那智にだってわかる。

 曳航すれば無理矢理に連れていく事は出来るが、それでは航行速度が制限される。急ぐ身としては得策ではない。だからといって傷付いた仲間を放置して先に進むのは良心が痛む。人としての道徳に従うならば考えるまでもなく手を伸ばす選択をする。だが──

 

「わかった。我々は先を急ごう」

 

 ──那智は決断した。責任ある艦隊の旗艦として作戦の成功を優先する。それに異を唱える者はいない。どちらに利があるかを考えれば当然の選択だった。

 

 その中で暁だけが表情を曇らせる。満潮と言葉を交わし、その戦いを見て、彼女にかすかな憧れを抱いた。満潮の中に自分が目指す格好良い女性の姿を見た気がした。だから、こんな見捨てるような形で別れるのが嫌だった。

 

 それでも感情を理性で押さえ付けて、暁は那智達の後に続く。そんなしょぼくれた背中を満潮は見つけた。

 

「……暁!」

 

 艦隊が離れていく最中、最後尾にいた暁を呼び止める。不意に呼ばれて驚きつつ彼女は振り返った。

 

「私は自分のやらなきゃならない事をやれる限りやったわ! 今度はアンタ達の順番よ! 気合い入れて頑張んなさい!」

 

 その言葉を以て背中を押す。満潮の応援を受けて暁の曇った表情はすぐに晴れた。

 

「そっか、見捨てるんじゃないんだ。満潮は自分の役割を果たして、暁達にバトンを繋いだんだもんね」

 

 満潮の言葉を噛み締めて、暁はその小さな拳を突き上げる。

 

「どーんと任せなさい! 一人前のレディとして、ちゃんと戦って見せるんだから!」

 

 元気のいい返答を聞いて、満潮はくつくつと笑う。そして力の入らない手を振って、棲地MIへ向かう彼女達を見送った。

 

 そう時間もかからずに那智達は見えなくなった。

 広い海に満潮はただ一人残され、視線は自然と上を向く。

 

「私、守れたわよね。今度こそ、ちゃんと守り切れたわよね」

 

 自分が定めたやるべき事を果たせたと思う。きっと那智達は棲地MIに辿り着けるはずだと信じられる。欺瞞はない。満ち足りた達成感が身体に廻っているのだから、自分はやり抜いたのだと本当に思えた。

 

 そう満足しながら空を仰ぐ。

 天気は知らぬ間に曇りへ変わっている。厚い雲が日を遮り、普通の曇天よりもほの暗い。湿気を帯びた風を受けて、雨の予感を感じ取った。

 

「すぐに降り出しそうな訳じゃなさそうだけど、嫌な天気ね」

 

 でも時雨あたりは雨を喜びそう──と、する事のない彼女はただ空を眺める。それがどれだけ続いただろうか。あまり長い時間ではなかったように思うが、しかし、案外あっという間に時間が過ぎていたのかもしれない。どちらにしろ、それに気付いた瞬間、その静寂は消え失せた。

 

「電探に反応──!?」

 

 反射的に立ち上がり、そして膝から崩れ落ちる。

 

「くっ……。至近弾のダメージが抜け切ってないか」

 

 足元に落ち、身体を浮き上がらせたタ級の砲撃は、至近弾とはいえ多大なダメージを満潮の足に残していた。痺れた足は言う事を聞かず、止め処なく膝が笑う。右腕だけで身体を支えて、なんとか海面に立ち上がった。

 

 電探の反応は背後から発せられている。ゆっくりと振り返り、その反応を確認した。

 

「……はぁ」

 

 そして溜め息が漏れた。

 満潮の視線の遥か先には──五隻の深海棲艦が存在していた。それぞれが大きな負傷を抱えており、ほとんどが足を引き摺りながら体液を垂れ流し、中には海の上を這っている個体もいる。深海棲艦はまるでゾンビのように、こちらへ向かってきていた。

 

「追ってこないで、って言ったのに」

 

 それらは満潮が足を撃ち、もしくは交戦して足止めをした戦艦達だった。まともな移動すら困難になったと言うのに、執念深く追って来たらしい。

 

「まぁ、それは私も一緒なんだけどね」

 

 満潮も今はまともに動けない。立ち上がるだけで精一杯。あんな鈍足な連中が相手だとしても逃走するのは難しいだろう。

 

 唯一の武器を確認する。

 右手に握る連装砲はタ級を殺す際、乱暴に扱った為、片方の砲身が中腹で折れ曲がっていて、実質的に単装砲となっていた。

 

「攻撃できるだけ上等か」

 

 強がり混じりにそう言って、やってくる敵を睨みつける。両足は言う事を聞かず、左腕は一切力が入らない。連装砲も、今や単装砲と化した。満身創痍とは正にこの事。それでも彼女は絶望しない。

 

「来なさいよ。……死なば諸共。この際、とことんまで付き合ってあげるわ」

 

 瀕死の戦艦五隻を前にした満身創痍の駆逐艦は、そう言って不敵に笑った。

 

 


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