艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 駆逐棲姫の左腕大型砲塔から放たれた砲弾は時雨の胸部──その中心を撃ち抜いた。『装甲』を貫通し、砲弾が炸裂した衝撃により体ごと吹き飛ばされる。三メートルほど後方の海面に背中から落ち、時雨は仰向けに倒れた。

 

 腕を下げた駆逐棲姫はそれを観測する。砕けた顔にはめられた目が動かなくなった時雨を捉え、優れた視力で彼女の状態を確認していく。胸部の衣類は一部破れ、その隙間から鮮血が伝っている。リボンでまとめていた三つ編みはほどけ、長い髪が海面に広がっている。投げ出された手足にはまったく力が込められていない。起き上がる気配は一切なく、その身体が徐々に沈んでいっている事を観測した。艤装の力も微弱。その死は確定している。

 

「────」

 

 敵の沈黙を確認。駆逐棲姫はゆっくりと進み始める。近付いて更に時雨を観察した。──呼吸が止まっている。胸部は上下しておらず、心肺機能は停止しているものと駆逐棲姫は判断する。

 

「──……タダシイセカイ……ノタメ……セカイヲタダス……」

 

 駆逐棲姫の進路が変わる。時雨の横を通り過ぎ、南──棲地MIを目指す。そこにいる駆逐艦 吹雪を世界から取り除く為に、駆逐棲姫は壊れかけの肉体を稼働させ続ける。間に合うかはわからない。この肉体が崩壊するまでの猶予は『運命』であってもわからなかった。数時間か、或いは数分かもしれない。だが動く。幽鬼が如き死に体は世界を正そうと動き続ける。その最後の瞬間まで──

 

 

「────、──……、…………」

 

 

 ──最後の瞬間は意外に早くやってきた。

 

 駆逐棲姫の身体が傾く。波に躓いたような、予期できない不意な転倒だった。前に傾き、顔面から海に倒れる。抗う術もなくうつ伏せに倒れ、駆逐棲姫は動けなくなった。動けない。動かない。どれだけ力を込めても起き上がれない。……まだこの肉体は“死んでいない”というのに。

 

 

「──……悩まないから。自分の判断に疑問を持たないから。キミはこんな古典的な不意打ちにすら気付けないんだ」

 

 

 駆逐棲姫の上から声が発せられる。

 その声は駆逐棲姫の背中にのしかかり、左手で後頭部を押さえ付ける彼女──駆逐艦 時雨のものだった。しかし、その姿を駆逐棲姫が見る事はない。頭部を容赦なく海へと押さえ付けられ、衰えた駆逐棲姫の力では振り返る事すら出来なかった。左腕も足で踏みつけられ、動かせない。唯一自由な両足は上手く海面に接する事が出来ず、うつ伏せのままでは十分な推進力を得られなかった。

 

 完全に駆逐棲姫の動きを封じた時雨は苦しそうに呼吸しながら単装砲を握り締める。時雨が行った古典的な不意打ちとは、とどのつまり死んだふりだった。全身を脱力させ、一時的に呼吸を止め、死んだように振る舞う。直接触れたり、心臓の鼓動を聞けばすぐに発覚するような子供騙しである。だが、自身が視認した事しか判断材料としない駆逐棲姫には通用するだろうと踏んでいた。その思惑通り、背後から忍び寄った時雨は駆逐棲姫を押し倒し、この現状を作り出していた。

 

 運命は考える事をしない。疑問がない。苦悩がない。人間を人間たらしめる要素を持たない。だから駆逐棲姫は時雨に──人間に敗北する。

 

「卑怯者と思ってくれて構わないよ。僕は“ズルイ奴”だからね」

 

 ──「その代わりこの勝負、僕がもらう」と単装砲を駆逐棲姫のこめかみに突き付け、一切の躊躇いなくトリガーを引いた。駆逐棲姫の頭部が大きく揺れ、暴れる身体が激しさを増す。それを力任せに押さえ付け、その肉体が死ぬまで撃ち続けた。

 

「……タダス……セカイ……─タメ……ウンメイ……──ビク……ミチビク……───……──……────────」

 

 五度目の射撃で暴れていた駆逐棲姫は大人しくなり、六射目で完全に停止した。しかし、時雨は弾が切れるまで撃ち続ける。やがて撃つ所がなくなった。強く鷲掴みにした後頭部は頭皮ごと削ぎ落ち、残ったのは僅かな頭蓋のみ。もはや頭部とすら判別できない残骸が首に繋がっているだけだった。

 

 駆逐棲姫から放出される青黒い光は既に絶え、流れ出る体液も底が尽きた。あらゆる力を失った規格外の化物は末端から真っ白な灰になっていく。深海に沈む事なく、その肉体は崩れるように海へと還る。幾度となく死を乗り越えてきた規格外の化物はそうしてこの世から消え去った。

 

「──……僕の勝ちだ」

 

 白い灰が散らばる海に時雨は座り込む。

 勝利を喜ぶ余力などない。死んだふりだったとはいえ、実際死んでいてもおかしくない攻撃を受けたのだ。至近距離からの大口径砲による砲撃は致命傷になり得る一撃だった。これだけ動けただけでも凄まじく幸運だったと時雨自身も思う。

 

「う────がほっ」

 

 突然咳き込み、単装砲が手から滑り落ちる。けれど、海に落ちたのは単装砲だけではなかった。時雨の口からさらさらとした赤い液体が零れ落ちた。それは鮮血。口から血を吐きだした途端、鈍く──しかし鋭い痛みが胸を締め付ける。

 

「これは──っ、……肺かな」

 

 胸を撃った駆逐棲姫の砲撃は時雨の肋骨を砕き、その一部が肺を傷付けていた。故の喀血。しかし、致命傷になり得た一撃である事を思えば、この負傷もまだ幸運な部類ではあった。激痛に顔を歪めながら、時雨は立ち上がろうと身体に力を込める。だが、まるで力が入らなかった。

 

「……あれ」

 

 何度か試したが、一向に立ち上がれない。それどころかどんどん力が抜けていく。両手を見る。もう拳を作れないほど握力がない。思わず笑ってしまった。こんなに弱っていたのかと今まで気付かなかった自分に呆れ、それを気力で誤魔化していた自分に益々呆れた。

 

「まぁ……必死だったからね。体力配分なんて考えてられないよ。──……けど帰らないと」

 

 力が入らない両手を海面につける。両手と膝で体重を支え、四つん這いになった時雨は少しずつ進み始めた。その速度は極めて遅い。艤装の力で推進力を得ているからこそ艦娘は高速で海上を移動できる。四つん這いでは推進力を一切得られず、当然両手と両足を交互に前へ出した分の距離しか進めない。広大な海を進むにはあまりにも遅く、どれだけの時間で帰れるのかなど考えるだけで果てがなかった。

 

 それでも時雨は前に進んだ。

 方角はあっている。きちんと鎮守府の方向を進めている。このまま進み続ければ確実に辿りつける。それは間違いなかった。

 

 荒れた海が行く手を阻む。打ち寄せる波が弱った体を痛めつける。吹き付ける強風が雨と共に重くのしかかる。それら全てに耐えながら、時雨は果て無き道程を進んだ。

 

「……約束、……約束した────げほっ……ぅ……ごほっ」

 

 運動する度に激痛が走る胸。呼吸する度に零れる血の混じった咳。霞む視界。末端の感覚を失った四肢。判然としない意識。全部無視して進み続けた。それがどれだけ続いただろうか。時間の感覚すら忘れ去っていた。気付いた時、時雨は海の上に倒れていた。気付かぬ内に倒れていた。

 

「ぁ……ぁぁ、うっ……かり、寝てた……かな。ダメだ……、そんな……時間はない」

 

 進行が止まっているのに気付いて再び身体を持ちあげる。持ちあがらない。歯を食いしばって渾身の力を全身に込めた。過剰な運動に心肺が悲鳴をあげ、口元から鮮血が零れ落ちる。だが時雨は身体を持ちあげる事に成功し、そして──すぐさま崩れ落ちた。

 

 左半身の力が抜け、持ち上がった身体は崩れた。そこから立ち直す事が出来ない。もうどこも微動だにしない。身体のどこに力を入れていいのかもわからない。どうすればいいのかと必死に考えて、その結論に至った時、思わず笑いが漏れた。

 

「…………ぁ、はは」

 

 そして自らの限界を悟った。

 脱力して仰向けに倒れる。大きく腕を広げ、雨が降りしきる曇天を見上げた。ほどけた髪が激しい波に揺られ、別の生き物のようにうねる。なぜだか心地良かった。

 

「……ごめん。帰れないや」

 

 時雨は生存を断念した。

 体力だけでなく、度重なる被弾で艤装の力も弱まっている。徐々にだが、海に沈んでいくのがわかる。ただ浮かんでいる事すらも、果たしてあとどれだけ出来るだろうか。一時間……、三十分……、いや五分と持たないかもしれない。

 

「でも……いいか。やるだけは……やった。最高の結果じゃ……ないだろうけど……、これが僕の最大限だ。……悔いはない」

 

 死を目の前にして、それでも悪くない気分だった。達成感、充足感。ズキズキと痛むこの胸は、そういうもので満ちている。

 

「こんな気持ち……、前にもどこかで……」

 

 この体験に既視感を覚えた。以前に同様の経験をした気がして、時雨はふと思い出そうとする。そして気付く。その体験をしたのは時雨ではなく、『かつての時雨』だったと。

 

 一人の海。どこかも知れない故郷から離れた海で、いつかの時雨も同じように孤独の中で終わりを迎えた。仲間と別れ、共に戦った誰にも見送られる事なく、孤独の海にひっそりと沈んでいった。けれど、それでも今の自分と同じ気持ちだったはずだ。──悔いはない。やれるだけをやって、そうして終わるのだ。戦いの果てに誇りを抱いて眠れるのだから文句などありはしない。

 

 そうだ……──この生涯は、きっと誇れるものだった。

 

「あぁ……祥鳳もこんな気持ちだったのかな……」

 

 彼女の誇らしそうな死に顔を思い出し、その理由を身を以て理解した。穏やかな気持ちで死を受け入れられる。身体は重かったけれど、対して心は軽い。このまま飛び上がってしまいそうなほどに。

 

「……………………」

 

 ひゅーひゅーと呼吸する度に喉が鳴る。感覚が鈍くなり、胸の痛みもあまり感じなくなった。疲労感もいつしかなくなっていた。本当に飛び上がっていきそうなほど、ひたすら楽になっていく。そんな気持ちに反して、浮力の強い胴体を残し、四肢はゆっくりと沈んでいく。深海へと引き寄せられるように沈んでいく。抗う力はない。抗う気もない。ただ、この荒々しく激しい海に身を任せた。

 

「…………──」

 

 沈むまでの幾許かの時間。時雨は瞳を閉じ、夢を見る。見飽きた悪夢ではない。大切な人達が笑顔でいられる未来の夢。そこに自分の姿はなかった。でも、みんなの笑顔だけで満足だった。それだけでよかった。

 

「────」

 

 満ち足りた幸せな夢。そんな夢を見ながら、時雨は荒波の中に消えていった。

 

 


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