艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 ソレを最初に目にしたのは隼鷹だった。

 沸騰する水のようにブクブクと泡をあげ、粘着質な飛沫を跳ねる。泥に近いソレは、しかし、肉のようでもあった。何かと思い、目を凝らしてみれば肉の中から金属片が飛び出してくる。おぞましい異形は小さく、脅威は感じられなかったが、背筋に冷たい物が伝うような戦慄を覚えた。

 

 すぐに指摘しようとは思った。けれど、その緊張から言葉が詰まる。少し遅れて意を決した隼鷹は指差して叫んだ。

 

「時雨ッ、アンタの左手……なんかヤバい!!」

 

 龍驤と共にAL諸島に向かおうとする時雨の左手を指して隼鷹は声を荒げた。指摘を受けて、時雨は自分の左手に目を向け──そして驚愕した。

 

「なに、これ」

 

 思わず戸惑いの声が漏れる。

 時雨の左手。正確には身に付けていたグローブから、吐き気を催すほど醜悪な腫瘍が生えていた。気持ちの悪い怪音を発しながら、その腫瘍は呼吸をするように気泡を吐き出す。──その時、不意に目があった。

 

「──っ」

 

 恐怖を感じ、腕を遠ざける。

 目があった。腫瘍の中に目があって、その目と、目が合った。……咄嗟に遠ざけてしまったが、その目には覚えがある事に時雨は気付く。色素の薄い白濁とした瞳。意思を感じさせない無感情の眼。それは間違えようもなく──駆逐棲姫のモノだった。

 

「イッ──!!」

 

 それに気付いた瞬間、腫瘍の内側から鋭利に尖った金属片が突出し、時雨の手を貫いた。手の甲から手のひらへと金属片は突き抜け、傷口を抉るように動きを見せる。

 

「っ……、この!」

 

 鋭い痛みに耐えながら、時雨はグローブを力任せに剥ぎ取り、海に投げ捨てた。そして、すかさず右側の大型単装砲を展開し、投棄したグローブ目掛けて砲撃を撃ち放つ。砲弾はグローブに命中し、腫瘍ごと真っ二つに千切れた。だが、二つに分かれた後も活動を続け、徐々に膨らんでいった二つの腫瘍は、やがて融合する事で更に大きく成長した。

 

「なんや、いったい何が起きてる!?」

 

「駆逐棲姫だ! 間違いなくアイツが復活しようとしてる!」

 

「はあ!? なんでキミのグローブから駆逐棲姫が生えてくるんや!?」

 

「それは……!」

 

 龍驤に問われ、思い出す。汗を拭うついでに、頬に付着した駆逐棲姫の返り血をグローブで拭った事を。ほんの僅かだったが、確かにグローブは駆逐棲姫の体液を吸収していた。

 

「……恐らく、頬に付いた駆逐棲姫の体液をグローブで拭い取ったからだと思う」

 

「嘘でしょ。たったそんだけの、拭き取れるくらいの量からでも再生できるっての!?」

 

「それしか考えられない」

 

「……畜生」

 

 最も早くに見つけていた隼鷹はすぐに指摘するべきだったと自戒する。

 

「とにかく二人とも、爆撃か雷撃で今すぐアレを焼き払って! 僕の砲撃だけじゃ再生を遅らせる事しかできない!」

 

「あかん。ウチの子達はさっきので爆装と雷装を全部使い切った。隼鷹、キミはどうや?」

 

「爆装があと一編隊分残ってる。今すぐ準備するから、少し待って!」

 

 ただちに隼鷹は印を刻み、艦載機に爆装を施す。それには約一分の時間を要した。その間、時雨は砲撃を続け、龍驤も戦闘機での機銃掃射で多少なりとも再生する肉塊を破壊していく。しかし、遅延は出来ても再生を止めるには至らない。腫瘍は肉塊に成り、肉塊はやがて肉体へと昇華しようとしていた。

 

「隼鷹! まだか!」

 

「今できた! すぐ飛ばすよ!」

 

「よっしゃ! はよ飛ばせ!」

 

 爆装が完了した隼鷹は飛行甲板を広げ、形代を設置する。それと同時に未だ人体には成り切れない駆逐棲姫はある一部分を真っ先に再生させた。それは腕。人の形をしていない肉塊から、片腕だけが生え伸びる。そして腕には未熟な砲塔が形成されていた。固形として固まり切らないシリコンのような軟体ではあったが、火砲としての機能は既に備えていた。生まれ出た瞬間、それは発射される。発射された砲弾は、発艦させまいと隼鷹の飛行甲板を狙っていた。

 

「──隼鷹!!」

 

 龍驤が危険を伝える。ハッと顔をあげた隼鷹は砲撃されたのを認識した。回避は間に合わない。それならと瞬時に判断する。敵の狙いが飛行甲板であるのは気付いていなかったが、隼鷹は直感的に最適解を導き、飛来した砲弾を背中で受け止めた。咄嗟に身体を捻って飛行甲板を庇ったのだ。

 

「いったぁーーー!!」

 

 初実戦である隼鷹にとって、これが人生初めての被弾だった。砲弾が直撃した背中は『装甲』と『耐久値』に守られ、肉体的な損傷はなかったが、子供の投げた硬球がぶつかった程度の衝撃と痛みが広がる。まだ痛みに慣れていない彼女には、それでも十分痛かった。

 

「こんにゃろぉ」

 

 痛がるのもほどほどに隼鷹は爆撃機を発艦させる。五機編隊で飛び上がった爆撃機は最短ルートで再生し続ける駆逐棲姫に接近し、爆撃を行った。人としての形が出来てきていた駆逐棲姫の身体に次々と爆弾は放り込まれ、瞬く間に海は炎に包まれる。

 

「…………」

 

 その光景を三人は固唾を飲んで見守った。願わくば、これで消滅してくれる事を祈って。──だが、突如として炎の中から腕が伸びた。続いて足が。そして、駆逐棲姫が顔を覗かせる。見せた顔は無貌。顔のない顔。凹凸はあっても鼻や目や口がない。やがて身体も炎から脱し、その姿を三人の目の前に現す。

 

 現れた駆逐棲姫に艤装はなく、人間で言えば裸体に等しかった。しかし、その容姿は人間と微妙に異なる。形は人と同じ。けれど細部はまるで再現されていない。乳房はあるが乳頭はなく、女性器もなければ肛門も存在しない。その姿はどこまでも生物的ではなく、あくまで人間を模して造られた人形めいていた。

 

 駆逐棲姫の裸体を見て、三人は“美しい”と思った。だが、その美しさは嫌悪感を刺激する。駆逐棲姫の裸体には、あまりにも醜さが欠落していた。人間として隠すべき恥部。或いは汚らわしさがなかった。とどのつまり、その身体は綺麗過ぎたのだ。それは転じて“気持ち悪さ”として人の目には映った。

 

 駆逐棲姫は顔を整形する。

 無貌だった頭部は数秒の間に変形し、顔を作り出す。駆逐棲姫の顔。それはやはり時雨に酷似していた。体形も変化し、眼前の時雨と同一のものとなる。艦娘である時雨を模した人形の如く、そこにはもう一つの彼女が立っていた。

 

 尚更強く、時雨は気持ち悪いと感じる。自分と瓜二つの人形。それが目の前に──ましてや全裸でいるのだから、その嫌悪は至極真っ当であった。

 

「……応戦するよ。二人は下がって」

 

 空母二人に忠告して、時雨は砲撃を放った。砲弾は駆逐棲姫の胸に突き刺さる。肉が弾け、内部が露出する。しかし、すぐに回復していった。それだけではない。並行して艤装が身に纏われていく。時雨だけの攻撃では再生を止める事など到底叶わない。そして駆逐棲姫は全快した。傷一つない完全な姿に立ち戻る。

 

 ──否。そうではなかった。元に戻ってなどいない。駆逐棲姫は先に進んでいた。

 

 赤黒い空気が駆逐棲姫の周囲を包む。白濁とした眼は赤に輝き、圧倒的な威圧感を発する。駆逐棲姫は更なる強化を得て、復活を果たしていた。

 

「駆逐棲姫がエリートに進化したってか。こりゃ、いよいよもってあかんなぁ」

 

「先輩……、流石に初陣で戦死ってのは御免なんだけど」

 

「新兵が初の実戦で死ぬのはよくある事やで」

 

「…………」

 

 軽口の多い隼鷹も言葉を失う。まだ未熟な彼女にもはっきりわかるほど、目の前に存在している敵は強大だった。だからこそ時雨は告げる。

 

「僕が相手をするから、二人は先に退却して」

 

「阿呆。まだ仲間を切り捨てて逃げるような場面ちゃうやろ。それに逃げてる背中を撃たれたらどうするんや」

 

「大丈夫。鎮守府に退却する分には追撃してこないはずだよ」

 

「なぜわかる」

 

「憶測からの意見だけど、信用してほしい」

 

「なら、キミも一緒に逃げればいい」

 

「僕には、やるべき事がある」

 

「……よーわからんな。ったく、若いのがウチに隠し事とは生意気やで」

 

「ごめん、今は説明できないんだ。二人はもう十分戦ってくれた。だから早く逃げて」

 

 それだけを言い残し、時雨は駆逐棲姫へと突撃する。龍驤はすっかり大人しくなった隼鷹を横目に見て、渋々後退を始めた。

 

 それでいい──と時雨は見送る。

 ここからは一対一。最初からこうなるとわかっていた。いずれ、そうするつもりでいた。想定していたより早かったけれど仕方がない。自分が頑張ればいいだけの話だ。

 

 覚悟を胸に時雨は走る。疲労はある程度抜けた。貫かれた左手が懸念事項だが、使えない訳ではない。自らの状態を確認し、彼女は赤いオーラを纏う駆逐棲姫に挑んだ。

 

 艤装を展開し、グリップを握る。握り締めた左手からは血が滴り、出血と痛みからか握力が弱まった。それでも時雨はトリガーを引く。左腕の砲撃は駆逐棲姫に避けられたが、右腕の砲塔で追撃し、それは命中した。だが、貫通してはいない。表面を傷付けた程度の被害はすぐに修復された。

 

「やっぱり硬くなってる。重巡か、もしかしたら戦艦級の装甲だ」

 

 赤いオーラを纏った駆逐棲姫の性能は更に向上し、駆逐艦の特徴として唯一残っていた耐久力の低さという弱点すら克服されていた。今や駆逐棲姫は駆逐艦以上に動き回れる重巡洋艦或いは戦艦と言っても過言ではなかった。

 

 その駆逐棲姫が動く。

 両腕の大型砲塔を稼働させ、時雨と真っ向から撃ち合った。時雨の攻撃を受けながらも、その自己修復能力によって意にも介さず、正確な砲撃を次々と撃ち放つ。その正確な射撃を時雨は回避し続ける。時雨の操舵技術は一級品。一対一で相手の姿が見えている状況下ならば簡単には当たらない。ましてや駆逐棲姫の大型単装砲は戦艦にも通用する火力を持つ為、時雨は当たる訳にはいかなかった。

 

 故に両者の戦いは膠着状態と化した。

 性能では駆逐棲姫が上回り、技量では時雨が上回る。攻撃は互いに通用せず、互いに決定打もない。戦況は平行線を辿った。

 

「…………」

 

 時雨の首元に汗が滲む。確かに今は拮抗していたが、それも長くは続かない事を時雨は理解していた。自分と相手では土台が違うのだ。一切疲れず、怪我も治る駆逐棲姫と異なり、時雨は戦えば疲弊し、一度傷付いた身体はすぐには治らない。怪物と人間の差。それは誤魔化しようがない。

 

 砲撃を放つ度に反動で左手の傷が刺激される。戦い続けた身体は休息を求めている。しかし、それは許されない。ここで戦い続ける事こそが与えられた役割なのだから。

 

「おおおっ!」

 

 気合いを込めて時雨が叫ぶ。そして砲撃で逃げ場を塞ぎつつ、駆逐棲姫を強襲する。左右に不規則な舵を取り、敵に狙いを定めさせない。だが、駆逐棲姫の砲撃は容赦なく時雨を狙った。その一撃一撃を紙一重の回避で避けていき、十分近付いた地点で左腕の砲門を撃つ。それは当然のように回避されたが、時雨も当然のように駆逐棲姫が停止する位置に右腕の砲撃を放つ。当然、命中した。これまで数え切れないほど繰り返してきた攻撃方法。どれだけ強化されようとも、この欠点だけは改善されない。駆逐棲姫にとっては完成している回避行動であるが故に改善する余地がないのだ。

 

 砲撃が命中し、爆炎に隠れた駆逐棲姫へと時雨は更に追撃する。全速力で接近し、その勢いのまま身体を捻った。そして波を蹴って飛び上がると、捻った身体を回転させ、全身を使って発生させた遠心力を以て後ろ回し蹴りを繰り出す。

 

 時雨の踵が爆炎を切り裂き、その中にいた駆逐棲姫の側頭部を捉えた。時雨の踵には鋭角な舵──ラダーが装着されており、頑強なそれは、まるで刃物のように駆逐棲姫の頭部へ突き刺さろうとしたが、しかし、硬い『装甲』に抵抗され、衝撃が波及するだけに至った。

 

 破壊されなかったとはいえ、渾身の蹴りを受けた駆逐棲姫の頭部は衝撃のままに横を向く。そうなれば駆逐棲姫の視界から時雨の姿が消える。回避行動はこれで取れなくなった。

 

 駆逐棲姫が正面を向き直る前に、時雨は全砲門を眼前に向ける。両者はほぼ密着状態。それを判断した瞬間、時雨は全砲門を一斉に発射した。

 

 砲撃音と同時に砲弾は駆逐棲姫へと直撃する。その全身はまたも爆炎に消え、時雨も至近距離砲撃の代償として余波を受けた。

 

「────」

 

 それは突然だった。

 爆炎の中から駆逐棲姫が飛び出し、余波を受けて体勢を整え直している最中にいた時雨へ襲い掛かった。時雨の砲撃で失ったのか、突進してきた駆逐棲姫に両腕はなく、また両足の砲塔と魚雷発射管も損傷していた為、時雨に対して攻撃能力を持っていなかった。しかし、蹴りを打ち込まれた報復とばかりに、駆逐棲姫は体当たりで時雨を押し出す。

 

「かはっ……!!」

 

 驚異的な航行速度から行われた体当たりはトラックが衝突してきたのと同レベルの衝撃だったが、『装甲』に守れる時雨にはその四分の一程度まで軽減される。とはいえ、人が即死してもおかしくない衝撃の四分の一だ。苦悶が漏れるほど重い一撃だったのは言うに及ばない。

 

 駆逐棲姫は体当たりが成功した後も停止せず、時雨を押し出し続けたまま直進し続ける。尋常ではない速度で押し出された時雨は手足を後方に投げ出され、上手く動けずにいた。両足でブレーキをかけてはいるが、推進力で圧倒されている以上、焼け石に水だった。

 

「……ぐっ!」

 

 あまりに近過ぎて砲身の長い大型単装砲は使えない。その為、時雨はアームで繋がれた艤装を一度背中に収納する。そして艤装の側面から小口径単装砲を取り外し、右手に装備すると駆逐棲姫の脇腹へと砲撃を撃ち込んだ。小規模の爆発の後、青い体液が噴出する。装甲は撃ち抜けた。着実にダメージを与えられていたが、駆逐棲姫は依然として凄まじい速度で直進し続ける。

 

「これだけ被害を受けておきながら全力で動けるなんて……流石にズルいよ!」

 

 相手が規格外であるのは重々承知だった時雨も文句を禁じ得なかった。しかし、ふと気付く。駆逐棲姫は未だ傷だらけのままだ。再生はしているが、その速度は前より遅くなっているような気がした。

 

「が────!?」

 

 その事に気付いた瞬間──時雨の意識は刈り取られた。

 

 


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