艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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「山城、無茶をしたね」

 

「ああでもしなきゃ、一方的に撃たれるだけだもの。無茶じゃなくて賢い判断よ」

 

「そんなボロボロになってよく言うよ」

 

 微笑みながら時雨は傷だらけになった山城に肩を貸す。遠慮なくその肩を借りて、山城達は後方にいる扶桑達の下まで移動した。

 

「駆逐棲姫は?」

 

「再生してるよ。今回は徹底的に叩いたから、あと一分くらいは猶予があると思う」

 

 満潮の問いに時雨は返答する。全員の被害状況を確認して、いよいよ覚悟を決めた。

 

「潮時だね」

 

「そうね。わたしも含めて、これ以上は満足に戦えないわ」

 

 そして目を合わせて頷いた。二人の発言の意図に気付いた龍驤が口を挟む。

 

「撤退か。扶桑達がこんなになればしゃーないな。よっしゃ、しんがりはウチに任せてもらおか」

 

「いや、それは時雨の役目よ」

 

 時雨ではなく満潮がそれに答えた。

 

「なんやと?」

 

「この悪天候で空母は戦えないでしょ。風は強いし、じきに雨も降る。だから、しんがりを務めるのはこの中で唯一まともに戦える状態にある時雨よ。それにアナタには退避時の警戒をしてほしい」

 

「……ま、正しい判断ではあるがね。しかしどうも、それだけじゃないやろキミら」

 

 龍驤の鋭い眼光が満潮と時雨を射抜く。二人は沈黙を貫いた。やがて龍驤は溜め息を一つ零した。

 

「何か思惑があるんやな。ウチにはわからんけど、ええやろ。なんや、そんな覚悟をガチガチに固めた顔を見せられちゃ、やめろとは言えへんわ」

 

 野暮な事はせえへんよ──と龍驤は笑みを浮かべる。隼鷹も龍驤が納得したのを見て、異を唱える事はしなかった。残るは扶桑と山城。彼女達は言葉は発せず哀しみを含んだ視線を二人に向けている。それを時雨は意外に思った。

 

「……何も言わないんだね。てっきり文句を言われると思ってた」

 

「納得はしていないわ。けれど意味のある事なのでしょう? 二人が選んで、二人で決めた事なのでしょう? だったら止めない。……本当は手伝えない事が悔しいのだけれどね」

 

「ううん。二人がここまで戦ってくれたおかげで僕が想定していたよりずっと事態は好転してる。嬉しい誤算だったよ。ありがとう」

 

 中破している扶桑はそれでも申し訳なさそうに顔を曇らせた。時雨と満潮の真意は見えないが、やろうとしてる事はわかる。『運命を変える』。時雨はそれを目指しているはずだ。そして恐らく、ここで呼び止める事は誰の為にもならない。その事を扶桑だけでなく山城もまたわかっていた。

 

 山城は時雨の肩にまわした腕の力を強める。そして耳元に口を近付けた。

 

「……山城」

 

「言ったでしょ。わたしは時雨の事をわかってあげる。あなたの決めた事を受け止めてあげる……って」

 

 山城は時雨の肩を離れ、おぼつかない足取りで扶桑の隣に移動する。その途中、ふと足を止め、振り向かないまま時雨に問う。

 

「でも……でも、なんで時雨が残るのか。それを教えてはくれないの?」

 

 その問いは未練でもあった。

 このまま彼女をここに残していいのか。見送ってしまっていいのか。その葛藤から零れ落ちた未練だった。

 

「僕はここを離れるわけにはいかないんだ。もう少しアイツの相手を──……いいや、アイツに僕の相手をしてもらわないと」

 

「よくわからないわ」

 

「ごめん、今は教えられない。全部終わったら話すよ。だから待っていて」

 

「絶対よ? ……絶対、だからね」

 

「うん。約束」

 

 互いの顔を見ないまま約束を交わす。冗長な言葉は要らない。今の二人には短い約束だけがあればよかった。

 

 それを経て山城は扶桑の隣に立つ。姉の身体を支え、振り返らずにゆっくりと進み出す。それを補佐するように隼鷹が傍により、龍驤は周囲を警戒した。最後まで時雨を見ていたのは満潮だった。

 

「それじゃあ満潮。あとは頼むね」

 

「ええ、任せて。アンタはやる事やって、ちゃんと帰ってくる事だけを考えなさい」

 

「わかってるよ。死ぬつもりなんかないさ。僕が死んだら多くの人が悲しむって知ってるからね。満潮と違って、僕はこう見えても交友関係広いんだ」

 

「ハッ……、今に私だって友達百人くらい作ってやるわよ」

 

「あはは。うん、今のキミならきっとできるよ」

 

 友達は笑い合い、そしてそれを別れの言葉にする。満潮も退却する艦隊の先頭に立ち、海域から去っていく。その背中を時雨は時間が許す限り見つめ続けた。大切な人達の姿を網膜に焼き付けるように。

 

「…………」

 

 不意に稲光が走り、遅れて轟音が響き渡る。遠くの空で雷が落ちたらしい。それからまもなく時雨の頬に水滴が伝った。雨。ついに降ってきた。それを感じて時雨は振り返る。見据えるのは宿敵の姿。既に人の形を取り戻し、同じく時雨を見つめていた。

 

 海が荒くうねりをあげる。高い波。強い風。分厚い雲。時折見える稲妻の軌跡。勢いを増していく降雨。悪天候と言って間違いない状況。しかし──

 

「……いい雨だね」

 

 ──時雨にとっては良いコンディションだった。荒れ狂う波に揺れる身体。強風に靡く前髪。眩しくない空。稲光は目障りだったが、雷雨もたまには悪くない。総合的に見て『いい雨』だった。

 

 気持ちがいい。気分が高揚する。こんな激しい海の方が自分には合っている。過去の記憶が刺激され、『駆逐艦 時雨』が目を覚ます。覚醒し、同調する。より深く、より馴染み、より時雨は『時雨』となっていく。瞳を閉じて息を吐き、瞼を開ける。広がる世界に敵は一つ。その敵と視線を交差させた。

 

「さて……、そろそろ“向こうの戦い”も終わりが見える頃かな」

 

 不意に呟き、小口径単装砲を右手に持つ。

 敵は動かない。時雨は前進し、距離を縮める。およそ三十メートル付近まで近付いて止まった。それでも敵──駆逐棲姫に動きはない。

 

 睨み合う事、数分。雨に濡れた前髪を払いながら時雨は口を開く。

 

「やはりキミからは襲ってこないんだね。この場所に出現した事も含めて、キミはいつだって受動的だった」

 

 自ら交戦し始める事はなく、駆逐棲姫は応戦する形でしか戦闘を行っていない。その理由は知っていた。

 

「それもそのはずだ。キミは──僕をこの場に縛り付ける為に現れたんだからね。僕がALを離れる事──もっと言えば僕が棲地MIへ行こうとした時、キミは稼働する。そもそもキミが出現したのだって、僕が『棲地MIへ行く』と声にしたからだ。そうだろう?」

 

 駆逐棲姫に返答はない。そのような機能はない。けれど構わず時雨は続ける。

 

「今すぐに僕が南下を始めれば、キミは僕を追うだろう。逆に言えば僕がここに居続ける限り、現状のようにキミは微動だにもしない。こうして見つめ合っている分には無害と言える」

 

 一度口を閉じて一息吐く。駆逐棲姫は無感情の表情でそれをみつめるだけだった。

 

「僕はずっと考えてた。駆逐棲姫、キミが何者であるのかを。……最初に至った答えは『運命の代行者』だった。運命を変える要因を排除する為に生じたのだと思った。たぶん、これは間違っていない。でも何かが足りない気がした」

 

 MO作戦の時、扶桑と山城に被害を与える事で、駆逐棲姫は祥鳳の生存という運命の改変を邪魔した。そして時雨は運命の存在に気付いた。故にそこからが始まりだと思っていた。

 

「キミが現れたMO作戦からがおかしいんだって思ってた。けど違った。気付いたんだ。思えば最初からおかしかった……って」

 

 時雨は回想する。

 あの艦隊が再編成された日。満潮と共に扶桑型戦艦の護衛をして西方の鎮守府へと向かう事になった日々。現在に至っても原因不明の襲撃があった。本来ならば安全圏である本土近海で、時雨と満潮は深海棲艦の待ち伏せを受けた。それも一度ならず二度もだ。今になってわかる。あれは通信が傍受されたのでもなく、ましてや内通者がいたわけでもない。

 

「最初から僕は目をつけられていたんだね。キミ達、深海棲艦から──ううん、『運命』からと言うべきかな。僕が過去の記憶を夢見る特別な艦娘だとわかっていたんだろう?」

 

 答える訳もないのに問い掛ける。当然、返ってくる声はない。それに時雨は小さく笑った。

 

「最初は些細な懸念程度。念の為、特別な僕を戦線から離脱させておこうと、その程度の戦力を仕向けた。しかし僕等はそれを退けた。そして僕が扶桑と山城に出会い、それをきっかけに第二次改装を果たしたのを知って、キミは感じたはずだ。“この艦娘は本当に運命を変えるのではないのか”──と。本来ならばまだ出会う筈にない僕等が出会い、ましてやMO作戦に参加して共に戦うなんて過去の歴史にはない出来事だったはずだよ。キミの懸念は疑問に転じ、MO作戦において僕を模して生み出した駆逐棲姫を用いて僕を観察した。そして運命を覆す為に行動した僕等を観測して、それは確信に変わった。『駆逐艦 時雨』は運命を変える可能性がある危険な艦娘だとキミは判断したんだ。駆逐棲姫はキミの手足であると同時に、危険だと判断した僕に対する抑止力。恐らく海上にいる時は常に監視していたんだろう。鎮守府を爆撃しようとした空母ヲ級と会敵した時も、真っ先に邪魔してきたし。……どうだろう、僕の考察は概ね合ってると思うんだけど」

 

 降りしきる雨の中、時雨は真っ直ぐに駆逐棲姫を見つめ射抜く。

 

「鎮守府の爆撃に見せ掛けて提督を狙ったのもそういう理由からだ。彼は僕と同じか、それに準ずる特別な存在だった。だから、その命を狙ったんだ。対して僕が命を奪われるという事がなかったのは、まだ死ぬ運命になかったからかな。艦娘の『運命』を司るキミ自ら運命を変える訳にもいかないだろうしね」

 

 言葉を持たない駆逐棲姫の裏にいる『運命』を看破する時雨は言葉を並べた。

 

「今の状況もそうさ。僕を殺す訳にもいかず、けれど、運命の分水嶺となる棲地MIでの戦いに参加させる訳にもいかないからこそ、こうしてただ足止めに徹している。……そしてキミの想定通り、僕は未だにALに留まっている。今すぐに棲地MIへ向かっても、辿り着いた頃には決着は付いているだろう。仮にキミのような規格外の航行速度を有していようと間に合いはしない。だから僕に運命は変えられない。この時点で運命は決している」

 

 そう口にしながらも時雨に焦りはない。むしろ極めて冷静だった。それを駆逐棲姫は観測する。観念したのではないと判断するも、その真意は窺い知れない。

 

「うん、キミの判断は正しかったかもしれない。もし僕が棲地MIにいれば運命を変えられた可能性はある。だからキミが必ずしもマヌケだったとは言わないよ。……でもね、僕は思うんだ。運命を変えるのは過去を知る者じゃなくて──なんの因果もなく、未来を目指せる人だってさ。例えば……そう、特別な“彼”がわざわざ他の鎮守府から引っ張ってきた“あの子”とかね」

 

 駆逐棲姫の腕が僅かに動く。初めて反応を見せたのを確認し、時雨は薄らと笑みを浮かべた。

 

「思うところがあったのかな? キミとしても不思議だっただろうね。突然やってきた特別秀でたものがある訳でもない艦娘が常に最前線で重用させていたんだから、奇怪な采配だと思うのも仕方ない。僕もそう思っていたしね。けれど、そうやって遠くから観察する事しかしなかったからこそ、キミは気付けなかったんだろう。僕の時と同様に駆逐棲姫のような近い視点で観察すればわかったはずだ。彼女の輝き──その影響力を」

 

 彼女との交流を思い出して、ふと笑いを零す。

 

「おかしなものでね。彼女と一緒にいると否応なく前を向かされるんだ。諦めたり、挫けたり、そういう後ろ向きな気持ちをしていられなくなるんだよ。きっと今も棲地MIで張り切っているはずさ。それこそ絶望的な状況すらも払拭してしまうんじゃないかな」

 

 動きを見せた駆逐棲姫は情報を更新する。深海棲艦は根幹で繋がっている。今、棲地MIにいる深海棲艦の観測情報を自身に入力した。──棲地MIの戦況は拮抗。されど艦娘側の士気は高い。要因……援軍の到着。及び『駆逐艦 吹雪』の激励によるもの。

 

「よかったよ。キミ達が僕じゃなくて彼女を狙っていたら、恐らく脱落していただろう。錬度で言えば、そう強い艦娘じゃないからね。……ああ、本当によかった。わざわざ“僕”を狙ってくれて。そのおかげで僕等は未来を得られる」

 

 時雨の真意を導いた駆逐棲姫は突如として動き出す。向かうは時雨、その後方。彼女を越え、南下した先にある棲地MIへと駆逐棲姫は急行しようとした。──しかし、その進行は時雨の砲撃によって止められた。

 

「今更気付いても遅いよ。きっと運命は変わる。彼女が変える。──この戦い、僕等の勝ちだ」

 

 右手に持った小口径単装砲を構えて言い放つ。進路を潰され、停止せざるを得なかった駆逐棲姫は時雨を睨み付ける。状況は転じた。時雨を足止めするはずの駆逐棲姫が足止めされ、足止めされるはずの時雨が駆逐棲姫を足止めする。

 

「もうキミが棲地MIに向かった所で間に合わない。それよりも先に勝敗がつく」

 

 だが、そんな忠告を無視して駆逐棲姫は時雨の横を突破しようとした。すぐさま時雨は波を蹴り、迎撃する。波の力を利用して進む時雨に対して、駆逐棲姫は荒波の抵抗を強大な推進力で無理矢理突き進んでいく。その差により、時雨は限定的に駆逐棲姫よりも機敏に動く事が出来た。

 

 先んじて回り込んだ時雨は至近距離で駆逐棲姫の顎を下から撃ち抜き、続けて左舷の連装砲で追撃を行い、その進行を止めた。

 

「無駄だよ。この環境なら僕はキミに匹敵する」

 

 結果は見えた。艦娘は吹雪によって未来を手にし、深海棲艦は敗北する。それは駆逐棲姫も悟った事だろう。だがしかし、駆逐棲姫は臨戦態勢のまま、今も尚、時雨を突破しようと構えていた。

 

「なるほど。運命を正す事は断念したようだけど、その代わりに今後も脅威となるだろう吹雪を排除するつもりか。……それなら僕はまだお役御免とはいかないね」

 

 規格外の深海棲艦──駆逐棲姫の前に時雨は立ち塞がる。

 彼女の役目。提督が期待した特別な彼女にしかできない役割。それは──

 

「残念だったね。──僕は誘蛾灯。『運命』を誘い、焼き尽くす“罠”なんだ」

 

 運命を変える鍵である吹雪から『運命』の目を逸らす事。そして『運命』の力を最も強く注がれた深海棲艦──つまりは駆逐棲姫を決戦場である棲地MIへ辿り着かせない事。それが『駆逐艦 時雨』に課せられた使命だった。

 

 ──『運命は特別な存在に惹かれる』。その言葉の通り『運命』は時雨に誘われ、そして罠にかかったのだ。

 

「キミを棲地MIには──いや、吹雪の下には行かせない」

 

 


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